第25話 万 葉集を解読する

万葉集の漢字の使い方には、大きく分けて三つの方法がある。

1.古事記や日本書紀の歌謡のように漢字の音だけを使って表記したもの。
 2.漢字の訓を使って表記し、日本語の助詞、活用語尾などを音訓で書き加えたもの
 3.訓のみを使って表記し、助詞、活用語尾などは表記しないもの。

漢字の音だけを使って表記したものは、万葉集20巻のうち巻5、巻14、巻15、巻17、巻18、巻20に多い。東歌、防人歌など万葉集の編者が採取したと思われる歌は、ほとんどが音だけで記されている。大伴家持など後期の作家の作品にも、音表記が多く用いられている。

漢 字の訓を生かして表記し、日本語特有の助詞や活用語尾は音借で表記した2番目の表記法は万葉集研究者の間では常体と呼ばれて、万葉集では最も多く使われて いる。助詞や活用語尾の添加は時代がさがるにしたがって緻密になる。このような書記法は朝鮮半島で行われていた吏読と共通である。

3 番目の表記法は一般に略体と呼ばれている。巻10、巻11、巻12に多く、「人麻呂歌集」など万葉集成立より前の段階の表記法を、受け継いでいるものと考 えられている。略体という名称は、現代の日本語表記法を基準にして省略があるために名づけられたもので、動詞の活用語尾や助詞などを補ってはじめて日本語 として読むことができる。中国語では用言の活用がなく、助詞も発達していないから、中国語を母国語とする人にとってはあたりまえの表記法ということもでき る。このような表記法は朝鮮半島では誓記体と呼ばれている。

同じ万葉集のなかに、このように多くの表記法が用いられていること自体が、漢字で日本語を表記するということが、万葉人とっていかに困難なことだったかを雄弁に物語っている。

1.音表記を主として用いた歌としては、つぎのようなものがある。

  余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理(万793)
  大伴旅人

  銀 金 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母万803)山上憶良
 筑波禰爾 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉児呂我 爾努保佐流可母万3351)東歌

これらの歌は、つぎのように読むことができる。

世の中は 空(むな)しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり
 銀(しろがね)も  金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも
 筑波嶺(つくばね)に 雪かも  降らる 否(いな)をかも 愛(かな)しき児ろが
 布(にの)乾さるかも  

音で表記されているため、読み方についてほとんど異説はありえない。東歌や防人歌は音で表記されてものが多く、万葉の時代の方言音を留めている。「筑波嶺に、、、」の歌は東歌で、関東地方の訛がそのまま表記されている。降る「降らる」、子ら「児」、布「の」などは、当時のお国訛を写している。

 この歌は唐代の中国語音である、いわゆる中古音で復元してみると、およそつぎのようになる。復元にあたっては中国の言語学者、王力の『同源字典』をもとにしながら、広韻、『韻鏡』など唐代の中国語音を参考にして、若干の修正を加えてある。

[中国中古音]
  余 能     奈  可    波
    jia nə ・  nai khai puai

牟   奈  之 伎  母   乃  等
 miu nai tziəgie mə・    nə təng 

志  流  等  伎  子
 tjiə   liu təng gie  tziə

  与  余 麻  須     万  須
 iei jia jia mea sio muan sio  

加  奈   之  可  利  家  理
 keai nai tziə  khai liei kea liə

万葉集の時代の日本語には八つの母音があったと考えられている。国語学者の研究をもとに、万葉集の時代の日本語音はつぎのようなものだったと考えることができる。(甲)、(乙)は母音の区別を示す。

