第40話 地
名はことばの遺跡である 地名は先住民の言語の、あるいは古代の言語の痕跡 を伝える化石である。日本には北海道や東北地方に、アイヌの地名が残っていることが知られている。山田秀三さんという研究家が、『山田秀三著作集――アイ ヌ語地名の研究1~4』という専門的な研究書や、『アイヌの地名を歩く』(北海道新聞社)のようなすぐれたエッセイを書いている。山田さんは元農商務省の 役人で、アイヌの地名と思しき地名を地図のうえに見つけると、その地に立ってみなくてはいられないという人らしい。「北海道から東北地方にかけて、アイヌ 語系の地名が残っている土地を見に行くのが私の楽しみで、ここ四十何年の間、飽きもしないでそれを続けてきた。」と『アイヌ地名を歩く』のまえがきに書い ている。 札 幌はsat-poro(乾 いた大きな)という意味である。本来pet(川) ということばが後ろについてサッ・ポロ・ペッ(乾いた・大きな・川)だったものが、ペッが失われて札幌になったと考えられている。幌別は大きな川であり、 ポロ・ペッ・コタンといえば大きな川の村という意味になる。川はペッだがサハリンでは川はナイである。稚内はワッカ・ナイ(冷たい・川)である。そのナイ が宮城県の保呂内「ホロナイ」、青森県の母衣内「ホロナイ」、までひろがっていて、北海道に多い幌内と同じである。ちなみに、青森県の縄文遺跡、三内丸山 の「サンナイ」も名称はアイヌ語起源である可能性がある。「ナイ」という地名は急流のあるところにある。襟裳岬はエンルム岬である。エンルムはアイヌ語の 岬であり、襟裳岬はアイヌ語の岬に日本語の岬を重ねたバイリンガルである。 ヨーロッパではマンチェスター、ウインチェス ター、ランカスターなどの地名はローマ人の残した地名である。これらの地名はラテン語の野営地(castra) を意味する。ロンドン、パリ、ウイーンはケルト語 起源だといわれている。ベルリン、ライプチヒ、ドレスデンはスラブ系の地名である。 アメリカにはインディアンの地名が残っている。 シカゴ、ミルウオーキー、マサッチュセッツ、ウイスコンシン、ミシガン、イリノイなどはいずれもインディアンの地名に由来する。 日本の古地名のなかにも、日本語の起源に結びつく 痕跡を探すことができるかもしれない。日本の古地名には、呉音や漢音にない読み方をするものが多くある。漢字は読み方が変っても文字は変らないので、古地 名は漢字の古い読み方を留めている。本居宣長に『漢字地名転用例』という著作があって、日本の古地名に用いられている漢字の使い方について述べている。 さて国郡郷の名、かくの如く好字を択び、必ず二字に書くにつきては、字音を借りて書く名は、尋常(よのつね)の仮字の例にては、二字に約(つづ)めがた く、字の本音のままにては、その名に叶へ難きが多き故に、字音をさまざまに転じ用ひて、尋常の仮字の例とは、異なるが多きこと、相模(さがみ)の相(さ が)、信濃(しなの)の信(しな)などの如し。かかるたぐひ皆これ、物々しき字を択びて、必ず二字に約めむために、止む事を得ず如此(かく)さまに音を転 用したる物なり。然るに後の世の人、此の義(こころ)をたどらずして、国郡郷の名どもの、その字音にあたらざることを、疑ふ者多し。殊に漢学者などは、た だ漢籍を見馴れたる心にて、字を本と心得るから、其音に当らざる地名をば、後に訛れるものとして、たとへば相模はもとさうも、 信濃はしんのうなりしをさがみ、しなのと は、後に訛れるなりとやうにさへ思ふめり。これいみしきひがことなり。さ がみ、しなのは、本よりの名なるに、相模、信濃などの字は、後に填(あて)たるものにて、末 なることを弁へざるものなり。(本居宣長『漢字地名転用例』) 続日本紀の和銅六年(713年)五月の詔に
