第235話
漢字が亡びるとき 日本では漢字が 本字であり、仮名は仮の文字であるという考え方が伝統的にあり、その考え方は今も受け継がれている。しかし、日本語は漢字で表記するにはかなり不便なこと ばである。それは、万葉集の時代から、漢字を日本語に適応させるためになされてきた数々の努力の歴史をみても明らかである。 日本人の大人にはあたりまえのようになっている漢 字の読み方も、はじめて漢字を習う小学生や外国人にとってはなかなやっかいな問題であることが多い。例えば「大人」と書いて「おとな」と読む。本居宣長な らば「大人」と書いて「うし」と読ませる。「一人」「二人」は「ひとり」「ふたり」、 だが「三人」となると「さんにん」である。「人」は「ひと」であり、「日本人」となると「にほんじ ん」である。「明日は日曜日」は「明日(あす)は日(にち)曜日(び)」と読む。大人は読めるが、子どもの眼からみるとかなり恣意的 といわざるをえないだろう。 ことばはなかなか変えられないが、それを表記する
ための文字は変えられる。韓国やベトナムの例をみても文字を変えた言語は世界に数多くある。 ○ 明治時代の日本語 日本でも明治時
代にはなんとかして日本語を変えなければ、という考えはあった。森有礼の英語採用論や永井荷風のフランス語採用論などがよく知られている。現在の眼みると
常軌を逸した提案であるとか、馬鹿げた考え方であるということになるが、明治初期には東京にできた帝国大学では、お雇い外国人がほとんどの科目で外国語で
講義していたのである。 日本語の表記に 漢字が多く使われるのは、漢字が本字であるという意識のほかに、日本語に分かち書きの習慣がないことも大きな要因ではなかろうか。毛筆で日本語を書いてい た時代には文字の大きさは一定していなかった。例えば「てにをは」などの助辞は小さめに書いたから、おのずから句の切れ目は明らかであった。しかし、活字 では字の大きさが同じであり、語の切れ目や句の切れ目が、漢字がまじらないとわかりにくいという問題がある。 16世紀に日本にやってきたポルトガル人の宣教師が書いた「天草版平家物語」というものがある。ポルトガル語ではgi が「ぢ」、ji は「じ」をあらわしているなど、現代のローマ字化
とは違う点もあるが、少しなれれば日本語として読むことができる。分かち書きされているから語の単位や句の単位が読みとりやすいからである。 FEIQE
MONOGATARI Mizzuno
soconiua vôzzunauofarŏzo, vma
noricaqete voxinagasarete fucacu suna. これを現代の日本語にするとつぎのようになる。
水の 底には 大綱を張らうぞ、 馬 乗りかけて 押し流されて 不覚すな。 佐々木殿、言う て 渡いたが、河の 中までは いづれも 劣らな(ん)だ
れども、何としたか 梶原が 馬は 箆撓(のた)めがたに 押し流され;佐々木は 河の 案内者、その上 生食(いけづき)と言う 世一(よいち)の
馬 には 乗っつ、大綱どもの 馬の足に かかるをば 佩(は)いた 面影 (おもかげ)と言う 太刀(たち)を 抜いて、ふつふつと 打ち切り 宇治川
は 早いと 言へ ども、一文字に ざっと 渡いて、思ふところへ うち上(のぼ)って、鎧(あぶみ)を ふんば り つったちあがって、 佐々木の 四
郎 宇治川の 先陣ぞと 名乗って、おめいてかくれば、 梶原は 遥かの 下(しも)より 打ち上ぐる。 世界の文字をみ
ても分かち書きをしない文字は少ない。中国語は一般に分かち書きをしない。中国語には句読点もなかった。日本語の書記法は、句読点も分かち書きもない中国
語の書記法の伝統を受け継いでいるようである。最近の中国語の活字文には句読点が用いられているようになっている。 Fataqeyama
gofiacuyoqide vchiirete vatasu: mucaino qixicara Nixina, Tacanaxidono この文章を漢語以外は漢字を使わないでおこしてみ
ると、次のようになる。固有名詞は大文字を使うかわりに下線を引いた。 は
たけやま 五百余騎で うちいれて わたす;むかひの きしから にしな、た
かなしなど さ しとり、ひきつめ、さんざんに いるに、はたけやま
うまの
ひたいを のぶかに いさせて うまをば かはの なかよりながいて、ゆんづゑ ついて おりたつに、いはなみ おびたたしう かぶとの てさきに
おしかかれども、こととも せず、むかひの きしに わたりついて のぼ らうと する ところに うしろに ものが ひかえた。 「天草版平家物語」は天草に来たポルトガルの宣教 師が文録2年(1593)に出版したものである。「平家物語」といえども意外に漢語が少ないことに気がつく。日本語は分かち書きさえ取り入れれば、ローマ 字で書いてもひらがで書いても読めるし、意味も理解できる。 日本語は万葉集のように漢字だけで書こうとする と、ほとんど不可能である。漢語は漢字で書くとして、せめて和語は日本語のための文字である「ひらがな」で書くことができないのだろうか。 世界の文字では
一般に固有名詞は大文字で表記するなどして普通名詞と区別する工夫がされている。エジブトの絵文字であるヒエログリフでも固有名詞はカートーシュという楕
