第241話・
日本書紀は誰が書いたか
『古
事記』『日本書紀』は漢字を使って漢文で書かれている。『古事記』の漢文には倭習があるという。日本語には「て、に、を、は」などの助詞があり、中国語で
は助詞はほとんど使われない。中国語は日本語と語順が違いう。日本語は「主語+目的語+動詞」だが中国語では「主語+動詞+目的語」となる。日本語には用
言(動詞や形容詞、形容動詞)に活用があるが、中国語には活用がない。漢字だけを使って日本語として読みやすい文章にするためには語順を日本語の語順にし
たり、日本語の助詞「は」に「者」という字を書き加えたりする。それが和習である。
それに対して
『日本書紀』は正体漢文で書かれていると一般にいわれている。しかし、専門家の間では『日本書紀』にも巻によって和習のある巻と、和習のない巻があると指
摘されている。中国語学者の森博達は『古代の音韻と日本書紀の成立』を書いて、『日本書紀』のなかには中国語の音韻体系をもった人によって書かれて巻と日
本語の音韻体系をもった人によって書かれた部分があると主張している。
『日本書紀』は全20巻あるが、それをα群とβ
群に分けて、α群は中国人によって書かれ、β群は日本人によって書かれている、としている。日本書紀には128首の歌謡が収録されているが、その用字を分
析した結果各巻をα群とβ群に分けている。
α群:巻14~巻19、巻24~巻27
β群:巻1~巻13、巻22~巻23、
森博達はα群は中国語原音に依拠して、中国人によって書かれたとしている。その根拠ととして次のように述べている。少し専門的になるが列挙してみるとつぎ
のようになる。
1.α群では日本語のカ行「カ」「コ甲」「コ乙」
の音をあらわすのに、中国語の牙音字[ng-] のみが
用いられ、喉音字[x-][h-] は一切用いられていない。
2.α群では日本語のサ行、タ行、ハ行の音をあらわすのに、次清音、清[ts]・透[th]・滂[ph]、はほと んど用いられていない。
3.α群では日本語のア列の音をあらわすのに歌韻[kai] の漢字が用いられ、麻韻[mea] の漢字はほと
んど使われていない。歌韻[kai]
は
中国語音韻学では一等音と呼ばれ奥舌音であるのにたいして、 麻韻[mea] は二等音と呼ばれ前舌音である。
4.α群ではエ列甲類には斉韻[ei] と祭韻[iei]、エ列乙類には咍韻[əi] と灰韻[uəi] のみが用いられてい
る。
5.α群では韻尾[-n] の文字はほとんど使われていない。ただし[-ng] はα群、β群ともに使われてい
る。
などである。森博達の分析は精緻を極めている。森
博達は「私は、α群の仮名は、原則としてすべて、直接漢字原音(当時の北方音)によって表記されており、日本的漢字音によっていないとの立場に立ってい
る。」(p.82)
と述べており、また「α群の表記者は当時の北方音に全面的に依拠し、漢字の中国原音によって日本語を音訳したのであるが、その表記者は果たして日本語を母
語
とする者なのだろうか。それとも中国語を母語とする者だろうか。仮に母語の相違を民族の相違と看なして言い換えれば、日本人か中国人かという問題になる。
私は、α群の歌謡の仮名の表記者は、中国語を母語とする者、つまり中国人であったと考える。」としている。
つまり、『日本書紀』は中国人によって書かれたα
群と、日本人によって書かれたβ群があるということになる。そこで、日本書紀歌謡128首に使われている漢字450字種、延べ5400字あまりについてα
群とβ群での使用を一覧にしてみると次のようになる。
記紀歌謡の漢字(β/α)は左がβ群(日本人書記)、右がα群(中
国人書記)
[ア行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
ア
|
婀[ai]8、
|
阿[ai]117 (71/46)、
|
|
イ
|
|
伊[iei]82 (48/34)、以[jiə]14 (6/8)、
|
異[jiəi]18、易[jiek] 2,
|
ウ
|
禹[hiua]3、
紆[iua]4、
|
于[hiua]42(32/10)、
宇[hiua]18
(13/5)、
|
汙[iua]1、
|
エ
|
|
愛[əi] 2 (1/1)、
|
|
オ
|
|
於[ia]53 (29/24)、飫[iô]19 (4/15)、
|
乙[eat]1 、
