第231話
学校の「国語」と社会の「日本語」
学校で習う「国語」は社会で使われている日本語の
一部である。社会で使われている日本語と学校で教えている国語が乖離しているのであれば、学校で習ったことは社会では役に立たないということになる。 現代の日本では
旧仮名づかいで書く人はほとんど見当たらなくなった。漢字の使用についても教科書や新聞などは常用漢字を用いている。しかし、小説など社会に氾濫している
書籍では教育漢字や常用漢字にはない漢字が使われていることが多い。特に地名や人名は旧字体を踏襲しているものもみられ、「國學院大学」は漢学の学校でも
ないのに旧字体の漢字を用いている。
○ 赤ちゃんの名前 人名漢字については制限の枠をゆるめているので、使われている文字も多く、また読み方については制限がないので、初見では読めないものが多い。 ある生命保険会社の調査が赤ちゃんの名前のネーミングのランキングを発表している。それによれば、次のようになっている。
<男の子> 1.悠真(ゆうま、はるま、ゆうしん) 2.陽翔(はると、ひなと、ひろと) 3.蓮(れん) 4.大翔(ひろと、だいと、はると、やまと、たいが、まさと) 5.湊(みなと)
<女の子> 1.結菜(ゆいな、ゆな、ゆうな)、 2.葵(あおい)、 3.結衣(ゆい)、 4.陽菜(ひな、はるな、ひなた、ふな)、 5.結愛(ゆあ、ゆな、ゆうあ、ゆいあ、ゆめ)
名
前の漢字の制限はむずかしい。親は画数などにこだわって、幸多かれと願って好字を選ぶからである。一昔前までは人名には中国の古典に典拠をもつ漢字が選ば
れることが多かったように思われるが、現在は「蓮」「菜」「葵」など植物の名前が多く選ばれているが、読み方はさまざまで、漢字を見ただけでは読み方がわか
らない。 音では男の子のNo.1は「はると」、女の子では「ゆい」である。名前にはさまざまな漢字があてられている。
はると(陽翔、遥斗、陽斗、晴翔、悠翔、春翔、陽人、晴斗、陽登、春斗、大翔、悠斗) ゆい(結衣、優衣、由依、唯、由衣、結)
漢籍が読まれなくなった現代の日本では漢字と中国の古典との結びつきはほとんど失われている。赤ちゃんの名前はまず、音の響きで選ばれ、その音に対応する漢字を画数などによって選んでいるる。 日
本人は万葉の時代から「ことば」には神が宿ると考えてきた。そのために中国の古典などに典拠をもつ由緒正しい漢字が選ばれていた。しかし、漢学の伝統が失
われた今では、赤ちゃんの名前はもはや中国語の意味ではなく、「やまとことば」のなかからまず美しい音を選び、それに見合う「漢字」を占いなどを参考にし
てふりあてているように思える。現代の日本人は「ことばに宿る言霊」ではなく、「文字に宿る何か」を信じているのであろうか。
○ 漢字制限はなぜ受け入れられないか
仮名づかいにつ
いては戦後の改革が受け入れられ、漢字制限については一般に受け入れられているとはいえない。仮名づかいは歴史的仮名づかいから表音的仮名づかいへの変革
であり、ルールが変わったから規則的であり、分かりやすい。それに対して当用漢字あるいは常用漢字は漢字の字数や読み方を個別に列挙して制限したものであ
るから、その選択は恣意的であり、変革のルールが明確でなない。 日本の漢字がむずかしいのは訓である。日常生活で
