第234話  漢字文化圏の教科書 

 日本では明治維新とともにはじめられた国語改革は 戦後になってようやく結実し、漢字制限と現代かなづかいという形で学校教育はもちろん、新聞やテレビなどを通じて普及していった。漢字文化圏といわれる中 国、韓国、ベトナムではどうだっのだろうか。

 ○ 中国の国語改革

 中国では清朝末期、日清戦争後から国語改革の議論 が盛んになった。表音文字のない中国では、国語改革はまず漢字の簡略化、あるいはラテン文字化という方向で進んだ。そして、1912年に中華民国が成立す ると注音文字、つまり漢字の音を示すための字母を採用する案が通過し、1918年にはそれが公布された。
 1930年代になると魯迅が「漢字が滅びなければ 中国は必ず滅びる」とまで断言してラテン化を主張した。中国文明の大集成である漢字も、大多数の大衆にとっては文字を持たないに等しかったのである。しかし、注音文字にしてもラテン化にしても知識階 級や郷紳からは疑問が提出され、また、農民もこれまで官吏や地主が用いていた文字を習いたいという要望が多かった。
 1949年に中華人民共和国が成立すると北京に文 字改革協会が発足して、文字改革のための調査研究を開始した。全人口の80%が文盲であった当時の中国では文盲をなくすことが新中国建設のための必要条件 でもあった。中国では結局、簡体字が大幅に導入され、北京語を標準とした発音はラテン文字(アルファベット)で表示されるようになった。
 

【中国の教科書】
 現代の中国の小学校1年生のこくご教科書は『語文  
YUWEN』という。中国の教科書は横書きであるためにローマ字との併 記がしやすい。
 日本では教科書や新聞などは縦書きであるが、中国 では新聞も教科書も横書きである。漢字は簡体字が使われている。(ここでは漢字は日本人になじみのある字体で示し、中国で簡体字が使われているものには* をつけた。)
 

  第1課

 niăo  jiào  la    huā  kāi  la
  鳥*  叫   啦、  花  開*  啦、

 niăo  er    huă  er     duō  la
  鳥*  児*  花  児* 可 多  啦。

   men   ài   niăo bù  zhuō  niăo
  我 們*  愛* 鳥*  不 促   *

   men   ài   huā bù  zhăi  huă
  我 們*  愛* 花  不 摘  花。
 

 xiăo    é     mĕi zī 
  小   企 鵞*、 美 滋 滋、

 lǚ yóu  chuān  jiàn  hēi  guà  zi
  旅 游  穿    件   黑  褂  子、

 chū  mén  wàng  le   kòu  zi
  出  門*  忘    了 系 扣  子、

 lòu  zhe  bái  bái      zi
  露  着  白  白  大 肚 子、 

 dà bái é shuĭ shang piāo
  大 白 鵞*、水 上 漂、            

 tóu dài yì dĭng xiăo hóng mào
  頭* 戴 一 頂 小 紅* 帽

 shēng   bié  rén  méi fā   xiàn
  生    怕 別  人  没 発*  現*

 shēn zhe    zi  gāo  shēng  jiào
  伸  着  脖 子 高  声    叫。
 

 こうしてみると、同じ漢字文化圏とはいっても中国 と日本はかなり距離がはなれてしまったように感じられる。漢字の表記だけをとってみても、約3分の1は簡体字になって、日本で使われている漢字と違う。こ れでは中国人とは筆談もできない。日本の漢字の読み方はほとんど唐代の漢字音に近く、現代の中国語音とはかけ離れている。漢字がそれだけ日本の文字になっ てしまっているといえば、いえないこともないが、文字を見ても通じず、声を出して読んだらなお通じないという状態になろうとしている。
 ちなみに、中国の小学校1年生の教科書を日本語に するとつぎのようになる。 

 [中 国語]
 niăo  jiào  la    huā  kāi  la
 鳥*  叫   啦、 花  開*  啦
 [日 本語]
 鳥(ちょう)叫(きょう)
啦(ろう)花(か)開(かい) 啦(ろう)

 [中 国語]
 niăo  er    huă  er     duō  la
 鳥*  児*  花  児* 可 多  啦。
 [日 本語]
 (ちょう)児(じ)花(か)児(じ)可(か)多(た)
啦(ろう)
 
