第93話 比較言語学の方法 英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語などヨーロッパの言語はインド・ヨーロッパ語族というひとつの言語系統に属することが知られている。イ ンド・ヨーロッパ語族はヨーロッパ大陸を覆っているばかりでなく、東はロシア、ペルシャからインド北西部までに及んでいる。インド・ヨーロッパ語族はさら にいくつかの下位グループに分けることができる。 (1) インド諸語(サンスクリットなど) ヨーロッパの言語のなかにも、スペインの一部で話されているバスク語のようにインド・ヨーロッパ語族に属さない言語もあるし、イベリア半島には未解読の古い碑 文が残されており、ヨーロッパ大陸における言語の興亡は完全に解明されているわけではない。しかし、インド・ヨーロッパ語族の言語は語彙にも共通性のある ものが多い。英語を中心に諸言語との関係をみてみると、つぎのようになる。
英語
中世英語 古代英語 高地ドイツ語 ラテン語 ギリシャ語 サンスクリット 音韻の変化は規則的であり、ラテン語・ギリシャ語のpはドイツ語・英語ではfで表われる(例:foot-pes、fish-piscis)。また、ラテン語・ギリシャ語のkはドイツ語・英語ではhで表れる(例:heart-cord、hundred-centum) 。さらに、ラテン語・ギリシャ語のsはドイツ語・英語ではtあるいはthで表われる(例:foot-pes、tooth-dens、three-tres)。 インド・ヨーロッパ語族が発見されたのは18世紀の末のことである。それは、イギリスによるインド支配の確立と深い関係がある。当時、通俗的なオリエンタリズム(東洋趣味)がかなり人気を博していた。イ ギリス人のウイリアム・ジョーンズは1876年2月2日、インドのカルカッタでアジア協会設立3周年を記念して講演を行なった。その中で、古代インドの聖典の言語であるサンスクリットについてつぎのように述べた。 サンスクリットは、その古さはどうであろうとも、驚くべき構造をもっている。それはギリシャ語より完全であり、ラテン語より豊富であり、しかもそのいずれにもまして精巧である。しかもこの二つの言語は、動詞の語根においても文法の形式にお いても、偶然つくりだされたとは思えないほど顕著な類似をもっている。それがあまりに顕著であるので、どんな言語学者でもこれらの三つの言語を調べたら、 それらは、おそらくもはや存在しない、ある共通の源から発したものと信ぜずにはいられないだろう。(風間喜代三『言語学の誕生』p.13)
当時サンスクリットの法典といえばペルシャ語訳があっただけで、サンスクリットの原典に通じたイギリス人は
ジョーンズのほかに一人もいなかった。ジョーンズは1746年ロンドンで生まれた。少年のころから語学にすぐれ、オックスフォード大学ではギリシャ語、ラ
テン語のほかにペルシャ語なども学んでいた。1783年にイギリスを後にしてインドへ出発するより前に、すでにアラビア語、ヘブライ語、ペルシャ語に習熟
していた。りっぱなオリエンタリストの仲間入
りをしたにもかかわらず、ジョーンズの公式の仕事は法律であり、インドでは上級裁判所の判事であった。 日本語の場合は近隣の言語で古い記録が残っているのは中国語しかなく、中国語と日本語は明らかに文法構造がちがう。日本語はアルタイ系、南島系、あるいはビルマ・チベット系、さらにはタミル語と同系であるという諸説があるが、立論の根拠、方法はまちまちで、ジョーンズの ようにそれらの言語を俯瞰して、総合的にとらえられる言語学者がいないように思われる。そのためか、「やまとことば」は神代の時代からこの島に伝わる言語 だと考える人もまだ少なくない。 日本語の場合は近隣諸語との関係は複雑で、インド・ヨーロッパ語族のような広がりをもった類縁関係を見出すことは困難なようである。また、日本語は文字時代 の初期から表意文字である漢字で書かれているため「歯」はいつの時代にも「歯」と書かれ、「目」、「耳」はいつの時代にも「目」、「耳」と書かれているか ら、発音が変化したとしても文字はその変化の痕跡を留めないという問題もある。ちなみに人体についての基本語彙を近隣の言語と比較してみるとつぎのように なる。
朝鮮語
アイヌ語
タミル語