「畿内と七道諸国の郡・郷の名称は、好い字を選んで 漢学者は相模は「そうも」、信濃は「しんのう」 だったものが、後に訛って相模(さがみ)、信濃(しなの)になったと考えた。しかし、本居宣長の説では、相模、信濃はもともと3音節で、「さがみ」、「し なの」であったものを、地名には2字の好字を選ぶようにというご沙汰があったので、後になって相や信の字をあてて相(さが)、信(しな)と読ませるように なったのだということになる。それでは、なぜ相や信の字が「さが」、「しな」を表記する字として選ばれたの だろうか。 相、信の古代中国語音は相[siang]、信[sjien] である。中国の音韻学者である王力によれば古代中 国 語の韻尾[-ng] は[-k] に音が近く、逆[ngyak]・迎[ngyang]、読[dok]・誦[ziong]、陟[tiək]・登[təng]、蕫 [tong]・督[tuk] は同源だという。相の古代中国語音は相[siak] あるいは相[sak]に近く、日本の地名 で相を相(さが)と読むの は、古代中国音を反映していることになる。 また、信を信(しな)と韻尾の-nに母音をつけて読むのは、日本語には本来「ン」 で終わる音節 がなかったので-nの後に母音を添加して信(しな)という日本語の音 節に近づけたのである。信(し な)は日本語に撥音「ン」が導入される以前の、古い読み方を留めているといえる。つまり、信濃 を信濃(しなの)と読む のは、日本語の古い音韻構造を留めているといえる。平安時代の辞書であ る『倭名抄』も古地名の読み方を載せている。
相模(佐加三)、信濃(之奈乃)、因幡(以奈八)、讃岐(佐奴岐)、駿河(須流加)、 これらの古地名はいずれも呉音でも漢音でもな い、古い時代の借用音を留めている。相(ソウ・ さが)、信(シン・しな)、因(イン・いな)、讃(サン・さぬ)はいずれも中国語の韻尾-nに母音 を添加したものである。駿(シュン・ する)、播(ハン・はり)、敦(トン・つる)は中国語の韻 尾[-n]がラ行に転移したものである。ナ行とラ行は調音の 位置が同じであり、転移しやすい。宕(ト ウ・たぎ)の古代中国語音は宕[dang]であり、中国語の韻尾-ngは相では相(さが)になり、宕では 宕(たぎ)あ るいは宕(たご)となってあらわれる。甲(コウ・かは)、揖(ユウ・いひ)の古代 中国語音は甲[keap]、揖[iəp]であり、甲(かひ)、 揖(いひ)は中国語の韻尾をあらわしている。 平安時代には漢字の発音が変わってしまって、 相は相(さが)ではなく相(ソウ)、信は信(し な)ではなく信(シン)と発音されるようになっていたと考えられる。そこで、『倭名抄』は特に 地名の 読み方を取り上げて、地名の読み方は平安時代の漢字音ではないことを示しているのであ る。日本の古地名の読み方は弥生時代、古墳時代の中国語からの古 い 借用音であり、古代の中国語 音を留めているといえる。 日本はかりでなく、朝鮮半島でも、中国にならっ て地名を漢字二字に変えるということは行われた。しかし、日本の古地名の多くは和銅六年以前からすでに二字のものが多く、古代中国語音の痕跡を留めてい る。 古代中国語の韻尾[-ng] に対応する読み方は二つある。 これらの漢字の古代中国語音は相[siang]、宕[dang]、香[xiang]、當[tang]、楊[jiang] 、望[miuang] であり、いずれも中国語の韻尾[-ng] で終っている。中国語の韻尾[-ng]
は[-g] と調音の位置が同じで あり、転移しやすい。日本
漢字音では相(ソウ)、宕(トウ)、香(コウ)、當(トウ)、楊 (ヨウ)、望(ボウ)と読んでいる。 (2)マ行またはバ行で読む 浪、霜、頸の古代中国語音は浪[lang]、霜[shiang]、頸[kieng] である。中国語韻尾の[-ng] は鼻音で あり、調音の方法が[-m] と 同じである。中国の音韻学者、王力によれば、つぎの対語は同源であ る。 鏡[kyang]・ 鑑[keam]、 痛[thong]・ 疼[duəm]、 陵[liəng]・ 隆[liuəm]、 嵩[siong]・ 崇[dzhiuəm] 、 日本の古地名の浪(なみ)、霜(しも)、頸(くび)などの読み方は、訓ではなく、古代中国語 音に基づいた古い時代の漢字音である。 これらの漢字の古代中国語音は駿[tziuən]、敦[tuən]、播[puan]、郡[giuən]、群[giuən] である。中国語韻尾の[-n] は[-l] と調音の位置が同じであり、転移しやすい。