 日本では漢字音は呉音、漢音など呼びならわし、呉 音は中国の南方音を、漢音は唐の都長安の漢字音を正確に反映しているものと考えている。しかし、呉音といい漢音といい、いずれも中国語の四声を反映してい るわけでもなく、日本語化した発音であり、日本漢字音というべきものであることに変わりはない。
 

【簡体字】
 漢字の簡略化は清朝の末から、さまざまな動きがあ り、提案がなされていたが、本格的に
採用されたのは、中華人民共和国が成立した以降の ことである。1952年に中国文字改革研究委員会が設立され、1956年には「漢字簡化法案」が国務院によって公布されている。

 日本の小学校で教えられている漢字について、中国 で現在使われている簡体字と日本で使われている漢字が違うものについて*印をつけてみると次のようになる。(撥ねる、止めるなどのこまかい違いについては 除いてある)
 
  一年(80字のうち)
  円
*、 貝*、 気*、 見*、 車*

  二年(160字のうち)
  雲
*、 園*、 遠*、 海*、 絵*、 楽*、 間*、 顔*、 記*、 帰*、 魚*、 計*、 語*、 広*、 黒*、 細*
  姉
*、 紙*、 時*、 場*、 親*、 図*、 線*、 組*、 長*、 鳥*、 直*、 電*、 東*、 頭*、 読*、 馬*
  売
*、 買*、 風*、 聞*、 鳴*、 門*

  三年(200字のうち)
  悪
*、 員*、 飲*、 運*、 運*、 駅*、 開*、 漢*、 館*、 級*、 橋*、 業*、 銀*、 軽*、 決*、 県*
  庫
*、 歯*、 詩*、 実*、 写*、 終*、 習*、 植*、 対*、 談*、 帳*、 調*、 鉄*、 転*、 島*、 湯*
  動
*、 農*、 発*、 筆*、 氷*、 負*、 薬*、 遊*、 葉*、 陽*、 様*、 両*、 緑*、 練*

  四年(200字のうち)
  愛
*、 囲*、 栄*、 塩*、 億*、 貨*、 課*、 覚*、 関*、 観*`、 願*、 紀*、 機*、 議*、 給*、 挙*
  漁
*、 協*、 鏡*、 競*、 極*、 訓*、 軍*、 芸*、 結*、 験*、 殺*、 産*、 残*、 試*、 児*、 種*
  順
*、 焼*、 賞*、 積*、 節*、 説*、 浅*、 戦*、 選*、 倉*、 巢*、 側*、 続*、 孫*、 帯*、 隊*
  達
*、 単*、 置*、 貯*、 腸*、 低*、 底*、 伝*、 働*、 熱*、 敗*、 梅*、 飯*、 飛*、 費*、 標*
  辺
*、 満*、 脈*、 無*、 約*、 養*、 陸*、 輪*、 類*、 冷*、 歴*、 連*、 労*、 録*

  五年(185字のうち)
  圧
*、 営*、 衛*、 応*、 桜*、 仮*、 価*、 過*、 賀*、 確*、 額*、 幹*、 慣*、 規*、 義*、 許*
  経
*、 潔*、 険*、 検*、 現*、 減*、 個*、 護*、 効*、 鉱*、 構*、 興*、 講*、 災*、 採*、 際*
  財
*、 雑*、 賛*、 師*、 資*、 飼*、 識*、 質*、 謝*、 準*、 証*、 織*、 職*、 勢*、 製*、 責*
  績
*、 設*、 絶*、 銭*、 総*、 則*、 測*、 損*、 貸*、 態*、 団*、 張*、 適*、 敵*、 統*、 銅*
  導
*、 徳*、 備*、 評*、 貧*、 婦*、 復*、 複*、 仏*、 編*、 弁*、 報*、 豊*、 貿*、 務*、 夢*
  綿
*、 輸*、 預*、 領*