憶[ iək] 1、淤[ia]1、
|
[カ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
カ
|
柯[kai]42、
哿[kai]18
、
舸[kai]12、
歌[kai]2
、
可[khai]1、
|
伽[ka]41 (40/1)、箇[kai]38 (30/8)、
|
介[keai]27、
訶[xai]13
,
軻[khai]2、加[keai]1,河[hai]1、
|
ガ
|
峨[ngai]1 、
|
餓[ngai]63、我[ngai]40 、
鵞[ngai]3 、
|
|
キ(甲)
|
棄[khiei]1、
祁[giei]1、
|
岐[gie]24(9/15)、
企[gie]22
(16/6)、
枳[gie]91(41/50) 、祇[gie]3 (2/1)、
|
耆[giei]15、吉[kiet]1,
|
ギ(甲)
|
蟻[ngiai]3 、
枳[gie]1 、
|
|
藝[ngei]13、
山耆*[giei]1
|
キ(乙)
|
基[kiə] 4 、
己[kiei]1、
|
紀[kiə] 14 (9/5)、
|
氣[khiəi] 2、幾[kiəi]1,
機[kiəi]1、
|
ギ(乙)
|
|
擬[ngiə]9 (1/8)、疑[ngiə]4 (3/1)、
|
|
ク
|
矩[kiu]28 、
屨[kiu]2、
|
倶[kio]52 (7/45)、
|
區[kho]42 、
勾[kəu]14、
句[ko]11、玖
[kiuə] 6、
久[kiuə] 2 、絇[giu]1,
|
グ
|
虞[ngiua]4、
娯[ngiua]2、
|
遇[ngio]8 (7/1)、
|
具[gio]2、愚[ngio]2 、
|
ケ(甲)
|
稽[kei]4 、
啓[khyei]1 、
|
鶏[kei]18 (16/2)、
|
祁[giei]2、雞[kei]1 、
計[kiei]1、家[kea]1、
|
ゲ(甲)
|
|
|
|
ケ(乙)
|
該[kəi] 7 、
凱[khiəi] 1、
愷[khiəi] 1、
|
開[khei]9 (4/5)、
|
氣[khiəi]4、戒[kəi] 1 ,
慨[khəi] 1、階[kei]1,
禾既*[kəi] 1、
|
ゲ(乙)
|
皚[khiəi] 4、
㝵[ngəi]2 、
|
礙[ngəi]3 (2/1)、
|
|
コ(甲)
|
|
古[ka]37 (15/22)、故[ka]6 (3/3)、
固[ka]6
(5/1)、
姑[ka]5
(2/3)、
|
胡[ha]3 、顧[ka]1 、
|
ゴ(甲)
|
吾[nga]2、
悟[nga]1、
|
|
娯[ngiua]6、
呉[nga]1、
|
コ(乙)
|
擧[kia]14、
渠[gia]4 、
|
居[kia]7
(5/2)、據[gia]6
(3/3)、
莒[kia]3
(0/3)、
|
虚[khia]34 、
許[xa]16 、
去[khia]4、
|
ゴ(乙)
|
御[ngia]3、
渠[gia]1、
|
|
語[ngia]3 、
馭[ngia]1、
|
[サ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
サ
|
|
佐[tzai]59 (48/11)、
娑[sai]10
(1/9)、
作[tzak]2
(1/1)、
左[tzai]5
(1/4)、
|
瑳[tsai]13、舎[sjya]3、
沙[sheai]1 、
差[tsheai]1,
磋[tshai]1、
|
ザ
|
蔵[dzang]1、
|
|
奘[dzang]3 、
装[tzhiang]3、
|
シ
|
矢[sjiei]8、
絁[sjiai]8、
思[siə] 4、
伺[siə] 3、
旨[sjiei]3、
詩[sjiə] 1、
司[siei]1 、
指[sjiei]1 、
施[sjiai]1、
尸[sjiei]1 、
洎[sjiei]1、
|
之[sjiə] 71 (41/30)、
志[sjiə]52 (27/25)、
斯[sie]25 (4/21)、
始[sjiə] 18 (8/10)、
|
辭[ziə]48 、嗣[ziə]5 、
資[tziei]3 、時[zjiə] 1 、
芝[sjiə]1 、試[sjiəi]1、
|
ジ
|
耳[njiə] 1、
児[njie]1 、
貮[njiei]1、
