第229話  1年生で習う漢字 

 平成4年の「小学校学習指導要領」では教育用漢字 は1006文字と定められている。小学校1年生はそのうち80字を学習することになっている。それはどの教科書を使っても同じである。 

 一、 二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、月、火、水、木、金、土、日、年、右、左、 上、中、下、大、小、赤、青、白、口、耳、目、手、足、男、女、人、子、雨、空、天、花、草、 竹、山、林、森、川、田、石、犬、虫、貝、学、校、 本、字、文、村、町、円、王、音、気、休、 玉、見、糸、車、出、正、生、夕、先、早、入、名、立、力、 

 光村図書の「こくご」の教科書の場合、最初に習う 漢字は「一」である。 

  いちねんせいの 一
 いちばん はじめの 一
 

 次に習うのは「木」「口」「目」である。 

  「木」と いう かんじは、「き」の すがたから できました。
 うさぎの こは、あわてて 口を おさえました。
 あめは、はげしく なり、目を あけて いられないほどです。 
 

 「かんじの はなし」という課もあって、次のよう に説明されている。 

  かんじは、はじめは、かんたんな えのような ものでした。
 「やま」の すがたから、「山」と いう かんじが できました。
 「みず」の ながれる ようすから、「水」と いう かんじが できました。
 そらから「あめ」が ふる ようすから、「雨」と いう かんじが できました。
 「うえ」に、ものが ある ことを しめす しるしから、「上」と いう かんじが 
 できました。
 「した」に、ものが ある ことを しめす しるしから、「下」と いう かんじが
 できました。
 

 漢字は象形文字 だといわれている。「『木』と いう かんじは、『き』の すがたから できました。」という説明は分かりやすい。小学校1年生で習う漢字は訓読みの文 字が多い。日本語は『木』を「き」とも書き「木」とも書くが、それは同じものを指す。どうして、同じ物をあらわすのに「き」を「木」と書き、「め」を 「目」と書くのだろう。ひらがなは日本語を表記するために生まれた文字だから、ひらがなさえあれば日本語は表記できるのではなかろうか。

 「木」「山」 「水」「上」「下」は「かんたんなえのようなものでした」という説明でいいとして、「青」や「赤」、「学校」などは、どんな姿をしているのかと聞かれたら 小学校の先生は何と説明するのだろう。日本語(和語)を漢字で教えるのはなぜか。もう一度考えてみる価値はありそうである。日本語の歴史は漢字を使い続けた歴史でもある。江 戸時代の藩校では四書、五経を中心とした中国古典の素読が行われていたという。そのDNAが現代の国語教育にも引き継がれているのではなかろうか。

 数を習うのは 「さんすう」だが、「こくご」で習う数だって簡単ではない。数字もまた大変である。「一」「二」「三」は角数と数字が一致しているが、「四」は五角であ り、「五」は四角である。「百」「千」にいたっては、文字の形から概念を類推することは全くできない。しかも日本語では同じ漢字を場合によって違う読み方 をする。 

  一(いち・ひとつ)、二(に・ふたつ)、三(さん・みっつ)、四(し・よん・よっつ)、
 五(ご・いつつ)、六(ろく・むっつ)、七(しち・なな・ななつ)、八(はち・やっつ)、
 九(きゅう・く・ここのつ)、十(じゅう・じっ・とお)、
 

 「ひつじさん」の数を一匹から十匹まで数えてみる ことにする、 

  一(いっぴき)、二(ひき)、三(さ んびき)、四(よんひ き)、五(ひき)、
 六(ろっぴき)、七(ななひき)、八(はっぴ き)、九(きゅうひき)、十(じゅっぴき)、
 

 「一」「二」「三」「五」「六」「八」「九」 「十」は音読みであり、「四」「七」は訓読みである。数字が促音便「」になっているもの、「匹」が「びき」「ぴき」に なっているものが見られる。

  「ひき」:二(にひき)、四(よんひき)、五(ごひき)、七(ななひき)、九(きゅうひき)、
  「びき」:三(さんびき)、
  「ぴき」:一(いっぴき)、六(ろっぴき)、八(はっぴき)、十(じゅっぴき)、
 

