第58話 中国語音(声母)の変化

 中国語の韻母 は漢詩の押韻の研究などから、かなり古い音を復元できるようになったが、頭子音(声母)については、押韻は何の手がかりも与えてくれない。しかし、子音に ついても調音の方法、調音の位置などを手がかりに、その音韻変化をたどることができる。次の紐表は、王力の『同源字典』によって古代中国語の声母を分類し たものである。(『同源字典』p.18参照)

 

   塞    音

 

鼻 音

 

辺 音

 擦   音

  清  音

濁 音      

清 音

濁 音

不送気

送 氣

            

 

 

 

 

 

 

  (舌根)

k

kh

g

ng

 

x

h

 

 舌

 頭

t

th

d

n

l

 

 

 舌

 面

tj

穿

thj

dj

nj

j

sj

zj

 

 正

 歯

tzh

tsh

dzh

 

 

sh

zh

 歯

 頭

tz

ts

dz

 

 

s

z

   脣

p

ph

b

m

 

 

 

 頭子音は調音の場所と調音の方法によって分類されている。調音の場所は口腔の奥から喉、牙(舌根)、舌、歯、脣の順になる。後口蓋、前口蓋と呼ばれることもある。調音の方法は塞音、鼻音、辺音、擦音がある。清音と濁音、送氣と不送氣などに下位区分されているものもある。
 この表で横に並んでいる音は、調音の場所が同じで転移しやすい。また、縦に並んでいる音は調音の方法が同じで転移しやすい。王力は、この表で横に並んで いるものを「旁紐」と呼び、縦に並んでいるものを「鄰紐」と呼んでいる。旁紐、鄰紐のことばには同源語が多い。王力によれば、つぎのことばは同源である。

   旁紐(調音の位置が同じ)

王力はつぎのような対語を旁紐であり、同源語であるとしている。

[牙音]  久[kiuə][giuə]   [kô]・ 喬[giô]      [kang]・ 強[giang]
[kuək]・ 域[hiuk]   乾[kan]・ 旱[han]、     [kieng]・ 茎[heng]
[khiok]・ 局[giok]  隙[khyak]・ 間[kean] [khuan] [kuang]
[khiong]・ 兇[xiong]、 枯[kha]・ 涸[hak]      [giuət]・ 搰[huət]
[xoa]・ 華[hoa]       [xuə]・ 恨[hən]        [xian]・ 現[hyan]

[舌頭音] [tang]・ 徒[da]     潮[diô]・ 朝[tiô]           [diuan]・ 轉[tiuan]
[dat]・ 泰[that]       [duəm]・ 痛[thong]、 涕[thyei]・ 涙[liuei]

[舌面音] [tjie]・ 翅[sjie]        [djia]・ 舒[sjia]        [djiei]・ 視[zjiei]
[djien]・ 䰠[sjien]  [thjiai] [sjia]、   深[sjiəm]・ 甚[zjiəm]

[舌音]    [tjiu]・ 島[tô]      跳[dyô]・ 躍[jiôk]

[正歯音] [dzhiə]・ 史[shiə]、 斬[zheam]・ 殺[sheat]

[歯頭音] [tzo]・ 趨[tsio]      [tsieng]・ 浄[dzieng]、 揖[tziəp]・ 集[dziəp]
[tsie]・ 斯[sie]      [tsiəm]・ 襲[ziəp]、    [tzieng]・ 星[syeng]
[dzyak]・ 席[zyak]、 昔[syak]・ 夕[zyak]

[脣音]  [pu]・ 復[biuk]      分[piuən]・ 判[phuan]、 判[phuan]・ 別[biat]
[puək]・ 負[biu]  & nbsp;伏[biuək]・ 覆[phiuək]、 爆[peok] [bok]

 間隔、悔恨、徒党、疼痛、鬼神、奢侈、深甚、跳躍、斬殺、清浄、判別、報復、などの熟語は、同源同義のことばを重ねた熟語である。これらのことばのなかにも、日本語のなかに取り入れられたと思われることばがある。