|
珥[njiə] 5 (1/4)、
|
士[dzhiə] 2、餌[njiə]1、
|
ス
|
須[sio]49 、
|
|
輸[sjio]13、素[sa]4、
殊[tjio]4、周[sjiu]3 、
主[tjio]1、秀[siu]1、
酒[tziu]1 、
|
ズ
|
|
儒[njio]17(11/6)、
孺[njio]12
(7/5)、
|
受[zjiu]2 、
|
セ
|
制[tjiai]8、
世[sjiai]5、
細[syei]3、
栖[siei]3、
|
西[syei]5 (1/4)、
|
勢[shiei]11、
斎[tsyei]9 、
劑[dzyei]1、
|
ゼ
|
噬[dziei]1 、
|
|
筮[dziei]1 、
|
ソ(甲)
|
泝[so]1、
|
蘇[sa]8 (5/3)、素[sa]5 (4/1)、
|
|
ソ(乙)
|
所[shia]1、
|
曾[tzəng] 29 (18/11)、
贈[dzəng] 3 (2/1)、
|
層[dzəng]4、諸[sjia]2 、
賊[dzək]1、
|
ゾ(乙)
|
茹[njia]2、
|
|
鋤[dzhia]1、序[zia]1 、
鐏[dzuən]1 、叙[zia]1 、
|
[タ行]
|
α群
|
α/β
|
β群
|
タ
|
|
多[tai]104 (89/15)、
陁[dai]38 (3/35)、
柂[dai]29(5/24)、
駄[dai]8
(1/7)、
|
哆[tai]14、黨[tang]1、
|
ダ
|
多[tai]4、柂[dai]2、
嚢[nang]1 、
|
娜[nai]13 (7/6)、陁[dai]3 (1/2)、
|
亻嚢*[nang]14、
太[thai]2、駄[dai]1、
|
チ
|
扌致*[tiei]2、
遅[diei]1、
|
智[tie]31(27/4)、
知[tie]24 (22/2)、
致[tiei]9 (2/7)、
|
池[die]2、笞[thiei]1、
|
ヂ
|
𧸐[njiei]2、
|
|
泥[nyei]3、旎[nyei]3、
|
ツ
|
覩[ta]1 、豆[do]1、
逗[do]1、
|
都[ta]50 (16/34)、
|
菟[tho]54、屠[da]1、
途[da]1、
|
ヅ
|
逗[do]6、都[ta]1、
|
豆[do]28(21/7)、
|
頭[do]2、弩[na]1 、
莵[tho]1、
|
テ
|
底[tyei]27、堤[tye]4,
諦[dyəi]1,題[dye]1,
|
氐[tyei]22 (19/3)、
提[dye]2
(1/1)、
|
弖[tyei]11、帝[tyəi]1、
|
デ
|
提[tye]5、底[tyei]1、
堤[tye]1、
|
涅[nyet]8 (6/2)、泥[nyei]7(1/6)、
|
弟[dyei]1 、
|
ト(甲)
|
圖[da]3 、渡[da]3、
都[ta]1、
|
度[dak]5 (1/4)、斗[təu]5 (4/1)、
|
妬[ta]4、刀[tô]2 、
徒[da]2、杜[da]2、
|
ド(甲)
|
怒[na]2、
|
|
奴[na]2、
|
ト(乙)
|
騰[dəng] 27、
縢[dəng] 2、
藤[dəng] 1、
|
等[təng] 72 (58/14)、
登[təng] 15 (2/13)、
|
苔[də]35、鄧[dəng]4、
|
ド(乙)
|
騰[dəng] 4、
苔[də]1,
|
|
廼[nə]6 、耐[nə]6 、
|
[ナ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
ナ
|
乃[nə] 1、娜[nai]1 、
|
那[nai]70 (46/24)、
儺[na]47 (22/25)、
奈[nai]21 (19/2)、
|
|
ニ
|
儞[njiei]50 、
尼[niei]4、
|
爾[njiai]29 (10/19)、
|
珥[njiə]81、邇[njiei]4、
而[njiə]4 、貮[njiei]2、
|
ヌ
|
|
農[nuəm] 10 (3/7)、
奴[na]3 (2/1)、
|
怒[na]3 、濃[niuəm]2 、
|
ネ
|
涅[nyet]1、
|
泥[nyei]18 (16/2)、
禰[myei]15
(11/4)、
|
埿[nyei]2、尼[niei]1 、
|
ノ(甲)
|