  日本の漢字音は唐代の中国語音を継承している。 「一」から「十」までの漢数字の唐代の音を調べてみると、次のようになる。 

  一[iet]、 二[njiei]、 三[səm]、 四[siei]、 五[nga]
    [liuk]、 七[tsiet]、 八[pet]、 九[kiu]、 十[zjiəp] 

  ここに、いくつかの法則が隠されていることが読み とれる。 

1.訓読みの漢数字のときは匹(ひき)と読む。
  四(よんひき)、七(ななひき)、

2.
数字の中国語原音が入声音(-p-t-kで終わる音節)のときは匹(ぴき)と読む。
  一
[iet]いっぴき、 [liuk]ろっぴき、八[pet]はっぴき、十[zjiəp]じゅっぴき、
3.数字の中国語原音の韻尾が[-m](あるいは[-n])のときは匹(びき)と濁る。
  三
[səm]さんびき、
4.数字の中国語原音が母音で終わるときは匹(ひき) と読む。
  二
[njiei]にひき、五[nga]ごひき、九[kiu]きゅうひき、

  しかし、なぜ「四」「七」は訓で読み、それ以外は 音で読むのかは明らかでない。さらに、「日」の読み方になるともっと複雑になる。 

  一日(ついたち)、二日(ふつか)、三日(みっか)、四日(よっか)、五日(いつか)、
 六日(むいか)、七日(なのか)、八日(ようか)、九日(ここのか)、十日(とおか)、
 二十日(はつか)、
 

 「日」の数字はすべて訓で読む。二日(ふつか)、 三日(みっか)の「か」も訓である。「日」の訓には日(か)と日(ひ)がある。
 日本語の日(ひ)は恐らく朝鮮語の
hae(太陽)と関係のあることばであろう。日(か)は 朝鮮語のhaeの日本化した発音だろうと思われる。日本漢字音で はカ行であらわれる文字も朝鮮漢字音では’h’ であらわれることが多い。 

 例:(ha)、 夏(ha)、 賀(ha)、 学(hak)、 鶴(hak)、 函(ham)、 漢(han)、 韓(han)、 恨(han)
   寒
(han)、 函(ham)、 濠(ho)、 合(hap)、 航(hang)、 港(hang)、 行(hang)、 降(hang)
   海
(hae)、 害(hae)、 核(haek)、 灰(hui)、 火(hwa)、 花(hwa)、 話(hwa)、 香(hyang)、 饗(hyang) 

 カ行の音とハ行の音は近く、日本漢字音でカ行に なっているもので、現代北京語で’h’ であらわれるものをあげれば、次のようなものがあ る。 

 例:(he)、 賀(he)、 鶴(he)、 漢(han)、 韓(han)、 恨(hen)、 寒(han)、 函(han)、 濠(hao)
   合
(he)、 行(hang)、 海(hai)、 害(hai)、 核(he)、 花(hua)、 話(hua)、 灰(hui)、 火(huo) 

 日本語のハ行音は’fa’ で あったとはよく云われることであるが、それは恐らく平安時代以降のことであり、中国語や朝鮮語から古い時代に日本語に入った語彙のなかには、現代の日本語 でカ行で発音されているものがハ行で受け入れられているものがかなりあるようである。日本語の「花(はな)」なども中国語の「花(hua) あるいは朝鮮語音の「花(hwa)」と関係のあることばである可能性がある。また、 「灰(はい)」「火(ひ)」なども中国語と同源である可能性が高い。 

 学年別漢字配当表によると小学校1年生に割り当て られている漢字の数は80である。それらの漢字の読み方はどうなっているのだろうか。光村図書の1年生の「こくご」について調べてみる。 

【訓読の漢字】
 木(き)、林 (はやし)、森(もり)、山(やま)、花(はな)、水(みず)、空(そら)、
 雨(あめ)、竹(たけ)、草(くさ)、田(た)、川(かわ)、石(いし)、犬 (いぬ
)、
 虫(むし)、貝(かい)、男(おとこ)、女(おんな)、子(こ)、名(な)、人(ひと)、
 口(くち)、目(め)、手(て)、耳(みみ)、足(あ し)、糸(いと)、玉(たま)、
 町(まち)、村(むら)、間(ま)、土間(どま)、音(おと)、力(ちから)、休(やす)み、 夕(ゆう)、赤(あか)、青 (あお)、白(しろ)い、小(ちい)さい、早(はや)、
 右(みぎ)、左(ひだり)、上(うえ)、下(した)、中(なか)、見(み)る、出(だ)す、
 出 (で)る、立(た)つ、入(はい)る、
 

