第239話
漢字は表音文字である
漢
字はしばしば象形文字だといわれる。確かに「木」「林」「森」などはその形を写している。「日」「目」「月」なども象(かたち)をうつしたものだといえ
る。しかし、
「文字」は「ことば(声)」を写すものであり、形のないものも写さなければならない。
多くの漢字には音
符あるいは声符といわれるものがあり、音(声)を写している。例えば「同」の日本漢字音は同(どう)であり、「おなじ」という意味である。同じ音符をもっ
た漢字に銅、胴、洞、桐、筒、な
どがあり、それぞれ銅(金属)、胴(からだ)、洞(ほらあな)、桐(木)、筒(竹のつつ)、をあらわす。
漢字の80%は音符をもっているので、その読み方をおよそ知ることができる。現代の漢字は表音文字であるともいえるのである。
ところが、同じ声符をもった漢字も、読み方がい
く通りもある場合がみられる。例えば、夜(ヤ)と液(エキ)は同じ「夜」の部分を共有しながら読み方が違う。これらの漢字ができた時は同じ読み方をしたに
違
いない。「夜」には液と同じく夜[jyak] という読み方をした時代があり、「液」は韻尾[-k]を保つことができたが「夜」は韻尾[-k] が脱落して夜[jya] になったと考えることができる。液[jyak] の方が古い音であり、夜[jya] の方が新しい。
このように考えると漢字は、読み方が時代によって変化しても文字の形が変わらないから、古代の音を推論することができる。日本漢字音の夜(ヤ)は中国語
の韻尾[-k]
が脱落した唐代の中国語音に依拠したものであり、
日本語の夜(よる)、夜(よる)あるいは夜(や)は同源であり、古代中国語音の夜[jyak] の変化したものであろう。
1.古代中国語音は夜[jak] であり、それが日本語では夜(よる)になった。
2.古代中国語の韻尾[-k] が脱落して夜[ja] となり、日本語では夜(よ)になった。
3.隋の時代に中国語の介音[-i-] が発達して夜[jya]
になった。それが日本漢字音では夜(や)と なっ
た。
「漢字」の「漢」は漢(カン)だが、同じ声符を
もった「嘆」は嘆(タン)である。「國」「地域」、「迷惑」「或」などの場合は國(コク)、域(イキ)、惑(ワク)、或(ワク)であり、「尺」「釈」
「択」「訳」「駅」の場合は尺(シャク)、釈(シャク)、択(タク)、訳(ヤク)、駅(エキ)、であり一筋縄ではいかない。ところが、この同じ声符のもつ
異音が、長い漢字の歴史を解く鍵を与えてくれることにもなる。
「或」の古代中国語音は或[hiuək]に近い音であったものと考えられている。中国語の[h]はいわゆる喉音であり、日本漢字音ではカ行で表さ
れることが多い。
國(コク)は古代中国語の國[hiuək]の
頭音[h]が
日本漢字音でカ行に転移したものである。
域(イキ)は古代中国語の域[hiuək]の
頭音[h]がi介
音の影響で脱落したものである。
惑・或(ワク)は古代中国語の或[hiuək]の
頭音が脱落し、[-u-] 介
音がワ行であらわれたものである。
「尺」の古代中国語音は尺[thyak]
であると考えられている。 尺・釈(シャク)は古
代中国語の尺[thyak] の頭音[th-] が、介音[-y-]
の影響で摩擦音化したものである。択(タク)は古
代中国語の尺[thyak] の、介音(y)が発達する前の古い形を留めている。訳(ヤク)は
古代中国語の尺[thyak] の頭音[th-] が、介音[-y-] の影響で脱落したものである。 駅(エキ)は古代
中国語の尺[thyak] が頭音[th-] が脱落し、介音[-y-] と母音[a]が融合して「エ」となったものである。
古代の中国語音は唐代の韻書や切韻を参考にして
