第178話  しむ・そむ(染)の語源

 
【しむ・そむ(染)】
な かなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも酒に染(し)みなむ(万343)
肥 人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結(ゆ)へる染(しめ)木綿(ゆふ)の染(し)みにし心我(われ)忘れまや(万2496)
色 深く背なが衣(ころも)は曾米(そめ)ましを御坂(みさか)たばらばまさやかに見む
(万4434)

  古代中国語の「染」 は染[njiam]である。日本漢字音は染(セン・そめる・しみる) である。現代の北京語音は染(ran)であり、朝鮮漢字音は染(yeom)である。中国語の音韻学では頭子音の[nj-]を日母という。「日」の頭子音日[njiet]にちなんだ名称である。日母は元の時代には日[djiet]に近い音に変化した。現代の北京語音ではさらに(r)に変化している。また、朝鮮漢字音では規則的に脱 落している。

 例えば「日本」は北京語では日本(ri-ben)であり、朝鮮漢字音では日本(il-bon)となる。日本漢字音では日(ニチ・ジツ)、日本 (ニホン・ニッポン)である。英語のJapanは元の時代に中国に来たマルコ・ポーロが当時の中 国語音で日本[djiet-puən]といのを聞いてJapanあるいはZipangとして伝えたものが英語に入ったものであるとされ ている。

  記紀万葉の時代の日本漢字音は染(しむ・そむ)で あり染[djiam]に近い。古代日本語では語頭に濁音がくることはな かったので、染(しむ)あるいは染(そむ)に転移した。意味は現代の日本語では「染める」と「滲みる」の両方にあたる。

 【しも(霜)】
葦 邊(あしべ)行く鴨の羽(は)がひに霜(しも)零(ふ)りて寒き夕べは倭(やまと)し念(おも)ほゆ(万64)
在 りつつも君をば待たむ打ち靡(なび)く吾(わ)が黒髪に霜(しも)の置くまでに(万87)

  古代中国語の「霜」 は霜[shiang]である。中国語韻尾の[-ng]は日本語にはない音であり、調音の位置が同じなの で古代日本語では[-k]であらわれることが多い。[-ng]は鼻音であり、調音の方法が[-m]と同じであるために、日本語ではマ行に転移するこ ともある。

 例:醒(セイ・さめる)、公(コウ・きみ)、相 (ソウ・さま)、灯(トウ・ともる)
   弔(チョウ・とむらう)、

 【しる(汁)】
「染木(そめき)が斯流(し る)染衣(しめころ も)をまつぶさに取り装ひ」(記神代)
「母(おも)の乳汁(ちし る)」(記神代)

  古代中国語の「汁」 は汁[tjiəp]である。中国語の韻尾[-p]は日本語では蝶[thyap](チョウ・てふ)、渋[shiəp](ジュウ・しぶい)のようにハ行であらわれること もあるが、タ行に転移する場合も多い。

 例:接[tziap](セツ)、摂[siap](セツ)、雜[dzəp](ザツ)、湿[sjiəp](シツ)、
   立
[liəp](リツ)、執[tzhiəp](シツ)、蟄[diəp](チツ)、

  韻尾の[-p]は日本漢字音では[-t]と弁別されないことが多い。[-t][-l]は調音の位置が同じなので転移しやすい。日本語の 汁(しる)は中国語の汁[tjiəp]が転移したものである可能性が高い。

 【しる(知)】
想 (おも)はぬを想(おも)ふと云はば眞鳥(まとり)住む卯名手(うなて)の社(もり)の神し御知(しらさ)む(万3100)
刈 薦(かりこも)の心もしのに人知れずもとなぞ戀ふる氣(いき)の緒(を)にして、、、
(万3255)

 古代中国語の「知」は知[tie]である。日本漢字音は知(チ・しる)である。日本 語には「ティ」という音節はないから訓では摩擦音化して知(しる)となり、音では口蓋化して知(チ)となったものであろう。音の知(チ)も中国語音の転移 したもので、中国語音と同じではない。英語のteamが日本語で「チーム」になるのと同じである。

 【しろがね(白金・銀)】
銀 (しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる寶子にしかめやも(万803)