[万葉時代の日本語音]
  よ()()な かふぁ むなしき(甲)もの()()  しると()(甲)しいよ(乙)(乙)ますます
かなしかりけり

山上憶良の歌は、つぎのように復元できる。

[中国中古音] 
  銀  母     母       
  銀・
  mə ・  金・ mə・  玉・  mə 

                                爾
 nai njiei sjiai miua njiei 

       佐                 多   可      
 mea tzai lyei liu tai khai liang

                           米             
  ka njiei sie keai myei jya mə

 [万葉時代の日本語音] 
  銀も 金も玉も なにせむに まされるたから こ(甲)に しかめ(乙)やも

東歌を同じ方法で復元すると、つぎのようになる。

 [中国中古音]
  筑     波      禰      爾    由                      布          留  
 
tiokpuainyei njiai・   jiu gie khai mə pa liang liu

     奈              
 iei nai ha khai mə 

                            
   keai nai siə kiet ・ ・  lia ngai 

       努                             
 njiei na pu tzai liu khai mə

[万葉時代の日本語音] 
  筑波ねに ゆき(甲)か もふらる いなをかも かなしき(甲)(甲)(乙)か゚  
 にの
(甲)ふぉ さるかも

 音だけによる表記は訓表記に比べて読み誤ることがないように見えるが、古代の中国語音と対応させてみると、漢字を日本語にあてはめるのがいかに困難だったかがよく分かる。万葉集の時代の日本語は、ハ行が中国語の
/p-/ で書き表されている。当時の日本語のハ行は「ふぁ、ふ、ふ、ふぇ、ふぉ」だったものと考えられる。中国語では子音と母音の間に/i//u//iu/、などのわたり音(介音)が入ることがある。これは日本語にはない音である。また、中国語には/-m//-n//-ng//-p//-t//-k/など子音で終る音節がある。等/təng/、万/muan/、良/liang/ 、吉/kiet/ は日本語では「と()」、「ま」、「ら」、「き(甲)」に用いられていて、中国語の韻尾は失われている。中国語音と日本語音との対応を整理してみるとつぎのようになる。

○ わたり音(介音)が失われている例。
  加/keai/ か、迦/kea/ か、波/puai/ は、麻/mea/ ま、万/muan/ ま、良/liang/ ら、須/sio/ す、
 牟
/miu/ む、留/liu/ る、流/liu/ る、世/sjiai/ せ、禰/nyei/ ね、米/myei/ ()、 禮/lyei/ れ、由/jiu/ ゆ、
 呂
/lia/ ()
 古代日本語は二重母音を避ける傾向があったから、主母音を生かして中国語のわたり音は、多く の場合失われた。

○ わたり音(介音)が生かされている例。
    伊/iei/ い、伎/gie/ ()、 之/tziə/ し、志/tziə/ し、子/tziə/ し、斯/sie/ し、思/siə/ し、爾/njiei/ に、   利/liei/ り、理/liə/ り、武/miua/ む、家/kea/ け、
   主母音があいまい音の/ə/ のときは/i/ 介音のほうが生かされる傾向がある。

○ 韻尾の/-n//-ng/ が失われている例。
    万/miuan/ ま、等/təng/ ()、 良/liang/
   日本語の音節は母音で終る開音節なので、中国語韻尾の/-n//-ng/ は失われた。

○ 韻尾の子音(入声音)が失われた例。
   吉/kiet/ ()
  地名の「筑波」の場合は、筑/tiok/の韻尾/-k/は保たれている。日本の古地名は古い中国語音の痕  跡を留めていたものと思われる。中国語の入声音/-p//-t//-k/は、現代広東語では残っている   が、北京語では元の時代以降失われた。

2.万葉集の表記では、音と訓をまじえて書いた歌が最も多い。音と訓を使い分けた歌の例としては、つぎのようなものがある。

三吉野 耳我嶺  時無 雪家留 間無  雨計 類 其雪 時無如 其雨
  間無  如 隈
落  念乍来 其山道(万25) 天武天皇

行 気長 山多豆  迎徃 待爾者(万90) 衣通王

未通女等 袖振山  水垣 久時  憶(万501) 柿本人麻呂

これらの歌は一般につぎのように読みくだす。

三吉野 耳我の嶺  時無 雪落(ふり)ける 間無  雨零(ふり)ける 其雪 時無が如 其雨 間無が如 隈(くま)落(おち)ず 念(おもひ)乍来し 其山道

行き 日(け)長 山たづ  迎行かむ 待には待たじ

未通女(をとめ)等 袖振山  水垣 久しき時  憶(おもひ)

  これらの歌における漢字の使い方は、朝鮮半島における吏読、あるいは郷歌の漢字の使い方とほ とんど同じである。漢字の音と訓を混用しながらこの歌が読め るのは、名詞、動詞など主として 意味を伝える部分は訓で表記して、助詞、活用語尾などは、主として音仮名で表記するという規 則が、暗黙のうちに了解さ れているからである。

○ 訓読みの名詞、動詞などの例。
  三吉野(みよしの)、耳我嶺(みみがのみね)、時(とき)、無(なく)、雪(ゆき)、
 落(ふる)、如(ごと)、間(ま)、雨(あめ)、零(ふる)、隈 (くま)、落(おちる)、    念(おも ふ)、来(くる)、山(やま)、道(みち)、君(きみ)、行(ゆく)、
 長(ながい)、迎(む かへ)、往(ゆく)、待 (まつ)、未通
女 (をとめ)、
 袖振山(そでふりやま)、水(みづ)、垣(かき)、久(ひさしい)、憶(おもふ)、
 吾(われ)、

○ 訓借の助辞などの例。
    之(の)、之(が)、者(は)、其(その)、不(ず)、不(じ)、乍(つつ)、将(む)、   等(ら)、従(ゆ)、寸(き)

