第190話 は(歯)の語源
【は(齒)】
「此
の天皇(すめらみこと)、御身(みみ)の長(たけ)九尺二寸半、御齒(みは)の長さ一寸、広さ二分、上下等齊(ひと)しく、既に珠に貫(ぬ)けるが如
し。」(記
反正)
「王
子(みこ)の御骨(みかばね)埋(うづ)みしは、専(もは)ら吾能(よ)く知れり。亦(また)その御歯(みは)を以(も)ちて知るべし。御齒(みは)は三
枝(さきぐさ)如き押齒(おしは)にましき。」(記顕宗)
古代中国語の「齒」
は齒[thjiə] である。日本漢字音は歯(シ・は)である。しか
し、中国語にはもうひとつ日本語の歯(は)にあたることばがある。現代中国語では歯科医のことを牙科という。日本語では「牙」は牙(きば)であるが、現代
の中国語では「牙」は歯(は)である。「牙」の古代中国語音は牙[ngea] である。日本語の「は」の語源は牙[ngea] であろう。 古代日本語のハ行はカ行に近い。万葉集
では「はぎ」に「芽子(はぎ)」があてられている。これは古代中国語音の芽[ngea] に日本語の「は」にあてたものであろう。 中国語の疑母[ng-] が日本語でハ行であらわれる例としては、芽子(は
ぎ)のほかにも原[ngiuan]、脛[ngyang] はぎ、臥[nguai] ふす、などをあげることができる。
参照:【はぎ(芽子)】
【は(葉)】
春
花の咲ける盛りに秋の葉(は)の匂へる時に出で立ちて、、、(万3985)
「其
の河(かは)の石を取り鹽に合(あ)へて其の竹の葉(は)に裏(つつ)み詛(とこ)はしむらく、此の竹の葉の青むが如く、此の竹の葉(は)の萎(しな)ゆ
るが如く青み萎えよ。」(記
応神)
古代中国語の「葉」は葉[jiap] である。日本漢字音は葉(ヨウ・は)である。日本語の「は(葉)」は古代
中国語の葉[jiap]の韻尾[-p] であろう。韻尾の[-p]は旧かな使いでは蝶[thyap](チョウ・てふ)、塔[təp](トウ・たふ)のようにハ行で表記していた。日本
語の音では音便化しているものが多いが、訓ではその痕跡を留めているものがみられる。
例:会[həp](カイ・あふ)、峡[heap](キョウ・かひ)、頬(キョウ・ほほ)、渋[shiəp](ジュウ・しぶし)、吸[xiəp](キュウ・すふ)、粒(リュウ・つぶ)、
日本語の「は(葉)」あるいは「はっぱ(葉)」は中国語の葉[jiap]に依拠したものである。同じように韻尾の音が日
本語の音節として独立した例としては音[iəm](ね)をあげることができる。
【は(羽)】
葦
邊(あしべ)往(ゆ)く鴨の羽音(はおと)の聲(おと)のみに聞きつつもとな戀の度(わた)るかも(万3090)
水
鳥の鴨羽(は)の色の青馬を今日見る人は限無しといふ(万4494)
古代中国語の「羽」は羽[hiua] である。日本語の羽(は)は古代中国語の喉音[h-]がハ行であらわれたものである。
日本漢字音の羽(ウ)は中国語の喉音[h-]が介音[-iu-] の影響で脱落したものである。上古中国語の喉音[h-] は唐の時代になると介音[-iu-]の前では規則的に脱落している。 例:位[hiuət]、域[hiuək]、栄[hiueng]、永[hyuang]、越[hiuat]、遠[hiuan]、圓[hiuən]、芋[hiua]、 雲[hiuən]、運[hiuən]、王[hiuang]、往[hiuang]、有[hiua]、雄[hiuəng]、熊[hiuəm]、
日本語の訓のなかに頭音[h-] の痕跡をカ行音で留めているものもみられる。 例:位(イ・くらい)、越(エツ・こえる)、雲(ウン・くも)、熊(ユウ・くま)、 また、声符が同じ漢字のなかに頭音[h-] の痕跡を留めているものもと、脱落した例が両方みられる例もある。 例:域(イキ)・國(コク)、運(ウン)・軍(グン)、 日本語の「は(葉)」は喉音[h-] が脱落する前の羽[hiua] の痕跡を留めているといえる。
古代日本語のハ行は「ファ、フィ、フ、フェ、
フォ」のような両唇音であったと云われている。それはハ行の日本漢字音に対する中国語音が[p-] であることが多いことからも明らかである。日本に
