第30話 万葉集のなかの外来語

国語学者の大野晋は日本古典文学大系(岩波書店) のなかの『万葉集』を担当したが、その感想をつぎのように書き記している。

漢 字の字音については頼惟勤氏、朝鮮語については張暁氏に示教を仰いだところがある。これらの方々にあつく感謝の意を表したい。朝鮮語といえば、第一冊に、 朝鮮語と日本語との間で、同源と思われる単語四十たらずを揚げたところ、大いに歓迎された向きもあり、また、無用の長物として非難排斥される向きもあっ た。日本語の語源は、とかく不明のまま放置されやすいので、多少なりと、確実と思われるものを提示することは無意味なこととは思わない。それにわずか四十 語ほどの記載がそれほどの関心を呼ぶものとも私は思わなかった。その後『日本語の起源』(岩波新書)を書く機会が与えられ、旧作を書き改めたことがある。 私はその中に、手持ちの朝鮮語と日本語との対照の語彙を表示したので、それからは朝鮮語を万葉集の中に書き込むことを、あまりしないように心がけた。(日本古典文学大系第7巻附録(月報59)より)  

この文章は昭和37年に書かれたものである。大野晋はつぎのような単語を朝鮮語と同源としてあげている。

くし(串):kos、 のる(告):nil= 話す、ごと(如):kət= のような、さで(小網):sadul
くしろ(釧):
kusil、 くはし(美):koph= 美、さつ(矢):sal= 矢、まねし(多):man= 多、 つら(弦):tʃul= 弦 はこ(篋):pakɯlmi、 風のむた(共に):moto、 から:満州蒙古語でkalaxala、 しし(猪鹿):səsɯm、 はた(織機):pəit’ ɯl、 おも(母):am= 牝・母、むしぶすま(苧麻):mosi、 たく(楮):tak、 なは(縄):no(縄) +pak(綱)、 はち(蜂):pəl、 かち(徒歩):kəl、 たち(等):tɯl、 くち(口):kul、 つる(鶴):turumi

日 本人のなかには、万葉集のような日本を代表する古典のなかに、朝鮮語と語源を同じくすることばが点在するということはあってはならないことだ、「やまとこ とばは純粋である」と考える人がかなりいる。しかし、日本の歴史は、時代を遡ればさかのぼるほど、中国文化や朝鮮半島の文化との接触によって、国際化のな かで形成されていることがわかる。大野晋はさらに『日本語の起源』(旧版)のなかで、次のような単語を朝鮮語と同源だとしている。

かささぎ(鵲):kač’ičak、 かた(堅):kut、 こほり(郡):kut、 き(杵):ko
くも(雲):
kurum、 くろ(黒):kam、 さく(咲):sak、 しる(汁):sïl= 酒、
しま(島):
syöm、 す(酸):sï、 たけ(竹):tui、 とり(鳥):tərk
なた(鉈):
nat= 鎌、 にこ(熟):nik、 へみ(蛇):pəiyam、 ひ(火):pïl
はぎ(脛):
pal=足、ひぢ(臂):p’əl、 はら(腹):pəi、 みつ(満):mit= 及、
むぎ(麦):
mil、 もと(本):mit、 かせ(枷):k’al、 くち(口):kul
かが(影):
kəri、 かく(掛):köl、 かく(書):kïl、 うし(牛):syo
いまだ(未):
mot= できない、 うまし(味):mas、 はら(腹):pəi、 つま(爪):t’op
あぎ(小児):
aka、 かめ(亀):köpuk、 な(汝):nö、 かに(蟹):köi
おも(母):ö
mi、 かり(雁):kïiryoki、 かはら(瓦):kiwa、 いも(女):am(牝)、
くま(熊):
kom、 くぐひ(鵠):khohai、 す(酸):sï、 たづぬ(尋):tötïm
ひじ(臂):
pïlp’əl、 ちり(塵):tït-kïl

 しかし、これ らの朝鮮語は中国語が語源だと思われるものがほとんどである。日本語も朝鮮語も文字をもった文明の言語である中国語からたくさんの語彙を借用している。大 野晋に限らず学者はなぜかそれを無視している。日本語と中国語という言語構造も違い、系統も違うといわれる言語の間では語彙の借用も行われないと考えたの であろうか。それは最近の言語学におけるクレオール研究の知見と異なる。

 これらの単語の古代中国語音は下記の通りであり、朝鮮語、日本語ともに中国語からの借用語である可能性が高い。

小児[njie]あぎ(児の朝鮮漢字音は児a)、妹[muət/muəi]いも 未[miuət] い まだ、味[miuət]うまし、
[ngiu]うし(牛の朝鮮語はsyo)、 母[mə]おも(母の朝鮮語はeo meo ni)、 堅[kyen]かたい、
[giuən]こほり、杵[thjia]・ 午[nga]き、雲[hiuən]くも、[hiuəm] くま、[xək]・ 玄[hyuen]くろ、
[(k)liam]かま、枷[keai]かせ、口[kho]くち、影=景[kyang]かげ、[kyue]かける、書=劃[hoek]かく、蟹[he] かに(朝鮮語はke)、 雁[ngean] かり、瓦[nguai]かはら、鵠[kuk] くぐひ、[syak]さぎ
[siô]さく、汁[sjiəp]しる、島=洲[tjiu]しま、酸=酢[dzak]・ 醋[tsak]す、竹[tiuk]たけ、[dien]ちり、 [tyô]とり、  爪[tsheu]つめ、尋[ziəm]たづねる、 汝[njia]な(朝鮮語はnyeo)、 [dai]なた、 熟[njiuk]にこ、蛇=蟠[buan]へみ、火[xuəi]ひ、 脛[hyeng]はぎ、臂[phiei]ひじ、腹[piuk]はら、
[muan]みつ、麦 [muək]むぎ、本[puən]もと、

