第179話  すごろく(双六)の語源

 
【すごろく(雙六)】
吾 妹子(わぎもこ)が額(ぬか)に生(お)ひたる雙六(すぐろく)の牡牛(ことひのうし)の鞍の上瘡(かき)(万3838)
一 二の目のみにあらず五六三四さへあり雙六(すごろく)の采(さえ)(万3827)

 双六は大陸渡来の遊戯で賭けごととして記紀万葉の 時代にも行われていた。サイコロをふたつ使うことから「双六」という。正倉院には紫檀の盤など豪華な道具が伝えられている。
 古代中国語の「雙六」は雙六
[sheong-liuk]である。「雙」の韻尾[-ng][-k]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国語 音韻史では唐代の[-ng]は上古の[-k]から変化したものであることが知られている。同じ 声符をもった漢字で[-ng][-k]に読み分けられるものがあるが、[-k]が古く[-ng]は隋唐の時代以降の中国語音を継承したものであ る。

 例:隻(セキ)・雙(ソウ)、拡(カク)・広(コ ウ)、爆(バク)・暴(ボウ)、

 日本漢字音でも訓は[-k]で音は[-ng]を継承したものがみられる。訓が古く、音は新し い。

 例:性(さが・セイ)、茎(くき・ケイ)、筺(か ご・キョウ)、塚(つか・チョウ)、
   楊(やぎ・やなぎ・ヨウ)、影(かげ・エイ)
*、桶(おけ・トウ)**
   
*影の声符は景(ケイ)である。**桶の声符は甬(ヨウ)である。

 【すこし(少・小・稍)】
玉 篋(たまくしげ)小(すこ)し開くに白雲の箱より出て、、、(万1740)
「剣 刃少(すこし)欠(かけ)ぬ」(神代紀上)
「錦 色小虵 小≪須古之支(すこしき)奈流(なる)遠呂知(をろち)」(垂仁紀5年)
「心 裏(こころ)稍(すこし)安(やす)し」(東征伝)

  記紀万葉では日本語 の「すこし」に「小」「少」 「稍」などが使われている。これらの漢字の古代中国語音は少[sjiô]・小[siô]、稍[sheô]でいずれも音義ともに近い。現代の北京語音では少(shao)、小(xiao)、稍(shao)である。現代の中国語ではいずれも摩擦音である が、[-i-]介音(わたり音)によって摩擦音化する前の上古音 は小[xao]あるいは小[xa]のような喉音の閉鎖音であった可能性がある。日本 語には喉音はないので古代中国語の喉音は日本語では、調音の位置の近いカ行であらわれる。日本語の小(こ・ショウ)、消(けす・ショウ)、勝(かつ・ショ ウ)、鍾・鐘(かね・ショウ)などは上古中国語の閉鎖音の痕跡を留めている可能性がある。

   日本漢字音には音がサ行で訓が「サ行+カ行」にな るものが多い。少・小・稍(すこし)は上古中国語音が摩擦音化していく過程の音を継承しているのではあるまいか。

 例:少(ショウ・すこし)、小(ショウ・すこし・ すくなし)、稍(ショウ・すこし)、峻(シュ      ン・さがし)、盛(セイ・さかん)、清(セイ・すがし)、勝(ショウ・すぐる)、秀(シュ   ウ・すぐる)など、
参照:第174話【さがし(峻)】、【さかゆ・さ かる(盛)】、第176話【すがし(清)】、
   第178話【すくなし(少)】、【すぐる(勝)】、

 【すし(鮨)】
「王 (こきし)、健児を靭*(と との)へて斬りて首(かうべ)を醢(すし)にす。」(天智紀2年)
「鮨  須之(すし)」(和 名抄)