円形で囲まれているから、固有名詞であることが分かる。固有名詞は普通に多く使われている名詞とはちがい、文脈に関連なく現われるので、辞書にある語彙で
は理解できないことが多い。 分かち書きにつ
いては原文に従ったが、必ずしも区切り方の規則が一定でないので、「主語+助詞」「動詞+助動詞」などに整理すればもっと読みやすくなるはずである。例え
ば、「かはの なかよりながいて」は「かはの なかより ながいて」とした方がよみやすいだろう。また、「のぼろうと する ところに」は文法的には「の
ぼろうとする ところに」と切るべきだろうが、読みやすさという点では「のぼろうと する ところに」でもいっこうにかまわない。 中国語は原則と して漢字一つが語であるから句読点がなくとも語の単位を見失うことはない。しかも、韻文の場合は五言、とか七言で区切りがあるので句読点がなくとも読め る。しかし、日本語をかたかなで書く場合、日本語の語はいくつかの音節が連なって語や句を形成しているので、分かち書きをしないと語の単位を見失ってしま う恐れがある。漢字をあまり使わない小学校1~3年の教科書が分かち書きにしているのは、自然なことだと思われる。 日本語でも毛筆でひらがなを書いていた時代には文 字の大きさが均一でなく、助詞などは小さく書く傾向があった。また、一筆で数文字をつなげて書く場合もあったので、活字印刷よりは読みやすかった。 江戸時代の寺子 屋での「読み書きそろばん」以来、日本では漢字の読み書きに大変な努力を払ってきた。日本語も分かち書きをして、和語を漢字で表記することをやめ れば、日本語の表記はこれから日本語をならう小学生にばかりでなく、外国人にとっても格段にやさしいものになるのではなかろうか。 話しことばは学
校で勉強しなくても、誰でも話せるようになる。しかし、書きことばは勉強して覚えなければならない。現代日本語の表記は旧かなづかいと時代に比べれば格段
に合理的になっている。しかし、まだ、改良の余地はあるように思われる。日本の国語改革には「それでは日本人は古典が読めなくなる」などの反対論が根強い
ことも事実である。中国では『詩経』などの古典も簡体字で読める。原文で読む必要がある専門家は原文で読めばよい、という考え方である。 ○ 漢字がないと日本の歴史は語れないか 表記法は古典にとって、あるいは歴史にとって、変えられないものなのだろうか。ここに『聖徳太子論―斑鳩の道のうえに』(上原和著)という本がある。飛鳥
時代について語るのに必要な漢字はどれくらいあるのか、試みに冒頭の部分を見てみることにする。
序章 斑鳩のこころ 1.言
葉の証(あか)し この文章の和語をひらがなで表記してみると次のよ
うになる。
序章 いかるがの こころ
1.ことばの あかし 現代の漢字仮名づかいは漢字の数を個別に制限して
いるので、その漢字が常用漢字として認められているかどうかは、ひとつひとつ調べてみなければならない。しかし、漢語を漢字で表記し、和語をひらがなで書
くという原則にすれば、漢字をかなり減らすことができる。 『斑鳩の白い道の上に』の冒頭の「言葉の証し」
(約15ページ)について振りがなを振ってある漢字について調べてみると次のようになる。(古典の引用文は除く) 【固有名詞】 この文章を漢語だけ漢字で表記する原則で書くとす
れば、漢字が必要なのは「顛末」「蒼穹」「補弼」「不借身命」「逼塞」のみとなる。 ○ 縦書きと横書き もうひとつ、日
本語の表記の問題で欠かせないのは、最近ではあまり論議されることは少ないが、縦書きか横書きかの問題である。漢字文化圏を離脱した朝鮮語やベトナム語は
教科書も新聞も横書きである。漢字の本家中国でも教科書も新聞も横書きである。日本は縦書き墨守する数少ない国になっている。 横書きにすると漢数字もいらなくなる。現在では日
本の新聞は縦書きだが数字は「7月4日」などと算用数字で書くことが多くなってきているようである。横書きにすると英語などを引用するのにも便利である。 そこで、日本語の表記について提案がある。 1.
漢語の表記には制限を設けない。 国語の改革は歴
史の変革点で行われることが多い。日本の場合も敗戦という歴史の大きな転換点で行われた。朝鮮語やベトナム語の場合は植民地支配からの独立という価値観が
大きく変わる時期に起こっている。民族主義という思想に支えられているから、後戻りすることはない。中国の漢字改革も辛亥革命の熱気のなかで生まれ、毛沢
東によって実行に移されているから、もとに戻ることはないだろう。 現代の日本では 外来語を制限しようという民族主義的な主張はよくみられるが、漢字を制限という動きはあまりみられない。外来語は制限しなくても、読みやすい文章を作るう えでは自然に使われる数は、西洋語も漢語の語彙も限られてくるのではなかろうか。それよりも、日本語本来のことばである「やまとことば」を日本語を書くために、中 国語の文字である漢字をあてはめなければならないことの方が無理があり、日本語を読みにくくしているのではなかろうか。 |
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