【音読の漢字】
 学校(がっこ う)、字(じ)、本(ほん)、五本(ごほん)、五百(ごひゃく)円(えん)、
 千(せん)円(えん)、気(き)、王(おう)さま、一年(いちねん)、先生 (せんせい)、
 九十八(きゅうじゅうはち)、九十九本(きゅうじゅうきゅうほん)、
 九十四年(きゅうじゅうよねん)、 

 小学校1年生では訓読みの漢字が多く教えられてい ることが分かる。訓読と音読の二つ以上の読み方のあることばも少なくない。 

【音訓に読み分ける漢字】
 大:大(だい)すき、大(おお)きな くじら、
 天:天(てん)にとどく、天(あま)の川、
 正:お正月(しょうがつ)、正(ただ)しい、
 月:お正月(しょうがつ)、六か月(げつ)、月(つき)が でる、
 車:じどう車(しゃ)、糸車(いとぐるま

 日:まい日(にち)、三日(か)、日(ひ)、日(にち)よう日(び)

 火:火(か)よう日、火(ひ)のようじん、
 金:金(きん)よう日、お金(かね)、
 土:土(ど)よう日、土(つち)あそび、
 生:一年生(いちねんせい)・生(う)まれる、
 

 上の文章で「月」は「正月(しょうが つ)」とも「六か月(げつ)」とも読む。「日」は「三日(みっ)」とも「日(ひ)」とも、 また「日(にち)よう日(び)」とも読む。

 ちなみに、現代の中国語では曜日の名は日曜日、月 曜日ではなく、星期日(日曜日)、星期一(月曜日)、星期二(火曜日)、星期三(水曜日)、星期四(木曜日)、星期五(金曜日)、星期六(土曜日)、上星 期(先週)、下星期(来週)である。

 曜日の概念は古 代バビロニアで生まれたもののようである。唐の時代に中国に留学した密教の僧侶が日本にもたらし、朝廷では吉凶判断に用いられていた。「曜」は日、月、星 の総称で、光り輝くことをも意味する。江戸時代までは一般にはほとんど使われることがなかった。明治以降に普及したものである。中国では名称が変わってし まって、日本語のほうが古い漢語の痕跡を留めている。日曜日(Sunday)、月曜日(Monday)などは、ヨーロッパの曜日の漢語訳である。
 日本と中国では漢字の使い方は必ずしも同じではな く、漢字は日本語のための文字となっていることが多い。しかも、日本漢字音は現代の北京音とは異なり、唐代の中国語音の痕跡を留めている。
 

 訓は漢字の意味に見合った日本語をあてるものだか ら、同じ漢字でもいくもの読み方がある場合もある。

   上:つくえの上(うえ)、もち上(あ)げる、立ち 上(あ)がる、上(あが)れない、
  下:つくえの下(した)、下(お)りる、川下(かわしも)、ぶら下(さ)がる、
 

 しかも、「上(あ)がる」「上(あ)げる」は送り 仮名が「が」「げ」からふってあるが、「上(あが)れない」では「上」は「上(あが)」と読ませている。「上(あげ)れない」と読むのを防ぐためであろう が、送り仮名の規則もむずかしい。 

 訓読みの漢字のなかには同じ漢字が違った意味に使 われている例もある。 

 例:「目(め)を あける」、「四(よ)じかん目 (め)」、
 
    「赤(あか)い」、「赤(あか)ちゃん」、 

 「四じかん目 (め)」と「目(め)を  あける」では同じ「目」でもまったく意味が違う。
赤(あか)い」と「赤(あか)ちゃん」も違うように思う。「四じかん 目」とか「赤ちゃん」という漢字の使い方はどのようにして生まれたのであろうか。
 『広辞苑』によると、「赤ちゃん」は「赤ん坊を親しみをこめていう語」だという。「赤ん坊」のところを見ると「生まれてまもない子供。体が赤みがかってい るからいう。赤子。あかんぼ」とある。漢字の「赤」に は「赤ん坊」という意味はあるのだろうか。山本書店発行の『支那文を読む為の漢字典』では「赤」の五番目の意味として「裸なり。「赤体」「赤足」の如し。 又、生まれたばかりの小児を「赤児」といふ」とある。漢語でも「赤」には「赤ん坊」という意味があるのである。
 

