第187話 な(汝)の語源
【な・なむち(汝)】
淡
海(あふみ)の海夕浪千鳥汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)思ほゆ
(万266)
石
屋戸(いはやど)に立てる松の樹(き)汝(な)を見れば昔の人を相見る如し
(万309)
大
汝(おほなむち)少彦名(すくなひこな)の座(いま)しけむ志津(しづ)の石屋(いはや)は幾代(いくよ)經(へ)ぬらむ(万355)
古代中国語の「汝」は汝[njia]である。白川静の『字通』によれば「中国語では汝[njia]、爾[njiai]、而[njiə]、若[njiak]、乃[nə]などみな同系のことばとして二人称に使う。」とい
う。古代日本語の「な」は中国語の「汝」と同源であ
る。「なむぢ」は汝爾[njia-njiai]であろう。
日母[nj-]は不安定な声母で爾・邇・璽[njiai]、彌[miai]、瀰[miei]など、同じ声符の漢字がさまざまに読み分けられて
いる。これらの漢字の朝鮮漢字音は爾・邇(i)、彌・瀰(mi)、彌(ni)である。日母は口蓋化する前に[m-]あるいは[n-]と発音された時代があったに違いない。恐らく[mə]・[nə]→[ni]・[mi]→[nj]のような変化をへて汝[njia]・爾[njiai]にたどりついたものと推定できる。古代日本語の
「な」は上古中国語の「汝」あるいは「爾」に依拠している蓋然性が高い。
言
(こと)繁(しげ)み君は來まさず霍公鳥(ほととぎす)汝(なれ)だに來(き)鳴け朝戸開かむ(万1499)
【な(魚)】
足
姫(たらしひめ)神の命(みこと)の奈(な)釣らすとみ立たしせりし石を誰見き
(万869)
「越
(こし)の蝦夷(えみし)八釣魚(やつりな)等に賜(ものたま)。各(おのおの)差(しな)有り。魚、此(これ)をば儺(な)と云う。」(持統紀3年)
古代中国語の「な」は「菜」にも「魚」にも用いら
れる。日本語の「な」の語源は魚[ngia]であろう。日本書紀の「魚、此(これ)をば儺
(な)と云う。」という記述から「魚」が「な」と呼ばれたことは明らかである。日本語の魚(な)は[-i-]介音が発達する前の上古音魚[nga]に依拠したものであろう。中国語の疑母[ng-]がナ行に転移した例としては額[ngək](ぬか)、業[ngiap](なり)などをあげることができる。 「魚」は魚(うを)ともいうが、魚(うを)は中国
語の頭音[ng]が[-i-]介音の影響で脱落したものであり、朝鮮漢字音の影
響を受けたものである。
参照:第164話【うを(魚)】、
【な(名)】
た
らちねの母が召(よ)ぶ名(な)を白(まを)さめど路(みち)行く人を孰(たれ)と知りてか(万3102)
劔
太刀名(な)の惜しけくも吾(われ)は無し君に逢(あ)はずて年の經(へ)ぬれば
(万616)
古代中国語の「名」は名[mieng]である。日本語の「な」は中国語の頭音[m-]が[n-]に転移し、韻尾の[-ng]が脱落したものである。中国語の頭音[m-]が日本語でナ行に転移した例としては:鳴[mieng]なく、苗[miô]なへ、猫[miô]ねこ、眠[myen]ねむる、など。
中国語の韻尾[-ng]が脱落した例としては:網[miuang]あみ、夢[miuəng]いめ、など。
【な(勿・莫)】
秋
山に落(ち)らふ黄葉(もみちば)須臾(しまし)くは勿(な)散り亂(まが)ひそ妹(いも)があたり見む(万137)
今
日のみはめぐしもな見そ言(こと)も咎(とが)む莫(な)(万1759)
勿来の関の「勿」である。「勿」の古代中国語音は
勿[miuəi]である。「物」と声符が同じであり、上古音は勿[miuət]である。日本語では「な、、、そ」といわゆる係り
結びになる。意味は中国語の「勿」と同じであり、否定をあらわす。日本語の勿(な)は中国語の頭音[m-]が調音の方法が同じ[n-]に転移したものである。同様の例に莫[mak](ない)、無[miua](ない)がある。
参照:【な(名)】
【ながし(長)】
今
よりは秋風寒く吹きなむを如何にか獨り長(なが)き夜を宿(ね)む(万462)
野
干玉(ぬばたま)の昨夜(きそ)は還(かへ)しつ今夜(こよひ)さへ吾(われ)を還すな路(みち)の長手(ながて)を(万781)
古代中国語の「長」は長[diang]である。日本語漢字音は長(チョウ・ながい)であ
る。日本語の「ながい」は中国語の長[diang]の[-i-]介音が未発達の時代の上古音長[dang]に依拠している。日本語では濁音が語頭に立つこと
がないので中国語の頭音[d-]は調音の位置が同じ[n-]に転移した。上古中国語の韻尾[-ng]は[-k]に近かった。