  古代中国語の「銀」 は銀[ngien]である。銀[ngien]の古代中国語では金[kiəm]に近い。古代日本語には[ng-]ではじまる音節はなかったので、「金」は金(か ね)になったが、「銀」は複合語で白金(しろかね)になった。現代の北京語では金銀は金(jin)、銀(yin)である。

 【しわ(皺)】
若 かりし膚(はだ)も皺(しわ)みぬ黒かりし髪も白(しら)けぬ(万1740)

  古代中国語の「皺」 は皺[tzhio]である。日本漢字音は皺(シュウ・しわ・しわむ) である。日本語の皺(しわ)は中国語の皺[tzhio]の転移したものであろう。

 【す(巢・栖)】
今、、、 民の心朴素(すなほ)なり。巢(す)に棲み穴に住みて習俗惟(これ)常(つね)となりたり。(神武前紀)
沼 二つ通(かよ)は鳥が栖(す)吾(あ)が心二行(ふたゆ)くなもと勿(な)よ思(も)はりそね
(万3526)

  古代中国語の「巢」 は巢[dzheô]であり、「栖」は栖[syei]であり、日本漢字音は巢(ソウ・す)、栖(セイ・ す・すむ)である。古代日本語には「ソウ」「セイ」という音節はなかったので訓は巢(す)、栖(す)として日本語に取りいれられた。中国語の「巢」「栖」 と日本語の巢(す)、栖(す)は音義ともに近く、同源である。

 【す(洲・渚)】
み さご居る渚(す)に居る舟の榜(こ)ぎ出なばうら戀しけむ後(のち)は會(あ)ひぬとも
(万3203)
倭 (やまと)戀ひ寐(い)の宿(ね)らえぬに情(こころ)無く此の渚埼(すさき)廻(み)に鶴(たづ)鳴くべしや(万71)

  古代中国語の「洲」 「渚」は洲[tjiu]・渚[tjia]である。現代北京語では洲(zhou)、渚(zhu)である。古代中国語の頭音[t-][-i-]介音の影響で摩擦音化する。日本語の洲(す)、渚 (す)も摩擦音化している。日本語の洲(す)、渚(す)は中国語の「洲」「渚」と同源である。古代日本語には洲(シュウ)、渚(ショ)という音節はなかっ た。

 【す(酢)】
醤 (ひしほ)酢(す)に蒜(ひる)つきかてて鯛願ふ我にな見せそ水葱(なぎ)のあつもの
(万3829)

  古代中国語の「酢」 は酢[dzak]である。現代の北京語では「酢(cu)」である。日本漢字音は酢(ソ・サク・す)であ る。日本語の酢(す)は古代中国語の酢[dzak]の韻尾[-k]が脱落したものである。日本語の音も訓もいずれも 中国語の「酢」と音義ともに近く同源である。

 【す(簀)】
夏 麻引(なつそび)く海上潟(うなかみがた)の沖つ洲(す)に鳥は簀竹(すだけ)ど君は音もせず(万1176)
簀 須乃古(すのこ)、床の上に竹藉(し く)名也」 (和名抄)

  古代中国語の「簀」 は簀[tzhek]である。現代の北京語音は簀(zu)である。日本漢字音は簀(サク・サイ・す・すの こ)である。日本語の簀(す)は中国語の簀[tzhek]の韻尾[-k]が脱落したものである。日本語の「簀」は音訓とも に中国語の簀[tzhek]と同源である。

 【すがし(清)】
速 須佐之男(はやすさのをの)命(みこと)宮造作(つくる)べき地を出雲國に求(ま)ぎたまひき。爾(しか)して須賀(すが)の地に到り坐(ま)して詔 (の)らさく、吾此地に來て我(あ)が御心須賀須賀斯(すがすがし)とのらして、其地に宮作りて坐(ま)しき。故、其地は今須賀(すが)と云ふ。(記、上)

  古代中国語の「清」 は清[tsieng]である。中国語の韻尾[-ng]は上古音の段階では[-k-]に近かったので上古音は清[tsek]に近い発音だったはずである。日本の古地名には上 古中国語音の痕跡を留めているものがいくつかみられる。