日本の 古地名では[-n] がラ行で現れることがある。[-t]、[-n]、[-l] はいず れも調音の位置が同じで、転移しやすい。群馬は現在では群馬(ぐんま)と読み慣わしているが、もとは群馬(くるま)であり、九州の久留米などと同じ 名称であったものと思われる。 古代中国語の入声音[-p、-t、-k]の読み方。 地名は文字にとらわれずに、漢字の音に注目する 必 要がある。諏訪・周防、群馬・久留米、安 房・阿波、駿河・敦賀などは、文字は異なるが、音は近く、関連のある地名である。仙台も川内の 当て字であろ う。仙 台(せんだい)と河内(かわち)は同義である可能性がある。 日本の古地名のなかには、漢字の字義で解釈するよ りも、朝鮮語で解釈したほうが理にかなったものもある。金沢庄三郎は『日韓古地名論考』、「地名の研究」のなかで日韓の古地名について、さまざまな考察を している。「はる」、「はら」とつく地名は新羅語の村である。「こる」、「くら」などは高句麗語の城である。また、李基文の『韓国語の歴史』(p.48)によると「き」は百済語の城であり、「さき」は新 羅語ので城であるという。朝鮮語の村(ぷる)、城(こる・き・さき)、野(つる)、山(むれ)、に関係ある日本の地名をあげれば、つぎのようになる。
村(ぷる):香春(かはる)、橿原、名張(なばり)、大原、柏原、吉原、三
原、榛原(はい
ばら)、尾張、新治(にいばり)、給黎(きひれ)、ソウル(徐伐または徐羅伐)。 城(こる):相楽、足柄(あしがら)、新座(にいくら)、小倉、鎌倉、平群、 城(き):頸城、茨城、結城、高城、坂城、讃岐、佐伯、新羅、臼杵、安芸、
敦賀、佐賀、 城(さき):志木、佐久、滋賀、安来、揖宿、来次、飛鳥、春日、葛飾、大坂、 赤坂、敷 島 防人(さきもり)も城と関係がある。「ももしきの」は大宮にかかる枕詞であるが、 「百城」であろう。 都留(つる):山梨県の都留、福井県の敦賀、京都府の舞鶴、大阪の鶴橋、横浜の
鶴見 牟礼(むれ):辟支山(へきのむれ)、沙山(さのむれ)、居曾山(こそのむ
れ)、
御吉野の 小牟漏(をむろ)が嶽に 猪鹿(しし)伏すと 誰ぞ 大前に申す 地名の読み方は時代とともに変ることがある。日光 は二荒(ふたら)山神社の二荒を音読して日光(ニッコウ)としたものである。比叡は日枝になり、さらに日吉になる。神戸の六甲山はもともとは武庫(むこ) 山だったものを六甲(ロッコウ)としたものである。武庫はさらに、その意味をとって兵庫となる。武庫という地名は古く、万葉集にも武庫の海、武庫の浦、六 児乃泊、武庫能和多里などと詠まれている。 住吉(すみのえ)の 得名津(えなつ)に立ちて 見渡せば
武
庫(むこ)の泊(とまり)ゆ 高知県の足摺岬は万葉集に佐田の浦とある所であ る。佐田の浦は蹉跎とも書く。「蹉跎」は「つまづく」の意があり、これをとって足摺岬としたものである。 おきつ波 邊(へ)波の來寄る 左太の浦の このさだ過ぎて 後戀ひむかも(万2732) 地名の表記のしかたは時代とともに変わる。鹿児 島県の「揖宿」は、読みやすい字を選んで「指宿」に変えてしまった。そのほかにも永田町(長門町)、世田谷(勢多)、日本橋(二本橋)、日暮里(新堀)、 鬼怒川(毛野川)前橋(厩橋)などがある。東京駅の八重洲口はオランダ人ヤン・ヨーステンの屋敷があったことからこの名がついた。この事実を知らなければ 八重洲は日本語だと思っても不思議はない。 地名は古い時代の日本語にたどりつく手がかりを与 えてくれることばの遺跡である。日本の古地名には古い中国語音の痕跡や朝鮮語の語彙が残されている。やまとことばは日本列島のなかで孤立して生れたもので はなく、中国大陸、朝鮮半島、日本列島という東アジアのトライイアングルのなかで形成されたものである。その証を古地名は留めている。しかし、地名や人名 は体系をなしていないから、その意味がわからなくなってしまうことも多い。 |
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★第46話 ソウル街角ウオッチング |