第191話  はな(花)の語源

 
【はな(花)】
わ が屋戸(やど)の花(はな)橘を波奈(はな)ごめに珠(たま)にぞあが貫(ぬ)く待たば苦しみ(万3998)
「此 の神の魂(みたま)を祭るには花(はな)の時には亦花(はな)を以(も)て祭る。」
(神代紀上)

  古代中国語の「花」は花[xoa]である。日本語の「はな」は中国語の花[xoa] あるいは華[hoa] と関係のあることばである。「花」、「華」の日本漢字音は花(カ)、華(カ)であるが、弥生音はハ行であらわれるものが多い。「は+な」の「な」の 語源は不明である。「は(花)+な(やまとことば)」の合成語である可能性がある。朝鮮語の木(na-mu) や青菜(na-mul) と関係がありそうでもある。
参照:第164話 うし(牛)
 

【はひ(灰)】
大 鳥の羽易(はがひ)の山に汝が戀ふる妹(いも)は座(ま)すと人の云へば石根(いはね)さくみてなづみ來(こ)し好(よ)けくもぞ無きうつそみと念(お も)ひし妹が灰(はひ)にて座(ま)せば(万213)
「我 が御魂(みたま)を船の上に坐(いま)せて眞木(まき)の灰(はひ)瓢(ひさご)に納(い)れ、、、」(記、仲哀)

  古代中国語の「灰」は灰[huəi] である。日本漢字音は灰(カイ・はひ)であ る。古代中国語の喉音[h-]は弥生時代・古墳時代の弥生音ではハ行で受け入れ られ、日本が本格的な文字時代に入った8世紀以降の日本語ではカ行に転移したものと考えられる。
参照:【はな(花)】、第190話【はこ (匣)】、【はさむ(挟)】、【はちす(荷子)】、

 【はふ(匍匐)】
み どり子の匍匐(はひ)たもとほり朝夕にねのみぞ吾が泣く君無しにして(万458)
蜻 蛉(あきづ)はや囓(く)ひ波賦(はふ)虫も大君に奉(まつ)らふ、、、(紀歌謡)
「時 に豊玉姫八尋(やひろ)の大熊鰐に化為(な)りて、匍匐(はひ)逶虵(もごよ)ふ。」
(神代紀下)

  「はふ」と「匍匐」は音義ともに近く、日本語の 「はふ」は恐らく中国語の匍匐[bua-biuk] と同源であろう。匐[biuk] の韻尾[-k] は脱落しているが匐と同じ声符をもつ漢字でも福 (フク)のように入声音の韻尾[-k]を留めているものもあるが、富(フ)のように韻尾 が脱落したものもある。

 【はま(濱)】
淡 路(あはぢ)の野嶋の﨑の濱風(はまかぜ)に妹(いも)が結びし紐吹き返す(万251)
大 夫(ますらを)は御獦(みかり)に立たし未通女(をとめ)らは赤裳(あかも)裾(すそ)引く清き濱廻(はまび)を(万1001)

  古代中国語の「濱」は濱[pien] である。日本漢字音は濱(ヒン・はま)である。古 代日本語には「ン」で終わる音節はなかったので、韻尾に母音を添加して濱(はま)とした。日本語の「はま」は中国語の濱[pien] と同源である。

母音添加される例:難波[nan-] なには、呑[thən] のむ、眠[myen] ねむる、絹[kyuan] きぬ、
                  肝
[kan] きも、君[giuən] きみ、蝉[zjian] せみ、段[duan] たな、殿[dyən] との、

  日本語と同じように開音節(母音で終わる音節)を 基本とするハワイ語でも、英語からの借用語に母音を添加している例が数多くみられる。(  )内は英語

  aikalima(ice cream)       Iapana(Japan)     Ladana(London)、  lumi(room)、 
  Merikana(American)     paina(pine)            pine(pin)                waina(wine)

 【はら(原)】
淺 茅原(あさぢはら)小野(をの)に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(むなごと)をいかなりと云ひて君をし待たむ(万2466)
秋 さらば今も見るごと妻戀ひに鹿(か)鳴かむ山そ高野原(はら)の上(うへ)(万84)

