第95話 言語の類型

 ヨーロッパで発達した比較言語学はインド・ヨーロッパ語族の系統を明らかにすることに成功した。しかし、世界には5000を越える言語があって、そのすべてについて系統が明らかにされたわけではない。南北アメリカ大陸の先住民の言語やアフリカ大陸の言語は隣同志の言語でもその 特徴は複雑に入り組んでいて、系統を明らかにできないものが多い。日本語の系統についても、アルタイ語系統説、タミル語と同源説、ビルマ語と同源説などが あって、専門家の間でも意見の一致をみない。

 そこで、言語を系統としてとらえるのではなく、言語を音韻体系、文法の構造などによって分析して、言語を類型としてとらえようとする試みが行われている。例えば日本語の語順は主語+目的語+動詞だが英語では主語 +動詞+目的語である。今仮に日本語のような語順をSOV型とし、英語のような語順の言語をSVO型とすると、世界の主な言語は次のように分類できる。

SOV型(日本語、朝鮮語、モンゴル語、アイヌ語、タミル語、ビルマ語、)
 ○
SVO型(英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、インドネシア諸語、)

 インド・ヨーロッパ語族の言語はほとんどがSVO型であるが、ケルト語はVSO型である。また、アラビア語などは動詞が主語の前に現われるVSO型であるという。

 また、SOV型の言語は後置詞(助詞など)を使う言語が多く、SVO型の言語は前置詞を使う言語が多いことも分かってきている。そのほかにも形容詞の位置や所有格のおかれる位置などでも共通性がある。

SOV型の主なタイプ:後置詞、所有格+名詞、形容詞+名詞、動詞+助動詞、
 ○
SVO型の主なタイプ:前置詞、名詞+所有格、名詞+形容詞、助動詞+動詞、

 発音のタイプにもいくつかの類型がある。日本語をはじめ多くの言語では清音と濁音を区別するが、朝鮮語では濁音は語頭に立つことがなく、清音と相補分布をなす。また、 中国語などでは帯気音(次清音)が非帯気音と弁別的な要素として使われる。日本語ではラ行音(流音)がひとつしかないが、英語などではlとrの区別があっ て、日本人は英語の発音に苦労する。世界の言語を流音がひとつのものと流音がふたつのものに分けてみると次のようになる。

○ 流音がひとつ:日本語、朝鮮語、中国語、アイヌ語、北米大陸の先住民言語、アフリカ大陸の 中南部の言語、
 ○ 複数の流音(rとl):インド・ヨーロッパ語族のほとんど全部、ウラル・アルタイ語族、タ ミル語などドラヴィダ語族、アフリカ大陸北部の言語、ナ イル・サハラ諸語、

  朝鮮語では流音は語頭に立たない。語頭ではtになる音が語尾ではlになって現われる。例えば「室」はsil「八」はphalとなる。日本語でも古代日本語ではラ行音は語頭に立たなかった。これと同じ現象がモンゴル語、バスク語、ギリシャ語などにも見られるという。

  語順や発音ばかりでなく、言語にはさまざまな特徴がある。例えば英語の名詞には単数と複数の区別のあるものがある。また、オーストロネシア諸語のように単数と複数のほかに双数を区別するものもある。ひとつ、ふたつ、たくさんという区別である。

  英語では代名詞を除いて名詞の性別は失われているがドイツ語やフランス語では名詞に男性名詞、女性名詞の区別がある。中性名詞がある場合もある。

  日本語では名詞の後に後置詞(助詞)が置かれるが、英語をはじめヨーロッパの言語では前置詞をおいて格を表す。格 の標示のしかたも日本語や英語は自動詞の主語も他動詞の主語も同じ格が使われる対格型である。これに対して、自動詞の主語と他動詞の主語を別の格で表し、 自動詞の主語と他動詞の目的語を同じ格で表す能格言語(エスキモー語、バスク語など)と呼ばれる言語もある。また、中国語のようにほとんど格標示を使わず 語順によって格を表す言語や、アイヌ語のように動詞の側に格を表す機能をもった言語もある。

  日本語では1冊、2冊、あるいは1匹、2匹のように数の範疇をあらわす助数詞が使われることが多いが、英 語などでは本も犬もone book、 あるいはone dogである。助数詞を使う言語としては、日本語、中国語、朝鮮語、アイヌ語、ベトナム語、タイ語、ビルマ語、カンボジア語、インドネシア諸語、北アメリカ北西部諸語などがあげられる。助数詞をもつ言語は名詞 の性別や単数・複数の区別のない言語に多いという相関もみられる。

  名詞に単数複数の区別があるばかりでなく、動詞にも単数と複数を区別する機能をもった言語も多い。例 えば英語では3人称単数の動詞には(e)sをつけて区別する。3人称単数ばかりでなくすべての人称を区別する言語もある。名詞の側でも人称・数を区別し動詞の側でもそれを受けて区別するのを人称・数の一致(agreement)という。言語にはこのような冗長性がある。このために雑音などで一部の情報が失われても正しく情報を伝えることができる。

  アイヌ語などでは名詞の側に人称・格を標示する機能がなく、動詞の側が人称・格を標示する機能をになっている。し かも、主語の人称ばかりでなく目的語の人称・数をあらわすことができる。アメリカ先住民の言語にはこのような言語が多い。

  人称の標示では1人称複数に聞き手の側を含む「わたしもあたなたも」と、聞き手の側を含まない「わたしども」と を区別する言語もある。モンゴル語、ツングース語、アイヌ語、ギリヤーク語、タイ語、オーストラリア原住民の諸語、アメリカ先住民の諸語などでは1人称複 数の包含形と除外形を区別する。

