第9話 古事記を解読する
『古事記』は戦前には皇国の聖典であった。しかし、戦後は学校でも『古事記』の神話を教えることはなくなり、『古事記』を読む人はほとんどいなくなってし
まった。神話は歴史そのものを伝えない。けれども、神話は日本人の心のなかに描かれた古代の姿を伝えている。また、古事記は万葉集とともに、日本最古のまとまった文字資料であり、古代の日本語を知るうえでは、はかりしれない価値をもっている。 本居宣長は35年の歳月をかけて『古事記』を解読した。本居宣長は『古事記』の日本語を復元することによって、中国文化の影響を受ける前の日本の姿はどのよ
うなものであったかを明らかにしようとした。漢語を受け入れる前の「やまとことば」はどんなかたちであったか。そして、古代の日本人のこころ、「やまとごころ」はどのようなものであったかを解明しようとした。本居宣長は『古事記伝』のなかで、次のように述べている。 此記は、いささかもさかしらを加(くは)へずて、古へずて、云ひ伝へたるままに記されたれば、その意も事も言も相稱(あひかなひ)て皆上ツ代の実(まこと)
なり。是レもはら古ヘの語言(ことば)を主(むね)としたるが故ぞかし。 また、本居宣長は『うひ山ぶみ』のなかでは、次のようにも述べている。 件の書(古事記書紀の二典)どもを早くよまば、やまとたましひよく堅固(かた)まりて、漢意(からごころ)におちいらぬ衞(まもり)にもよかるべき也。道を
學ばんと心ざすともがらは、第一に漢意、儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂(たましひ)をかたくする事を、要とすべし。さてかの二典の内につきても、道をし
らんためには、殊に古事記をさきとすべし。 本居宣長は「漢意を清く濯ぎ去る」とはいっているが、江戸時代は漢学の時代であり、本
居宣長自身も漢学をうとんでいたわけではなかった。「漢国をのみ尊く、何事もすぐれたる如くに云て、皇国をば、殊更につとめて賤しめおとして、強(ひい)
て夷にするを、卓見のごとく思う」輩に我慢がならなかったのである。本居宣長は別のところでは、「漢籍を見るも、學問のために益おほし」ともいっている。
太安麻呂は中国語を表記するために作られた文字を手なずけて日本語を表記するという大事業にとりくんだ。本居宣長は逆に漢字だけて書かれた日本語を解読す
るという仕事に取り組まざるをえなかった。両者に十分な漢字の知識と「やまとことば」に対する繊細な感性が求められたことは間違いない。 現在でも、日本とはなにか、日本語とはなにかを問う人は必ず、本居宣長に、そして『古事記』に回帰する。小林秀雄は13年間にわたって大著『本居宣長』を書
きつづけた。小林秀雄が『本居宣長』を雑誌『新潮』に連載しはじめたのは昭和40年のことであり、終章を擱筆したのは昭和52年のことである。小林秀雄は
『本居宣長』のなかで、次のように述べている。 「古事記」という謎めいた、訳のわからぬ物語を、宣長が、無批判無反省に、そのまま事実として承認し、信仰したについては、宣長が、内にはぐくんだ宗教的情操
が、彼の冷静な眼を曇らせた、さう解するより仕方がない、とする考え方に、研究者は誘われ勝ちだが、これはいけないだろう。少なくとも、さういふ余計な考
へ方で、話を混乱させる事はないやうに思はれる。
近世において本居宣長をかりたて、近代になって小林秀雄がそれほどまでこだわりを持ちつづけた理由は何だったのか。それは、「日本語とは何か、やまとこと
ばとは何か」という問いが、われわれ日本人とは何かという問いと深くかかわりあっているからにほかならない。本居宣長は『古事記』の編者太安万侶になり
きって、『古事記』を読み解こうとした。小林秀雄は本居宣長になりきって『古事記傳』を読み直そうとした。そして、「やまとことば」の原初の形をよみがえ
らせようとした。日本が神国であるとか、古事記の神話が戦後の民主主義の思想に合うとか、合わないとかいうのではなく、『古事記』が日本という国をどのよ
うにイメージし、日本を形づくった精神はどのようなものであったか、そのありのままの姿をみつめなおそうとしたのである。 本居宣長は『古事記伝』のなかで「神」について、次のように書いている。
迦微(かみ)と申す名義(なのこころ)未ダ思ヒ得ず。凡て迦微(かみ)とは、古(いにしへの)御典(みふみ)等(ども)に見えたる諸(もろもろ)の神たち
を始めて、其(そ)を祀(まつ)る社に坐ス御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ハず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何
(なに)にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(とこ)のありて可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり。
本居宣長はまず、神のいうことばの本義は分からないとしている。しかし、神ということばが古事記、万葉集など日本の古典のなかで、どうのように使われてい
るかを明らかにしようとしている。神代とは、その時代の人はみな神だったから、神代というのだとしている。また、雷はいうにおよばす、虎も狼も神という例
は日本書紀や万葉集にも見えるとしている。 |
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