使っている漢字についてみても、読み方、書き方は個別に覚えなければならないものがたくさんある。漢字の学習は日本人にとって、まさに生涯教育の課題であ
る。 ここでは、日常
生活でごく普通に使われている和語の表記をとりあげてみることにする。大人にとっては当たり前の読み方も、これを学習する子どもたちにとっては、教育漢字
あるはい常用漢字に含まれているいないにかかわらず、個別に覚えなければ日本語が読めないということになる。
例:昨日(きのう)、今日(きょう)、一日(つい
たち)、五月(さつき)、七夕(たなばた)、 五月雨(さみだれ)、十六夜(いざよい)、十八番(おはこ)、二十日(はつか)、 二十歳(はたち)、如月(きさらぎ)、弥生(やよい)、師走(しわす)、梅雨(つゆ)、 時雨(しぐれ)、雪崩(なだれ)、吹雪(ふぶき)、陽炎(かげろう)、紅葉(もみじ)、 疾風(はやて)、眼鏡(めがね)、為替(かわせ)、相撲(すもう)、土産(みやげ)、 老舗(しにせ)、田舎(いなか)、玩具(おもちゃ)、足袋(たび)、団扇(うちわ)、 布団(ふとん)、大和(やまと)、山車(だし)、お神酒(おみき)、神楽(かぐら)、 祝詞(のりと)、流鏑馬(やぶさめ)、松明(たいまつ)、蚊帳(かや)、浴衣(ゆかた)、 大人(おとな)、従兄弟(いとこ)、曾孫(ひまご)、女形(おやま)、女将(おかみ)、 乳母(うば)、海人(あま)、海女(あま)、欠伸(あくび)、一寸(ちょっと)、 美味(おい)しい、不味(まず)い、など
このほか、動植物などをあげればきりがない。
例:百合(ゆり)、山葵(わさび)、土筆(つく
し)、桜桃(さくらんぼう)、海老(えび)、 女郎花(おみなえし)、無花果(いちじく)、海豚(いるか)、海鼠(なまこ)、 海馬(たつのおとしご)、海月・水母(くらげ)、海松(みる)、烏賊(いか)、 大蛇(おろち)、
いずれも、訓読
みである。これらの漢字の読み方は中国語のそれに「やまとことば」をあてはめたものもある。中国における漢字の読み方は時代により、地方により違いはある
が、すべて音読みで、日本の漢字のように訓読みということがないので、漢字を学ぶ小学生の立場にたってかんがえると、日本よりはるかにやさしい。 漢字をどう読むかは日本人にとって大問題である。
漢字を音で読むのか訓で読むかは前後の関係によることが多い。しかも、訓は同じ漢字にたいしていく通りもあることが多い。ちなみに、最近発行された文庫本
について、その漢字の使い方を検証してみることにする。
○ 現代の漢字仮名交じり文
澤田瞳
子著の『泣くな道真』(集英社文庫、2014年6月)は学問の神様といわれる菅原道真が右大臣大臣にまで昇りつめながら、はどのような漢字
が使われているか調べてみると、次のようになる。讒訴されて大宰府に左遷される波乱万丈の人生を暖かい眼でユーモラスに描いたものである。 まず、次の漢字はいくつ読めるだろうか。
1.蔀、2.瞼、3.拳、4.棘、5.褥、6.
厨、7.政、8.倅、9. 踵、10. 荊、
答えはつぎの通りである。
1.蔀(しとみ)、2.瞼(まぶた)、3.拳(こぶ
し)、4.棘(とげ)、5.褥(しとね)、
6.厨(くりや)、7.政(まつりごと)、8.倅(せがれ)、9. 踵(きびす)、
10. 荊(いばら)、
それでは、次の動詞はどうであろうか。
1.囀る、2.孵る、3.謳う、4.呟く、5.