復元しているが、漢字の音符はより古い時代の漢字音の痕跡を示唆することが多い。漢字は「漢語」を書き表すために発明されたものであり、紀元前13世紀に
は
亀甲文字や青銅器の刻印として現われているから、唐代以前の漢字音を知るうえで欠かせない存在である。
しかし、同じ音符をもつ漢字でも頭音が転移したり、韻尾が脱落することがあるから、注意深く復元する必要がある。同じ音符をもった漢字は、ある時、ある
地方で同じ
発音であったとみなすことができる。ここでは、同じ音符をもったいくつかの漢字をとりあげて、その漢字がたどった歴史を確かめてみることにしたい。
○ 湯(トウ・ゆ)
「湯」の古代中国語音は湯[diang]であったとみられる。同じ声符をもつ漢字の「陽」
は陽[jiang](ヨウ)である。日本語の湯(ゆ)は、中国語の
「陽」や「楊がもっていた発音と同じだった時期があり、日本
語の湯(ゆ)は中国語の湯[jigang] の韻尾が脱落したものである可能性がある。
○ 桶(トウ・おけ)
「桶」の古代中国語音は桶[dong] である。同じ声符をもつ漢字に甬・踊[jiong] がある。日本語の桶(おけ)は桶[dong ] が介音[-i-] の発達により桶[doing] になり、さらに桶[jiong] になったものを反映しているものとみることができ
る。中国語の韻尾[-ng] は、古代中国語では[-k]
に近かったことが、中国語の音韻学で知られている。
○ 通(ツウ・とおる)
「通」の古代中国語音は通[thong]
であると推定されている。日本語の通(とおる)は古代中国語音に依拠したものであり、通(ツウ)はそれが摩擦音化したものである。
○ 透(トウ・とおる)
「透」の古代中国語音は透[thu]であり、日本語「すきとおる」などの「とおる」は
古代中国語の透[thu]に依拠したものである。秀[siu] は透[thu] が介音[-i-] の発達により、摩擦音化したものである。
○ 説(セツ・とく)
「説」の古代中国語音は説[thuat]
である。日本漢字音の説(セツ)は古代中国語の説[thuat] が介音[-i-]の発達により摩擦音化して説[thjiuat]
に近い音になったものであり、日本語の説(とく)はより古い形を留めている。なお、韻尾の[-t] は現代の上海音などでは[-k]
と区別されていない。日本漢字音でも同じ声符が、例えば柵(サク)、冊(サツ)のように同じ音符が両用に読まれる場合がある。
○ 点(テン・ともす)
「点」の古代中国語音は点[tyəm]
である。日本語の点(ともす)は古代中国語音に依拠したものである。同じ声符をもつ店(テン・たな)は日本語では大店(おおだな)などとして使われる。
○ 占(セン・しめる)
「占」は点[tyəm] が介音[-y-] の発達により摩擦音化したものであり、日本語の占
(しめる)は中国語語源のことばである 。
○ 盾(ジュン・たて)
「盾」の古代中国語音は盾[djiuən] だと考えられている。同じ声符をもつ漢字に遁[duən]がある。日本漢字音の盾(ジュン)は盾[duən] が介音([-i-]
の発達により摩擦音化したものであり、日本語の盾(たて)は古い中国語音の痕跡を留めている。
中国語の韻尾は時代により、次のように変化したものと考えられている。
[-t]→[-n]、[-k]→[-ng]、[-p]→[-m]、
このことからも、盾(たて)が盾(ジュン)より
も、古い中国語音の痕跡を留めていることが確かめられる。
○ 時(ジ・とき)
「時」の古代中国語音は時[zjiə] だと考えられている。同じ声符をもつ漢字に特[dək] がある。日本語の時(とき)は「時」に時[dək]
という韻尾があった時代の古い中国語音の痕跡を留めているものと考えられる。日本漢字音の時(ジ)は中国の頭が介音[-i-] の発達により、摩擦音化したものであり、韻尾の[-k] は失われている。
