第15話 古地名のなかの日本語

 日本の古地名のなかには読み方がむずかしいものがかなりある。相模(さがみ)、信濃(しなの)、安房(あは)などは現在も使われているが、現在普通に使われている漢字と読み方がちがう。本居宣長は『地 名字音転用例』のなかで次のように説明している。

    『続日本紀』の和銅六年五月の詔(みことのり)に「畿内七道諸国郡の名は好字をつけよ」とあ り、『延喜式』には「およそ諸国部内の郡里などの名は、みな 二字を用い必ず嘉名を取れ」などと あり、地名を無理に二字に縮めたために、漢字音をさまざまに転じて用いるようになったのだ。相 模の相(さが)、信濃 の信(しな)などはその例だ。だから、相模、信濃などの文字は後にあてた 当て字である。

 本居宣長の説は今でも国学者の間で受け入れられている。しかし、古地名の読み方には一定の法則
があるように思われる。

   相模(さがみ)、相楽(さがらか)、伊香(いかご)、香美(かがみ)、久良(くらき)、
 愛宕(おたき)、余綾(よろき)、美嚢(みなき)、玉造(たまつくり)、

   相(ソウ・さが)、香(コウ・かご・かが)、良(リョウ・らき)、宕(トウ・たき・たご)、
 綾(リョウ・ろぎ)、嚢(ノウ・なき)、造(ゾウ・つく(り))、

  つまり、現代の漢字音では音便形で表記しているところが、古地名の読み方では規則的に「カ行」または「ガ行」に置き換わっているのである。古代日本語には音便形はなかったから「カ行」あるいは「ガ 行」に転移したのではなかろうか。

 これらの漢字の古代中国語音は白川静の『字通』によれば次のようになる。

  相[siang]、 香[xiang]、 良[liang]、 宕[dang]、 綾[liəng]、 嚢[nang]、 造[dzuk/dziuk]

  これらの漢字に共通していることは韻尾に[-ng]または[-k]の音をもっていることである。「造」の日本漢字音は造「ゾウ」であり、造「つくる」は訓であると考えられている。しかし、中国語音韻史をたどってみると造の古代中国語音は造(ぞく)あるいは造(つく)に 近く、それが隋唐の時代に音便化して造(ゾウ)に変化したもののようである。中国語音韻史はかなり専門的な分野であり、最近特に発展した学問の分野であるが、藤堂 明保編『学研漢和大辞典』(学習研究社)を調べてみると、専門家でなくともその概略がわかる。「造」の古代中国語音は造[dzɔg] であり、それがdzɔg-dzau-
tsau
となり、現代北京音では造(zao)になった、とある。台湾の音韻学者である董同龢の『上古音韵表稿』でも造は造[ts’ ôg] あるいは[dz’ôg] であり、古代中国語音は造(ツクる)に近く、造(ゾウ)はいわば後に音便化したものであるらしい。つまり、日本の古地名である玉造の造(ツクり)は日本漢字音の造(ゾウ)よりも古い中国語音の痕跡を留 めているということになる。

 中国の言語学者である王力は『同源字典』のなかで、次のような対語は同源語であるとしている。

  逆(ギャク)・迎(ゲイ)、読(ドク)・誦(ショウ)、董(トウ)・督(トク)。

 中国語の韻尾[-ng][-k]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。意味が同じで音の近いことばは同源語である可能性が高い。日本漢字音でも同じ声符をもった漢字が交通「こうつう」・比較「ひかく」のように二通りの読み方があるものがいくつかみられる。広大・拡大、暴発・爆発、 容・欲、雙・隻、兢・克などである。また同じ漢字でも音便形とそうでない読み方と両方あるものもみられる。 読書・句読点、祝杯・祝儀、格式・格子、拍手(ハクシュ)・拍子(ヒョウシ)などである。

 日本漢字音は一般に隋唐の時代の中国漢字音に準拠したものであるが、日本の古地名の読み方のなかには隋唐の時代以前の漢字音の読み方に依拠したものが含まれているらしいのである。平安時代の辞書である『和名抄』のなかの地名をみてみると、漢字の読み方が現在の漢字音と違うものがかなり多くあることに気がつく。

  信濃(しなの)、因幡(いなば)、丹波(たには)、讃岐(さぬき)、員弁(いなべ)、
 引佐(いなさ)、印南(いなみ)、信夫(しのぶ)、

 古代日本語には「ン」で終わる音節はなかった。だから、信、因、丹、讃、員、引、印、南など「ン」で終わる音節には母音をつけて読んだのである。古代日本語には[-n][-m]で終わる音節はなかった。また、[-ng]で終わる音節はなかった。