○ 音読みの助辞などの例。
  爾(ニ)、曾(ソ)、家留(ケル)、計類(ケル)、乃(ノ)、毛(モ)、叙(ゾ)、
 乎(ヲ)、久(ク)、奴(ヌ)、

○ 音借の名詞の例。
    氣(ケ)

 気長久成奴(けながくなりぬ)の氣「ケ」は「日」の意味に使われている。現代の日本語でも二日(ふつ)、三日 (みっ)というときは、「日」をカ行で発音する。「日長久成奴」と書いたのでは「ひながくなりぬ」と読めてしますので「気」としたのであろう。

日本漢字音では「日」は呉音が日(ニチ)、漢音が日(ジツ)とされている。日(ひ)は訓なのだろうか。日(か)も訓なのだろうか。日本語の日(ひ)は現代朝鮮語の日(hae)と同源である。朝鮮語のhは喉音であり、日本語では一般にカ行であらわれる。「韓国」の韓(han)、「漢字」の漢(han) などは、日本語では韓(カン)、漢(カン)となる。しかし、弥生時代の日本語では日(hae) はハ行であらわれた。したがって、日(ひ)が古く、日(カ)あるいは日(ケ)のほうが新しい。

朝鮮語の日(hae)は古代日本語では「ひ」として「やまとことば」のなかに定着した。しかし、8世紀になると日本語のハ行は唇音の「ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ」に変わってしまったので、朝鮮語の喉音hは、日本語では調音の位置の近い、カ行で発音されるようになったと考えることができる。

一方、日本語の火(ひ)は古代中国語からの借用語である。「火」の古代中国語音は火[xuəi] であり、「火」も「火事」などのように、音読すると火(カ)になる。古代中国語の火[xuəi] は弥生時代には、日本語では火「ひ」として借用され「やまとことば」のなかに定着した。ところが、日本語のハ行が脣音の「ふぁ」に移行したため、中国語の喉音[x-] は調音の位置の近いカ行音に移動した。日本語の日(ひ)は訓であり、日(か)も訓である。火(ひ)は訓であり、火(カ)は音である。しかし、日(ひ)は朝鮮語と同源であり、火(ひ)は中国語からの借用語である。古代日本語では「日」は「ひ(甲)」であり、「火」は「ひ(乙)」で区別されていた。これを整理してみると、つぎのようになる。

    古代中国語音 朝鮮漢字音 朝鮮語訓 日本漢字音 日本語訓   
   日  [njiet]                  il      hae    ニチ・ジツ     ひ(甲)・
  火
  [xuəi]                  hwa          pul     カ         ひ(乙)

3.訓のみによる表記の例。
  万葉集には訓だけを使って、助辞や活用語尾を添記しない表記が、人麻呂歌集の歌などに多く見  られる。

戀死 戀死哉 我妹 吾家門 過行(万2401)

狛錦 紐解開 夕谷 不知有命 戀有(万 2406)

足常 母養子 眉籠 隠在妹 見依鴨(万2495)

これらの歌は助辞などを加えてつぎのように読む。

戀死なば 戀ねとや 我妹子(わぎもこ)  吾家(わぎへ)門(かど)
     過ぎてく らむ

高麗錦 紐解け て 夕(ゆふべ)だに 知らざる命 戀つつかあら 

たらちね 母養 (か)蠶(こ)  繭隠(まよごも) 隠れ
     見よしがも


  このような表記法を万葉学者は略体とか古体と呼んでいる。この表記法は古代朝鮮における誓記体と同じである。人麻呂歌集では徹底して訓のみを使って歌を記 録しようとしている。万葉集の人麻呂の歌をくわしく見ると、正訓(やまとことばを漢字の義をとってあてはめたもの)と借訓(「鶴鴨」をやまとことばの「つ るかも」にあてるなどのように、漢字の正訓を借用してやまとことばを表記したもの)、朝鮮語読みなどがある。

 [正訓] 戀(こひ)、哉(や)、家(いへ)、門(かど)、過(すぎ)、狛(こま)、
    錦(にしき)、紐(ひも)、解(とく)、開(あけ)、夕(ゆふべ)、不(ず)、
        有(ある)、命(いのち)、母(はは)、養(かふ)、子(こ)、籠(こもる)、
        隠(こもる)、在(ある)、見(みる)、

   [借訓] 谷(たに)、常(つね・ちね)、眉(まゆ)、依(よし)、鴨(かも)、
 [朝鮮語読み] 足(たる)、
 
 「足」は現代朝鮮語でも足
(ta-ri) である。足(たる)あるいは足(たり)と読むのは朝鮮語からの訓借である。朝鮮半島から渡来した史(ふひと)が朝鮮語の訓として慣用していたものを、そのまま日本語のなかに受け継いだものである。
訓のなかには、弥生時代、あるいは古墳時代に「やまとことば」のなかに取り入れられて、記紀万葉の時代には日本語のなかに同化してしまった中国語音も含まれている。
      