○ 墓(ボ・はか)
「墓」の古代中国語音は墓[mak]
であると考えられている。同じ声符をもった漢字に莫・幕[mak] がある。日本語の墓(はか)は古代中国語の墓[mak] に依拠したものと、考えることができる。[p-]、[m-]、[b-]
は調音の位置が同じであり、転移しやすい。古代日本語では濁音が語頭にくることがなかったので、語頭の[m-]
は古代日本語では清音であるハ行に転移した。幕(まく)も中国語と同源である。
日本語は中国語に比べて母音ではじまる単語が多
い言語である。『中日辞典』では母音ではじまるページは全体のわずか1%であり、ヤ行、ワ行を加えても11%なのに対して『広辞苑』ではア行が14%、ヤ
行
ワ行を加えると19%になる。また、『時代別国語大辞典』(三省堂)ではア、ヤ、ワ行が30%に上っている。中国語の頭子音は介音(-i-)の発達などにより脱落することがあり、古代日本語
の語彙はア、ヤ、ワ行ではじまることばが多くなっている。
○ 匣母[h-]、暁母[x-] の脱落
恨[hən](コン・うらむ)、横[hoang](オウ・コウ・よこ)、餡[heam](カン・あん)、
絵[huai](カイ・え)、合[həp](ゴウ・あふ)、兄[xyuang](ケイ・キョウ・え)、
及[xiəp](キュウ・およぶ)、訓[xiuən](クン・よみ)、行[heang](コウ・ギョウ・ゆく)、
○ 見母[k-]、渓[kh-] の脱落
寄[kiai](キ・よる)、居[kia](キョ・ゐる)、犬[khyuan](ケン・いぬ)、今[kiəm](コン・いま)、 禁[kiəm](キン・いむ)、弓[khiuəm](キュウ・ゆみ)、甘[kam](カン・あまい)、
○ 照系声母[tj-][thj-][dj][sj][zj] などの脱落
臣[sjien](シン・おみ)、赤[thjyak](セキ・シャク・あか)、赦[sjyak](シャク・ゆるす)、
置[thjiək](チ・おく)、織[tjiək](ショク・おる)、
○ 疑母[ng-] の脱落
我[ngai](ガ・あ・われ)、吾[nga](ゴ・あ・われ)、顎[ngak](ガク・あご)、
岳[ngak](ガク・おか)、暁[ngiô](ギョウ・あけ)、焼[ngiô](ショウ・やける)、
魚[ngia] (ギョ・うお)、仰[ngiang](ギョウ・あおぐ)、 ○日母[nj-]の脱落
柔[njiu](ジュウ・やわら)、弱[njiôk](ジャク・よわき・よわい)、若[njiak](ジャク・わかい)、
入 [njiəp](ニュウ・いる)、
○来母[l-] の脱落
来母[l-]に介音[-i-]が続くときは頭音[l-] が脱落する。
良[liang](リョウ・よき・よい)、柳[liu](リュウ・やなぎ)、
古代日本語や朝鮮語にはラ行ではじまることばがな
かったことが知られている。それで は古代中国語音は「やまとことば」ではどのように転移したのであろうか。来母[l-]に介音[-i-]がこないときはタ行・ナ行に転移することが多い。
タ行、ナ行、ラ行はいずれも調音の位置が同じであり、転移しやすい。
龍[liong](リュ
ウ・たつ)、滝[leong](リュ
ウ・たき)、立[liəp](リ
ツ・たつ)、
粒[liəp](リュ
ウ・つぶ)、聾[long](ロ
ウ・つん-ぼ)、
卵[luan](ラ
ン・たま-ご)、
頼[lat](ラ
イ・たよる・たのむ)、浪[long](ロ
ウ・なみ)、流[liu](リュ
ウ・ながれる)、
練[lian](レ
ン・ねる)、
朝鮮漢字音でも日母[nj-]、疑母[ng-]、来母[l-] については、介音[-i-] をともなったものは規則的に脱落している。このことから、古代日本語の音韻体系は朝鮮語の音
韻体系に近かったことが推測できる。
