第168話  かみ(神)の語源

 
【かみ(神)】
皇 (おほきみ)は神(かみ)にし坐(ま)せば眞木(まき)の立つ荒山中に海を成すかも
(万241)

韓 国(からくに)の虎とふ神(かみ)を生け取りに八頭(やつ)取り持ち來(き)、、
(万3885)
道 の後(しり)古波陀嬢子(こはだをとめ)を加微(雷)の如(ごと)聞こえしかども相枕纏(あひまくらま)く(記歌謡)

  古代の日本では 大君も神、虎も雷も神であった。本居宣長は『古事記傳』のなかで「加微(かみ)とは、古(いにしへの)御典(みふみ)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神 たちを始めて、其の祀(まつ)れる社に坐ス御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣草木のたぐひ海山など、其餘(ほか)何にまれ、尋常ならずす ぐれたる徳ありて、可畏(かしこ)き物を加微(かみ)とは云なり。」としている。また合理主義者である新井白石は『古史通』のなかで「神とは人である。わが国の習俗では、およそ尊ぶ人を『加美』と呼んだ」、としている。

 古代中国語の「神」は神[djien]である。神(シン・ジン)と神(かみ)とは関係な さそうに見えるが、「神」の声符「申」には坤[khuən]という読みもある。天地乾坤の「坤」である。 「神」が神[khuən]という音を古代中国語でもっていたとすれば、日本 語の「かみ」の語源は中国語である、ということになる。
 現代の北京語では日本漢字音でカ行の漢字が
(j)であらわれる。北京(bei-jing)、机場(ji-chang)、建国(jian-guo)、紀念日(ji-nian-ri)などである。頭音の(k-)が介音(-i-)の影響で摩擦音化したものである。日本語の「か み」の語源は中国語の「神」である蓋然性は否定できない。

 【かみ(簡)】
高 麗(こま)の王(きし)、僧曇徴・法定を貢上(たてまつ)る。曇徴は五経を知れり。また能(よ)く、彩色及び紙(かみ)・墨を作り、幷(あは)せて碾磑 (みづうす)造(つく)る。
(推古紀18年)
 

 『日本書紀』では「紙」は推古朝の時代に高句麗か ら渡来したことになっている。紙は奈良平安時代には貴重品であった。紙が普及するまでは木簡や竹簡が使われていた。日本語の「かみ」は古代中国語の簡[kean]に由来するものだろうといわれている。
 日本語の「かみ」には「上、髪、神、紙」などがあ る。古代日本語の「み」には「み(甲)」と「み(乙)」の区別があり、「上、髪」は「かみ(甲)」、「神」は「かみ(乙)」であったという。日本語の「かみ(紙)」の語源は「木簡」の「簡」であろう。

【かめ(亀・甲)】
我 が國は常世(とこよ)に成らむ圖(ふみ)負へる神(あや)しき龜(かめ)も新代(あらたよ)と泉の河に持ち越せる眞木の嬬手(つまで)を、、(万50)
「丹 波國の餘社郡の管川(つつかは)の人瑞江浦嶋子、舟に乗りて釣す。遂に大龜を得たり。」
(雄略紀22年)

  「亀」は中国でも日本でも吉祥の印とされていた。 「亀」の古代中国語音は王力によれば亀[kiuə]である。日本語の「かめ」は中国語の「亀」と頭音は似ているが「かめ」の「め」はどこから来たのか説明がつかない。日本語の「かめ」は恐らく「かめ」は甲[keap]の転移した形であろう。[-p][-m]と調音の位置が同じであり転移しやすい。とりわけ 日本語では第二音節は濁音になる傾向があるので、半濁音である[-m]に転移したと考えられる。
 白川静の『字通』によれば、甲
[keap]は篋[khyap]、函[ham]も声義ともに通ずるところあって、一系をなす語で ある、という。

 【かめ(瓦瓶・坩)】
陶 人(すゑひと)の作れる瓶(かめ)を今日往(ゆ)き明日取り持ち來(万3886)
「瓶  賀米」(和 名抄) 

 古代中国語の「瓶」は瓶[pieng]であり、日本漢字音は瓶(ヘイ・かめ)である。日 本語の「かめ」の語源は瓦瓶[ngiuai-pieng]、であろう。瓦は土器一般の総称である。日本語で は第二音節は獨音になる傾向があるので瓶[pieng]の頭音[p-][m-]に転移した。日本語の「かめ」は中国語の坩[kam]にも通じる。

 【かも(鴨)】
沖 つ鳥加毛(かも)着(ど)く島に我が率寝(ゐね)し妹は忘れじ世の盡(ことごと)に(記歌謡)
水 鳥の鴨(かも)の羽色の春山のおぼつかなくも思ほゆるかも(万1451)
あ しひきの山川水の音に出でず人の子ゆゑに戀ひ渡る青頭鶏(かも)(万3017) 

