第105話 ビルマ語訳の聖書 ビルマ語はミヤンマー(ビルマ)のほぼ全域にわたって通用している言語で約4000万人の話者がいるといわれている。シナ・チベット語族、ロロ・ビルマ語群に属する言語だとされている。アメリカ人の宣教師A.ジャドソン(1788-1850)が布教のためにビルマに来て聖書を翻訳している。 ジャドソンはバプティスト派の宣教師で1826年には”A Dictionary of the Burman Language”を出版している。 初期の言語研究は言語学者や人類学者によるものではなく、アイヌ語の場合のバチェラーや日本語の場合のようにロドリゲスにしても宣教師がになっている。ここ
ではジャドソン訳の聖書によってビルマ語を分析してみることにする。原文はサンスクリット系のビルマ文字で、ローマ字表記は ヨハネ福音書第1章
○ビルマ語には中国語と同じように声調がある。au:の:は
第3声調(高く長い)を表す。shi.など の.(ドット)は第1声調(短く高い)を表す。aはいわゆるあいまい母音で、発音記号で書くと [ə]にあたる。 2.ことばは、初めに神と共にあった。
hnou’
gaba’ to
dhi le: hpaja: thankin
hpji’
to mu
i. ○ビルマ語は日本語などと同じように後置詞を多用して、膠着言語の特徴を共有している。dhi (は)、hnin(と)、hnai’(に)などはその例である。
成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。 hpanzin:
to mu chin: ne. kin:lu’ lje’
hpji’ tho:
aja
dazoun
takhu
hmja. ma.
shi. ○ビルマ語には文法上の複数形はないが、aja
dou.のようにdou.を付加することによって複数である ことを表示することがある。 マタイ福音書第6章 9.だからこう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。 ○ mji は文語表現で未来、意思、可能性を示す。 10. 御国が来ますように。
御心が行なわれますように、
天におけるように地の上にも。 11. わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
janei.
pei:
thana: do
mu
ba
○ pei:(与える)とthana: (恵む、情けをかける)も同義語を重複することによって修辞的に強調され ている。日本語では「恵贈」にあたる。 12. わたしたちの負い目を赦してください、
apji’
mja; gou akjun
nou dou. dhi
hlu’
dha. ke. dhou.
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
○ ビルマ語では名詞のあとにそれを修飾する形容詞がくる。thuは「彼・彼女・誰かある人、第三 者」で、dabaは「異なる」である。thu daba:は「異なる+人」となり、「ほかの人」というこ とになる。apji’ mja;は「罪+多くの」で、「多くの罪」になる。 13.わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。
○ 否定形はma---be:で係り結びのようにして表すことができる。ma は後ろの動詞を否定し、be:が 前のma を受けて意味を強める。古代日本語の「秋山に落(ち)らふ黄葉(もみちば)しましく は勿(な)散りまがひそ妹があたり見む(万137)」などの表現と似ている。ma
kaun:の場合 はma(否定)kaun:(よい)で「悪い」という意味になる。
hu.
hsu.
taun: kja.
lo.
○ビルマ語にはサンスクリットやバーリ語からの借用語がかなりある。anu. bo はバーリ語起源の ことばで「力」を意味する。 ビルマ語の文字は音節文字であるが、視力検査表の ○
をいくつか重ねたような文字で、なかなかなれないと弁別しにくい。しかも、ビルマ語は分かち書きをしないから、どこまでがひとつの単語で、どこから新しい
単語がはじまるのか初心者には分からない場合が多い。ビルマ語の解読にあたってはNHK国際局の田辺寿夫ディレクターの指導を受けたことを付記して、強力
に感謝したい。解釈の誤りについては筆者の責任であることはいうまでもない。 ビルマ語はシナ・チベット語族に属し、タミル語はドラヴィダ語族に属している。日本語はどちらの言語により近いのだろうか。それぞれの言語の文法的構造の特徴を比較してみることにする。 ○日本語と同じ特徴:●日本語と異なる特徴 [日本語の特徴]
[ビルマ語の特徴]
[タミル語の特徴] このように比較してみると、ビルマ語もタミル語も文法の構造はかなり日本語に似ていることがわかる。ここにとりあげた文法の項目だけみると、ビルマ語のほうがタミル語とりも日本語と共通の特徴を多くもっているようにみえる。 ビルマ語は中国語と同じように声調があるといってもビルマ語は2音節以上の語には声調があるのに対し、中国語の声調は1音節のなかの高低の変化である点が違う。2音節にまたがる高低アクセントがあるという点ではビルマ語のアクセントはむしろ日本語に近い。 この表にはとりあげてないが、ビルマ語は動詞をふたつ並べて「立ち+あがる」のような表現ができる点でも日本語に似ている。また、形容詞が動詞のようにはたらきbe動詞なしで「花は美しい」などの表現ができるのも日本語に近い。そのほかにも、1人称・2人称の代名詞に男性用と女性用がある。助数詞(1匹、1冊など)がある。繰り返し表現を多くもちいる、なども日本 語と共通の特徴である。 言語学者の西田龍雄が日本語とビルマ語の類縁関係を指摘しているのも、細かい点はともかくとして、うなずける点が多い。また、安田徳太郎が『万葉集の謎』で日本語とレ プチャ語との関係をセンセーショナルにとり上げたのも、ロロ語がチベット・ビルマ語のひとつであることを考えれば、まったく奇想天外な発想とばかりはいえ ないのではなかろうか。ただ、今までの日本語起源論は大野晋にしても西田龍雄にしても語彙の比較に重点を置きすぎていたように思われる。語彙は変わり易いが、 文法構造は変わりにくい。文字時代以前のことばの痕跡は語彙よりも文法構造のなかに残されている。 ことばの歴史は文字の歴史よりもはるかに古い。インド大陸にアーリア系民族が侵入してくる前に、膠着性の強いモンゴル語に似た言語がモンゴル高原から、ビルマを経てイ ンド亜大陸まで広がっていた。ドラヴィダ族に属するタミル語を母語とする民族はアーリア系民族に押されて南下して、ビルマ語と分断された。しかし、アーリ ア系民族の言語の影響を受けて単数・複数の区別、文法上の性、格などを獲得した、と考えられないだろうか。 |
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