 [弥生音] [siei] しぬ 、 我[ngai] あ・わが、吾[nga] あ・わが、行[heang] ゆく、知[tie] しる、            常[zjiang] つね・ちね、妹[muəi] いも、

○ 死(しぬ)の語幹は中国語と同音同義であり、日本語の「死」は中国語の死[siei]を動詞として活用させたものである。

○ 我(あ)、吾(あ)は古代中国語の我[ngai]、吾[nga] の声母[ng-] が失われたもので、朝鮮漢字音の影響が認められる。朝鮮漢字音では「我」、「吾」は我(a)、吾(o) である。我(あ)、吾(あ)はいずれも弥生時代に朝鮮半島を経て「やまとことば」に入ってきたことばであることがわかる。

○ 行(ゆく)は古代中国語音の行[heang]の頭音hが失われたものである。中国語の喉音h日本語ではカ行音であらわれることが多いが、はしばしば失われる。例:絵[huai](え・カイ)、会[huai](あう・ゴウ)、合[həp] (あう・ゴウ)、恵[hyuei](え・ケイ)などである。なかには黄[huang](コウ・オウ)のようにh音のある読み方とh音の脱落した読み方の両方が残っている場合もある。また、軍[hiuən](グン)・運[hiuən](ウン)のように同じ声符の漢字が二通りに読みわけられる場合もある。

○ 知(しる)は知[tie]が摩擦音化したものであり、常(つね)は常[zjiang]の中国語の頭音が口蓋化する前の姿を留めている。

○ 妹(いも)は中国語の妹[muə i]の前に母音が添加されたものである。同じような例は梅[muə]が梅(むめ・うめ)、馬[mea]が馬(むま・うま)などがある。

助 詞や助動詞の大部分が文字化されない表記法を、齋藤茂吉は「手控え」と名づけた。「手控え」というのは、作者自身が手控えのために、簡潔に書き留めておい たものであるという趣旨である。万葉学者は「略体歌」といい、「馬上体」あるいは「枕上体」とも呼んでいる。「略体歌」というのは、助辞や活用形を添記し た「非略体歌」に対していうもので、本来あるべき助詞や活用語尾が省略されているという意味がこめられている。「馬上体」、「枕上体」は、馬上での手控 え、枕上での手控えという意味で、齋藤茂吉の「手控え」と同じ趣旨である。これを仲間に見せるとか、歌集に入れるときには浄書する。メモ書きだから助詞や 助動詞を省略したのだという見方である。いずれの説も現代の漢字仮名混じり文を完成された形と見なして、万葉集の表記は未完成な形だとしている点で一致し ている。

これにたいして稲岡耕二は、略体歌は非略体歌より古い形であるとして「古体歌」と名づけた。

古体歌に付属語表記が極端に少ないのは、文字化の方法をすでに獲得した上でこれを省略したのではなく、日本語そのものの分節化の度合いに対し、表記の分節化 が未熟なのである。(『人麻呂の表現世界』p.26

古体歌の表記を、新体歌までの不完全な段階のように考えるのは誤りである。新たな歌の表記として、それ自体工夫を凝らしたもので、新体歌から仮名書きの付属 語を削除すれば古体歌になるというわけではない。(『人麻呂の表現世界』p.123)、

 日本語を漢字で表記する方法は、朝鮮語を漢字によって表記する方法にならって発達してきたものである。日本語を漢字で書く仕事に最初に取り組んだのは、朝鮮半島からき た史(ふひと)たちである。略体歌は朝鮮半島で用いられた誓記体という表記法を日本語に転用したものであり、「手控え」とはいえない。

「戯書」も、戯れに書いたものというよりは、漢字を使って外国語を表記するためにあみ出された、史たちの苦肉の策、あるいは懸命な努力のあらわれとみるべきで あろう。日本語は漢字によって文字を獲得した。しかし、中国語専用のために作られた漢字で文法や音韻の構造の異なる日本語を表記するためには、史(ふひ と)たちは一足先に漢字文化圏の仲間入りをした朝鮮語の表記を参考にしつつも、荒馬を馴らすごとく、日本語という新しい言語に手なずけなければならなかっ た。その悪戦苦闘の痕跡が万葉集には余すところなく残されている。

もくじ

☆第21話 万葉人の言語生活

★第22話 柿本猨とは誰か

☆第23話 万葉集は解読されていない

★第24話 万葉集は解読できるか

☆第26話 万葉集は誰が書いたか

★第27話 万葉集は中国語で書かれているか

☆第28話 日本語・中国語・朝鮮語対訳『万葉 集』

★第29話 文字文化の担い手・史(ふひと)

☆第30話 万葉集のなかの外来語

★第31話 万葉集の成立を考える