奴[na]4 、弩[na]2 、
努[na]1、
|
|
怒[na]4 、
|
ノ(乙)
|
|
能[nə] 257 (139/118)、
|
廼[nə]12、
|
[ハ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
ハ
|
簸[puai]8、
皤[buai]4、
|
波[puai]80 (63/17)、
播[puai]49 (14/35),
婆[buai]14 (1/13)、
幡[phiuan]3
(1/2)、
|
破[phuai]53、
泮[phuan]2、
絆[puan]1 、
|
バ
|
魔[mua]5、
播[puai]2、
婆[buai]1、
波[puai]1、
|
麼[mo]36 (26/10)、磨[muai]8 (4/4)、
|
縻[mua]1、
|
ヒ(甲)
|
必[piet]1 、
|
比[piei]62 (38/24)、
譬[phiei]10 (9/1)、
毘[phiei]8(4/4)、避[bie]5 (3/2)、
|
臂[piei]17、卑[pie]1、
|
ビ(甲)
|
彌[miai]1 、
|
寐[muəi] 11 (4/7)、弭[mie]8(6/2)、
|
比[piei]2、
|
ヒ(乙)
|
彼[piai]2 、
悲[piəi] 1 、
|
|
被[biai]2 、
|
ビ(乙)
|
|
|
備[buə]2、媚[miuei]1 、
|
フ
|
賦[piua]11、
符[biu]8、
布[pa]6、
甫[piua]5、
|
輔[biua]10(6/4)、
府[pio]3
(1/2)、
|
赴[phio]14
、
敷[phiua]3、
|
ブ
|
父[biua]1、
符[biu]1、
|
|
夫[piua]2 、歩[ba]2、
鶩[miu]1、
|
ヘ(甲)
|
鞞[pie]4、
|
陛[bei]16 (1/15)、弊[biai]4 (3/1)、
|
幣[biai]10、覇[pea]3、
|
ベ(甲)
|
謎[myei]1 、
|
|
|
ヘ(乙)
|
杯[puəi] 3、
|
陪[buə] 11 (5/6)、倍[buə] 9 (4/5)、
|
沛[--]1 、珮[buə]1、
|
ベ(乙)
|
|
|
陪[buə]6 、倍[buə]3、
|
ホ
|
譜[pha]2 、
|
裒[bu]21 (1/20)、朋[bəng] 20 (19/1)、
保[pu]10 (8/2)、報[pu]2 (1/1)、
|
倍[buə]5 、褒[pau]1 、
陪[buə]1、
費[phiuəi]1、
|
ボ
|
裒[bu]1、
|
朋[bəng] 8 (5/3)、
|
煩[biuan]1 、
|
[マ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
マ
|
麼[mo]12 、
馬[mea]1、
|
摩[muai]72 (62/10)、
麻[mea]39 (6/33)、
磨[muai]35 (16/19)、
莽[mang]28 (27/1)、
魔[mua]10
(2/8)、
|
末[muat]3、
|
ミ(甲)
|
美[miei]9、
寐[muəi]1 、
|
瀰[miai]109(78/31)、
彌[miai]42
(24/18)、
|
弭[mie]1 、湄[miei]1 、
|
ミ(乙)
|
|
微[miuəi]4 (1/3)、
|
未[miuəi]6、
|
ム
|
武[miua]25 、
夢[miuəng] 3、
|
務[miu]21 (20/1)、牟[miu]10 (9/1)、
|
霧[miu]2、
|
メ(甲)
|
|
謎[myei]11 (6/5)、
|
賣[mai]3 、綿[mian]3、
咩[--]2 、
|
メ(乙)
|
毎[muə] 7、
|
梅[muə]29 (21/8)、
|
妹[muəi]2、迷[myei]1、
昧[muəi]1 、
|
モ
|
謀[miuə] 16、
謨[ma]8 、
模[ma]2 、
|
母[mə] 37 (5/32)、
慕[mo]13
(2/11)、
暮[ma]9
(3/6)、
|
茂[mu]49、毛[mô]28、
望[miuang]15、
莽[mang]2、墓[ma]1、
|
[ヤ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
ヤ
|