語頭の[d-]が日本語でナ行で現われる例としては: 濁[diok]にごる、塗[do]ぬる、乗[djiəng]のる、など。 韻尾の[-ng]が日本語でガ行で現われる例としては: 影[kyang]かげ、性[sieng]さが、双六[sheong-]すごろく、當麻[tang-]たぎま、清[tsyeng]すがし、 楊[jiang]やなぎ、など。
【ながる(流)】
あ
すか川しがらみ渡し堰かませば流留(ながるる)水ものどにかあらまし(万197)
石
走(いはばし)り激(なぎ)ち流(なが)るる泊瀬川絶ゆることなくまたも來て見む
(万991)
妹
(いも)が名は千代に流(なが)れむ姫嶋の小松が末(うれ)に蘿(こけ)生(む)すまでに
(万228)
古代中国語の「流」は流[liu]である。日本語の「ながる」は中国語の流[liu]と関係のあることばであろう。古代日本語にはラ行
ではじまることばはなかったので、中国語の[l-]は調音の位置が同じであるラ行に転移した。「な+
がる」の「ガ」は上古中国語の韻尾の痕跡を留めているものと思われる。董同龢は「流」の上古音を流[liog]*と再構している。また、王力は『同源字典』のなか
で捜[shiu]・索[sheak]、柔[njiu]・弱[njiôk]、報[pu]・復[biuk]はそれぞれ同源だとしている。「流」の上古音は韻
尾に[-k]*に近い音があったものと思われる。日本語の「なが
る」は中国語の「流」上古音に依拠しているものと考えられる。 中国語の[l-]が日本語でナ行であらわれる例:梨[liet]なし、浪[liang]なみ、練[lian]ねる、などがある。
【なく・なる(鳴)】 鶯
の生卵(かひご)の中に霍公鳥(ほととぎす)獨(ひと)り生れて己(な)が父に似ては鳴(な)かず己(な)が母に似ては鳴(な)かず卯の花の開(さ)きた
る野邊ゆ飛び翔(かけ)り來鳴(な)き響(とよ)もし、、、(万1755) あ
かねさす晝(ひる)は終(すがら)に野干玉(ぬばたま)の夜(よる)はすがらに此の床(とこ)のひしと鳴(な)るまで嘆きつるかも(万3270)
古代中国語の「鳴」は鳴[mieng]である。日本漢字音は鳴(メイ・なく・なる)であ
る。日本語の「なく・なる」は中国語の鳴[mieng]の上古音鳴[mek]*に依拠したものであろう。古代中国語の[-ng]の上古音は[-k]に近かった。また、日本語では中国語の頭音[m-]がしばしばナ行であらわれる。
参照:【な(勿・莫)】、【な(名)】、
【なし(無)】
う
らもなく去(い)にし君ゆゑ朝な朝なともなく戀ふる逢ふとは無(な)けど(万3180)
秋
津野(あきづの)に朝居る雲の失(う)せゆけば昨日(きのふ)も今日(かふ)も無(なき)人念(おも)ほゆ(万1406)
古代中国語の「無」は無[miua]である。日本漢字音は無(ム・ない・なき・なし)
である。日本語の「ない」は中国語の「無」と同源である。中国語の語頭音[m-]は日本語ではナ行で現われている。二番目の歌では
「無人所念」と表記されているが、「この世にいない」「死んでしまった」の意味であり現代の表記法では「亡き人思ほゆ」であろう。王力は『同源字典』のな
かで「無」は「亡」と音義ともに近く同源であるという。また「無」は「莫」とも同源であるという。中国語の無[miua]は日本語の「ない」と同源であり、亡[miuang]もまた日本語では「ない」である。
参照:【な(勿・莫)】、【な(名)】、【なく(鳴)】、
【なし・梨】
十
月(ながづき)時雨(しぐれ)の常かわが背子(せこ)が屋戸(やど)の黄葉(もみちば)散りぬべく見ゆ
右の一首は少納言大伴宿禰家持、當時(そのかみ)梨(なし)の黄葉(もみち)を矚(み)て此の歌を作れり。(万4259)
露
霜(つゆしも)の寒き夕(ゆふべ)の秋風にもみちにけりも妻梨の木は(万2189)
古代中国語の「梨」は梨[liet]である。古代日本語ではラ行音が語頭にくることば
はなかった。語頭の[l-]は日本語では調音の位置が同じであるナ行に転移し
た。朝鮮漢字音では中国語の[l-]は規則的に[n-]に転移し、[-i-]介音が続く場合は規則的に頭音が脱落する。「梨」
の朝鮮漢字音は梨(i)であるが、朝鮮漢字音では中国語の[l-]が[n-]に転移するものが多い。
例:楽天(nak-cheon)、洛陽(nak-yeong)、来年(nae-nyeon)、労働(no-dong)、冷房(naeng-bang)、 冷麺(naeng-myeon)、緑茶(nok-cho)、浪(nang)、龍(nong)、
中国語音の[l-]が朝鮮漢字音で[n-]に転移しているもののなかには「冷」「緑」「龍」
のように現在では[-i-]介音のあるものも含まれている。「梨」も[-i-]介音が発達する前は梨[let]*あるいは梨[lat]*に近い発音であった可能性がある。中国語の頭音[l-]が日本語でナ行に転移した例としては、ほかに流[liu](ながれ)、練[lian](ねる)などの例がある。
【なす(眠)】
奥