チャモロ語 語彙の面だけからみると、日本語の系統を確定することは困難なようにみえる。現代の言語学では、インド・ヨーロッパ語族のほかに、オーストロネシア語族、ドラヴィダ語 族、ウラル語族、アルゴンキン語族、アサバスカ語族、アラワク語族、マヤ語族などが確立されている。日本語南島系統論では日本語はオーストロネシ語族に属 することになり、日本語タミル語同系論では日本語はドラヴィダ語族に属することになる。また、日本語アルタイ語系統論では日本語は朝鮮語と同系ということ になる。しかし、基本語彙といわれる人体の名称をみても日本語と近縁のことばはそう簡単に探しだせそうにない。 言語はその構造上の特色から分類されることもある。インド・ヨーロッパ語のような屈折語、日本語や朝鮮語のような膠着語、中国語のような孤立語、アイヌ語のような抱合語である。
屈折語 ギリシャ語、ラテン語、サンスクリット語、 屈折語は単語の語尾を変化して格変化を表わし、あるいは単語の母音が変化して動詞の時制を表わしたり複数形を作って文法関係を示す。膠着語は意味をもつ要素と接尾辞 (助詞など)が分離できる形で並存し、接尾辞をのりづけして文章を構成していく。孤立語は意味を持つ要素が各々孤立した單語になっていて、格変化や接辞に よって文法関係を表わすことはない。抱合語は単語に形容詞、動詞、接尾辞などをつぎつぎにつけることによって、単数、複数、直説法、間接法、自動詞、他動 詞などの文法要素を表わす。単語をふくらまして文章にするので、単語と文章が区別しにくい。 本居宣長は漢心(からごころ)を排すれば、中国語の影響を受ける前の、神代から日本列島に伝わる「やまとことば」がみえてくると考えて古事記や万葉集のな かにそれを求めようとした。江戸時代に生きた本居宣長にとって、ことばとは日本語であり、中国語であり、それが世界のことばのすべてであった。しかし、現 代の言語学は諸言語の構造や語彙は互いに類似していて、言語は語族に分類できることを教えている。日本語はほんとうに世界にひとつしかない孤立した言語な のだろうか。 『日本語の起源』の著者である大野晋は1957年版の『日本語の起源』(旧版)では日本語アルタイ語系説を展開している。ところが、1980年代になると突 如日本語タミル語同系説に転向して、『日本語の起源』(旧版)は絶版にしてしまった。タミル語はインド南部で話されるドラヴィタ系の言語だが、確かに日本 語と同じく膠着語である。しかし、なぜ大野晋は日本の隣にある膠着語である朝鮮語を飛び越えてタミル語に日本語の起源を求めなければならなかったのだろ うか。 大野晋の『日本語の起源』は日本人が敗戦から立ち直り日本人のアイデンティティーを求めていた時期に出版されたこともあり、版を重ねた。しかし、日本語と朝鮮語が同系であるということにかなり抵抗感を もつ人も多かった時代であった。 日本人は明治以来英語、ドイツ語、フランス語など西欧の言語を学び、言語を通して西欧の近代に近づこうと努力を重ねてきた。こうしたなかで、朝鮮語など近隣 の言語はほとんど無視されてきた。ここがヨーロッパの言語状況と違うところである。ヨーロッパであれば例えば母語がフランス語であってもイタリア語やスペ イン語、あるいは英語、ドイツ語についてもある程度の知識はある。 サンスクリットを学びインド・ヨーロッパ語族の発見に導いたジョーンズは、当時のヨーロッパの読書語であるギリシャ語、ラテン語のほかにペルシャ語なども学 んでいた。また、アラビア語、ヘブライ語、ペルシャ語に習熟していたという。そのうえでサンスクリットに遭遇したのだから、サンスクリットを諸言語のパー スペクティブのなかに位置づけることができた。 日本語の起源の探究にとって、もうひとつの不幸は国語学者と一般言語学の専門家の間の壁が厚いことである。大野晋は正統派の国語学者で、国語学の分野では 実績のある学者だが、一般言語学についてはどうだろうか。朝鮮語についても、タミル語についても、それぞれの専門家の助言は求めているが門外漢であること は否めない。 一方、言語学者のほうはといえば、19世紀以降ヨーロッパで発達した言語学の理論を日本に紹介し、あるいはそれを日本語にあてはめて考えようとしている が、国語学者との間には厚い壁があって、ヨーロッパ言語学と日本語学との間の交流はあまりみられないようである。それが、日本語を言語一般のなかのひとつ として位置づけることを一層困難にしているのではなかろうか。 日本語、朝鮮語、ツングース語、蒙古語、トルコ語など、アルタイ系あるいはウラル・アルタイ系といわれる言語はいずれも膠着語であり、文法構造は似てい る。しかし、日本では朝鮮語に関する本は一般の書店で手に入るにしても、その他の言語についてはごく少数の専門家がいるだけで、普通の日本人は何も知らな いに等しい。日本語についでだけしかしらなければ、日本語は孤立した言語だと考えてもやむをえないというものだ。 |
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