呻く、6.喚く、7.謗る、8.嘯く、
9.侮る、10. 諦める、11. 磨る、12. 欺く、13. 囁く、14. 嘲る、15. 噤む、16. 瞠る、
17. 過る、18. 慄く、19. 怯える、20. 瞬く、
これも正解は次の通りである。
1.囀(さえず)る、2.孵(かえ)る、3.謳
(うた)う、4.呟(つぶや)く、
5.呻(うめ)く、6.喚(わめ)く、7.謗(そし)る、8.嘯(うそぶ)く、
9.侮(あなど)る、10. 諦(あきら)める、11.磨(す)る、12. 欺(あざむ)く、
13. 囁(ささや)く、14. 嘲(あざけ)る、15. 噤(つぐ)む、16. 瞠(みは)る、
17. 過(よぎ)る、18. 慄(おのの)く、19. 怯(おび)える、20. 瞬(しばた)く・瞬(またた)く、
これはいずれも漢字の訓読みであり、中国の文字に
日本語をあてはめた、いわば当て字である。このような漢字は学校では教えてくれない。しかし、日本語で文庫本を読むのにも、これらの漢字が必要なのであ
る。そのほかにも、成句となっているものがたくさんある。
例:朝餉(あさげ)、年嵩(としかさ)、口許(く
ちもと)、目脂(めやに)、鰥夫(やもめ)、
売女(ばいた)、海人(あま)、陽炎(かげろう)、魚籠(びく)、呆気(あっけ)、 馴染(なじ)み、身形(みなり)、容易(たやす)い、遊行女(うかれめ)、水夫(かこ)、 三和土(たたき)、胡坐(あぐら)、嫩葉(わかば)、紙縒(こより)、数多(あまた)、 固唾(かたず)、手蹟(て)、流行病(はやりやまい)、上手(うま)い、欠伸(あくび)、 嘲笑(あざわら)う、微笑(ほほえ)む、躊躇(ためら)う、狼狽(うろた)える、
おなじ「かみ」でも、「上」「神」「督(か
み)、「守(かみ)、「大学頭(だいがくのかみ)」、「図書頭(ずしょのかみ)」、などが使われている。次の例はどうであろうか。
例:厳(いか)めしい、微(かす)か、疎(うと)
ましい、喧(やかま)しい、 姦(かしま)しい、艶(あで)やか、嬉(うれ)しい、拘(かかわ)らず、 恣(ほしいまま)に、悉(ことごと)く、猛々(たけだけ)しい、凄(すさ)まじい、 忌々(いまいま)しい、堅(かた)い、太々(ふてぶて)しい、吝(しわ)い、 清々(すがすが)しい、逞(たくま)しい、眩(まぶ)しい、眩(まばゆ)い、 穢(きたな)い、狡(ずる)い、忙(せわ)しい、
『泣くな道真』
は歴史小説であるから、道真の時代の風物や時代背景を描くのに必要な漢字もあったかもしれない。しかし、それがすべて訓であるというのは、どういうことだ
ろうか。作者は「やまとことば」に相当する漢語を探してそれに和語をあてはめているのである。その結果、「まぶしい」も「まばゆい」も「眩」という漢字が
あてられるという結果になっているという場合もある。 これだけの漢字を使わなければ日本語を表記するこ
とはできないものだろうか。次の漢字について書きかえが可能かどうか検討してみることにする。
例:罅(ひび)、遑(いとま)、洟(はな)たれ、
盥(たらい)、筥(はこ)、髺(もとどり)、
匠(たくみ)、理(ことわり)、字(あざな)、粢(しとぎ)、蜇蜴(とかげ)、 単(ひとえ)、痣(あざ)、黴(かび)、庇(ひさし)、嗜(たしな)み、餌(えさ)、 箍(たが)を外す、晴(ひとみ)、眸(ひとみ)、叢(くさむら)、骸(むくろ)、 旱(ひでり)、鋺(かなまり)、釃(しる)、巌(いわお)、倭(やまと)、翳(かげ)、 蝙蝠(かわほり)、薫物(たきもの)、汀(みぎわ)、蝦夷地(えぞち)、谺(こだま)、 闌(たけなわ)、局(つぼね)、芥(あくた)、虱(しらみ)、帳(とばり)、
