第65話 や まとことばは純粋か(1) 「や まとことば」は中国文化が日本列島に影響を及ぼす以前の純粋な日本語の姿を留めているのだろうか。そもそも、言語にとって純粋な言語とは何だろうか。キリ スト教徒にとって、かつてはヘブライ語は聖なることば、神の言語としてあがめられていた。しかし、今ではサンスクリットのほうが古い言語であることが判明 し、ヘブライ語はセム語族のひとつとして位置づけられている。 日 本語は日本民族の精神的血液であるとすれば、やまとことばは日本列島に人が住むようになって以来、日本民族によって純粋性が保たれてきたまじりけのない言 語なのだろうか。「やまとことば」のなかに、中国語からの借用語があったのかなかったのか、と問えば亀井孝の結論は「あった」という答えになる。亀井孝は カールグレンの論文をほとんど全面否定しているが、郡「くに」、絹「きぬ」、馬「うま」、梅「うめ」については、文字時代以前の借用語であることを認めて いる。呉音、漢音のほかに古代の借用語音があったとすれは、日本の漢和辞典は書きかえられなければならない。辞書を引いてみると普通次のように書いてあ る。 呉音 漢音 唐音 訓 郡(くに)、 絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)が「やまとことば」ではなく、中国語からの借用語だということになると、日本には呉音、漢音のほかにもうひとつの漢字 音(弥生音)があったことになる。文献時代以前だから、文字による借用ではないにしても、古代の中国人が郡[giuən]、絹[kyuan]、馬[mea]、梅[muə] と発音していたことばを、古代の日本人が郡(く に)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)と発音したとすれば、それは「やまとことば」ではなくて、中国語の日本式発音だということになる。 郡 (くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)の語源が、中国語にあると認めたとすれば、「やまとことば」は純粋であるとは、いえなくなってしまう。「や まとことば」のなかには、このほかにも「弥生音」が含まれている可能性がある。カールグレンの方法論を生かして、彼の提案を再検討して、補強すべきところ は補強し、否定すべきところは否定してみると、弥生時代の日本語の姿が浮かび上がってくる。 ここではつぎの3点に注目してカールグレンの提案 を検証してみたい。
1.古代中国語音と「弥生音」との間にどのような音韻
対応があるか。 古代中国語音が「やまとことば」のなかで、どのよ うな音韻対応を示すか、中国語原音を七つにわけて検討することにする。 (1)頭音が[m-]の場合。(2)韻尾が[-n]、[-m]の場合。(3)入声音[-k]の場合。 (1)中国語の原音が[m-] で始まる場合。馬(うま)と梅(うめ) 味
(うま)くもあらず(万葉集)、 これらのことばの古代中国語音は味[miuət]、美[miei]、牧[miuək]、没[muət] であり、いずれも[m-] ではじまる。梅、馬ばかりでなく味(うまし)、 美(うまし)、牧(うまき)、没(うもる)など も、文字時代以前の中国語からの借用音(弥生音)である可能性がある。古代中国語で[m-]ではじ まることばはいずれも2音節になって、 「ま」の前に「う」がつくという音韻対応の法則があると いう想定が可能である。 中国語の[m-]は日本語のマ行より閉鎖性が強く、「馬」、「梅」 は日本語では馬(ウマ)、梅(ウ メ)あるいは馬(ムマ)、梅(ムメ)としたのではないかと考えられる。現代の上海語音にその傍 証となる音を発見する ことができる。上海方言では語頭の[m-] の前に喉門閉鎖音である [・] ある いは [h] の音を聞くことができる。馬[ma]、梅[hme] のごとくである(参考文献、宮田一郎編著 『上 海語常用同音字典』光生館)。 古
代の日本語は江南地方の中国語音の影響を受けているから、現代の上海方言が古代の江南音を 受け継いでいるとすれば、中国語の「馬」、「梅」が弥生時代の
