第59話 中国語音(韻母)の変化
ことばはゆっくりとではあるが変わる。普通は誰も気がつかないような穏やかな速度で変化する。随唐の時代にあった入声音(-p、-t、-kで終る音)は元の時代に失われて、現代の北京語はない。むしろ、日本漢字音のほうが古い時代の中国語音を継承している。つぎの漢字音は[ ]が古代中国語音を示し、その後に現代の北京音を示す。
例:北 [pək]- bei、赤[thjyak]-chi、
石[zjyak]-shi、 玉[ngiok]-yu、 特[dək]-te、徳[tək]-de、
作[tzak]-zuo、 借[tzyak]-jie、 祝[tjiuk]-zhu、 宿[siuk]-xiu、
鉄[thyet]-tie、 室[sjiet]-shi、 舌[djiat]-she、月[ngiuat]-yue、説[sjiuat]-shuo、
切[tsyet]-qie、七[tsiet]-qi、 屈[khiuət]-qu、脱[thuat]-tuo、
甲[keap]-jia、 狭[heap]-xia、 葉[jiap]-ye、 十[zjiəp]-shi、 合[həp]-he、吸[xiəp]-xi、集[dziəp]-ji
中国の古代音:日本語の弥生音、唐代の中国語音:日本の漢字音、それに現代北京音とを対比してみると、つぎのようになる。
古代中国語音:「弥生音」 唐代中国語音:「日本漢字音」
現代北京音
夜
[jyak] : 「よる」 /jya/ : 「ヤ」
ye
造
[dzuk]
:「つくる」
/dzung/ : 「ゾウ」
zao
漬
[dziek] :「つける」 /dzie/ : 「ジ」・「シ」
zi
嗅
[thjiuk] :「かぐ」
/hiəu/ : 「キュウ」
xiu
墓
[mak]
: 「はか」
/mo/ : 「ボ」
mu
地
[diet]
: 「つち」
/di/ : 「チ」
di
舌
[djiat]
: 「した」 /dziet/ : 「ゼツ」 she
祭
[tziat]
: 「まつり」
/tsiei/
: 「サイ」
ji
擦
[tsheat] :「する」 /tshat/ : 「サツ」
ca
吸
[xiəp] : 「すふ」
/hiəp/ : 「キュウ」 xi
頬
[kyap] :「ほほ」
/kep/ : 「キョウ」
jia
「やまとことば」のなかには古代中国語音の痕跡を留めているものがあることがわかる。入声音ばかりでなく、[-n]、[-m]、[-ng] などの韻尾も変化する。古代中国語音の[-n]、[-m] は現代北京語では(-n)に合流している。
古代中国語音:「弥生音」 唐代中国語音:「日本漢字音」
現代北京音
眠
[myen] :「ねむる」
/mien/ :「ミン」
mian
稔 [njiəm] :「みのる」
/niəm/ :「ネン」
ren
侵
[tziəm] :「せめる」
/tshiəm/ :「シン」
qin
浸
[tsiəm] :「しみる」
/tsiəm/ :「シン」
jin
頸
[kieng] :「くび」
/kieng/ :「ケイ」
jing
茎
[heng] :「くき」
/heng/ :「ケイ」
jing
中
国語音は古代中国語音から唐代音へと変った。一方、借用語を受け入れた日本語のほうも、弥生音から日本漢字音へと変化した。中国語から日本語への借用音
は、中国語原音の変化と、日本語のなかの音韻変化と、両方の影響を受ける。中国語原音は一般に唐代中国語音を基準として考えられているが、弥生時代の借用
音については古代中国語音を基準にしないと、古代日本語の成立過程は解明することができない。
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