来たポルトガル人の作った日葡辞書などでも日本語のハ行は(p-) で表示されている。 しかし、日本語の訓のなかには上古中国語音が喉音[h-][x-] に対応しているものも少なからずみられることも確かである。日本が
本格的な文字時代に入る8世紀以前の日本語では、ハ行が中国語の喉音に近かったのではないかと見られる。 中国語の喉音[h-][x-]で日本語の訓でハ行であらわれる例としては:花[xoa]・華[hoa] はな、灰[huəi] はひ、匣[heap] はこ、挟[hyap] はさむ、火[xuəi] ひ、などをあげることができる。
【はか(墓)】
墓
(はか)の上(へ)の木の枝靡けり聞きし如陳奴(ちぬ)壯士(をとこ)にし依(よ)りにけらしも(万1811)
「山
の岑(みね)、是も亦墓(はか)に似たり。故(かれ)、鹿來墓(かごはか)と號(なづ)く。」(播磨風土記、揖保郡)
古代中国語の「墓」
は墓[mak]である。日本語の墓(はか)は古代中国語の墓[mak] に依拠したものである。墓の
声符である「莫」は上古音は莫[mak] であり、その韻尾が脱落して墓(ボ)となった。日本語の音の墓(ボ)は韻尾の脱落した
形であり、墓[mak](はか)が古い。古代日本語には濁音ではじまる音節はな
かったので上古中国語音の墓[mak]は日本語では墓(はか)と語頭音が清音になった。 声母[m-]が日本語でハ行であらわれる例としては:文[miuən] ふみ、滅[miat]・亡[miuang] ほろぶ、などをあげることができる。
【はかせ(博士)】
「右
の歌一首は博士消奈(せなの)行文(ゆきふみ)大夫(まへつきみ)作れり。」
(万3836左注)
「大
學博士勤廣弐(ごんくわうに)上村主(うへのすぐり)百済に食封(へひと)三十戸賜ふ。これを以(も)て儒の道を優(にぎほ)へたまふとなり。」(持統紀7年)
博士には音博士、書
博士、算博士、暦博士、天文博士、などがあった。博士[pak-dzhiə] は漢語であり、記紀万葉の時代から日本語のなかで使われている。
【はぎ(芽子)】
ほ
ととぎす聲聞く小野の秋風に芽(はぎ)咲きぬれや聲のともしき(万1468)
少
女(をとめ)らに行會(ゆきあひ)の速稲(わせ)を刈る時に成りにけらしも芽子(はぎ)の花咲く(万2117)
万葉集では「はぎ」
に「芽」「芽子」「波疑」などの漢字があてられている。古代中国語の「芽」は芽[ngea] である。疑母[ng-] は鼻音であり、調音の方法が同じマ行で芽(め)であらわれる。疑母[ng-]はまた調音の位置が後口蓋であり喉音[h-] とも近い。日本語
の「はぎ」は中国語の芽[ngea] がハ行に転移した音借である。 語頭の[ng-]が日本語でハ行に転移した例としては、牙[ngea] は、原[ngiuan] はら、をあげることができる。 参照:【は(齒・
牙】、第191話【はら(原)】、
【はく(佩)】
天
忍日命(あめのおしひのみこと)・天津久米命(あまつくめのみこと)の二人、天(あめ)の石靭(いはゆき)を取り負ひ、頭椎(くぶつち)の太刀を取り佩
(は)き、、(記、
上)
や
つめさす出雲建が波祁(はけ)る太刀(たち)黒葛(つづら)多巻(さはま)きさ身なしにあはれ(記歌謡)
古代中国語の「佩」
は佩[buə] である。日本漢字音は佩(ハイ・はく)である。董
同龢は中国語の上古音を佩[bhwəg] に再構している。日本語の佩(はく)は上古中国語
の韻尾の痕跡を残している。
【はぐ(剥)】
「天
照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(いま)して神御衣(かむみそ)織(お)らしめます時、其の服屋(はたや)の頂(みね)を穿ち、天斑馬(あめのふちう
ま)を逆剥(さかはぎ)に剥(は)ぎて、、梭(ひ)の陰上(ほと)を衝きて死にき。」(記、上)
「最
端(いやはし)に伏せる和邇(わに)、我を捕へ悉(ことごと)我が衣服(きぬ)を剥ぎき。」(記、上)
古代中国語の「剥」
は剥[peok] である。日本漢字音は剥(ハク・はぐ)である。日
本語の「はぐ」は中国語の剥[peok]と