日本語に取り入れられて「う ま」、「むま」あるいは「うめ」、「むめ」となったとしても不思議はない。日本語はもともと単 音節を嫌い、2音節ない
し3音節のほうが安定している。「牧」は「むまき」とも読まれる。 「鰻」は万葉集では「むなぎ」と呼ばれていて、中国語の鰻魚[miuan-ngia] に対応する。万葉集の 鰻(むなぎ)も中国語か
らの借用語である可能性がある。 石 麿に われ物申す 夏痩せに 良しといふ物そ 武奈伎とり食(め) せ(万 3853) 中国語の[m-]の前に「う」以外の母音がついたと思われることば を記紀万葉のなかに探してみる と、つぎのような例がある。
網(あみ)刺さば(万葉集)、 虻(あむ)爾蛧咋ニ御
腕一(記雄略) これらのことばの古代中国語音は網[miuang]、虻[miuang]、妹[miuət]、夢[miuəng]、未[miuət]、母[mə]、面[mian] である。「妹」の韻尾は次第に弱まって妹/miuəi/ になったと考えられている。いずれも古代中国語で は[m-] で はじまる音で、日本語では前に母音がついている。前につく母音になにが選ばれるか、その規則を見出すことは困難である。古代の日本語には母音調和の法則が 働いていたから、後舌母音(ア、オなど)の後には後舌母音が選ばれることが多い。母「おも」などの場合も主母音が「も」だから、オ段の母音が選ばれたもの と考えることができる。 日本語の海(うみ)についても、中国語との関係 を検討してみる必要がある。「海」の現代北京音は海(hai)であり、日本漢字音は海(カイ)である。「海」の 声符は「毎」であり、古代中国語の毎[muə] が日本語の「うみ」になった可能性がある。現代上 海方言では「毎」は毎[me] である。中国語では毎[me] の入り渡り音[] が発達して海(hai) になり、日本語には喉音がないため、入り渡り音[] が失われて、日本語では海「うみ」になった可能性 がある。日本語で、中国語の[m-] の前の入り渡り音[] の痕跡を留めていると思われることばの例は、ほか にも馬「こま」、米「こめ」などがある。 (2)中国語の原音が[-n]、[-m]で終る場合。 郡
(くに)、絹(きぬ)、秈(しね)、盆(ふね)、坩(かま)、鎌(かま)、 これらのことばの古代中国語音は郡[giuən]、絹[kyuan]、秈[shean]、盆[piuən]、坩[kam]、鎌[liam] ま たは鎌[gliam] と推定される。日本漢字音で「ン」と発音されてい るものは、弥生音では母音をつけ てナ行あるいはマ行の音で発音されている。記紀万葉のことばのなかからこれらの用例を探してみ ると、つぎのようにな る。
久爾(くに)のまほろば(古事記歌謡)、 買ひてし絹(きぬ)
の(万葉集)、 ○郡(くに) 「くに」に「郡」の字をあてた例 は。万葉集などにはない。万葉集では「くに」は 國、久爾、久邇、本郷、地、邦などと表記されている。一方、「郡」は日本語では郡「こほり」 であ る。古代中国語の[-n] は日本語ではラ行になることがあるから、郡「こほ り」が中国語の 「郡」に対応することばである可能性がある。
毛野臣(けなのおみ)、百濟の兵来(きた)ると聞きて、背評(へこほり)に迎へつ。背評は地 の名なり。亦の名は能備己富利(のびこほり)。傷(やぶ)れ
死ぬる者半(なかば)なり。 (『日本書紀』継体二十四年) 日本語では郡[giuən] の第一音節の子音は清音となる。韻尾の[-n] はラ行になる例としては漢國(か らくに)、雁 (かり)、昏(くれ)などをあげることができる。古代中国語の「郡」は日本語で郡 「こる」あるいは「こほり」になる可能性は十分ある。一方、朝鮮語では 「郡」、「邑」は「こう る(ko-eul)」である。日本語の「こほり」は朝鮮語との関連も 考えられる。さらにまた、日本語の 「こほり」、朝鮮語の「こうる」はともに、中国語の「郡」が語源である可能性もある。 ○絹(きぬ) 「絹」は万葉集でも「きぬ」と読 まれており、日本語の「きぬ」が中国語の絹[kyuan] であることはほぼ間違いない。万葉集では「きぬ」に絹、衣、伎奴、絁などの文字が用いられて いる。絹の音は絹(ケン)、訓は絹(きぬ)とされている が、訓の絹(きぬ)は文字時代以前の 中国語からの借用語であり弥生音である。日本語の「きれ」も中国語の「絹」あるいは巾[kiən] と関係のあることばである。 ○ 秈(しね) 「しね」には万葉集