我(a)、
吾(o)、
顎(ak)、
岳(ak)、
柔(yu)、
弱(yak)、
若(yak)、
暁(hyo)、
焼(so)、
魚(eo)、
入(ip)、
仰(ang)、
良(yang)、
柳(yu)、
○ 中国語の喉音[h-][x-] の転移
中国語の喉音[h-][x-] は日本語にはない音である。喉で調音される音であ
り日本語のカ行に多い。そのため日本漢字音ではカ行であら
われることが多いが、訓(弥生音)ではハ行であらわれることが多い。
例:
火[xuəi](カ・
ひ)、花[xoa](カ・
は-な)、
華[hoa](カ・
は-な)、
灰[huəi](カ
イ・はい)、
戸[ha](コ・
へ)、桧[huat](カ
イ・の
き)、脛[hyeng](ケ
イ・はぎ)、
匣[heap](コ
ウ・はこ)、濠[hau](ゴ
ウ・ほり)、幌[huang](コ
ウ・ほろ)、
降[hoəm](コ
ウ・ふる)、弘[huəng](コ
ウ・ひろい)、
古代中国語の喉音[h-][x-]は音読みではカ行であらわれ、訓ではハ行であらわ
れる。日本語のハ行は、古くは「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」であったというのが、金田一春彦など国語学者の指摘するところであるが、どうもそれは平安時
代から『日葡辞書』の時代あたりまでのことであり、奈良時代以前には、日本語のハ行は中国語の喉音[h-][x-]に近かったと考えざるを得ない。
喉音[h-]は介音[-i-]
の影響で脱落することがある。媛[hiuan](エン・ひめ)、羽[hiuə](ウ・は-ね)、のような例もあり、音では頭音が脱落してい
るが、訓ではハ行で対応している。これは日本語の訓が中国語で介音[-i-] が発達する隋の時代以前の中国語音の痕跡を残して
いるものと考えることができる。
さらに調べてみると、日本語で音読みではカ行であ
らわれる漢字音が訓読みではハ行であらわれる例は古代中国語の喉音[h-][x-]に限らないことが明らかになる。
例:
蓋[kat](ガ
イ・ふた)、干[kan](カ
ン・ひる)、頬[kyap](キョ
ウ・ほほ)、
経[kyeng](ケ
イ・ふる)、広[kuang](コ
ウ・ひろい)、骨[kuat](コ
ツ・ほね)、
閑[kean](カ
ン・ひま)、古[ka](コ・
ふるい)、肌[kiei](キ・
はだ)、機[kiei](キ・
はた)、 果[kuai](カ・
はて)、光[kuang](コ
ウ・かげ<古語>)、更[keang](コ
ウ・ふける)、
寛[khuan](カ
ン・ひろい)、誇[khoa](コ・
ほこる)、堀[khiuət](ク
ツ・ほり)、
掘[giuət](ク
ツ・ほる)、乾[gan](カ
ン・ひる・かはく)、橋[giô](キョ
ウ・はし)、
旗[giə](キ・
はた)、牙[ngea](ガ・
は・きば)、原[ngiuan](ゲ
ン・はら)、
臥[ngua](ガ・
ふす)、減[ngiuan](ゲ
ン・へる)、
古代中国語の音韻体系では[x-][h-] は喉音であり、[k-][kh-][g-][ng-]
は後口蓋音であり、それぞれ別の音と認識されていたが、日本語には喉音と後口蓋音の区別がないため、一様に音ではカ行、訓ではハ行であらわれる。また、古
代日本語では語頭に濁音がくることがなかたため、
中国語の濁音はいずれも古代の日本語では清音であらわれる。
いずれにしても、いわゆる「やまとこと」と考えられている漢字の訓のなかには、弥生時代以降の中国語からの借用語がかなり含まれていることがわかる。
これまで、調音の方法が同じ音は転移しやすい。調音の位置が近い音は転移しやすい、という原則にしたがって、古代中国語音の転移を検
証してきた。しかし、この原則では説明できない、例がいくつか見られ