耶[jya]15 、
|
夜[jya]45 (40/5)、
野[jya]29 (1/28)、
|
椰[jya]31 、揶[jya]13、
|
ユ
|
庾[jio]4 、瑜[jio]1 、
愈[jio]1、
|
喩[jio]23 (10/13)、
|
由[jiu]13、
|
イエ
|
|
曳[jiai]25 (9/16)、
|
延[jian]1、
|
ヨ(甲)
|
遥[jiô]1、
|
用[jiong]6 (5/1)、
庸[jiong]2
(1/1),
|
|
ヨ(乙)
|
與[jia]7 、預[jia]3,
|
余 [jia]9 (4/5)、
|
豫[jia]29 、誉[jia]5、
|
[ラ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
ラ
|
囉[lai]6 、楽[lôk]1、
攞[lai]1 、
|
羅[lai]99 (54/45)、
|
邏[lai]18 、
|
リ
|
唎[liei]9 、釐[liei]1、
里[liə] 1、
|
利[liei]72 (60/12)、
梨[liei]10
(1/9)、
理[liə] 8 (2/6)、
|
離[liai]7 、
|
ル
|
樓[lo]5 、
|
屢[lo]38 (17/21)、
流[liu]15
(12/3)、留[liu]5 (4/1)、
|
蘆[lia]8 、瑠[liu]1 、
漏[lo]1 、廬[lia]1 、
|
レ
|
黎[lyei]5、
|
例[liei]52 (33/19)、
礼[lyei]8
(7/1)、
|
戻[lyei]1、
|
ロ(甲)
|
盧[lia]2、魯[la]2 、樓[lo]1 、
|
|
漏[lo]2 、露[la]1、
|
ロ(乙)
|
廬[lia]2 、稜[ləng] 1,
|
慮[lia]7 (1/6)、
|
呂[lia]22 、
|
[ワ行]
|
α群
|
β/α
|
β群
|
ワ
|
倭[iuai]22、
|
和[huai]51 (48/3)、
|
涴[uan]2、
|
ヲ
|
威[iuəi] 3 、偉[hiuəi] 2,
為[hiuai]1、
|
謂[hiuəi] 3 (1/2)、
|
委[iuai]2、韋[hiuəi]1、
位[hiuəi]1、
|
ヱ
|
衞[hiuai]5 、
|
|
恵[hyuei]5、
慧[hyuəi]1、 廻[huəi]1、
隈[huəi]1、
|
ヲ
|
嗚[a]37 、
乎[ha]5、
|
烏[a]48 (41/7)、
弘[huəng]5(2/3)、
|
惋[uan]1 、
|
α群での漢字の使い方とβ群での漢字の使い方に有意な相違があることは、森博達も指摘する通りである。
しかし、中国人は日本語のカ行に喉音[x][h]の漢字をあてることがないというのは本当だろうか。「ヴァイオリン」とかくのはアメリカ人であって、「バイオリン」と書いてあったら日本人だ、というようなことが、はたしていえるのだろうか。
西洋から新しい語彙が入ってきた明治時代に、日本人はpuddingのことを「プリン」といい、「American粉」のことを「メリケン粉」といった。「プリン」とはpuddingのことであり、「メリケン粉」とは「American粉」のことであるということを共通の認識としていたから、バイリンガル社会でお互いに理解がかのうだったのではなかろうか。
中国語には日本語にはない音がいくつも使われている。中国語の音韻体系をふまえた漢字を使う以上、日本人であろうと、中国人であろうと、中国語を書き表すために作られた
文字である漢字を、日本語の音韻体系に合わせて、転移した音韻体系で使わざるを得なかったのではなかろうか。
例えば、上の表でみても、于[hiua]、宇[hiua]、和[huai] 、謂[hiuət] 、弘[huəng]の頭音はいずれも日本語にはない喉音であるが、α群でもベータ群でも日本語の于(う)、宇(う)、和(わ)、謂(ゐ)、弘(を)を表記するために使われている。また、少数ではあるが韻尾に[-n][-m][-ng]、[-t][-k]をもった文字もα群、β群を問わず、使われている。
&
nbsp; このなかで閉音節(子音で終わる)の文字が使われている例を調べてみると次のようになる。
α群
|
β/α
|
β群
|
ザ・蔵[dzang]1
ダ・嚢[nang]1
ト乙・騰[dəng]27、