○ 書きかえが可能であると思われる漢字
遑(暇)、洟(鼻)、筥(箱)、髺(本取り)、匠(工)、単(一重)、晴(眸)、 叢(草群)、旱(日照り)、鋺(金椀)、倭(大和)、薫物(香物)、汀(水際)、 谺(木霊)、翳(陰)、 ○ かたかなで書いてもいいと思われる漢字
蜇蜴(トカゲ)、蝙蝠(コウモリ)、 ○ ひらがなで書くより仕方がないと思われる漢字
罅(ひび)、盥(たらい)、理(ことわり)、字(あざな)、粢(しとぎ)、痣(あざ)、 黴(かび)、庇(ひさし)、嗜(たしな)み、箍(たが)を外す、餌(えさ)、 眸(ひとみ)、骸(むくろ)、釃(しる)、巌(いわお)、蝦夷地(えぞ地)、 闌(たけなわ)、局(つぼね)、芥(あくた)、虱(しらみ)、帳(とばり)、
漢字は表意文字だから、一字で一つの意味を表すこ
とができる利点がある。その半面、一つ一つの物や事象に一つずつ名前があって、それに一つずつ漢字をあてはめていけば、漢字の数は限りなく多くしなければ
ならないという欠点もある。 それに対して表
音文字である「ひらがな」は数が限られている。言語が使う音韻の数はどの言語でも限られているから、限られた数の文字で表記できるという利点がある。しか
し、音はその組み合わせで意味を表すことが多いので、文字を組み合わせることによってはじめて意味の単位を示すことができる。ひらがなだけの文章は意味の
単位が分かりにくいというのが欠点である。
小学校低学年の
「こくご」の教科書は「ひらがな」が多いから、意味の単位が分かりにくい。そのため、小学校3年生くらいまでの「こくご」の教科書では、分かち書きという
ことが行われている。しかし、社会一般で行われて書記法では「分かち書き」が行われていないから、漢字を交えないと意味の単位が分かりにくく、読みにくい
ということが起こる。 いくら漢字を制限しようとしても、漢字を少なくす
ると、かえって読みにくい文章になってしまうのだから、むずかしくても漢字を使わざるをえなくなる、というのが現在の日本語の表記法の問題ではないだろう
か。 世界の言語はほとんどが単語の単位が分かるように分かち書きされている。中国語には分かち書きの習慣はないが、中国語の場合は一文字が一音節であり、一音
節が一つの意味の単位なので漢字一つが一つの単語だといってもいい。
『泣くな道真』でも、和語にかなり漢字が使われて
いる。和語に漢字の振り仮名をして、その意味を表意文字で補っているようなものである。表音文字を意味を伝える手段として信頼していないともいえる。
例:蔑(さげす)む、慮(おもんばか)る、腫
(は)れる、詫(わ)びる、苛(さいな)む、 適(かな)う、享(う)ける、眇(すが)める、拵(こしら)える、呆(あき)れる、 生(な)す、生(む)す、娶(めと)る、懲(こ)りる、漁(あさ)る、滴(したた)る、 発(た)つ、宥(なだ)める、急(せ)く、滞(とどこお)る、穿(は)く、倦(う)む、 屈(かが)める、煌(きら)めく、目を瞑(つぶ)る、色褪(あせ)せる、逸(そ)れる、 労(いた)わる、塗(まみれ)る、愛(め)でる、雪(そそ)ぐ、餔(くら)う、 歠(すす)る、長(た)ける、庇(かば)う、贖(あがな)う、縊(くび)る、 紛(まご)う、孕(はら)む、零(こぼ)れる、嘶(いなな)く、阿(おもね)る、 滾(たぎ)る、擲(なげう)つ、軋(きし)む、気圧(けお)される、
これも
慣れが多分に関係しているのではなかろうか。例えば「享ける」と「受ける」は漢字としてそんなに意味が違うのだろうか。漢語には「享受」ということばも