  六年(181字のうち)
  異
*、 遺*、 拡*、 閣*、 簡*、 机*、 貴*、 揮*、 貴*、 郷*、 劇*、 絹*、 権*、 憲*、 厳*、 誤*
  紅
*、 鋼*、 穀*、 済*、 視*、 詞*、 誌*、 捨*、 樹*、 収*、 衆*、 従*、 縦*、 縮*、 純*、 処*
  諸
*、 将*、 傷*、 針*、 聖*、 誠*、 専*、 窓*、 創*、 層*、 臓*、 誕*、 値*、 庁*、 頂*、 賃*
  討
*、 難*、 認*、 納*、 脳*、 拝*、 奮*、 並*、 閉*、 補*、 訪*、 訳*、 郵*、 優*、 覧*、 裏*
  臨
*、 論* 

 ここに*をつけたのは、見て明らかに違うものだけ を取り上げたので、「止める」「撥ねる」などの違いも含めればもっと違いは大きくなる。当然のことながら、学年が進み画数の多い漢字が多くなるにつれて、 簡体字の数は多くなる。日本でも漢字の簡略化は試みられているが、日本では漢字の字体については清朝の時代に編纂された『康煕字典』を規範としており、日 本の小学校で習う漢字は中国の簡体字と違うものが多くなっている。

 日本人は漢字の読み書きのために学校で多くの時間 を費やし、社会に出てからも一生漢字を覚え、その意味を理解することに努力して過ごす。奈良時代以来漢字は中国文明に向かって開かれた普遍性をもった文字 であった。しかし、その漢字は今や日本の国内でしか通じない内向きのものになってしまっている。 

 ○ 韓国の国語改革

 朝鮮半島は中国大陸と陸続きであり、早くも紀元前 108年には朝鮮半島の北部には漢の植民地である楽浪郡などがおかれ、中国文明の圏内に取り入れ、漢字文化の影響を受けてきた。
 朝鮮語は日本語と同じように用言の活用があり、名 詞の後に助詞がおかれる、いわゆる膠着語であり、中国語とはかなり違う言語である。朝鮮半島では書きことばは漢文、話しことばは朝鮮語という時代が続い た。しかし、やがて吏読など朝鮮語を漢字で表記する方法が考案され公文書などに用いられた。これは漢文で表せない朝鮮語の助辞や活用語尾を漢字の音を使っ て表記するもので、漢字による送り仮名ともいえる。

 日本の万葉集のように漢字の音と訓を使って朝鮮の 歌謡を表記した郷歌(hyang ga) なども残されている。「郷歌」の「郷」は中国文明 の中心から遠く離れた郷(さと)の歌という意味である。その名前字体からも、文明の中心は中国であるという意識が感じられる。
 その後、朝鮮では漢字の訓読みは行われなくなり、 漢字は朝鮮漢字音で読まれるようになった。

 李王朝の時代になると1443年には朝鮮語の表音 文字であるハングルが「訓民正音」、つまり民衆文字として、世宗によって制定された。ハングルは朝鮮語を表するために創製された表音文字である。しかし、 はじめは事大主義的な保守派から猛烈な反対を受けたという。当時の支配者である両班(yang ban) の公式な文書の文字は漢字であった。漢字こそは文 明を担うにたる文字である、というわけである。

 ハングルは朝鮮語の音韻を分析した結果できたきわ めて合理的な文字であり、諺文(eon mun) とも呼ばれた。諺文とは俗語、つまり朝鮮語をあら わすことばという意味である。諺文は支配階級の文字としてはあまり受け入れらず、民衆文字として女性や、私的文章に用いられていた。
 ハングルの使用が完全に花開くのは、日本の敗退を 待たねばならなかった。1945年には漢字廃止実行会が結成され、1948年には「ハングル専用法」が公布された。その後韓国では、ハングル専用を主張す る民族派と、漢字併用を主張する伝統的保守派が対立し、論争は現在も続いている。しかし、戦後の朝鮮は、中国との朝貢関係も清算し、日本の植民地支配から も決別し、ハングルが民族独立の象徴ともなっているのである。ハングルの「ハン」は「偉大なる」の意味が込められており、ハングルは卑俗なる文字から「偉 大なる文字」に昇格した。このため、一般社会ではハングル専用・横書きが、教科書でも新聞などでもすでに定着している。
 