ト乙・縢[dəng]2、
ト乙・藤[dəng]1
ド乙・騰[dəng]4
ネ・涅[nyet]1
ヒ甲・必[piet]1
ム・夢[miuəng]3
ラ・楽[lôk]1
ロ乙・稜[ləng]1
|
サ・作[tzak]2(1/1)
ソ乙・曾[tzəng]29(18/11)
ソ乙・贈[dzəng]3(2/1)
デ・涅[nyet]8(6/2)
ト甲・度[dak]5(1/4)
ト乙・等[təng]72(58/14)
ト乙・登[təng]15(2/13)
ヌ・農[nuəm]10(3/7)
ハ・幡[phiuan]3(1/2)
ホ・朋[bəng]20(19/1)
マ・莽[mang]28(27/i)
ヨ甲・用[jiong]6(5/1)、
ヨ甲・庸[jiong]2(1/1)
ヲ・弘[huəng]5(2/3)
|
イ・易[jiek]2
オ・乙[eat]1、憶[iək]1
キ甲・吉[kiet]1
ザ・奘[dzang]3、
装[tzhiang]3
ソ乙・賊[dzək]1
ゾ乙・鐏[dzuən]1
タ・黨[tang]1
ダ・亻嚢*[nang]14
ト乙・鄧[dəng]4
ヌ・濃[niuəm]2
ボ・煩[biuan]1
マ・末[muat]3
モ・望[miuang]15、 莽[mang]2
ワ・涴[uan]2
|
α群は中国語原音に依拠しているというが、α群でも韻尾に[-ng]
などのつく閉音節文字は多く使われていることがわかる。中国語を表記するために発明された文字を使って、外国語である日本語を表記しようとすると、1対1
で対応する文字を探し出すことは母語が中国語である人にとっても、母語が日本語である人にとっても困難なことであったに違いない。
&
nbsp; 日本書紀が成立した8世紀初頭の日本において、文字を使うことができたのは史(ふひと)と呼ばれる人たちであった。史は朝鮮半島出身者が多く、その多くは中国系の人びとだった。
日本書紀によると欽明天皇14年(553年)に史の王辰爾に船連(ふねのむらじ)の姓を賜ったとある。また、『懐風藻』の序文には、王仁が応神天皇の御代に啓蒙をはじめ、敏達天皇の御代に儒教の学風を広めた、とある。
日本書紀成立の150年以上前のことである。史も二世、三世になるとバイリンガルだったに違いない。なかには自分を日本人だと規定していた人もいたに違
いない。そのような言語環境のなかで、α群は中国人によって書かれ、β群は日本人によって書かれたとすることに、どれほどの意味があるのだろうか。
事実はα群の『日本書紀』もβ群の『日本書紀』も、当時の読書階級の人びとにとって、いずれも理解可能であったということなのではなかろうか。司馬遼太郎は『空海の風景』のなかで次のように述べてい
る。
『日本書紀』によると、その時代(応神天皇の時代)に弓月君(ゆづきのきみ)という
人物が百二十県の民をひきつれ て大挙渡来したという。この集団はのちに秦氏(はた
うじ)の部族になる。秦氏という古代の渡来者の家系のおもしろさは、朝鮮半島の百済
からやって来ながら、みずから秦の始皇帝の子孫だと称していることであった。阿知使
主(あちのおみ)という人物もやって来た。『日本書紀』の中のこの人物も応神天皇のと
きに十七県の党類をひきいて渡来したが、かれも朝鮮半島からやってきたにもかかわら
ず、その家系伝説としては、後漢の霊帝の子孫だということになっている。、、、
「われわれの氏族の祖は、朝鮮半島の土着民ではない。漢民族である。」それだけ文明に濃厚
な関係をもつ家だ、ということを誇らねばならぬ理由が当時の世間にあったのであろう。そ
れにしても、皇帝の子孫だというのは、法螺が過ぎるかもしれない。
もっとも、皇帝の子孫というのはともかく、漢民族であるというのは、傍証的にいえばべつに
おかしくない。
応神天皇は、恐らく実在した最初の天皇であろうとされる一方、それがいつの時代であったかについては定説がない。しかし、4世紀の後半であろうというのが一般的な見方である。だとすれば、日本書紀が成
立する300年以上前のことということになる。
日
本書紀は誰が書いたか、といえば、こうした人々の子孫だったのではなかったのではないだろうか。こうした人々の祖先は中国人であったかもしれない。『新撰
姓氏録』でいう「諸蕃」の人びとである。しかし、日本書紀が成立した8世紀になっても中国人であったかといえば、日本人であったというべきではなかろう
か。
|