第16話 日本はなぜ「ジャパン」なのか 日本は中国語では日本(ri-ben)、朝鮮語では日本(il-bon)と発音する。日本はなぜ中国語では「リーベン」、朝鮮語では「イルボン」、そして英語では「ジャパン」なのだろうか。日本語でも文字は日本と決まっているが、読み方は「ニホン」となったり「ニッポン」と なったりする。そもそも、元祖「日本」はどこにあるのだろうか。 国名が漢字では決まっているが、読み方が定まらないというのはどういうことなのだろうか。本居宣長などは日本をやまとことばで日本(ひのもと)の国などと読 みかえている。古くは中国人は日本のことを倭(倭人・倭国)と呼んでいた。「日本」という国名が中国の歴史書にでてくるのは唐代以後のことである。 日本国は倭国の別種なり。その国日辺にある故を以て、日本を以て名となす。あるいはいう。倭国自らその名雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと(『旧唐書』) 日本はもともと中国では倭と呼ばれていた。日本人自身が自らを倭と呼んでいたわけではない。日本人は倭奴とも呼ばれた。倭奴は矮奴にも通じ、小びとを意味 する。国家としての威信を高めつつあった大和政権は唐に対してもっと尊厳の保てる名で呼んでほしいと主張したに違いない。当時、文字をもった国家は中国に しかなかったから、高句麗も新羅も百済も日本も国名は漢字で書かれた。 大業3年、隋の煬帝の時(推古15年・607年)、「多利思比狐」は小野妹子を遣わして隋に朝貢した。その国書が中国側で問題になった。 その国書にいうには、「日出ずる処の天子が、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)はないか、云々」と。帝はこれをみて悦ばず、鴻臚郷(こうろけい)に 命じた。「蛮夷(倭国をさす)の書は、無礼なところがある。ふたたび以聞(天子に申上げる)するな」と。(『隋書』倭人伝) 鴻臚郷(こうろけい)とは今の外相である。「日出ずる処の天子」という表現が尊大であるとして問題になった。しかし、日本側からすれば日本と改名するのが目 的でにあったのだから、もくろみどおりになったともいえる。律令制をととのえつつあった飛鳥時代の日本は、中国にならって華夷思想を輸入して自らを大宇の 中心に据えようと必死で努力していたのである。日本という国名の由来は中国語にある。もちろん、日本側の「日出ずる処の天子」というような自負を配慮して のことではあろうが、もはや邪馬台国を名のる時代ではなかった。 漢字の日本は時代や地方によって読み方が変わる。しかし、この名が命名さらた隋唐の時代の中国語音を基点として解明するとわかりやすい。 古代中国語 北京語 広東語
朝鮮語 英語 隋唐の時代の日本の中国語音は日本[njiet puən] であった。現代の北京語では古代中国語の日母[nj-] の頭音が失われてr音にとって替わられている。たとえば、中国料理の青椒肉絲(チンジャオロウスウ)、回鍋肉(ホイクオロウ)の「肉」は肉[njiuk]ではなく、現代北京語音では肉(rou) と発音される。語尾の[-t] が現代北京音では失われている。現代北京音では古代中国語の日母[nj-] は規則的にr音であらわれるという法則があり、韻尾の[-t]は失われて発音されない。したがって、「日本」は中国語では日本(ri ben)になる。 朝鮮語では語頭の日母[nj-] の頭音は規則的に失われる。朝鮮語では肉は肉(yuk) 、つまり肉(ユッケ)である。朝鮮語では中国語韻 尾[-t] はl になるという法則がある。例えば、万年筆(man nyeon pil)、地下鉄(ji ha cheol) のごとくである。したがって、日本の「日」は朝鮮語では日(il) となる。また、朝鮮語では語中の子音は濁音になるという法則があるから本[puən]は本(bon)になる。したがって、「日本」は朝鮮語では日本(il bon) になる。 英語の「ジャパン」は、マルコポーロが中国に来たとき「日本」を「ジパング」と聞き間違えたのが、はじまりであるとされている。それ以降「日本」はヨーロッパでは 「ジャパン」「ヤーパン」「ハポン」などと呼ばれるようになったというのが通説である。マルコポーロが中国に来たのは元の時代で13世紀のことである。 13世紀の中国では、古代中国語の日母[nj-] は日[dj-] に近い音に変わっていた。日本漢字音でも日「ニチ」が呉音であり、日「ジツ」が漢音である。日「ニチ」が古く日「ジツ」が新しい。マルコ・ポーロが中国に来た元の時代には、「日本」は中国では日本 [njiet puən] ではなく、 日本/djiet puən/ と発音されていたはずである。「ジャパン」というよりは「ヂヤパン」である。したがって、マルコ・ポーロが聞き間違えたのではなく、「ジパング」はむしろ元の時代の中国音を正確に伝えているということになる。 日本語でニッポン、ニホンと読み方が定まらないのは、日本(ニッポン)が撥音便であり、 「やまとことば」の音韻体系におさまらないからである。「日本」の中国語音が日本(ニッポン)に近かったとしても、日本語では日本語の音韻体系にしたがっ て日本(ニホン)としか発音のしようがなかった。促音便が日本語のなかに入ってきたのは後のことである。したがって、日本(ニホン)が古く日本(ニッポ ン)が新しい。 辞書を引いてみると日(ニチ)が呉音で、日(ジツ)が漢音だと書いてある。一日(イチニチ)は呉音で元日(ガンジツ)は漢音である。日(ジツ)は日(ヂツ)に近かったに違いない。日(ニチ)のnと日(ヂツ)のdとは調音の位置が同じであり、転移しやすい。現代の日本語では「ヂ」と「ジ」の区別がなくなり「ジ」に合流している。中国語の日母[nj-] にはふたつの読み方がある。
日、 児、 若、 柔、 女、 如、 人、 仁、 然 呉音でナ行で発音されているものは、漢音では規則的にザ行に変化する。呉音は中国の江南音であると言われ、仏教系では呉音が多く使われる。漢音は中国北方の音を伝えているものと言われ、儒教では漢文を読 むのに漢音を使う。 現代の日本語では漢音と呉音が両方使われている。 人間(ニンゲン)・人物(ジンブツ)、天然(テンネン)・自然(シゼン)、縁日(エンニチ)・ 元日(ガンジツ)などである。「日本人」と言う時は日(ニチ)は呉音であり、人(ジン)は漢音である。「人間」も、漢音だけで読もうとすると「ジンカン」になってしまう。 中村元によると「人間」という日本語は仏教用語であるという。もし人間ということばが儒教から入ってきていれば「ジンカン」になっていたに違いない。 日本語は長期間にわたって中国語の語彙を取り入れてきた。借用語はその時代の現地音を反映している。日本語の漢字音が多様で統一性に欠けるのは、中国語と日本語の長い間にわたる交流の歴史と、その間に起 こった中国語の音韻変化を反映しているからである。 |
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