同源であろう。音で「ハク」のものが訓で「はぐ」と濁音になっているのは、古代日本語では語頭では清音の音が第二音節以下にくると濁音になるという音韻規
則があったからである。
一般に辞書では「剥」は音が剥(ハク)で、訓が剥(はぐ)だとしている。しかし、中国語の剥(ハク)と同じ意味をもつ「やまとことば」に「はぐ」があっ
て、それを漢字の「剥」にあてはめたのだとは、考えにくい。「はぐ」は「剥」の弥生音(呉音、漢音以前の日本漢字音)であり、古代中国語からの借用語であ
る。
【はこ(匣・篋・筐)】
白
玉を手には纏(ま)かずに匣(はこ)のみに置けりし人ぞ玉詠(なげ)かする(万1325)
「楊
氏漢語抄に云ふ、箱、篋、筥、筐、篚 已上皆波古(はこ)」(和名抄)
日本語の「はこ」は中国語と関係のあることばであ
ろう。古代中国語の「匣」は匣[heap] である。和名抄があげている漢字の古代中国語音は
それぞれ、箱[siang]、篋[khyap]、筥[kia]、筐[khiuang]、篚[piuəi] である。
匣[heap]の頭音は喉音であり、古代日本語ではハ行であらわれることが多い。「筐」は「匣」と同義であるが、筐[khiuang] の韻尾は古代中国語音で[-k]・[-g] に近く、日本語ではカ行であらわれことが多い。また、韻尾の[-p] は現代の江南音では[-t][-k][-p]は弁別されいない。このことから日本語の「はこ」は中国語の「匣」あるいは「筐」などと同源である可能性が高い。 箱[siang] は[-i-]介音の影響によって摩擦音になったもので、箱[xang]
あるいは箱[xak] に
近い音祖形があったものと推定できる。 【はさむ(挾)】
緑
兒(みどりご)の乞(こ)ひ哭(な)くごとに取り委(まか)する物し無ければ男じもの腋(わき)挾(はさ)み持ち吾妹子(わぎもこ)と二人吾(わ)が宿
(ね)し枕づく嬬(つま)屋の内に、、、(万213)
男
じもの腋(わき)挟(はさ)み持ち我妹子と二人吾が宿し枕づく嬬屋(つまや)のうちに、、、
(万213)
古代中国語の「挟」
は挾[hyap] である。日本語の「はさ
む」は挟[hyap] の転移したものであろう。 頭音[h-]がハ行であらわれる例:匣[heap] はこ、羽[hiua] は、荷子[hai] はす、華[hoa] はな、 灰[huəi] はひ、など 韻尾の[-p]がマ行であらわれる例:鴨[keap] かも、畳[dyap] たたみ、など
【はた(幡)】
青
旗の木幡(こはた)の上をかよふとは目には視(み)れども直(ただ)に逢(あ)はぬかも
(万
148)
「此
の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には亦花を以(も)て祭る。又鼓(つづみ)吹(ふえ)幡旗(はた)を用(も)て歌ひ舞ひて祭る。」(神代紀上)
古代中国語の「幡」
は幡[phiuan] である。韻尾の[-n]は上古音では入声音の[-t]であったと考えられる。韻尾の[-n] が日本語の訓でタ行であらわれる例は多い。 例:腕[uan](ワン・うで)、肩[kyan](ケン・かた)、言[ngian](ゲン・こと)、 断[duan](ダン・たつ)、楯[djiuən](ジュン・たて)、満[muan](マン・みつ)、 本[puən](ホン・もと)、綿[mian](メン・わた)、鞭[bian](ビン・むち)、 日本語の「はた」は現代では「旗」と書か
れることが多いが、語源は中国語の「幡」である。
【はた(畑)】
「乃
(すなは)ち粟(あは)、稗(ひえ)、麥(むぎ)、豆(まめ)を以(も)ては陸田種子(はたつもの)とす。稲を以(も)て水田種子(たなつもの)とす。」(神代紀上)
「火
田 夜岐波太(やきはた)」(和
名抄)
「陸田」あるいは
「火田」と書いて「はた」と読ませている。「畑」は国字である。「畑」は漢字の火[xuəi]・田[dyen]を合成して作られた国字であることは『和名抄』の
表記からも知られる。日本語の「はた」は日本の農業がまだ焼き畑を中心にしていた時代の痕跡を感じさせる。ふたつの漢字を合成して新しい漢字を作る例はほ