 「鴨」の日本漢字音は鴨(オウ・かも)である。古 代中国語音は鴨[ap]とされている。しかし、鴨の声符である「甲」は甲[keap]であり、「鴨」にも頭音[k-]があったのではないかと考えられる。日本語の「か も」の語源は「鴨」である。万葉集では「成尒來鴨(なりにけるかも)」のように訓借でも用いられている。日本語では第二音節は濁音化する傾向があるから韻 尾の[-p][-m]に転移した。

 【から(漢・韓)】
韓 国(からくに)に行き足(たら)はして歸り來む大夫(ますら)建男(たけを)に御酒(みき)たてまつる(万4262)
漢 人(からひと)も舟を浮かべて遊ぶとふ今日こそわが背子(せこ)花蘰(はなかづら)せな
(万4153)
 

 最初の歌は「遣 唐使として唐へ行って役目を果たし帰ってくるであろう立派な男子に、御酒を差し上げて無事をいのります」という意味である。二番目の歌は「今日は唐人も舟 を浮かべて遊宴するという三月三日である。わが背子よ、花の蘰をして遊ぼうではないか」という意味である。
 韓国(からくに)は朝鮮半島にあった国のことであ り、漢人(からひと)は中国人、万葉集では唐の時代の中国人である。しかし、韓(から)も漢(かん)も朝鮮半島の南部にあった国に限らず中国にも韓国にも 使われる。韓・漢(から)は外国あるいは外国人一般にも使われる。

 古代中国語の「韓」「漢」は韓[han]、漢[xan]である。[h-][-x]はいずれも日本語の発音にはない喉音であり、調音 の位置が近いことから日本語ではカ行であらわれる。韻尾の[n]は調音の位置が[-l]とおなじであり、弥生音ではラ行であらわれること が多い。万葉集などで「から」といえば唐をさすことが多 い。

 【からし(辛)】
早 川に洗ひ濯(すす)き辛鹽(からしほ)にこごと揉(も)み、、、(万3880)
志 賀の海人(あま)の一日(ひとひ)もおちず焼く鹽の可良伎(からき)戀をもあれはするかも
(万3652)

  古代中国語の「辛」は辛[sien]であり、現代中国語の「辛」は辛(xin)である。現代中国語の(x-)は摩擦音であるが、古代中国語では閉鎖音であっ た。隋唐の時代以前の上古音にでは介音[-i-]が発達しちなかったから、上古音は辛[xən]に近い音であったと考えられる。日本漢字音では喉 音[x-][h-]はカ行であらわれる。また韻尾の[-n][-l]と調音の位置が同じであり転移しやすい。現代中国 語では摩擦音(xi-)であらわれることが多いが、上古中国語音は介音[-i-]が発達していなかったので閉鎖音であった。上古中 国語の喉音は日本語ではカ行であらわれる。

 例:希・喜・戯(xi)、 下・霞・夏(xia)、 弦・閑・賢・嫌・顕・憲・献・県・現・限(xian)、 香・郷・降・  享・響・向(xiang)、 暁・校・効・孝(xiao)、 携・協・脅・血・蟹(xie)、 欣・馨(xin)、 興・刑・型・  形・幸・杏(xing)、 兄・兇・胸(xiong)、 休・朽・嗅(xiu)

  これらはいずれも介音(i)の影響で摩擦音化したものである。「辛」にも摩擦 音化する前に辛[kən]のような形があり、それが辛[kənkiənsiənsien]のように変化して現代北京語の辛(xin)になったと考えることはできないだろうか。日本語 には訓がカ行で音がサ行であらわれることばがいくつかある。

例:神(かみ→シン)、辛(からい→シン)、小(こ→ショウ)、 心(こころ→シン)、川(かは・  セン)、消(けす→ショウ)、削(けずる→サク)、屑(くず→セツ)、嗅(かぐ)・臭(シュ  ウ)、

  カ行に読む訓は介音[-i-]が発達する前の上代中国語音の痕跡をとどめた弥生 音である可能性がある。
参照:かま(鎌)(第167話)

 【からす(鴉)】
朕 今頭八咫烏(やたのからす)を遣(つか)はす。(神武前紀)
可 良須(からす)とふ大輕率(おほおそ)鳥の真實(まさで)にも來まさぬ君を許呂久(ころく)とぞ鳴く(万3521) 