 漢字の「目」はどうであろうか。やはり『支那文を 読む為の漢字典』によると漢語の意味は次のようになる。

 1.人及び動物の視官なり。
 2.称なり。名称を亦た「名目」ともいふが如し。
 3.品題なり。「目之爲神品」といふが如し。
 4.条件なり。「科目」といふが如し。
 5.分格なり。網罟の大縄を縄と為し、其細縄にて結成 せられたる方格を目と為す。
  6.目録なり。書籍に「書目」あり、文字に「篇目」あ り、其次第を「目次」と謂ふ。

 「四じかん目」の「目」は5(網の目)であろうか。『広辞苑』では次のように書いてある。

   1.物を見る働きをする所。
2.
目の働き。
3.目に見えたもの。
4.目に似た形のもの。
5.「秤の目」から転じて、物の重さに関すること。
6.物の接する所などに生ずる筋。
7.[接尾]その順番であることを表わす。「五番_」「二つ _」「三段_」

 日本語の「目(め)」は広辞苑では7(順番)でる ことは明白である。 

 日本語の「赤ちゃん」「四ばん目」の「赤(あ か)」や「目(め)」は和語ではあるが、漢語の「赤」や「目」の意味の範囲と重なっているように見える。「赤」の唐代の中国語音は赤[thjyak] であり、日本漢字音は赤(セキ・シャク)である。 やまとことばの「あか」は赤[thjyak] の頭音が脱落したものである可能性がないではない が、一般には訓の「あか」は音の、赤(セキ・シャク)とは関係のないことばであると考えられている。
 また、「目」の唐代中国語音は目
[miuk] であり、日本漢字音は目(モク)である。やまとこ とばの「め」は目[miuk] の韻尾が脱落してものである可能性もあるが、一般 には訓の「め」は音の目(モク)とは関係のないことばだと考えられている。しかし、漢字の「赤」「目」と日本語の「あか」 「め」の意味の範囲はかなり重なっている。それは偶然なのだろうか。例えば、英語の赤(red)と赤ん坊(baby)とはまったく関係のないことばである。また、英語 の序数first,second,thirdは目(eye)とは全く関係のないことばである。 

 漢語の「赤」や「目」の意味の範囲と日本語の訓 「あか」や「め」の意味の範囲がかなりかさなっているとすれば、その原因は二つ考えられる。

    1.日本語は漢字を使って表記することにより、漢語の 意味の範囲が和語の意味の範囲に
  影響を与えた。

2.
日本語の「あか」「め」は日本漢字音が確立される 前に、弥生時代以来の中国大陸との 

交流のなかで日本にもたらされたことばの弥生音で ある。「あか」は赤[thjyak] の倭音であり、「め」は目[miuk] の倭音である。 

 いずれにしても、小学校1年生は「こくご」の時間 に赤(あか)と同じ字を使って「赤ちゃん」と書き、目(め)と同じ漢字を使って「四じかん目」と書くことになっている。この場合、これらの日本語を表意文 字である漢字で書くことはかえって誤解を招くことにならないだろうか。 

 漢 字には書き順のきまりもあって「右」は「ノ」→「一」→「口」→「右」、「左」は「一」→「ノ」→「工」→「左」という書き順で書くように指導される。こ れは筆書きをする時にできた書き順である。最近では鉛筆でも箸でも左利きの人は左利きとして認められ、矯正されることはない。それにくらべれば、漢字の書 き方については寛容さがない。 

 漢字の国中国では地方によって読み方に違いはある ものの、北京音は一字一音、上海や広東でも一字一音である。日本漢字音には呉音、漢音などあり、そのうえに訓読みの漢字が数多くある。これは何とかならな いものであろうか。



もくじ

第227話 1年生の「こくご」

第228話 かなづかいを学ぶ

第230話 小学校で習う漢字

第231話 学校の「国語」と社会の「日本語」

第232話 書きことばの変遷

第233話 国語改革の歴史

第234話 漢字文化圏の教科書

第235話 漢字が亡びるとき