では「稲」の字があてられている。「しね」は十握稲のように 複合形で用いられている。単独の場合は稲(いね)と読む。中国語の「秈」は「うるち米」の
ことであり、音義ともに日本語の「しね」に近い。カールグレンが指摘するように、中国語の 例:船(セン)・鉛(エン)、説(セツ)・悦(エツ)、詳(ショ
ウ)・羊(ヨウ)、 ○盆(ふね) 「ふね」は「酒船」、「湯船」などの場合には什器になぞらえられることがある。しか し、万葉集などには「ふね」に「盆」の字が用いられ た例はない。「舟」には舟、船、舨、舫、槽 などの漢字が使われており、日本語の「ふね」に一番発音が近いのは舨[piuan]である。これが日 本語の「ふね」の語源となっ た可能性がある。 ○坩(かま) 中国語の坩[kam] は土器のことであり、万葉集では「坩」を「かま」 に用いた例はな い。中国語の「坩」に近いものとしては、日本語では「かま」よりもむしろ「かめ」がある。中 国語の罐[kuan] も弥生音では「かめ」であろう。日本語の釜「か ま」は朝鮮語の釜(ka-ma) と関 係がある可能性がある。 ○鎌(かま) 現代北京語では鎌(len)である。しかし、「鎌」の声符は兼「けん」であ り、日本で は古くから藤原鎌足、中臣鎌子などのように鎌を「かま」と読んできた。カールグレンは、同じ 声符をもつ漢字のなかに、ラ行で発音される ものとカ行で発音されるものがかなりあることに注 目して、古代中国語音は[kl-] あ るいは[gl-] という複合音だったのではないかと推論している。 例:格(カク)・洛(ラク)、 監(カン)・藍(ラン)、 兼(ケ
ン)・簾(レン)、 現代上海方言では「鎌」は鎌[hliam] で[l]の前に喉音hの入りわたり音が聞こえるという(宮田一郎編著 『上海語常用同音字典』による)。このことはカールグレンの仮説を裏付けているようにみえる。古代中国語の鎌[kliam] あるいは[gliam]は中国語では語頭の[k] が失われて鎌(len) となり、日本語では[l] が失われて鎌「かま」となった、と考えて間違いな さそうである。日本語の動詞「兼ねる」も中国語からの借用語であろう。また、栗(くり)、来(くる)、輪(くるま)なども中国語語源で、古代中国語の[kl-]を留めている可能性がある。複合語では裸体(から だ)も中国語からの借用である可能性がある。 郡、絹、秈、盆、坩、鎌の古代中国語音はいずれ も[-n] あるいは[-m] で終るが、日本の古地名には 中国語の[-n] あるいは[-m] に母音を付加して読んでいるものが多い。 例:信濃 しなの、
因幡 いなば、 引佐 いなさ、
印南 いなみ、雲梯 うなて、 [-n] の例:壇[tan] たな、 段[duan]
たな、絹[kyuan] きぬ、巾[kiən] きぬ、殿[dyən]
との、 [-m] の例:困[kuəm] こまる、 闇[əm]
やみ、 暗[əm]
やみ、 沁[tsiəm]
しみる、 日本語の墨(すみ)は「染」である可能性がある。 また、卵(たまご)は中国語の「蛋子」であろう。古代中国語の[-m] と[-n] は日本語では区別されず、[-n] も[-m]も日本語ではナ行であらわれることもあり、マ行で あらわれることもある。現代の日本語における英語からの借用語についても、mとnの区別は行われていない。例えば、Olympic、jump、pump などはオリンピック、ジャンプ、ポンプとなって、 オリムピック、ジャムプ、ポムプとなることはない。 |
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