 「鴉」の古代中国語音は鴉[ea]であったと考えられている。日本漢字音は鴉(ア・ からす)である。鴉の声符は「牙」であり、牙の古代中国語音は牙[ngea]である。日本語の「からす」の「か」は中国語の 「鴉」であると考えられる。「からす」の「す」は「隹」であろう。「隹」の日本漢字音は隹(スイ・とり)である。朝鮮語で鳥のことを鳥(sae)という。日本語の「からす」は「鴉+ら+隹」であ ろう。「ら」は現代日本語の「の」と同じで、「からす」は結局「鴉の鳥」つまり、中国語で鴉[ngea]という隹(sae)ということになる。
 日本語で「ス」のつく鳥には「からす」のほか「か けす」「うぐひす」「きぎす(雉)」「はやぶさ」などがある。

 【かり(獵)】
朝 獵(あさかり)に今立たすらし暮獵(ゆふかり)に今立たすらし御執(みと)らしの梓の弓の金弭(かなはず)の音すなり(万3)
日 竝皇子(ひなみしのみこ)の命(みこと)の馬竝(な)めて御獵立たしし時は來向ふ(万49)
杜若(かきつはた)衣(きぬ)に摺(す)りつけますら雄(を)のきそひ獦(かり)する月は來にけり(万3921)

  古代中国語の獵は獵[liap]であると考えられている。スウェーデンの言語学者カールグレンは古代中国語の[l-]には入り渡り音があり、獵[hliap]*という原型があったのではないかと分析している。日本語の「かり」は上古中国語の獵[hliap]*の痕跡を留めているものと考えることができる。
参照:
[hliam]*かま(第167話)[hlə]*くる(第171話)

 「獦」の古代中国語音は獦[kat]である。韻尾の(記歌謡)
家 離(さか)り旅にしあれば秋風の寒き夕(ゆふべ)に雁鳴き渡る(万1161) 

 古代中国語の「雁」は雁[ngean]である。韻尾の[-n]は調音の位置が[-l]と同じであり転移しやすい。日本語の「かり」の語 源は中国語の雁(ガン)である。

 【かる(刈)】
こ のころの戀の繁(しげ)くは夏草の刈(か)り掃(はら)へども生(お)ひ布(し)く如し
(万1984)
な かなかに君に戀ひずは比良の浦の海人(あま)ならましを玉藻苅りつつ(万2743) 

 古代中国語の「刈」は刈[ngiat]である。日本漢字音では刈(ガイ・かる)と韻尾の[-t]は失われているが、古代中国語では韻尾に[-t]があった。韻尾の[-t][-l]と調音の位置がおなじであり転移しやすい。日本語 の「かる」は古代中国語の痕跡を留めている。なお、穫[huak]も刈[ngiat]に音義ともに近い。『説文』に「穫」は「穀を刈る なり」とある。

 【かる(涸・枯・干)】
無 耳(みみなし)の池し恨(うら)めし我妹兒(わぎもこ)が來つつ潜(かづ)かば水は涸れなむ(万3788)
夕 されば野邊の秋芽子(あきはぎ)末(うれ)若み露にぞ枯(か)るる秋待ち難(がて)に
(万2095)
う れたきや醜(しこ)霍公(ほととぎす)今こそは声の干(か)るがに來鳴き響(とよ)め
(万1951)
 

 枯[kha]、涸[hak]、渇[khat]は同系である。日本語の「かる」は古代中国語 「枯」「涸」「渇」などと関係の深いことばであろう。渇[khat]の韻尾[-t]と干[kan]の韻尾[-n]は、調音の位置が[-l]と同じであり転移しやすい。

 【かをる(香・薫)】
神 風の伊勢の國は奥(おき)つ藻(も)も靡(なび)きし波に潮氣(しほけ)のみ香乎禮流(かをれる)國に味(うま)こりあやに乏(とも)しき高照(たかて) らす日の御子(みこ)(万 162)
其 の烟氣(けぶり)遠く薫(かを)る。(推古紀3年) 

 古代中国語の「香」「薫」は香[xiang]、薫[xiuən]である。上代中国語の韻尾[-ng][-k]に近いと一般に考えられている。隋唐の時代以前の 上古音では、介音[-i-]もまだ発達していないので「香」は香[xang]あるいは香[xak]に近かったものと考えられる。現代中国語音の 「香」は香(xiang)である。現代中国語音の(x-)は摩擦音であるが、古代中国語音の[x-]は喉頭閉鎖音で日本語ではカ行であらわれる。 

 「香」と「薫」とは音義ともに近い。韻尾の[-ng][-n]はともに鼻音であり、調音の位置が同じである。現 代の上海語では「香」は香[xiañ]であり、[xian]に近い。香港が香港(コウコウ)ではなく香港(ホ ンコン)と呼ばれているのも江南音では[-ng][-n]に近いからである。日本語の「かおる」の語源は古 代中国語の香[xiang]あるいは薫[xiuən]である。

☆ もくじ

★ 第161話 古代日本語語源字典 索引

 第169話 き(黄)の語源