第106話 日本語と近いことば・遠いことば 日本語は世界の言語のなかでどこにも類例のない特殊な言語であるわけでは決してない。日本語はいくつかの座礁軸でとらえ、近隣の言語との類縁性をとらえることができる。日本語に近い言語を順に並べてみる と次のようになる。 日本語<朝鮮語<モンゴル語 日本語と朝鮮語との距離は英語とドイツ語の距離と変わらないように思える。日本語とモンゴル語、アイヌ語、ビルマ語などとの距離もインド・ヨーロッパ語族のなかの英語とイタリア語、ロシア語、あるいはヒ ンディー語との距離に比定できるのではなかろうか。 日本語の文法の構造を朝鮮語、蒙古語、中国語、英語、アイヌ語、チャモロ語、ビルマ語、タミル語と比べたものを統語、形態、音韻についてそれぞれ一覧表にしてみるとつぎのようになる。 [統語] ○日本語と同じ ●日本語と異なる
☆朝鮮語では否定形は動詞の前にくる。ビルマ語では動詞の前と後に否定の表示がつく。 [形態]
○日本語と同じ ●日本語と異なる
☆日本語、朝鮮語、蒙古語などは安定した語幹があって、後置詞(助詞)を多用することによって格を示す膠着型である。 ☆名詞に単数・複数の区別がない言語は助数詞(一匹、一本、一冊などclassifier)を使う言語が多い。 ☆1人称代名詞の複数には「話しかける相手を含めた我々」と「話しかける相手を除外した手前ども」を区別する言語がある。 ☆アイヌ語の動詞は人称・格などによって変化する。 [音韻]
○日本語と同じ ●日本語と異なる
☆日本語の音節は開音節で-p,-t,-kで終わる音節はない。朝鮮語、蒙古語も-n,-mで終わる音節はあるが、昔は開音節(-p,-t,-kで終わる音節がなかったと考えられている。中国語は現代の北京音は開音節に近くなっているが、広東音は子音で終わる音節がある。古代中国語は閉音節であったとかんがえられている。 ☆古代日本語には母音が七つあり、前舌母音と後舌母音をわけて、前舌母音は前舌母音と結びつき、後舌母音は後舌母音と結びつく母音調和があったという。母音調和は蒙古語、朝鮮語などにもみられ、アルタイ 系言語の特徴の一つとされている。 ☆日本語も朝鮮語もr音ではじまる単語はなかった。現在の日本語でラ行ではじまる単語は漢語からの借用語かヨーロッパ言語からの借用語である。チャモロ語もrではじまる単語は借用語だけである。 ☆ 朝鮮語では語頭では清音である音が語中では濁音になるという特徴がある。古代日本語でも濁音が語頭に立つということはなかった。現代の日本語では林「はや し」は語中では小林「こばやし」となり濁音化する。辞書には「はやし」という形は載っているが「ばやし」という形はない。「はやし」と「ばやし」は同じこ とばであり、相補分布している。 ハングルでは語中のbも語頭のpと同じ文字を使って表し、語中では濁音に、語頭では清音に読み分けている。 言語学者のチョムスキーは「火星人から見たら、人間はすべて単一の言語を話している」とある講演会で話している。(ノーム・チョムスキー『言語と思考』松柏社叢書所 収)世界のあらゆる言語はある限られた範囲の文法操作によって、意味を伝えるのに必要な仕組みを作り上げている。 言語の構造には冗長性があって、動詞に人称標示があれば、主語は省略されてもかまわない。主語に単数と複数の表示や格の表示があり、動詞にも数、格の表示のある言語で は一方が失われても不都合はない。また、名詞に文法上の単数と複数の区別のない言語でも語彙を補うことによって複数の概念を言い表すことはできる。単数と 複数の区別のない言語は数助詞(1本、2本、1冊、2冊など)を使うことが多い。 ラテン語のように格標示が厳格である言語は語順を変えても意味の混乱は生じない。しかし、中国語のように格表示も前置詞や後置詞もほとんど用いられない言語では、語順を変えると意味が変わってしまう。 動詞の時制も現在形と未来形が同じで過去形が異なる形をとる言語もある。過去形と現在形が同じで、未来形が異なる形の言語もある。過去形でも継続する過去と 完了した過去を区別する言語もある。進行形をもたない言語はたくさんある。しかし、過去の事象を表現できない言語はひとつもない。 中国語やビルマ語、ベトナム語は声調アクセントがあり、英語は高低アクセントがある。清音と濁音を区別する言語もあり、清音と濁音が相互補完的な言語もあ る。有声音と無声音の区別のある言語もあり、有声と無声を区別しない言語もある。r音とl音を区別する言語もあり、区別しない言語もある。しかし、それぞ れの言語は意味の伝達に必要なだけの音を区別して使っている。人類の発声器官の構造は概ね同じであり、ある年齢に達するまでにrとl、あるいはbとvの区 別を習得すれば誰でもそれらの音を完全にマスターすることができる。 発音は方言によっても変わるが、文法の構造は発音よりは安定的である。日本語の構造も朝鮮語やモンゴル語、アイヌ語などと相互に影響されあいながら形成さ れ、現在の姿になってきたものである。ビルマ語やタミル語も日本語との類似性も、他人の空似にしては共通の特徴が多すぎる。 もとより、世界に5000以上あるといわれる言語の特徴を上の表にあげた22だけに限ることができない。言語構造を構成するDNAは複雑で、かつそれらのDNAは互いに独立している のではなく、関連しあっている場合も多い。その数はまだ言語学者によって確定されているわけではない。人間は正常な子どもならば、比較的わずかな期間に、 文法の訓練を受けずに言語を獲得することができる。しかも、人間であるかぎり、言語の学習能力に個人差はない。このことから、言語の基本構造はそう複雑な ものではないようにも思える。一方、言語の音声を文字に転換する機械は未だにできていない。また、コンピュータによる翻訳も完成されていない。言語はコン ピュータの能力をも超えた複雑なシステムであるようにもみえる。 しかし、日本語は世界の言語のなかでどのような特徴をもった言語であるかを検証するひとつの方法として、日本語の主な特徴を統語、形態、音韻にわけて比較検 討してみるのも、意味のない企てではあるまい。聖書の聖句の対訳を例に、それぞれの言語の文法書などを参照しながら検証した結果を綜合してみると次のよう になる。 [日本語との類似の総合評価] 分子は日本語と同じ特徴をもつ項目の数を示 す
日本語の主な特徴22項目について比較してみると、日本語と同じ特徴をもつ項目が多い順に次のようになる。 日本語<朝鮮語<蒙古語・ビルマ語<アイヌ語<タミル語<中国語<チャモロ語<英語 [参考文献] [著者紹介] |
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