 そのため、中国語原音で[-n][-m][-ng]で終わる音節は韻尾が失われることもあった。 信濃の濃「ノウ・の」、因幡の幡「バン・ば」、員弁の弁「ベン・べ」などである。そのほかには次のような地名があげられる。

○ 中国語の韻尾[-n][-m]が脱落した例:
   安芸(あき)、安宿(あすかべ)、安那(あすな)、隠岐(おき)、信太(した)、
  仁多(にいた)、幡多(はた)、飛騨(ひた)、

○ 中国語の韻尾[-ng]などが脱落した例:
   安房(あは)、香取(かとり)、球珠(くす)、球麻(くま)、久良(くらき)、
  香川(かかは)、巨濃(この)、諏方(すは)、周防(すはう)、周敷(すふ)、能登(のと)、  芳賀(はが)、養父(やぶ)、山香(やまか)、

  このような例は古地名の読み方ばかりでなく、「やまとことば」のなかにも数多くみられる。浜辺(はまべ)の浜(はま)は「ン」に母音を添加したものであ り、辺(べ)は韻尾の「ン」が脱落したものである。これらの漢字音は呉音・漢音以前に日本語のなかに定着したものであり、仮にここでは「弥生音」と呼ぶこ とにする。以下にあげる「やまとことば」は中国語からの借用語である可能性がきわめて高い。

○ 中国語の韻尾[-n][-m]が脱落したもの:
   辺「べ」、津「つ」、田「た」、帆「ほ」、

○ 中国語の韻尾[-n][-m]に母音が添加されたもの:
  甘「あまい」、金「かね」、兼「かねる」、鎌「かま」、簡「かみ」、坩「かめ」、君「きみ」、 絹「きぬ」、困「こまる」、混「こむ」、肝「きも」、沁・ 滲・浸「し みる」、しめる」、
 蝉「せみ」、侵「せめる」、染「そめる」、段・壇「たな」、店「たな」、弾「たま」、
 殿「との」、浜「はま」、嬪「ひめ」、繙「ひも」、文「ふみ」、

○ 中国語の韻尾[-ng]などがカ行または「ガ行」であらわれる例:
  影・景「エイ・ケイ・かげ」、奥「オウ・おく」、燠「おき」、嗅・臭 「キュ ウ・かぐ」、
 筐「キョウ・かご」、茎「ケイ・くき」、光「コウ・かげ」、香 「コウ・かぐ」
山、
 相「ソウ・さが」 模、性「セイ・さが」、咲「ショウ・さく」、清「セイ・すがし」、
 双「ソウ・すご」六、造「ゾ ウ・つくる」、塚「チョウ・つか」、宕「トウ・た
」、
 羊「ヨウ・やぎ」、楊「ヨウ・やぎ・やなぎ」、

古代日本語の「かげ」には、日の当らない所の意味の「影」と「つきかげ」などのように「月の光」をさす「かげ」と二つがある。「影」の古代中国語音は影[yang]あるいは景[kyang]であり、「光」の古代中国語音は光[kuang]である。影「かげ」も光「かげ」もいずれも中国語からの借用語である。

奥「おく」、澳「おき」、燠「おき」はいずれも中国語からの借用語である。燠は灰の奥に火種をたくわえておくものだが、現在では使われなくなってしまってい る。澳は川をさかのぼった陸の奥にも使われ、現在でも川上の地名に残っているところがある。海のかなたの「おき」は現在では沖の文字が使われている。

 「やなぎ」は現在では柳が一般に使われ、楊は川楊に使われている。日本語の「やなぎ」あるいは「やぎ」は中国語の楊の借用である。日本語の「やぎ」は現在では山羊と表記され、羊「ひつじ」とは区別され ているが、語源的には「羊」のほうが「やぎ」の語源であろう。

 無文字社会だった日本に文字がもたらされて、最初に記録した日本語は地名や人名だったのではなかろうか。中国語を表記するための文字である漢字を使って地名をつけ る、ということもあったかもしれない。呉音や漢音といわれる日本漢字音が唐の時代の漢字音に準拠しているのに対して、日本の古地名の漢字音は周の時代の漢字音の痕跡を留めていると考えざるをえないものもみられる。

もくじ

☆第12話 邪馬台国は「やまと」である

★第16話 日本はなぜジャパンなのか

☆第40話 地名はことばの遺跡である

★第42話 北京看板考

☆第44話 美国漢字地名地図

★第46話 ソウル街角ウオチッチング