 例:相模(さがみ)、相楽(さがらか)、香山(か ぐやま)、伊香(いかご)、
   愛宕(おたぎ)、當麻(たぎま)、楊生(やぎ ふ)、望多(うまぐた)

 日本漢字音は清(セイ・シン・きよし・すがし・さ やけし)である。歴史的にはおそらく清(きよし→すがし→さやけし)と中国語音の変化にしたがって日本語音も変化していったものと思われる。日本語の清 (きよし・すがし・さやけし)はいずれも中国語の清[tsieng]と同源である。
参照:第169話【きよし(清・浄)】、第176 話【さやけし・すがし(清)】

 すげ【菅kean
八 田(やた)の一本菅(すげ)は子持たず立ちか荒(あ)れなむあたら菅原(すがはら)言(こと)をこそ菅原とは言はめあたら須賀志(すがし)女(め)(記歌謡)

  古代中国語の「菅」 は菅[kean]である。現代の北京語では菅(jian)であり、摩擦音化している。日本漢字音は菅(カ ン・すげ・すが)である。
 日本語のサ行はタ行が摩擦音化したものとカ行が摩 擦音化したものがある。

 例:タ行・貞(テイ・さだか)、定(テイ・さだ む)、鎮(チン・しづめ)、沈(チン・しづむ)
   カ行・逆(ギャク・さか)、賢(ケン・さか し)、懸(ケン・さがる)、埼(キ・さき)
      幸(コウ・さき・さち)、

  日本語の菅(すげ)もおそらく菅[kean]が摩擦音化していく過程の痕跡を留めたものであろ う。
参照:第174話【さか(逆)】、【さかし (賢)】、【さがる(懸)】、【さき(埼)】、
   【さき・さち(幸)】、

 【すき(鋤・耜)】
嬢 子(をとめ)のい隠(かく)る岡を金須岐(かねすき)を五百箇(いほち)もがも須岐(すき)撥(ば)ぬるもの(記歌謡)
「味 耜 阿膩須岐(あぢすき)高彦根神」(神代紀下)
「鋤  須岐、穢(わい)を去り苗を助くるものなり」(和名抄)

  古代中国語の「鋤」 は鋤[dzhia]である。「耜」は耜[ziə]である。現代北京語では鋤(chu)、耜(si)である。古代日本語には「すき」をあらわすことば に「すき(鋤)」のほかに「さひ(鋤)」、「さへ(鉏)」があるが、いずれも農具の名称であり、同源である。
参照:第175話【さひ(鋤)】、【さへ(鉏)】

【すぐる(勝・秀)】
一 (ひとり)の海女(あま)有り。男狭磯(をさし)と曰(い)ふ。是(これ)阿波國の長邑(ながのむら)の人なり。諸(もろもろ)の白水郎(あま)に勝(す ぐ)れたり。(允 恭紀14年)
今 妾等(やつこら)顔色秀(すぐ)れず。(安康前紀)

  古代中国語の「勝」 は勝[sjiəng]であり、「秀」は秀[siu]である。日本漢字音は勝(ショウ・かつ・すぐ る)、秀(シュウ・ひいでる・すぐる)である。
 日本語のサ行音は【すげ(菅)】の項でみたごと く、カ行から転移したものとタ行から転移したものがある。もう一つの仮説として、古代中国語音にはその痕跡は残していないけれども上古音が
[k-]だったことばを想定することができないだろうか。

 例:峻[tziuən]さがし、盛[zjieng]さかゆ・さかる、清[tsieng]すがし、勝[sjiəng]すぐる、
   秀
[siu]すぐる、

  これらの漢字は漢字音の基本型ができる唐の時代に は摩擦音になっていたけれども、上古音は[k-]に近い音ではなかっただろうか。そのひとつの傍証 として「清」「秀」の現代北京語音は清(qing)、秀(xiu)である。現代の北京語音で(q-)の漢字には日本漢字音でサ行の漢字が多く、(x-)の漢字にはカ行の漢字が多い。