る。スウェーデンの言語学者カールグレン(Karlgren) は古代中国語のm には入りわたり音xがあったのではないか、と提言している。「海」も
「毎」も[xmuə]
という原音があって、海(ハイ・カイ)は、入りわたり音xが発達したものであり、毎(マイ)は、入りわたり
音xが脱落したものではないかというのである。日本語
についてカ行とマ行の転移の例としては次のようなものをあげることができる。
○ カ行・サ行・タ行の転移
「公」という漢字がある。「公」の古代漢字音は公[kong] である。しかし、「松」では松[ziong]
である。「訴訟」も訴訟(そしょう)である。しかし、同じ日本漢字音の「ショウ」に証券、證券もある。「正」の古代中国語音は正[tjiəng]、「登」は登[təng] である。
公[kiong]は介音[-i-]の影響で前口蓋音になり訟[tjiong]になり、さらに摩擦音化して松[ziong]に変化したものと思われる。一方、登[təng]は介音[-i-]の発達により登[tjiəng]となり、証[tjiəng]と合流したものと思われる。
○ カ行とマ行の転移
同じ声符の文字がカ行とマ行にわたってあらわれる例もある。
例:
海[xuə](カイ)・毎[muə](マイ)、惚[xuət](コツ・ほれる)・物 [miuət](ブツ・もの)、
黒[xək](コク・くろ)・黙[mək](モク・もだす)、芽[ngea](ガ・め)、
元[ngiuan](ゲン・もと)、見[hyan](ケン・みる)・観[kuan](カン・みる)、
看[khan](カン・みる)、丸[huan](ガン・まる)、向[xiang](コウ・むかふ)、
迎[ngyang](ゲイ・むかへる)、
これらの例も原音が、入りわたり音( [x-] あるいは[h-] )があったと仮定すれば、整合的に説明できる。「楽」を楽(ガク・ラク)と読むのも楽[ngôk] の原音は楽[xlak]
であったと仮定すれば、説明できる。楽(ラク)は[xlak]の入りわたり音xが脱落したものであり、楽(ガク)は入りわたり音[x-] が疑母[ng-] に転移し、[l-] が脱落したものだと考えることができる。
○ カ行とラ行の転移
同じ声符の文字がカ行とラ行にわたってあらわれる例もある。
例:
監[keam](カン・かみ)・鑑[keam](カン・かがみ)・藍[lam](ラン)、
立[liəp](リツ・たつ)・泣[khiəp](キュウ・なく)、
庫[kha](コ・くら)・車[kia](シャ・くるま)、
諫[kean](カン)・練[lian](レン・ねる)、
兼[hyam](ケン・かねる)・嫌[hyam](ケン・きらう)・簾[liam](レン・す-だれ)・
鎌[liam](レン・かま)、
楽[ngôk](ガク・ラク)、
これらの例は中国語の原音を監[xleam]、立[xliəp]、車[xlia]、兼[xliam]、練[xlean]、楽[xlak]
として、そこから変化したものだと考えることができる。同じような例はハ行とラ行、マ行とラ行についてもみられる
○ ハ行とラ行の転移
同じ声符の文字がハ行とラ行にわたってあらわれる例もある。
例:風[piuəm](フウ)・嵐[lam](ラン)、
「風」の原音を風[plam]
と想定することによって解決できる。また、傍証として朝鮮語の風(param) をあげることもできる。朝鮮語の風(param) は古い時代に漢語から借用されたものであろう。
○ マ行(あるいはバ行)とラ行の転移
同じ声符の文字がマ行、バ行、ラ行にわたってあらわれることもある。
例:來[lə](ラ
イ・くる)・麥[muək](バ
ク・むぎ)
この場合は[m-]が脣音であり、[l-]