山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り來て奈左(なさ)ね(万3467)
玉
垂(たまたれ)の小簀(をす)の垂簾(たれす)を行きかてに寝(い)は眠(なさ)ずとも君は通はせ(万2556)
古代中国語の「眠」は眠[myen]である。日本漢字音は眠(ミン・ねむる・なす)で
ある。中国語の頭音[m-]は日本語では、調音の方法が同じナ行に転移した。
中国語の頭音[m-]がナ行に転移した例としては勿[miuəi]】な、名[mieng]な、鳴[mieng]なく、無[miua]なし、などがある。いずれも[-i-]介音を含むもので古代中国語音の[mi-]は日本語ではナ行で現われることが多い。日本語の
「ね+む+る」は眠(myen)の韻尾[-n]がマ行に転移したものである。
古代日本語で「なす」は「寝る」の尊敬語であるとい
う。下二段活用の動詞に動詞の語尾「す」をつけたものである。古代日本語には殺す、死なす、の意味で「死す」「死にす」という例もある。
参照:第176話【しぬ(死)】、
【なす(如)】
國
遠み念(おも)ひ勿(な)侘(わ)びそ風の共(むた)雲の行く如(な)す言(こと)は通はむ(万3178)
山
邊(やまのべ)の五十師(いし)の原にうちひさす大宮仕(つか)へ朝日奈須(なす)うらぐはしも(万3234)
「~のような」「~
の如く」の意味の古代日本語である。古代中国語の「如」は如[njia]である。日本語の「なす」は古代中国語の[-i-]介音が発達する前の上古音如[na]*に依拠したものである。「眠(な)す」や「死
(し)す」のように「○○す」という表現は古代日本語にはしばしば見られる表現である。古代中国語の「如」は如何(いか)のように語頭の日母[nj-]が脱落することもある。
参照:第165話【いか(如何)】、第187話【な・汝[njia]】、
【なづ(撫)】
老
人(おひひと)も女童兒(をみなわらは)も其(し)が願ふ心足(だら)ひに撫(な)で賜ひ治(をさ)め賜へば、、、(万4094)
我
が母の袖持ち奈弖(なで)て我がからに泣きし心を忘らえぬかも(万4356)
古代中国語の「撫」は撫[phiua]である。「撫」の声符は無[miua]である。「撫」の上古中国語音は撫[mua]に近い音も持っていたものと思われる。古代日本語
の「なでる」は上古中国語の撫[mua]と関係のあることばであろう。董同龢は「撫」の上
古音を撫[phiwag]と再構している。韻尾の[-g]が日本語の「な+づ」の「づ」として痕跡を留めて
いるのであろうか。
【なには(難波)】
お
し照る難波(なには)を過ぎてうちなびく草香の山を夕暮にわが越え來れば、、(万1428)
難
波津(なにはづ)に御船泊(は)てぬと聞え來(こ)し紐解き放(さ)けて立走りせむ
(万896)
古代中国語の「難波」は難波[nan-puai]である。古代日本語には[-n]で終わる音節はなかったので、中国語の韻尾[-n]に母音を添加して難(なに)とした。同様の例とし
ては:丹波(たには)、乙訓(をとくに)、などをあげることができる。
波[puai]の頭音は両唇鼻音であり、[-u-]介音が続くことからも[w-]に近い。頭音の[pu-]あるいは[mu-]は合音でありワ行に転移することがある。日本語の
助詞「は」は現代日本語では「わ」と読むが「は」と表記している。つづり字のほうは合音化する前の表記を留めていることになる。 例:沸[piuət]わく、忘[miuang]わする、綿[mian]わた、煩[biuan]わづらふ、罠[mien]わな、
【なびく(靡)】
海
若(わたつみ)の奥(おき)の玉藻の靡(なび)き寐(ね)む早(はや)來座(きま)せ君待たば苦しも(万3079)
眞
木(まき)立つ荒山道を石(いは)が根禁樹(さへき)押し靡(な)べ、、、旗すすき小竹(しの)を押し靡(な)べ草枕旅宿(たびやど)りせす(万45)
古代中国語の「靡」は靡[miai]である。漢字には「麻+非」で「なびく」、「戸+
非」で「とびら」、「麻+呂」で「まろ」、「馬+句」で「こま」、のような造語法があったようである。古代中国語の「麻・非」は「麻[mea]+非[piuəi]」である。日本語の「なびく」は麻[mea]の頭音がナ行に転移し、非[piuəi]の[p-]が第二音節で濁音「び」になったものである。
【なへ(苗)】
三
嶋菅(すげ)未(いま)だ苗(なへ)なれ時待たば著(き)ずや成りなむ三嶋菅笠(すげがさ)
(万
2836)
古代中国語の「苗」は苗[miô]である。日本語の「なへ」は古代中国語の頭音[m-]が日本語ではナ行に転移したものである。
参照:【な(勿)】、【な(名)】、【なく(鳴)】、【なづ(撫)】、【なびく(靡)】、
第189話【ねぶる(眠)】、
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