 例:qi・妻(サイ)、斉(サイ)、七(シチ)、漆(シ ツ)、栖(セイ)、戚(セキ)、
  
 qing・青(セイ)、清(セイ)、晴(セイ)、請(セ イ)、情(ジョウ)、
   
xi・喜・嬉(キ)、希(キ)、戯(ギ)、吸(キュウ)、渓(ケイ)、系(ケイ)、隙(ゲキ)、
   
xiu・休(キュウ)、朽(キュウ)、嗅(キュウ)、

  「清」についていえば清(qing)から清[tsieng]が生じたわけではなく、唐代の清[tsieng]が現代北京語の清(qing)になったわけだが、介音[-i-]あるいは[-u-]が引き金になってサ行がカ行に転移し、あるいはカ 行がサ行に転移することの証であることには変わりない。また、唐代の秀[siu]は現代の北京語では秀(xiu)と表記されているが、現代北京語音の(xiu)には唐代には休[xiu]、朽[xiuə]、嗅[thjiu]などの漢字も含まれている。

  日本語の「すぐる」は古代中国語の勝[sjiəng]が口蓋化する前の形の痕跡を留めているのではある まいか。もし、この仮説が正しいとすれば「勝」の上古音は勝[kəng]に近い形であり、それが日本語の勝(かつ)の語源 でもある。勝(すぐる)は「勝」が摩擦音化する過程の痕跡を留めていると理解できる。
参照:第174話【さがし(峻)】、【さかゆ・さ かる(盛)】、第176話【すがし(清)】、

 【すくなし(少・鮮)】
潮 (しほ)満(み)てば入(い)りぬる磯の草なれや見らく少(すくな)く戀ふらくの多き
(万 1394)
さ 丹(に)つらふ色には出(い)でね小(すくな)くも心の中(うち)に吾(わ)が念(おも)はなくに(万2523)
人 尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すくな)し。(推古紀12年)

  古代中国語の「少」 「鮮」は少[sjiô]・鮮[sian]である。前項の勝(すぐる)の仮説が認められると すれば、「少」「鮮」が口蓋化する前の上古音は少[kô]、鮮[kan]に近い形であったと考えることができる。現代の日本語では「すくなし」に「少」の文字が用 いられているが、論語の「巧言令色鮮(すくな)し仁」のように「鮮」にも「少ない」の意味がある。
参照:【すぐる(勝)】、第174話【さがし (峻)】、【さかゆ・さかる(盛)】、
   第176話【すがし(清)】、

 【すくふ(救)】
名 を救(すくひ)の郷(さと)と曰(い)ひき、今、周賀の郷と謂(い)ふは、訛(なま)れるなり。(肥前風土記、彼杵郡)
こ の御足跡(みあと)八萬(やよろづ)光を放ち出(い)だし、諸(もろもろ)須久比(すくひ)濟(わた)したまはな須久比(すくひ)たまはな(仏足石歌)

  古代中国語の「救」 は救[kiu]あり、現代北京語では救(jiu)である。日本漢字音は救(キュウ・すくう)であ る。日本語の「すくふ」は逆(ギャク・さか)、賢(ケン・さかし)、懸(ケン・さがる)、埼(キ・さき)、幸(コウ・さき・さち)などと同じくカ行音の摩 擦音化の過程の痕跡を留めたものであろう。
参照:第174話:【さか(逆)】、【さかし (賢)】、【さがる(懸)】、【さき(埼)】、
   【さき・さち(幸)】、

 【すけ・さけ(鮭)】
「國 の宰(みこともち)久米の大夫(まへつきみ)の時に至り、河(かは)に鮭(すけ)を取るが爲に、改めて助川(すけかは)と名づく。俗語に鮭の祖(おや)と 謂ひて、須介(すけ)と爲(な)す。」(常陸風土記久慈郡)

  常陸風土記には鮭 (すけ)とあるが当時の東北弁で あろう。「鮭」の古代中国語音は鮭[kyue]である。日本語の「さ+け」の「さ」は前項【すく ふ(救)】と同じく、頭音[k-]の摩擦音化の過程の痕跡であろう。鮭の語源はアイ ヌ語だともいわれているが、少なくとも記紀万葉の時代に漢字の「鮭」を鮭(ケイ)ではなく鮭(さけ)と読めたことは事実であろう。
参照:【すくふ(救)】、第174話:【さか (逆)】、【さかし(賢)】、【さがる(懸)】、
   【さき(埼)】、【さき・さち(幸)】、

 

☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典 索引

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