第23話 万 葉集は解読されていない

 「万葉集」は 平安時代にはすでに一部解読不能になっていた。天暦5年(951年)に村上天皇が万葉集の解読を命じたという記録がある。万葉集にはいわゆる難読歌という のがあって、未だに解読されていない。未だに解読されていないというよりは、もはや解読できなくなってしまったというべきかも知れない。本来中国語を記録 するために発明された漢字を、言語構造のまったく違った日本語に転用するのだから、漢字の使いかたには新たなルールが必要であった。次の歌は額田王が紀伊 の温泉に行った時に詠んだ歌とされているが、古来有名な難読歌である。

 莫 囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本(万9)

 前半はほとん ど判読不能である。後半は「わが背子が い立たせりけむ 厳橿(いつかし)が本」と読むのが一般的である。万葉集が成立した当時は、書記者と読者の間に漢 字の使い方、読み方についての約束事があって、日本語として解読できたはずである。その約束事が後世まで伝わらなかったために、解読できなくなってしまっ たのである。次の歌も難解である。

  春霞 田菜引今日之 暮三伏一向夜 不穢照良武 高松之野爾(万1874)

  しかし、この歌は解読されている。

  春霞 たなびく今日の 夕夜 清く照るらむ 高松の野に

こ の歌を解読する鍵は「三伏一向」にある。「三伏一向」を「つく」と読むことが分かれば、比較的簡単に日本語として読める。「三伏一向」とは万葉時代のゲー ムで、四枚の札を投げて三枚が裏、一枚が表になったのを「三伏一向」といい、これを「つく」という。一枚が裏、三枚が表になった場合は「一伏三向」で「こ ろ」いう。

  菅根之 根毛一伏三向凝呂爾 吾念有 妹爾縁而者、、、 (万3284部分)

この歌も「一伏三向」が「ころ」であるということ が分かっていれば解読できる。

  菅の根の ねもころごろに わが思(も)へる 妹によりては、、、

また次の歌では「切木四」の読み方が鍵になる。

左 小壮鹿之 妻問時爾 月乎吉三 切木四之泣所聞  今時来等霜(万 2131)
  さ男鹿の 妻問ふ時に 月を良み が音(ね)聞ゆ 今 し来らしも

「切 木四之泣」を「雁が音」と読む。「切木四」と書いて「かり」と読むのは「かりうち」というゲームに由来する。「かりうち」は四枚の木の札を削り、両端をと がらせたもので、半面を白く塗り半面は黒く塗ってある。白い方2枚に雉を描き、黒い方2枚に小牛を描き、それを投げてその札の色によって勝負する。4枚の 札を使うので「切木四」と書いて「かり」にあてている。

『時代別国語大辞典~上代編~』によると「三つ伏 して一つが上向いたのをツク、一つ伏して三つ上向いたのをコロなどと呼んだ。遊びの名はカリウチ、樗蒲(ちょぼ)ともいう。大陸渡来の遊びで、朝鮮では最 近に至るまで行なわれていたという」とある。

万葉集には戯書と呼ばれる文字の使い方がある。 「二二」と書いて「し」、「十六」と書いて「しし」、「八十一」と書いて「くく」などである。

獦 路乃小野爾 十六社者 伊波比拝目 鶉己曾 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拝(万239部分)

ここでは「十六」を「しし」と読むというのが約束 事である。

獵 路(かりぢ)の小野に 猪鹿(しし)こそは い匍(は)ひ拝(をろ)がめ 鶉(うづら)こそ い匍(は)ひ廻(もと)ほれ 猪鹿(しし)じもの い匍 (は)ひ拝(をろ)がみ

 この歌は柿本人麻呂の長歌の一部分で、「十六」 は掛け算で「しし」と読ことによって解読できる。

垂 乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘蟵荒鹿 異母二不相 而(万 2991)

この歌の難解な部分は「馬聲蜂音石花蜘蟵」にあ る。「馬聲蜂音」と書いて「いぶ」、「石花」は「せ」、「蜘蟵」「くも」と読む。馬の声、蜂の音はうるさいことか ら、このような表記がうまれた。この部分が解読できないと、この歌を読み下すことはできない。

た らちねの 母が養(か)ふ蠶(こ)の 繭隠り 馬聲蜂音石花蜘蟵(いぶせくも)あるか
妹に逢はずして

  このような例はほかにもある。「十六自物」は「ししじもの」(万1019)、「八十一隣之宮爾」は「くくりのみやに」(万3242)、「三五月之」は「も ちづきの」(万196)と読む。柿本人麻呂の長歌にはこのような表記が多い。人麻呂は戯れにこのような文字をも用いたのだろうか。また、このような表記は 万葉歌人の発明なのだろうか。

  高句麗の碑文として知られる広開土王碑文の第1面5行目には「好太王二九登祚」と記さ れている。この「二九」は掛け算の表記で十八を表す。「好太王は十八歳で王位に登った」と解されている。碑文であるから、高句麗の正式な書記法にのっとっ て書かれているはずであり、戯れに文字が選ばれているはずがない。これは漢字を使って高句麗語を表記するために、朝鮮半島で工夫された表記法のひとつであ る。柿本人麻呂は、広開土王碑文を書いた高句麗の書記法の伝統を、受け継いでいると考えるのが自然である。柿本人麻呂自身が広開土王碑について知っていた かどうかは分からない。しかし、高句麗出身の史(ふひと)はこのような書記法になじんでいたであろう。その書記法が万葉集に取り入れられたものと考えられ る。

 漢字を使って中国語を書いた漢文の文章は、表記 法のルールが確立しているから、必ず解読できる。しかし、中国語を専ら表記するために作られた漢字を使って外国語である日本語や朝鮮語を書いた文章は、必 ずしも正確に復元できるとは限らない。しかも、1000年以上も前に漢字を使って書かれた日本語は、解読 不能になっても不思議ではない。万葉集は未だに、完全に解読されているわけではない。

もくじ

☆第21話 万葉人の言語生活

★第22話 柿本猨とは誰か

☆第24話 万葉集は解読できるか

★第25話 万葉集を解読する

☆第26話 万葉集は誰が書いたか

★第27話 万葉集は中国語で書かれているか

☆第28話 日本語・中国語・朝鮮語対訳『万葉 集』

★第29話 文字文化の担い手・史(ふひと)

☆第30話 万葉集のなかの外来語

★第31話 万葉集の成立を考える