朝鮮半島は紀元前108年に楽浪郡などがおかれて以来中国文明の影響を受けてきた。ことばも中国語の影響を受けた。日本でも大和朝廷が成立して国家としての体裁をととのえることができたのは、早い時期から中国と間接、直接に接触して、中国文化を取り入れてきた結果である。

万葉集には布施、法師、波羅門、博士、琵琶、塔(たふ)など、仏教を介した漢語も使われている。また、万葉集のなかには、中国語や朝鮮語からの借用語も「やまとことば」のなかにその痕跡を留めている。 たとえば、つぎの歌のなかには中国語からの借用語が使われている。

  旭時等     鶏鳴成       縦恵也思  獨宿夜者    開者雖(万2800)
 旭(あかとき)と 鶏(かけ)は鳴くなり よしゑやし ひとり寝る夜は 明けば明けぬとも
 
 この歌のなかにも中国語からの借用語と思われることばがいくつか含まれている。

 ○ 鶏(かけ) 鶏を鶏(かけ)と読むのは、中国語の家鶏[kea-kyei] に 由来する。万葉集では鶏は  「にはつとり」「いへつとり」「かけ」などであらわれる。鶏(かけ)は古事記歌謡にも使われて いる。

阿遠夜麻邇  奴延波那伎奴   佐怒都登理 岐藝斯波登與牟 爾波都登理 迦祁波那久
  青山に
 (ぬえ)は鳴きぬ さ野つ鳥 雉(きぎし)はとよむ 庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く
   (古事記歌謡)

古事記歌謡は音仮名だけで書かれているから「カケ」ということばがあったことが確かめられる。 古事記歌謡の「迦祁」は万葉集の鶏(かけ)であり、中国語の「家鶏」からきていることは疑う余 地がない。

  ○ 時(とき) 「時」 は声符が「特」と同じであり、「時」の古代音は時[dək] であった可能性があ   る。時の北京語音は時(shi)、広東語音は時(shih)である。特の北京語音は特(te)であり、広東語音は
  特
(dahk)である。広東語音は古い韻尾を残しているものが多く、北京語音では韻尾の入声[-p-t-k]
  失われている。同じ声符をもった漢字でも韻尾が保たれているものと脱落したものがみられる。

    亜・悪、 意・憶、 試・式、 債・責、 置・直、 避・壁、 富・福、 墓・莫、

   また、同じ漢字でも二つの読み方があるものもある。易(イ・エキ)、塞(サイ・ソク)、作   (サ・サク)などである。中国語の入声韻尾は時代とともに失われつつある。日本語の時(と
  き)は中国語の古い発音を留めている。

○ 鳴(なく) 古代中国語の「鳴」は鳴[mieng] である。中国語の明母[m-] が、日本語ではナ行に  なって現れる例はほかにもいくつかある。

   猫[miô]( ねこ)、 苗[miô](なえ)、 名[mieng]()、 無[miua](ない)、 眠[myen](ねむる)

 明母[m-]は両唇鼻音であり、同じく鼻音である[m-]と調音の位置が近い。調音の方法が同じ音は転移 しやすく、調音の位置が近い音は転移しやすい。日本語の鳴(なく)は中国語の鳴[mieng]の転移し たものである。古代中国語音の韻尾[-ng][-g]にちかかったから、鳴[mieg]が鳴(なく)に転移した と考えてもよい。

○ 眠(ねる) 「眠」の古代中国語音は眠[myen] である。日本語ではマ行とナ行の交替はしばしば
  起こるので、中国語の眠は古代日本語では眠(ねむる)あるいは眠(ねる)になった。

   夜(よ)日本漢字音では夜は呉音でも漢音でも夜(ヤ)であるとされている。しかしの音の夜  (ヤ)と訓の夜(よ)あるいは夜(よる)はよく似ている。夜(ヤ)と夜(よ)とは中国大陸と日 本列島で別々に生れたことばなのだろうか。古代中国語の「夜」は夜[jyak] である。韻尾の[-k] は失わ れて、唐代の中古音は夜/jya/ となった。日本語の夜(よる)は古代中国語音の夜[jyak] に依拠したも のであり、夜(ヤ)は唐代中国語音の夜/jya/を継承している。夜(よ)もまた韻尾の[-k]が失われて 以降に日本に入ってきた中国語語源のことばである。夜(よ)が夜(や)に変わったのは隋唐の時 代以降中国でわたり音ii介音)が発達してきたためである。したがって、日本語として古い順に並 べると次のようになる。夜(よる)→夜(よ)→夜(や)。