  古代中国語の「原」は原[ngiuan] である。古代日本語には[ng-] ではじまる音節はなかったので、語頭の[ng-]はカ行またはハ行に転移し、韻尾の[-n] はラ行に転移した。疑母[ng-] は調音の位置が喉音
[h-]・[x-] に近く、古代日本語のハ行音であらわれることが多い。

 語頭の[ng-]がハ行であらわれる例:牙[ngea] は、芽子[ngea-] はぎ、
 語頭の
[ng-]がカ行であらわれる例:雁[ngean] かり、刈[ngiat] かる、凝[ngiəng] こる、
 韻尾の
[-n]がラ行であらわれる例:潤[njiuən] ぬらす、練[lian] ねる、嫌[hyam] きらふ、[dien]ちり、
                 漢[xan]・韓[han] から、雁[ngean] かり、[xiuən] かをる、

 【はら(腹)】
皇 (おほきみ)は神にし座(ま)せば赤駒の腹(はら)ばふ田ゐを京師(みやこ)となしつ
(万4260)

「妾 (みぢから)刀(かたな)以(も)ちて腹(はら)を辟(さ)きて此の沼に没(おちい)りき、故(かれ)腹辟(はらさき)の沼と號(なづ)く。」(播磨風土記、賀毛郡)

  古代中国語の「腹」は腹[piuək] である。日本語の「はら」は中国語の上古音 腹[puək] の韻尾[-k]がラ行に転移したものであろう。
 韻尾の
[-k] がラ行であらわれる例としては、織[tjiek] おる、射[djyak] いる、色[shiək] いろ、涸[hak] かれる、足[tziok] たる、櫟[lek] なら、などがあげられる。

 【はらふ(拂)】
「磐 根(いはね)に毘禮(ひれ)衣(ころも)裾(すそ)垂(たれ)飛ばし拂(はら)ふ人拂(はら)はず成りて、、、」(続後紀、嘉祥2年)
「故 (かれ)、其の穢悪(けがらはしきもの)を濯(すす)ぎ除(はら)はむと欲(おも)ほして、、、故(かれ)、橘之小門(をど)に還向(かへ)りたまひて、 拂(はら)ひ濯(すす)ぎたまふ。」(神代紀上)

  古代中国語の「拂」は拂[piuət] である。日本語の「はらふ」は中国語の「拂」の転 移であろう。朝鮮漢字音では中国語の韻尾[-t] は規則的に[-l] に転移する。「拂」の朝鮮漢字音は拂(pul) である。日本語の「はらふ」も中国語の韻尾[-t]がラ行に転移したものである。
 韻尾の
[-t]がラ行に転移した例としては、没[muət] うもる、渇[khat] かれる、刈[ngiat] かる、徹[diat] とほる、垂[zjiuat] たれる、などがある。
参照:【はらふ(祓)】

 【はらふ(祓)】
「已 (すで)にして罪を素戔嗚尊(すさのをのみこと)に科(おは)せて其の祓具(はらへつもの)を責(はた)る。」(神代紀上)
「大 祓(おほはらへ)に祓(はら)へ給(たま)ひ清め給ふ事を諸(もろもろ)聞し食(め)せと宣(の)る。」(祝詞、六月の晦の天祓)

  古代中国語の「祓」は祓[piuət] である。前項の拂[piuət] と同じく、祓(はらふ)も中国語の祓[piuət]の韻尾[-t]がラ行に転移したものである。
参照:【はらふ(拂)】

 【ばらもに(波羅門)】
波羅門(ばらもに)の作れる小田を喫(は)む鳥瞼 (まなぶた)腫(は)れて幡幢(はたほこ)に居り(万3856)

  仏教用語でサンスクリット語のBrahmana の音写である。波羅門[puai-lai-muən] はインドのカースト(四姓)で最上位の階級で、神 に仕える。天平8年に波羅門僧正といわれる僧侶が中国語の五台山から遣唐使とともに渡来し、大佛開眼の時に導師を務めたという。伎楽面のひとつにも波 羅門と呼ばれるものがあり、額に皺をよせ、眉と目とをへの字にした老人の表情である。
 古代日本語には濁音ではじまる音節は外来語以外にはなかった。また、「ン」で終わる音節がなかったか ら、「門」の韻尾に母音を添加して「はらもに」とした。平安時代になっても、例えば蘭
[lan]は蘭(らに)とされている。