 韓国の教科書
 韓国の国語の教科書はすべてハングルで表記されて おり、漢字は使われていない。小学校1年生の教科書をアルファベットに変換して示すと次のようになる。ハングルは表音文字だから規則的にアルファベットに 変換することができる。韓国の小学校の教科書からも、韓国語について、韓国語の表記法についてなど、いろいろなことを知ることができる。まず、小学校こく ご第1課の教科書を開いてみることにする。
                                                                      

 kuk-eo ilk-ki

  1.u-ri(わ たしたち)
 na, (わ たし)
 
neo, (あ なた)
 
u-ri,(わ たしたち) 

 a-peo-ji(お とうさん)
 
u-ri a-peo-ji,(わ たしたちの おとうさん) 

 eo-meo-ni,(お かあさん)
 
u-ri eo-meo-ni,(わ たしたちの おかあさん) 

 a-ki,(あ かんぼう)
 
u-ri a-ki,(わ たしたちの あかんぼう) 

 a-peo-ji,(お とうさん)
 
eo-meo-ni,(お かあさん)
 
na,(わ たし)
 
a-ki,(あ かんぼう)
 
u-ri a-ki,(わ たしたちの あかんぼう)
 u-ri ka-juk(わ たしたちの かぞく) 

 “kuk-eo ilk-ki”  は 「国語 一期」である。「語」は唐代中国語では語[ngia]、現代北京語では語(yu) であるが、韓国語では鼻濁音のng は語頭にくることなないので、片仮名で表記すると 「クック ヲ」のごとくなる。日本語では国語(ko-ku-ngo) であり、鼻濁音に発音される。現代の日本語では鼻 濁音の漢字は語頭にくると語頭(go-tou) のように鼻濁音ではなく濁音に発音される。しか し、古代においては日本語でも鼻濁音は語頭にくることがなかったので、御[ngia] は「お」、魚[ngia] は「うお」などというように、韓国語と同様に鼻濁 音は脱落した。
 最後の行の
ka-juk は「家族」であり、日本語、朝鮮語とも中国語起源のことばである。

○ 一(il)
 「一期」は韓国語では「イルッキ」のごとく発音す る。韓国語では中国語の入声韻尾(-t) は規則的に(-l)になる、という音韻変化の法則がある。唐代中国語 の「一」は一[iet] であり、それが日本漢字音の一「いち」になった。 韓国語では、中国語の韻尾[-t][-l] となるから韓国語の「一」は一(il) である。しかし、中国語の一[iet] は現代の北京語では韻尾の[-t] が失われて一(yi) になった。韓国の漢字音も日本漢字音も唐代の古い 中国語音の痕跡を留めていることになる。韓国語では「日本」もil-pon(イルボン)である。
日本語でも中国語の韻尾
(-t) がラ行で発音された時期があったようで、訓読のな かにその痕跡を留めているものがある。

 例:擦[tsheat](サツ・する)、刷[shoat](サツ・する)、拂[piuət](フツ・はらう)、
   滅
[miat](メツ・ほろぶ)、絶[dziuat](ゼツ・たえる)、掘[khiuət](クツ・ほる)、

 ○ u-ri
 u-ri
は韓国語の「わたしたち」であり、日本語の俺(お れ)、あるいは中国語の俺[am]に関係があることばであろう。
 ハイフン
(-)でつないだところは音節の単位であり、ハングルは 日本語の仮名と同じく音節文字である。しかし、日本語の仮名が母音で終わる音節(開音節)しか表記できないのに対して、ハングルは子音で終わる音節を一文 字で表すことができる。このため、kuk-eo ilk-ki の ように中国語の「国語 一期」という四音節の中国語を中国語と同じ四文字のハングルで表記できる。ka juk は「家族」の朝鮮語読みである。

 ○ a-peo-jieo-meo-ni
 a-peo-ji 
「アボジ」はお父さん、 eo-meo-ni 「オモニ」はお母さん、a-ki「アギ」は赤ん坊である。
日本でも記紀万葉の時代には「おもに」「あぎ」な どということばが使われていた。
 