  言語にはこのほかさまざまな類型がある。冠詞のある言語、ない言語。母音調和のみられる言語、ない言語。喉 音のある言語、ない言語。疑問文で語順を変える言語、疑問標識が文末にくる言語。形容詞にbe動詞が必要な言語、形容詞が動詞のようにふるまう言語。などなどである。これらの言語の特徴は単独の言語に現われる場合もあるけれども、近隣の言語にも同じ特徴をもった言語があることが多い。またSOV型と後置詞(助詞)、SVO型と前置詞のようにいくつかの特徴が相関して現われることもある。

 世界の言語のいくつかについて、これらの特徴をみてみると次のようになる。

 

日本語

英語

中国語

朝鮮語

タミル語

語順のタイプ

SOV

SVO

SVO

SOV

SOV

r・l音の区別

単式

複式

単式

単式

複式

単数・複数の区別

名詞の性別

名詞の格標示

後置詞

前置詞

前置詞

後置詞

後置詞

助数詞の有無

- 

動詞の人称標示

 -

 +

 -

 -

 +

1人称複数の包含除外

±

±

世界の言語の多様性にもかかわらず、言語に利用できる音声は無限にあるわけではない。人間の発声器官の構造が同じである限り、言語に利用できる音声の種類は限られている。その限られた音声の中から、ある 言語は流音(rl)を二つにわけ、またある言語は一つを識別する。また、流音を使わない言語もある。中国語のように声調(高低アクセント)を使う言語がある一方、英語などのように強弱アクセントを使う言語もある。喉音など も使う言語もあり、使わない言語もある。

 文法構造にしても主語+目的語+動詞などの順列組み合わせは限られている。ある言語は語順を守ることによって主語や目的語の位置を示し、格標示がなくともその関係を示 すことができる。また、ある言語は名詞の側で格を表示し、他の言語では動詞の側で格を標示する。名詞と動詞の双方で格を標示する言語もある。

 日本列島がいまのような形で大陸と切り離された島国となったのは今から1万年ぐらい前のことである。日本列島はユーラシア大陸やアメリカ大陸とつながり、大陸の一部で あった。列島の形成と縄文時代の開始は、ほぼ同時期とみてよいかもしれない。少なくとも1万年前以上前の後期旧石器時代まで遡って人類言語史を再構してみ なくてはならない。旧石器時代の日本列島で話されていたことばはアジア大陸やアメリカ大陸の言語と関連があったと考えても何の不思議もない。日本語の原型 の形成は、今から1万年以上前の最終氷河期、アメリカ大陸とアジア大陸が陸続きとなっていた時期(約3万5千年前から1万年前)まで遡ると見なければなら ない。

しかし、日本語のまとまった記録が文字として残るようになったのは8世紀以降のことであり、中国の書物である魏志倭人伝などに残された日本語の痕跡も3世紀までしかたどることはできない。

縄文時代中期の人口は30万人前後といわれている。縄文時代の日本列島の住人がどのようなことばを話していたかについては手がかりすらない。オーストラリアでは30万人の原住民が600近くの部族に分かれ、少なくとも200以上の言語を話していたという。狩猟・採集時代の社会では、同じ言語を話す集団の規模は、数百人多くても数千人程度であったと考えられる。このことから類推すると日本列島でもアイヌ語の祖語、日本語の祖 語をはじめかなり多くの言語が話されていた可能性がある。

弥生時代になって農耕が始まると人口は爆発的にふえる。大勢の人を養えるだけの食料が確保されるようになるからである。農耕をはじめた部族は狩猟だけに頼る 部族よりも優勢になり、ことばも農耕民族のことばが拡散され、狩猟民族のことばが消滅の危機に瀕する。これは世界共通の現象である。現在日本列島に話され ている日本語の原型が弥生時代に成立したと考えるのはそれなりに理由がある。

東アジアの稲作農耕は今から9,0007,000年前に長江流域ではじまったことはもはや疑いの余地がない。河姆渡文化が紀元前5,0003,000年、良渚文化が紀元前3,3002,200年、三星堆文化が紀元前2,8002,850年とされている。メコン川流域に稲作が出現したのは大体紀元前2,5002,000年前のこととされている。フィリピン諸島には紀元前3,000年に、東ティモールには紀元前2,000年に稲作が伝わっている。日本は紀元前300年くらいに稲作がはじまる。

稲作農耕の到来とともにことばも変わる。長江流域の部族が東アジアを席巻したというよりは、稲作技術を習得した部族が優勢になり、人口が爆発的に増え、広い地域にその言語を普及させる力をもつようになっ たからであろう。

 中央の権力が確立され、国家が形成されるようになるのは農耕時代以降のことで、言語はさらに急速に拡散することになる。それとともに消滅する言語も多くなる。人類の言 語史にスペイン語、ポルトガル語、英語などの世界言語が出現することになるのは大航海時代以降のことである。

 日本語は決して大きな語族に属したことばではないようである。しかし、それえは農耕時代以前の社会における言語のむしろ自然なあり方に由来しているといえる。大きな言 語圏を形成した言語はいずれもかなり早い時期に農耕時代に入り、いまから5~6千年前に、急速に勢力を拡張した言語である。しかし、日本語は類型的にみて も、朝鮮語、アイヌ語、ギリヤーク語など日本周辺の諸言語と切り離して考えることのできない言語である。

もくじ

☆第86話 日本語の系統論

★第93話 比較言語学の方法

☆第94話 言語の起源はひとつか

★第96話 クレオール誕生

☆第97話 日本語の座標軸

★第106話 日本語と近いことば・遠いことば