かにもある。 例:駒(句+馬)、麿(麻+呂)、扉(戸+非)、など。
朝鮮語には「はた」にあたることばとして(pat)がある。日本語の「はた」は朝鮮語の(pat)とも関係のあることばであろう。
【はた(邊)】
「各
(おのおの)佩(は)かせる刀(たち)を解(ぬ)きて淵(ふち)の邊(はた)に置きて水中に沐(かはあ)む。」(崇神紀60年)
古代中国語の「邊」
は邊[pyen] である。日本漢字音は邊(ヘン・べ・はた・へり・
あたり)である。「べ」は韻尾の[-n] が脱落したものである。「はた」は韻尾の[-n]が[-t] であった上古音の痕跡を残している。「へり」は韻
尾の[-n] がラ行に転移したものである。[-n][-t][-l] はいずれも調音の位置が同じであり、転移しやす
い。 参照:【はた(幡)】、第193話【へ(邊)】、
【はち(鉢)】
「越
(こし)の蝦夷(えみし)沙門(ほふし)道信(だうしん)に佛像一軀、灌頂幡、鍾、鉢(はち)各一口、、、賜ふ。」(持統紀3年)
「是
(こ)の月に天皇使(つかひ)を遣(つか)はして袈裟、金鉢(こがねのはち)、象牙、沈水香、栴檀香、及び諸(もろもろ)の珍財を法興寺の佛に奉(たてま
つ)らしめたまふ。」
(天智紀10年)
中国語の「鉢」は梵
語のpatra を音写したものだといわれている。中国に仏教が伝
わったのは紀元前2世紀の頃だとされている。鳩摩羅什(344~413)が仏典を漢訳し、ついで玄奘三蔵(602~664)がサンスクリットの仏典を漢訳した。その頃の中国
漢字音では「鉢」の声符である「本」は本[puan] ではなく本[puat] という韻尾をもっていたということである。「鉢」
の上古中国語音は鉢[puat] の痕跡を残している。漢字には同じ声符号の韻尾を[-n] と[-t] に読み分けるものが見られる。この場合[-t]のほうが古く、[-n]のほうが新しい。 例:本(ホン)・鉢(ハ
ツ・ハチ)、因(イン)・嗚咽(オエツ ) 、 産(サン)・薩摩(サツマ)、活(カツ)・恬淡(テンタン)、など
【はちす(荷子)】
ひ
さかたの雨も落(ふ)らぬか蓮荷(はちすば)に渟(たま)れる水の玉に似たる見む
(万
3837)
日
下江(くさかえ)の入江の波知須(はちす)波那婆知須(はなばちす)身の盛り人羨(とも)しきろかも(記歌謡)
日本語の「はす」は
「蓮」と表記して蓮[lian](レン・はす)と読む。しかし、「はす」の語源は
「荷]子」であろう。「荷」の古代中国語音は荷[hai] である。「は+ち+す」の「ち」は
「沖つ浪」の「つ」と同じで現代語では「の」であろう。「す」は小さいものの愛称である。喉音[h-]が日本語でハ行であらわれる例としてはつぎのような例をあげることができる。 例:羽[hiua] は、匣[heap] はこ、挾[hyap] はさむ、荷子[hai] はす、華[hoa ]はな、灰[huəi] はひ、
【はつ(泊)】
吾
(わ)が船は比良(ひら)の湖(みなと)に榜(こ)ぎ泊(は)てむ奥(おき)へ莫(な)離(さか)りさ夜深(ふ)けにけり(万274)
百
船(ももふね)の波都流(はつる)対馬のあさぢ山時雨(しぐれ)の雨にもみたひにけり
(万3697)
古代中国語の「泊」
は泊[beak] で、舟がとまる、碇泊することである。日本語の
「はつ」は語頭の[b-] が清音になり、韻尾の[-k] がタ行に転移したものであろう。 現代の中国語音では広東語では[-p][-t][k] は弁別されているが、江南音(上海語)では[-p][-t][-k] は弁別されず、閉鎖音の[?]に合一している。古代日本語でも中国語の韻尾[-p][-k]は日本漢字音でタ行であらわれることがある。 例:立[liəp]リツ、接[tziap]セツ、湿[sjiəp]シツ、執[tzhiəp]シツ、雜[dzəp]ザツ、 柵[tshek]サク・冊[tshek]サツ、克[khək]コク・かつ、睦[miuk]ボク・むつ、黙[mək]モク・もだ、
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