第90話 日本語とタミル語


 日本語タミル語同系論はほとんど大野晋の独壇場である。大野晋は戦後、日本語の起源を新しい視点で求めた先駆者のひとりであり、1957年に初版がでた『日 本語の起源(旧版)』(岩波新書)は日本語起源論のランドマークでもある。その頃の大野晋は日本語アルタイ系説だった。その大野晋が、約半世紀にわたる日 本語の起源を求める旅の末にたどり着いたのがタミル語である。
大野晋は『日本語以前』のなかで、タミル語の人体に関する語彙をとりあげて、日本語と対比している。注:ローマ字はタミル語とその意味、「 」は日本語で ある。


 タミル語               日本語

   mell-iyal 妻、女                                 「女、妻」、
   kat-ir  穀物の穂                           「かしら」、
   ka-vul  頬、象の両顎                             「顔」、
   tol  二の腕、肩                               「手」、
   at-i  足                                  「足」、 
   pal                                        「歯」、
  tupp-al                                             「唾」、 
  cuv-al
  うなじ、肩の上の部分、背後  「背」、
   mutt-u  痘痕、粒、水晶        「みっちゃ、あばた」、
  pakk-am
肩から尻までの体側、近い所、「腋」、
  (『日本語以前』p.116~より作成)

大野晋のタミル語説にはかなりの反論もあり、学会の定説になったわけではない。どうも言語学会あるいは日本語学会は言語の起源という実証不能な議論には原則としてかかわらないことになっているらしい。し かひ、名著『日本語の起源(旧版)』の著者が、前説をひるがえして、世に問うているのがタミル語同系説である。旧版の説が正しいのか新版の説が正しいのか読者としては知りたいところである。 日本にいるタミル語の専門家の数は限られている。また、よほど大きな書店に行ってもタミル語の入門書を手に入れることはむずかしい。タミル語を知らない普 通の人には反論のしようもないし、納得のしようもない。しかし、タミル語の専門家だけが議論に参加できるのであれば、タミル語説の議論が深まり、発展する みこみは全くない。

そこで筆者は蛮勇をふるって、現地チェンナイ(旧マドラス)で求めてきた。タミル語の入門書と辞書をもとに、タミル語と日本語の類似点と相違点について、独自に検証してみることにする。まず人体に関する ことばである。

udal、 頭thalai、 額netri、 顔muham、 目kann、 まつげkann myir、 眉kann puruvam、 目玉kann manhi、 白目vallai vizhi、 黒目karu vizhi、 まぶたimai、 頭蓋骨mandai odu、 脳moolai、 耳kaadhu
mookku、 鼻の穴mookkuhduv、 口vaai、 上唇mel udhadu、 下唇keezh udhadu、 脣udhadu
naakku、 歯pal、 顎thaadai、 頬kannam、 えくぼmuhaparu、 首kazhuthu、 背中muthuhu、 喉thondai、 肩thoal、 胸maarbu、 心臓irudhayam、 肺nuraiyeeral、 血iratham、 腹vayirh、 胴adi vayiru、 手kai、  
手のひら
ullangai、 臂muzhangai、 手首manikattu、 指viral、 親指kaiperuviral、 爪naham、 腕bujam、  臍thoppul、 腰iduppu、 膝madi、 脚kaal、 ももthodai、 ひざがしらmuzhangaal、 足首kunukaal
かかと
kanukaal、 ヒールkuthjkaal、 足の親指ullangaal、 つま先kaal viral、 足paadham
神経
narambu、 髪mayir”Learn Tamil in a Month”による)

もとより入門書のことであり不完全であるとしても、ここからはタミル語と日本語語彙との関係は、ほとんど見えてこない。さらに、辞書を引いてみると、大野晋が日本語の妻、顔にあたるとしているタミル語 が載っている。manaivi=wifekavul=The cheeks.The jaws of an elephantという単語があることはある。しかし、タミル語のmanaivi が日本語の妻「め」とどのように音韻対応しているのだろうか、疑問になる。また、「象の顎」がなぜ、日本語の「顔」に比定されるのかはまったく不明である。

日本語とタミル語の語彙にはかなりの隔たりがある。だが、逆に文法構造には類似点がありそうである。

Nee    Enna  Seidhukondiruckiraai?
  あなたは 何を  しているか

 Naan   Puththaham    Padiththuckondiruckiraeni
  私は 本を    読んでいる

Un      Thambi  Engay  Poickondlruckiraan?
  あなたの 兄弟は どこへ  行くか

En    Thambi  Pillickoodam  Poickondiruckiraan
  私の 兄弟は  学校へ    行く

 タミル語の語順は日本語の語順と同じである。タミル語は膠着語であり、この点も日本語に似ている。しかし、タミル語はドラヴィダ語族のひとつであるというのが専門家の 間では定説になっており、日本語がタミル語と同系であるということは、日本語はドラヴィダ語族に属するということになる。ドラヴィダ語族は北部インドに アーリア人が侵入したとき、南部の移動した人々の言語であり、反り舌音が発達していることでも知られている。日本語には反り舌音はない。

大野晋はチェンナイに滞在していて、現地で使われているタミル語が日本語と関係があるのではないかと思うにいたった。言語学者は南島に住むと南島語は日本語 と関係があるのではないかと思い、ビルマ語を研究するとビルマ語と日本語の類似に気づく。アイヌ語を研究すると日本語とアイヌ語は関係があるのではないか と思う習性をもっているようである。それは日本語とその言語が似ているということなのだろうか、それとも言語というもののもっている普遍性に気づくという ことなのだろうか。

世界には5千ないし6千の言語があり、それが200を超える語族に分かれているという。ひとつの言語を習得するのには3年くらいの修行が必要であり、かりに 言語学者が10の言語をマスターしようとすると30年もかかってしまうので、ひとりで世界の言語を鳥瞰することは不可能である。してみると、世界の言語と 日本語との関係を知ろうとすれば、それぞれの言語の専門家の研究をもとにそれを検証してみるよりほかに方法はない。

それにしても、日本人によく知られている英語や中国語との類似を指摘する人はほとんど皆無であり、専門家の数も限られているレプチャ語やタミル語がひきあい に出されるのはなぜだろう。ここまでくると、言語の系統とは何か、言語が似ているとはどういうことか、言語が異なるとはどういうことか、というような神学 論争の世界に入ってしまう。

もくじ

☆ 第86話 日本語の系統論

★第93話 比較言語学の方法

☆第94話 言語の起源はひとつか

★第95話 言語の類型

☆ 第96話 クレオール誕生

★ 第97話 日本語の座標軸

☆第104話 タミル語訳の聖書

★第105話 ビルマ語訳の聖書

☆第106話 日本語と近い言語・遠い言語