  いざ阿藝(あぎ)野に蒜摘みに(紀歌謡35)
  いざ子ども野蒜摘みに(記44)
  わが門の五株柳いつもいつも於母(おも)が戀ひすす業ましつしも(万4386)
  緑兒のためこそ乳母(おも)は求むと云へ乳飲めや君が於毛(おも)求むらむ (万2925)
 

 朝鮮語では語中、語尾ではp k も濁音になるので、表記は清音だが、発音は「アボ ジ」「アギ」と濁音になる。日本語でも林(はやし)は語頭では「は」で清音であるが、小林(こばやし)のように語中にくると濁音になることばは多い。古い 仮名書きの文書などでは日本語でも濁点はなく、清音で表記したものを語中、語尾では濁音で読んでいた。しかし、中国語からの借用語などで語頭に濁音のくる 語が多くなってくると、学校(がっこう)、外国(がいこく)、餓鬼(がき)、疑問(ぎもん)、などが増えてくると「鬼門(きもん)」と「疑問(ぎもん)」 などを区別する必要が生まれ、濁音には濁点をつけるという表記法が普通に行われるようになった。

 ○ neona
 neo
「あなた」は中国語の汝[njia] と関係のあることばである可能性がある。古代日本 語でも汝(な)ということばが使われている。例えば柿本人麻呂の「淡海の海 夕なぎ 千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしえ)思ほゆ」(万 266)の汝(な)は韓国語のneo「あなた」と同源であろう。
 朝鮮語には
na「わたし」と、neo「あなた」と音が近いが、日本語でも万葉集の時代 には「な」が「わたし」に使われている例もある。 

  「うぐひすの 生卵(かひこ)が中に ほととぎす ひとり生まれて 己(な)が父に
  似ては鳴かず、、、」(万1755)虫麿家集
  「己(な)が母を 捕らくを知らに 己(な)が父を 捕らくを知らに いそばひをるよ
 斑鳩とひめと」(万3239)
 

 日本語と朝鮮語は時代を遡るほど似ているようであ る。さらにいえば、a-peo-jipeo は中国語の父[biua] に近く、eo-meo-nimeo は母[mə] に近く、eo-meo-ni ni は女[njia] と関係があることばである可能性がある。
 古代の日本語でも朝鮮語の
eo-meo-ni のように中国語のmの音の前に母音をそえたことば はいくつか見られる。

 例:妹(いも)、未(いまだ)、梅(うめ)、馬 (うま)、海(うみ)、埋(うもる)、

 日本語と朝鮮語は文法の構造が似ているばかりでな く、語彙も古代に遡ると似ているものが多くなる。

 ○「曜日」の呼び名
 例えば、「曜日」についてみると、韓国も日曜日、 月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日という。その点は日本も韓国も同じである。しかし、読み方は殆どまったくといっていいほど違う。韓国語で は次のようになる。

 日曜日(il-yo-il)、月曜日(wol-yo-il)、火曜日(hwa-yo-il)、水曜日(su-yo-il)木曜日(mok-yo-il)
 金曜日
(keum-yo-il)、土曜日(to-yo-il)

 中国から伝わった端午、七夕、重陽なども日本と韓 国は共有しているが、話しことばでみる限り、それが共通の語源からきていることに気づくのはむずかしい。

     現代北京語  朝鮮語     日本語
 端午  
duan-wu    tan-o     たんご
 七夕  
qi-xi     chil-seok      たなばた     
 重陽  chong-yang       jung-yang         ちょうよう   

 これらはいずれも、唐代の中国語を語源としてお り、現代の北京語は唐代の中国語音から変化し、日本語や朝鮮語の発音はそれぞれの言語の音韻構造に適応して変化しているので、中国、朝鮮と日本が同じ語源のことばを使っている ことは気づかないのが普通である。すでに、朝鮮通信使の時代から、日本と朝鮮は漢詩のやりとりをしたが、筆談によるのを例としたという。その漢字も朝鮮で はほとんど使われなくなってしまっている。