茎 (き)、枯(れる)、 涸(れる)、寛(ろい)、 広(ろい)、掘(ほる)、
花(な)、華(な)、  跳(ぶ)、疼(いむ)、  痛(いむ)、示(めす)、
止(まる)、定(さめ)、集(あまる)、侵(める)、襲(おふ)、星(ほ)、
報(くいる)、伏(す)

 茎(くき)は茎[heng] の頭音がカ行で代替されたものである。涸(かれる)も涸[hak]が日本語ではカ行で代替されている。寛「ひろい」、広「ひろい」は寛[khuan]、広[kuang] の頭音が調音の位置の近い[h] で代替されたものである。掘「ほる」も古代中国語の掘[giuən] の頭音が、調音の位置が近い[h-] に転移したものであり、旁紐である。また、日本語の「はな」は中国語の花[xoa] または華[hoa] と関係のあることばである。「はな」の「な」は朝鮮語で木あるいは植物をあらわす木(na mu) である可能性がある。

○ 隣紐(調音の方法が同じ)

王力はつぎのような対語を「隣紐」であり、同源語であるとしている。

[塞音]  [yang]・ 景[kyang]、 翁[ong]・ 公[kong]

[擦音]  [zjiuən]・ 粋[siuət]

[鼻音]  [nə]・ 忍[njiən]、 乃[nə]・ 而[njiə]

[辺音]  [lyô]・ 遥[jiô]、  涙[liuei]・ 洟[jiei]

[塞音・擦音]

(舌音)[do]・ 首[sjiu]、    杻[thiu]・ 手[sjiu]         登[təng]・ 昇[sjiəng]
[deong]・ 鐘[tjiong]、 撞[deong]・ 衝[thjiong]、 撞[deong]・ 舂[sjiong]
[sjien]・ 展[tian]     深[sjiəm]・ 潭[dəm]   畜[thiuk]・ 育[jiuk]

(歯音)[shia]・ 粗[tsa]    縮[shiuk]・ 蹴[tziuk]      [su] [tzheu]
[zjia]・ 山[shean]、  嵩[siong]・ 崇[dzhiuəm]、 率[shiuət]・ 遵[tziuən]

(舌音・歯音)[dok]・ 誦[ziong]、 處[thjia]・ 所[shia]    統[thong]・ 総[tzong]
[zjie]・ 此[tsie]    断[duan]・ 絶[dziuat]、  膳[zjian]・ 饌[dzhiuan]
[jiang]・ 痒[ziang]、 傷[sjiang]・ 瘡[tshiang]、 食[djik]・ 飼[ziə]
[duən]・ 村[tsuən]、 順[djiuən]・ 馴[ziuən]

[鼻音・辺音]   命[mieng]・ 令[lieng]、 麦[muək]・ 来[lə]、 勉[mian]・ 励[liat] [mô]・ 老[lu]

[塞音・辺音]  [du]・ 窯[jiô]、    [than]・ 瀬[lat]

[擦音・辺音]  [syak]・ 夜[jyak]、 昔[syak]・ 夜[jyak]、 象[ziang]・ 豫[jia]

   純粋、忍耐、遼遥、伸展、総統、断絶、命令、勉励、耄老、陶窯などは、音義ともに近い同源語を重ねた熟語である。これらの漢字はある時代に、ある地方で同 じ発音で、同じ物をさしていたが、後に違う漢字を当てられるようになった可能性がある。漢字の発生は多元的であり、同じ事象あるいは概念をあらわす漢字が 異なった場所で、異なった書記者によって作られて、同義語になった可能性がある。発音の近い漢字には同源語が多い。日本語のなかにも、中国語と同源語だと 思われることばがある。

影・景(か げ)、翁・公(きみ)、     純・粋(すみ)、    耐・忍(たえる)、
杻・手()、
      統・総(すめる)、 屯・村(たむろ)、断・絶(たえる)、
灘・瀬(なだ)、夜・夕(よる)、 
令・命(みこと)、撞・衝・舂(つく)、

  これらのことばは、日本漢字音が定着する以前の弥生時代、古墳時代に中国語から日本語のなかに入り、弥生音として定着したものである。

もくじ

☆第56話 言語学者カールグレンの卓見

★第57話 声近ければ義近し

☆ 第59話 中国語音(韻母)の変化