が前口蓋音であり、互いに調音の位置が近いから、転移によっても説明できる。しかし、「來」の原音が來[klə]
だったと考えれば、日本語の来(くる)の原音は來[klə] であったと考えられる。
音韻学というのはあまり多くの人の学ぶ学問ではない。しかし、中国では唐代の学問体系は明経、紀伝、明法、算道、書道とともに音韻道という科目があったという。明経というのは、儒の経書を明らかにすると
いう意味で、儒学の中心であった。仏典を学ぶには音韻道が必要であった。唐に留学した空海は、音博士について音韻道を学んだ。
空海から34年遅れて入唐した天台宗の円仁は『入唐求法巡礼記』でしられるが、もうひとつの著書『在唐記』をみるとかなりインドの音韻学である悉曇を学んでいたことがわかる。悉曇とはインドの文字である
サンスクリットの学問のことであり、中国語仏典の原典であるサンスクリットを学ぶことであった。
仏典の多くは鳩摩羅什や玄奘三蔵によって漢訳され
てはいたが、やはりサンスクリットの意味を正確に知るのは音韻学の知識が不可欠であった。
例えば『般若心経』などでも「摩訶般若波羅蜜多
心
経」だけをとってみても「般若波羅蜜多」はサンスクリットのpranja
paramitaの
音をそのまま漢字の音であらわしたものであり、意味は「彼岸智に到って」という意味、サンスクリットの字義をしらなければ漢字ではまったく伝わらない。
「羯諦羯諦 波羅羯諦」などはサンスクリットの呪文であり、まったく漢訳されちいるとは言い難い。
空海や円仁は漢字仏典をサンスクリットの原典まで遡って学ぼうとしたのである。そのなかで、サンスクリットの音韻と中国語の音韻、そして日本語の音韻は構造的に違うことに気づく。『在唐記』は漢文で書か
れているが、日本語、中国語、サンスクリットの関係について次のように書かれている。例をひいてみると、、、
pa
唇音。以本郷波字呼之。
pha 波。
断気呼之。
da
以本郷陀字音呼之。但加歯音。
dja 奴/手。
以本郷陀字音呼之。但加舌音。
サンスクリットにはp のほかにph
もあったからその区別を伝えることは容易ではな
かった。Pa は日本語の波(は)の音であり、pha は吐気をとめるような音だというのであろう。Da は「陀」のような音だが歯音(摩擦音)に近く、dja
は「陀」のような音だが舌音(口蓋化)が加わると
いう意味であろう。
梵語(サンスクリット)を習うには音韻学の知識は不可欠であった。また、サンスクリットの音韻学を学ぶことによって、日本語の音韻構造を逆に照射されたということである。
母国語の音韻体系は意識されることがないから、外国語を習ったときにはじめて意識される。日本語の五十音図ができたのも、留学僧がサンスクリットの音韻学を習って、はじめて可能になった。ことばは再発見
される必要があるのである。
西洋の音韻学では一般に、音韻変化は物理の法則のように規則的にあらわれるものと考えられている。しかし、それはある一時期、ある一地方において、同じ音韻環境における変化についてはいえても、漢字のよ
うに、数千年にわたって中国大陸からベトナム、朝鮮半島、日本列島と広い地域で使われ続けてきた文字の読み方の転移は多岐にわたることが多い。
漢字音の音韻変化についてみると二つの原則をあげることができる。
1.調音の位置の同じ音は転移しやすい。(例:清音と濁音)
2.調音の方法が同じ音は転移しやすい。(例:鼻音など)
また、外来語については受け入れ側の言語の音韻体系に順応することが多い。たとえば古代日本語や朝鮮語ではラ行音が語頭にたつことがないので、中国語の來[l-]は古代日本語や朝鮮語ではタ行あるいはナ行に転移する。また、介音[-i-]がくるときは規則的に脱落する。
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