 ○ ベトナム語の表記

 ベトナム語は日本語や朝鮮語と異なり、比較的中国 語に似ている言語である。ベトナム語は中国語と同じく動詞+目的語の語順であるが、名詞の修飾語は中国語とちがって、名詞の後に置かれる。たとえばベトナ ムは漢字で書けば「越南」であるが、これは越の南ではなく、南の越という意味である。
 国名の「ベトナム」は中国語の「越南
(yue nan)」 のベトナム語読み「越南(viet nam)」である。現在のベトナム北部は秦によって象郡が 置かれて以来、中国の支配地域とるなど、中国文化の強い影響を受けた。そのため、ベトナムの古典や歴史的文献は漢字を使って漢文で書かれている。

 ベトナムは1945年以降、漢字を完全に廃止し、chŭr quôk ngŭ(漢字で書けば「字国語」つまり「国語字」)と呼 ばれるアルファベットを使用している。しかし、ベトナム語の語彙の60%は、実は漢字に由来することばであるという。だから、文字としての漢字は使われて いないが、漢字に由来することばは、依然として高い比率を占めている。
 ベトナムには字喃(チューノム)と呼ばれる漢字を 応用した民族文字も作られたこともある。しかし、漢字の意味とベトナム語の音を篇と旁の組み合わせによってあらわそうとするような複雑な文字であり、つい に普及をみることはなかった。

 1858年にはフランスによってコーチシナ総督府がお かれ、クオック・グー(quoc ngu)というアルファベット表記を推進した。その結果、 漢字の使用は次第に頻度が少なくなっていた。しかし、ベトナム語のアルファベット表記が本格的に採用されたのは、1945年阮王朝の滅亡からである。公式 な漢字の廃止はさらに遅く1954年からである。この年からベトナム民主共和国の紙幤から漢字は消えている。
 現在では日常生活で漢字が使用されるのはテト(旧 正月)や中秋節などの伝統行事や仏事、冠婚葬祭などだけである。クオク・グーではことばの語源が分からなくなるなどと嘆く旧守派もいないではないが、中国 の軛から脱したいという思いが一般的に強く、漢字への復帰を望む世論はほとんどみられない。

 ベトナムの教科書
  日本には教科書センターという機関があって、日本の教科書ばかりでなく、中国や韓国の教科書も見ることができるが、ベトナムの教科書はない。ベトナム大使館にも問い合わせてみたが、日本にはないということだった。
 やむなく、ある人を介してベトナムから教科書を送ってもらうことになった。ベトナムでは一般の書店も教科書が手にはいるとのことであった。

 ベトナムの1年生の「こくご(Tieng Viet)」の教科書は日本の「こくご」の教科書と同じく、上(Tap Mot=第1集) と下(Tap Hai) に分かれている。Tieng はベトナム語で「ことば」、Viet は漢語で「越」である。Tap は漢語で「集」、Mot はベトナム語で「1」、Hai はベトナム語で「2」である。このほかに上巻下巻ともに練習帳が1冊ずつと、アルファベットの書き方を習うための冊子がついている。

 編纂しているのはBO GIAO DUC VA DAO TAOで漢字になおすと「BO(部) GIAO DUC(教育) VA(と) DAO TAO(陶造)」だから「教育陶冶部」ということになる。ベトナムの文部省にあたるところである。ベトナム語の語彙は70%が漢語だといわれているが、小学校の教科書には漢字は一つも使われていない。Be(子牛)、ve(蝉)などをベトナム語であるが、漢語起源と思われる語彙も多く見られる。

  le(梨)、he(夏)、xe(車)o to(オート)=(オートバイ)、se(雀)、ga(鶏)、
  bo(父)、me(母)、chi(姉)、kha(歌)、mua(買う)、ngoi(瓦)、meo(猫)、
  sao
(星)、dien電気)、yen(燕)、don ruong(田園)、chuong(鐘)、but(筆)、

 発音はベトナム漢字音になっているので、語源は中国語と分かるものが多い。Se(スズメ)は日本語の「カラス」「ウグイス」「ホトトギス」などと同じ「ス」で中国語の「鵻」と同源であろう。

  ベトナムにおける「こくご」教育には三つの目標がある。Tap Doc(読む)、Tap Viet(書く)、Lyuen Noi(話す)である。Lyuen は「練習」の「練」、Noi はベトナム語の「話す」である。

 ベトナム語には六つの声調があり、長母音、短母音、狭音(せまい母音)、開音(唇を丸くしない音)などがあるから、表記にはアルファベットにさまざまな付加記号がつけられていて、それを正しく区別するのは大変のようである。