こ のような観点で万葉集の歌を解読してみると、万葉集の「やまとことば」のなかには、さまざまな中国語からの借用語がかなり含まれていることがわかる。万葉 集の歌はどのひとつを取り上げてみても中国語や朝鮮語からの借用語が含まれている。人麻呂歌集にある次の歌はどうであろうか。

山科  強田山   馬雖在  歩吾来        汝念不得(万2425)
  山科の 木幡の山を 馬あれど 歩(かち)ゆわが来し 汝を思ひかね 

  山 山(やま)は中国語の山[shean]の頭音が脱落したものである可能性がある。

  田 田(た)は中国語の田[dyen]の韻尾が脱落したものである可能性がある。

  幡 幡(はた)は中国語の幡[phiuan]である。中国語の韻尾の[-t]のなかには[-n]に転移したものがみられる。鉢(はち)、嗚咽(おえつ)、薩摩(さつま)などは古い音を留めている。

  馬 馬(うま)は中国語の馬[mea]からの借用語である。また、朝鮮語の馬(mal)とも関係のあることばである。万葉集には馬、宇麻、宇万、牟麻などの表記であらわれる。日本の馬(うま)は梅(うめ)などとともに中国語からの借用語である。

  歩 歩(かち)は御徒町の「かち」で朝鮮語のkeol(歩く)と同源である。

  来 来(くる)は中国語の来[lə]と関係のあることばである。古代中国語音では[l]の前に[k-]あるいは[h-]のような、入りわたり音があったと考えられている。このため同じ声符をもった漢字でカ行とラ行に読みわけられるものが多い。

課・裸、監・覧、兼・簾、京・涼、各・洛、諫・練、剣・斂、楽(ガク・ラク)、

来も古代中国語音は来[klə]に近い音であった可能性があり、日本語の来(くる)はこれを継承している可能性がある。

  汝 汝(な)は中国語の汝[njia]の借用語である。朝鮮語でも汝は汝(neo)である。

 ○墓 墓の古代中国語音は墓[mak]である。墓(はか・ボ)は声符が莫(バク)と同じであり、日本 語の墓(はか)は中国語からの借用語である可能性がある。
 高橋連虫麿歌集にある次の歌の読み方については古来から二つの読み方が提案されている。 

   墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壮士尓之 依家良信母
 墓の上(へ)の 木(こ)の枝靡けり 聞きし如 血沼(ちぬ)壮士(をとこ)にし
 寄りにけらしも
(万1811)

 「墓」を墓(はか)と読む説と墓(つか)という説もある。万葉集には墓を詠み込んだ歌が二首ある。

  やすみしし わご大君の かしこきや 御陵(みはか)仕ふる 山科の 鏡の山に(万155)

 という額田王の歌では「御陵」を御陵(みはか)と読ませている。また、高田女王の歌には「墓」が 訓借として使われている。

 わが背子に または逢はじかと 思墓(おもへばか)今朝の別れの すべなかりつる(万540)

 「塚」を詠んだ歌もある。

 玉桙の道の辺近く磐構へ作れる冢(つか)を、、(万1801)

 この歌の詞書きには「葦屋處女(あしやのをとめ)の墓を過ぐる時に作れる歌一首」とあって、墓(はか)を見て塚(つか)と詠んだことになる。

 『時代別国語大辞典』(上代編)は墓の項で「ツカがその外形に基づく称であるのに対し、死者を葬る場所という目的に基づく名称かと考えられる」としている。墓の声符は莫[mak]であり、墓(はか)の韻尾が脱落したものが墓(ボ)である。墓(はか)が古くて墓(ボ)が新しい。古代日本語には濁音ではじまることばがなかったから墓は墓(ばか)ではなく墓(はか)となった。

 「冢」の古代中国語音は冢[tiong]である。中国語の韻尾[-ng]は古代には[-g]に近かったから冢は冢[tog] に近かった。それが唐の時代になると塚(チョウ)と音便化されるようになった。わたり音(i介音) も隋唐の時代に発達してきたものである。

 中国語の音韻 史をふまえていえば墓(はか)も塚(つか)も古代中国語音に依拠した借用語である。 墓(はか)が古く、墓(ボ)が新しい。塚(つか)が古く、塚(チョ ウ)が新しい。日本の漢字研究 は白川静、藤堂明保など一部の専門家をのぞいて唐代の中国語音を規範としているので、訓と思われているもののなかにある古 代中国語音の痕跡を見のがしてしまいがちである。

もくじ

☆第21話 万葉人の言語生活      

★第22話 柿本猨とは誰か

☆第23話 万葉集は解読されていない

★第24話 万葉集は解読できるか

☆第25話 万葉集を解読する

★第26話 万葉集は誰が書いたか

☆第27話 万葉集は中国語で書かれているか

★第28話 日本語・中国語・朝鮮語対訳『万葉 集』 

☆第29話 文字文化の担い手・史(ふひと)

★第31話 万葉集の成立を考える