第8話 万葉集に「やまとことば」の源流を探る                                              

  万葉集の時代にはカナ文字はなかったから、漢字だけで書かれている。万葉集の本文は漢文で書かれているので、中国人が読んでも理解できたはずである。歌は 漢字で書かれているが「やまとことば」を漢字で表記したものである。万葉集の時代には文字をあつかう専門集団である史(ふひと)は朝鮮半島から渡来した人 びとやその子孫であったから、万葉集の漢字の使い方は、吏読や誓記体、郷札など漢字を用いて朝鮮語を表記する方法を継承している。

日本列島における文字時代のはじまりは4世紀末から5世紀にかけてと考えられているが、日本が本格的な文字時代になるのは8世紀のことである。8世紀には古 事記、日本書紀、懐風藻、万葉集などが次々に成立する。このうち、日本書紀、懐風藻は漢文で書かれているが、古事記と万葉集は初期の「やまとことば」を記 録した、まとまった文献としては第一級のものである。万葉集が成立したのは8世紀であるが、5世紀から伝えられた歌もある。万葉集は弥生時代の日本語や古 墳時代の日本語の痕跡さえ留めている。

万葉集は中国渡来の漢字を使って、朝鮮半島渡来の史(ふひと)の手によって成立したものである。現在では、幸いなことに、万葉集は韓国語の完訳があるし、中 国語にも主要な部分が翻訳されている。これらの翻訳は万葉集の時代にできたものではないが、漢字だけで書かれた原文の万葉歌を中国語訳、韓国語訳と対比す ることによって、万葉集のなかの中国的要素、朝鮮語との関連を、中国、朝鮮半島、日本という古代文化のトライアングルのなかに位置づけてみることができ る。

 エジプトのヒエログリフがロゼッタストーンを手がかりに解読されたことはよく知られている。ロゼッタストーンには神聖文字(ヒエログリフ)のほかに通俗文字、ギリシャ 語の3ヶ国語が併記されており、それを手がかりに解読された。万葉集を中国語、朝鮮語との関連のなかで位置づけることによって「やまとことば」とは何かを 問いなおす手がかりとなることが期待される。

 例えば、柿本人麻呂の歌「淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしぬに いにしへ思ほゆ」(万266)を万葉集の原文と中国語訳、韓国語訳を対比してみるとつぎのようになる。

[原 文] 淡海之海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思怒爾 古所念

[中国語訳] 淡海之湄、夕波千鳥、汝也嘒嘒、使我心槁、為思古老。(その1)
      淡海海上、夕波千鳥、你的啼声、沁透我心、忄不*思古老。(その2)*忄不=忄+不

[朝鮮語訳]  淡海湖水(ho su) ui  (jeo nyeok) (mul gyeol) eul
     飛
(nal eu) neun  川千鳥(mul ttye sae) yeo   (ne) ga  鳴(ul myeon)
     心
(ma eum) do  kop a jyeo  (yet il) i  (saeng gak) na  ne

万葉集には朝鮮語との同源語や中国語からの借用語が多く使われている。日本語も朝鮮語も、語彙は中国語からの借用語が多い。「海」は声符が「毎」であり、日 本語の海(うみ)は中国語からの古い借用語であろう。「浪」は現在では波と書いているが、ラ行の音はナ行に転移することが多いから、日本語の波(なみ)は 中国語の浪が語源であろう。「汝」の古代中国語音は汝[njia]であり、これも中国風の呼び方であろう。朝鮮語訳でも汝は汝(ne)であり、当時「汝」は中国、朝鮮、日本で共通に使われていたことばである可能性がある。鳴「なく」の古代中国語音は鳴[mieng]であるが、これも中国語音の転移したものである可能性が高い。また、朝鮮語の鳥は鳥saeである。カラス、カケス、モズなどの「ス」は朝鮮語の鳥と共通の語源をもつことばであろう。

万葉歌人のなかには『懐風藻』に漢詩を残している人も多い。大津皇子、文武天皇、大伴旅人、長屋王、などである。山上憶良も万葉集のなかに漢詩を残している。当時の貴族社会の人びとや僧侶は日本語と中国 語に通じていたことがわかる。大津皇子は万葉集に「ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」(万416)という有名な歌を残しているが、懐風藻にも同じ主題を詠んだ漢詩が残されている。

五言 臨終 一絶                   臨終
    金烏臨
西舎                                  金烏(きんう)西舎(せいしゃ)に臨み
   鼓声催
短命                                  鼓声(こせい)短命を催(うなが)す
  泉路無
賓主                                  泉路(せんろ)賓主なし
  此夕誰家向
                                この夕 誰が家にか向ふ

歌も漢詩もいずれも臨終の作である。万葉集の歌では日本の歌の伝統に従って、季節の微妙な移り変わりに心を動かし、美しい自然を愛惜する心情と、死にたいす る自分の思いを重ね合わせている。言語表現のうえでも、万葉集の歌は「ももづたう」という枕詞にはじまり、「雲隠りなむ」という隠喩で終わっていて、事物 を直接的に表現せずに余韻を重んずる「やまとことば」の伝統をふまえている。歌は「毎年北方から飛来する無心の鴨が何かを予知したかのごとく鳴いている。 鴨は来年もまたやって来るであろう。しかし、私は今日を限りにこの鴨を見ることがなくなるであろう」という感慨がこめられている。

これにたいして、漢詩では当時宮廷を中心に広がりつつあった、仏教の思想が色濃く映し出されていて、「西舎」「泉路」など仏教の概念が織り込まれている。 「日は西方浄土に傾き、うち鳴らす太鼓の音は、はかない命のリズムを刻む。黄泉の路には賓(まろうど)も主(あるじ)もない、この夕べどこに宿を求めれば よいのやら。ひとりわが家に別れを告げるのみ」と解釈できる。漢詩は歌より観念的で、かつ明示的である。

万葉歌は中国語に翻訳しても漢詩になりえないし、漢詩はそのまま日本語にしても万葉の歌にはなりえない。漢詩は脚韻こそ踏んでいないものの、大津皇子が日本 語と中国語を使いこなす、バイリンガルであったばかりでなく、日本文化の伝統と中国や仏教思想に深いかかわりをもっていたことを、うかがわせるに十分である。

もくじ

☆第21話 万葉人の言語生活

★第22話 柿本猨とは誰か

☆第26話 万葉集は誰が書いたか

★第27話 万葉集は中国語で書かれているか

☆第28話 対訳万葉集

★第29話 文字文化の担い手・史(ふひと)

☆第30話 万葉集のなかの外来語

★第31話 万葉集の成立を考える