  小学校1年生の「こくご」の教科書をのぞいてみることにする。ここでは付加記号は省略してある。*印のついているのは漢語である。

  Viet Nam dat nuoc ta oi
 Viet Nam(越** dat(土地* nuoc(水) ta(我が) oi(呼びかけのことば)

  Menh mong bien lua dau troi dep hon     
 Menh mong(広々とした) bien(海) lua(稲) dau(いたるところ) troi(天空) dep(美しい)
  hon
(とても)

  Canh co bay la dap don
 Canh(翼) co(鷺) bay(飛*ぶ) la(低く) dap(覆う) don(単*独で)

  May ma che dinh Truong Son som chieu.
 May(雲) ma(少し) che(隠す) dinh(頂* Truong Son(長** som(朝) chieu (夕).

  日本語にすると次のようなろうか。

  「おう、ベトナムの山河よ。
 たわわに実る田んぼが広々とひろがり美しい国土だ。
 鷺が空いっぱいに翼をひろげて低く飛び、
 長山には雲がたなびき、朝な夕なにその山頂を隱す」

  声調言語であるベトナム語は韻律を重んじる言語である。ベトナム語は中国語と同じく、一つの単語は原則として単音節である。日本語や朝鮮語とちがって用言の活用はなく、「てにをは」のような助詞もほとんどつかわれずに語順が重要になる。形容詞は名詞の後にくる。
  小学校の低学年で習うベトナム語には漢語は多く使われていない。しかし、ベトナム語も漢語起源のことばもすべてアルファベットと表記されていて、何の問題もない。一音節を基本とする言語だから音節ごとに分かち書きされている。

 ○ 日本語でカ行であらわれる漢字音のなかにはベト ナム語ではハ行であらわれるものがかなりみられる。

 例:漢(han)、学(hoc)、含(ham)、函(ham)、艦(ham)、降(hang)、濠(hao)、浩(hao)、渾(hon)
   花(hoa)、華(hoa)、火(hoa)、懐(hoai)、還(hoan)、換(hoan)、弘(hoang)、戸(ho)、蛍(huynh)

 これらのベトナム漢字音は古い時代の中国南部の漢 字音の痕跡をとどめたものであり、これらがすべて日本語と関係がるとはいえないにしても、このうちいくつかは古い時代に日本語に取り入れられたものがあ り、それが日本語の訓として残っている可能性は高い。
 例えば、含
(ham)ふくむ、函(ham)はこ、降(hanh)ふる、濠(hao)ほり、花・華(hoa)はな、火(hoa)ひ、還(hoan)かえる、換(hoan)かえる、弘(hoang)ひろい、蛍(huynh)ほたる、戸(ho)へ、などはどうだろうか。

 ○ 日本語のサ行音はベトナム語音ではタ行であらわ れることが多い。千・天(thien)、鉄・設・切(thiet) などである。

 例:作(tac)、散(tan)、心(tam)、辰(than)、十(thap)、妻(the)、手(thu)、取(thu)、盾(thuan)、 
  
  (thuyet)、常(thuong)、丈(truong)、足(tuc)、縦(tung)、絶(tuyet)、続(tuc)、歳(tue)
           (tu)、司(ty)、民(dan)、寅(dan)、地(dat)、酉(dau)、妙(dieu)、鳥(dieu)

 現代のベトナム漢字音は古い時代の中国南部の漢字 音の痕跡を留めているものと考えることができる。また、現在は訓読みと考えられている漢字の読み方も、ベトナム漢字音と同じように古い時代の中国南部の漢 字音の痕跡である可能性がある。

 例:作(つくる)、散(ちる)、心(たま)、辰 (たつ)、十(とお)、妻(つま)、手(て)、   取(とる)、盾(たて)、説(とく)、常 (つね)、丈(たけ)、足(たる)、縦(たて)、   絶(たえる)、続(つづく)、歳(とし)、 寺(てら)、司(つかさ)、民(たみ)、
   寅(とら)、地(つち)、酉(とり)、妙(た え)、鳥(とり)