【はり(針・鍼)】
針 (はり)は有れど妹(いも)し無ければ著(つ)けめやと吾(われ)を煩(なや)し絶ゆる紐(ひも)の緒(を)(万2982)
「閉 蘇(へそ)の紡麻(うみを)以(も)ちて針(はり)に貫(ぬ)き其の衣の襴(すそ)に刺(さ)せといふ。」(記、崇神)

  古代中国語の「針」は針[tiəm] である。日本漢字音は針(シン・はり)である。日 本語の「はり」は中国語の箴・鍼[tjiəm] と関係のあることばであろう。「箴」「鍼」の声符 は感[həm]と同じである。箴・鍼[tjiəm] の祖語はは箴・鍼[həm] あるいは箴・鍼[xəm]に近いものであったと考えられる。箴・鍼[tjiəm] は口蓋化によって前口蓋音に転移したものであろう。日本語の「は り」は中国語の「箴」「鍼」と同源である可能性が高い。
 声符「咸
[həm]」は口蓋化によって[hjəm] となり、やがて箴・鍼[tjiəm] となり、日本漢字音ではサ行に転移して箴・鍼(シ ン)となった。針[tiəm] は箴・鍼[tjiəm] と音が似ているために使われるようになった当て字 であろう。
 韻尾の
[-m]がラ行であらわれる例としては、降[hoam] おる・ふる、嫌[hyam] きらふ、沾[tham] ぬれる、などをあげることができる。

 【はり(榛)】
明 けされば榛(はり)のさ枝に夕されば藤の繁みにはろはろに鳴く霍公鳥(万4207)
引 馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱り衣(ころも)にほはせ旅のしるしに
(万57)

  古代中国語の「榛」は榛[tzhen] である。日本漢字音では榛(シン・はり)である。 榛[tzhen] は摩擦音化される前に、榛[dhen] あるいは榛[hden] という上古音があったのではないか考えられる。 もし、「榛」に榛[hden] に近い上古音があったとすれば日本語の「はり」は 中国語の「榛」と同源である。

 前項の針・鍼(シン・はり)同様に榛(シン・は り)も日本漢字音では音はサ行であらわれ、訓はハ行であらわれる。用例は多いとはいえないが、中国語音韻史において[t-][d-][tj-][dj-][ts-][tz-] という変化の過程を経たもののほかに[x-][h-][xi-][hi][ts-][tz-] のような変化をへて喉音が摩擦音化したものがあっ たと考えれば、音ではサ行であらわれ、訓ではカ行であらわれるいくつかの例について整合的に説明ができる。日本の音ではサ行で訓ではカ行であらわれるものもいくつか例をあげることができる。

 例:嗅[thjiuk](キュウ・かぐ)、神[djien](シン・かみ)、辛[sien](シン・からし)、
   秦[dzyen](シン・はた)、春[thiu
ən] (シュン・はる)、

 これらの漢字の中国語の上古音には入りわたり音[h-]があった可能性が高い。
参照:第166話【かぐ(嗅)】、第168話【か み(神)】、【からし(辛)】

 【はる(墾)】
住 吉(すみのえ)の岸を田に墾(は)り蒔きし稲のさて刈るまでに逢(あ)はぬ君かも(万2244)
新 治(にひばり)の今作る路(みち)清(さや)かにも聞きてけるかも妹(いも)が上(うへ)のことを(万2855)

  新治(にひばり)は「新墾」である。古代中国語の「墾」は墾[khən]である。日本漢字音は墾(コン・はる)である。日 本語の「はる」は[khən] の有氣音要素[h]がハ行で転写されたものであろう。韻尾の[-n]がラ行に転移したものである。

 語頭の[kh-][k-]がハ行であらわれる例:干[kan] ほす・ひる、骨[kuət] ほね、蓋[kat] ふた、
             経
[kyeng]へる、頬[kyap] ほほ、減[kəm] へす、謙[khyam] へる、
 韻尾の
[-n]がラ行であらわれる例:原[ngiuan] はら、榛[zxhen] はり、馴[ziuən]ならす、[pyen]へり、             潤[njiuən] ぬらす、練[lian] ねる、[xan]・韓[han] から、雁[ngean] かり、


☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

☆つぎ第192話 ひ(火)の語源