第7話 古代
の声を聞く
中国では唐詩の韻を研究する学問が進んだ。韻を 踏んだ詩を作ることは科挙の試験に合格するための絶対条件だったために、官吏を目指す人びとは進んで唐詩の韻を学んだ。『韻鏡』という複雑な韻図ができ て、これをみれば韻が正しいか、まちがっているかが分かるようになった。たとえば、杜甫の「春望」についてみると、つぎの ようになる。 春
望
杜
甫 日本漢字音では深「シン」、心「シン」、金「キ ン」、短「タン」、簪「セン」が韻を踏んでいるようにみえる。『韻鏡』によって韻を調べてみると、つぎのようになる。 深(沁 韻)、 心(侵韻)、金(侵韻)、短(緩韻)、簪(覃 韻) 「心」 と「金」はともに侵韻であり、心=金で同韻であることがすぐわかる。また、深(沁韻)は『韻鏡』では侵韻と同じ第38図に収められており、侵韻が平声なの に対して沁韻は去声で四声が違うだけだから、平仄が同じである。したがって、深=心=金、と押韻していることがわかる。また、簪(覃韻)は『韻鏡』では 深、心、金の次の第39図に載っている。覃韻と侵韻の違いは、開口音かu介音をともなう閉口音かの違いだから韻は同じであ ると考えられている。したがって、「深」、「心」、「金」、「簪」は韻を踏んでいることが『韻鏡』によって確かめられる。 「短」
は、日本漢字音では押韻していそうに思えるが、韻鏡ではまったく別の第24図に掲載されていて、短(緩韻)である。「短」は「深」、「心」、「金」、
「簪」とは押韻ないことがわかる。韻図は日本でいえば五十音図にあたるものだが、それが43枚にも分かれているのだから、理解するのにもかなりの修行が必
要である。これをアルファベットで表記すれば、深[siəm]、心[syəm]、金[kiəm]、簪[tziəm]は韻尾が[-m]であり、短[tuan]と韻を踏まないことは一目瞭然である。日本語では
中国語の韵尾の[-m] と[-n] がともに「ン」であらわれる。 日
本漢字音は唐代の中国語音に準拠しているから、唐代の中国語音が復元できれば、万葉集の歌の原音をよみがえらせることができる。 漢字の音は反切という方
法で、声母(頭子音)と韻母(母音を含む部分)に分けて示される。例えば、日本書紀の歌謡では「やまと」は「夜摩苔」と表記されているが、「夜摩苔」の唐
代中国語音はつぎのように復元される。
夜(羊・謝)摩(莫・婆)苔(徒・哀) 「夜」
の中国語音の頭子音は「羊」と同じであり、韻母は「謝」と同じであるということが分かる。日本でも江戸時代には唐代の中国語の韻の研究が盛んに行われた。
しかし、中国語の音韻学は専門的な分野で、現代の日本人にはなじみがない。これを表音文字であるアルファベットで示せば、夜/jya/ 摩 /muai/ 苔 /tə/ということになる。8世紀の日本語の「やまと」は
唐代の中国語原音では/jya・muai・tə/であるということが知られる。 と
ころが、弥生時代の借用音は、原音となっているのが漢の時代の古代中国語音であり、唐代の中国語音より古い中国語に依拠しているので、復元はさらに困難に
なる。中国には紀元前600年ころに編纂された『詩経』があり、『詩経』の韻を調べることによって、さらに古い中国語の音を復元することができる。『詩
経』では「夜」は「悪」などと韻を踏んでいる。また、「夜」は「液」と声符が同じであることから、古代中国語音は夜[jyak]であったと推測できる。 夜(ヤ・よる)は音が夜(ヤ)、訓では夜(よる)
になる。日本漢字音の夜(ヤ)は唐代の中国語音に依拠したものであり、訓の夜(よる)はそれより古い時代の中国語音である夜[jyak]の痕跡をとどめた、中国語からの借用語である可能
性がある。 また、「墓」という漢字につて調べてみると、唐代
の中国語音では墓/ma/であり、日本漢字音は墓「ボ」である。ところが、
「墓」の古代中国語音は「莫」と同じく墓[mak]で
あることがわかる。このことから、墓(ボ・はか)は音が唐代の中国語音に依拠したものであり、訓の墓(はか)は詩経の時代の中国語音の痕跡を残した弥生音
であることが明らかになる。古代人の声は残されていないが、残された文字の音を復元することによってよみがえらせることが可能になる。 |
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