 ○「神」はベトナム漢字音では神(khan) である。
 ベトナム漢字音では「神」は神
(khan) である。ベトナム漢字音の神(khan) と日本語の神(かみ)とは関係がないのだろうか。 それを証明するためには日本語のカ行であらわれる漢字音が規則的にベトナム語では(kh-) であらわれることを証明しなければならない。しか し、ベトナム語の辞書を調べてみてもそれを証明することは不可能のようにみえる。
 しかし、日本語の神(かみ)と中国語の神
(shen) が同源である可能性を示す旁証はないことはない。 神と同じ声符を持つ乾坤の「坤」は坤(kun) である。また、同じ声符を持った漢字で斯(si) と期(qi)、支(zhi) と技(ji) など日本漢字音ではサ行とカ行によみわけられてい る例はいくつかあげることができる。
 ベトナム語の神
(khan) と日本語の神(かみ)はいずれも古い中国語南部の 漢字音の痕跡をとどめたものであろう。中国では隋の時代にi介音が発達したという事実が知られている。「神」 は中国南部の古代音では神(khan) に近い音だったものが、i介音の発達により神(jin)あるいは神(zhin) になり、日本漢字音では神(シン)として受け入れ られるようになった、と考えることができる。ベトナム漢字音が神(khan) であることは、その旁証である。 

 ○ 漢字とことば

  漢字は東アジアで唯一の文字であったために、周辺の言語は漢字を文字として採用し、文字とともに中国語の語彙が日本語、朝鮮語、越南語などに多く取り入れ られた。日本語に中国語の語彙が多く取り入れられるようになるのは、日本が本格的文字時代に入る奈良時代以降であり、日本漢字音は基本的に唐代の漢字音を 規範としている。
 しかし、唐代以降千年以上の歳月を経て、中国語も変わり、漢字文化圏と呼ばれる国々の言語も変わった。
 例えば、曜日の概念が一般的に使われるようになるのは、西欧との接触が始まって以降のことであるが、その曜日の呼び方を調べてみると次のようになる。
 

【曜日の呼び名】
 日本語   
               中国語             朝鮮語    ベトナム語
 日曜日(にちようび) 星期一
(xingqi yi)   (il-yo-il)           (chu nhat)
 月曜日(げつようび)    星期二(xingqi er)     (wol-yo-il)       (thu hai)
 火曜日(かようび)      星期三(xingqi san)   (hwa-yo-il)、    (thu ba)
 水曜日(すいようび)   星期四(xingqi si)     (su-yo-il)、    (thu tu)
 木曜日(もくようび)   星期五 (xingqi wu)   (mok-yo-il)     (tu nam)
 金曜日(きんようび)   星期六(xingqi liu)     (keum-yo-il)、  (thu sau)
 土曜日(どようび)       星期七(xingqi qi )      (to-yo-il)    (thu bay) 

 中国語では「一月」、「二月」とおなじように数字で「星期一」「星期二」などと呼ぶ。日本語では「日曜日」「月曜日」と呼ぶ。「日曜日」「月曜日」という呼び名は、もともと中国でSunday=sun dayMonday=moon day の訳語として用いられていたものだが、現在の中国では使われていない。

 ベトナム語は中国と同様に曜日は数字で呼ぶ。ベトナム語のchu nhat は「主日」、hai(二)、 ba(三)、 tu(四)、 nam(五)、 sau(六)、 bay(七)である。

 朝鮮語の(il-yo-il) (wol-yo-il)は漢字で表記すれば、それぞれ「日曜日(il-yo-ol)」「月曜日(wol-yo-il)」であり、発音は違うが日本語と同じである。 

 現在では朝鮮語もベトナム語も漢字を用いていないから、筆談でも通じない。日本語の曜日は漢字で表記されているが、中国語の語彙が変わってしまったので、これも筆談でも通じない。漢字文化圏ということば、ことばとしては残ったが、実態は死語に近くなってしまっている。

もくじ

第227話 1年生の「こくご」

第228話 かなづかいを学ぶ

第229話 1年生で習う漢字

第230話 小学校で習う漢字

第231話 学校の「国語」と社会の「日本語」

第232話 書きことばの変遷

第233話 国語改革の歴史

第235話 漢字が亡びるとき