あって「享」と「受」は同じ意味を強調するのに使われている。また、「生(な)す」と「生(む)す」は「なす」「むす」と書いた方が違いがわかりやすいの
ではなかろうか。 日本語の表記に
分かち書きを取り入れれば「さげすむ」「おもんばかる」「さいなむ」「こしらえる」「したたる」「とどこおる」「あがなう」「いななく」「おもねる」「な
げうつ」の方が、「蔑」「慮」「苛」「拵」「滴」「滞」「贖」「嘶」「阿」「擲」より読みやすく、書きやすいのではないかと思うのだがどうだろうか。
このように考え
てくると、日本語の表記法の問題点は漢字の数が多いことではないように思われる。和語の表記を漢字に頼り、訓読みすることが日本語の表記法の核心なのでは
ないだろうか。和語は日本語を表記するために発明された仮名で書くという原則を取り入れれば日本語の表記の問題は根本的に解決できるものと思われる。
白川静の『字通』は同訓異字の漢字を多くとりあげ
ている。その一部をみてみると次のようになる。
【あう】会、合、夆、逢、直、値、翕、遇、遭、
覯、覿、
【あな】孔、穴、坎、阱、穽、空、穿、堀、窟、窖、窠、科、窩、塹、竅、竇、鑿、
【いかり・いかる】忿、怫、艴、憤、怒、恚、悻、愠、嗔、瞋、憚、嚇、贔、
【うける】丞、承、応、享、饗、受、拝、奉、歆、稟、領、請、
【えらぶ】択、斁、芼、差、柬、銓、選、撰、簡、
【おおい】多、侈、衍、烝、衆、諸、庶、稠、夥、繁、蕃、饒、
【おもう】以、爲、謂、存、念、思、惟、意、憶、想、慕、懐、顧、
過去に一度でも使われたことのある「訓」を全部読
めるようにすることはとでもできるものではない。しかし、社会一般ではいまだに、漢籍の訓読によって生まれた漢字の訓読、つまり漢字にやまとことばをあて
る読み方、が広く行われているのである。
○ 漢字検定の隆盛
小学校の国語教育は日本の社会で行われている日本語を読み書きするのに十分な知識を子どもたちに与えているのだろうか。よく、国語が教育の基本であるとい
うことばを耳にする。学校で漢字を学ぶだけでなく、漢字検定も盛んで毎年250万人もの人が受験しているという。 日本漢字能力検
定協会というのがあって、その理念は「社会生活に必要な日本語・漢字の能力を高め、広く日本語・漢字に対する尊重の念と認識を高めるための普及啓発・支援
活動、調査研究、日本語能力育成活動を本邦及び海外にといて行い、我が国における生涯学習の振興を通じて日本文化の発展に寄与する。」とある。 「漢字検定」と
はいうものの、中国語を読み書きする能力ではなく、漢字による日本語表記能力の検定である。その点が外国語能力の検定である英検などとは違う。漢字検定に
は一般を対象にした1級から小学生を対象としたものまであるが、その主要部分は漢字の訓の読み書きである。その一部をみてみると次のような問題がある。
2級 高校卒業・大学・一般程度。 約2000
字。
海女(あま)、玄人(くろうと)、祝詞(のりと)、寄席(よせ)、
硫黄(いおう)、相撲(すもう)、草履(ぞうり)、凸凹(でこぼこ)など、
鶏口牛後、呉越同舟、驚天動地、孤立無援、などの四字熟語。
3級 中学校卒業程度。1600字。
乙女(おとめ)、風邪(かぜ)、足袋(たび)、雪崩(なだれ)、
4級 中学校卒業程度。1322字
小豆(あずき)、時雨(しぐれ)、土産(みやげ)、大和(やまと)、
日本における漢字の読み書きが、論語など漢籍の訓
読の伝統の延長線上にある限り、漢字検定の種は尽きない。
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