  古代の「すし」は江 戸前のように新鮮な魚を使った 料理ではなく、酢を使って発酵させた保存食である。現代の馴れ鮨、あるいはくさり鮨がそれにあたる。「すし」はいまや日本食の代表的なものとして世界中で もてはやされているが、中国伝来のものである可能性がある。中国語の古語辞典である『爾雅』や後漢の許慎による『説文』にすでに「鮨」の記録がある。『説 文』によると、鮨は「魚の賠*醤なり。蜀中に出づ」とある。蜀とは四川の山の中 である。『爾雅』では「肉を之れを羹と謂ひ、魚には之れを鮨と謂ふ」としている。
 古代中国語の「鮨」は鮨
[tjiei]である。日本語の「すし」は中国語の「鮨」(塩 辛)と同源であろう。しかし、「すし」は日本の風土で生れかわった。

 【すすぐ(濯・滌)】
石 以(も)ち突(つつ)き破り早川に洗ひ濯(すす)ぎ辛鹽(からしほ)にこごと揉(も)み高坏(たかづき)に盛り机に立てて母に奉(まつ)りつや(万3880)
是 (ここ)を以(も)て頭(かしら)を海水に滌(すす)かしむ。(神功前紀)

  古代中国語の「濯」 「滌」は濯[diôk]・滌[dyuk]であり、音義ともに近い。日本漢字音は濯(タク・ あらう・すすぐ)、滌(ジャク・テキ・ジョウ・あらう・すすぐ)である。「あらう」は[-i-]介音の影響で語頭の[d-]が脱落したものであり、「すすぐ」は語頭の[d-][-i-]介音に引きずられて摩擦音化したものである。洗濯 の濯(タク)の声符は日曜の曜(ヨウ)と同じであり、頭音が脱落することがある。
 古代日本語には濁音ではじまることばはなかったの で清音を重複させて「すす+ぐ」となった。日本語の「すすぐ」は中国語の濯
[diôk]・滌[dyuk]と同源である。

【すすむ(進)】
家 思(も)ふと情(こころ)進むな風候(まち)り好(よ)くしていませ荒しその路(みち)
(万381)
大 夫(ますらを)の須々美(すすみ)先立ち踏める足跡(あと)を見つつ偲はむ直(ただ)に逢(あ)ふまでに正(まさ)に逢ふまでに(仏足石歌)

  古代中国語の「進」 は進[tzien]である。日本語の「すすむ」は中国語の進[tzien]と音義ともに近く、同源であろう。語頭の「す」が 重複されるのは、鮨(す+し)、濯(す+すぐ)、滌(す+すぐ)の場合と同じで、古代の借用語には例が多い。

 【すすむ(薦)】
是 (ここ)に大己貴(おほあなむち)の神、、乃(すなは)ち岐神(ふなとのかみ)を二の神に薦(すす)めて曰(まを)さく、是(これ)、當(まさ)に我に代 りて縦(つか)へ奉(まつ)るべし。(神代紀下)

 古代中国語の「薦」は薦[tzian]である。日本語の「すすむ」は中国語の薦[tzian]と同源である。頭音が重複するのは前項の「進む」 と同じである。

 【すずめ(雀)】
翠 鳥(そに)は御食人(みけひと)と爲(し)、雀(すずめ)は碓女(うすめ)と爲(し)、雉(きぎし)は哭女(なきめ)と爲(し)、、、(記、上)

  古代中国語の「雀」 は雀[tziok]である。日本語の「すずめ」は中国語の雀[tziok]と関係のあることばであろう。「すず+め」の 「め」は小さいものに対する愛称で女(め)に由来するものであろう。「女」の古代中国語音は女[njia]である。女[njia][na]あるいは[ma]が口蓋化したもので、上古音は女[ma]あるいは女性[mia]に近かったものと考えられる。語頭の「す」が重複 するのは前項の薦(すすむ)、進(すすむ)、濯(すすぐ)、滌(すすぐ)の場合と同じである。

 【すふ(吸)】
「一 (ひとり)の女、水を汲(く)み、即(やが)て吸(す)ひ没(い)れられき。」
(播磨風土記、賀毛 郡)
「億 載の庭に遊び、蘂蓋(ずゐがい)の苑に臥伏(ふ)し、養性の氣を吸(す)ひ噉(くら)ふことをねがふ。」(霊異記)

  古代中国語の「吸」 は吸[xiəp]である。日本漢字音は吸(キュウ・すふ)である。 中国語の語頭音[x-]は日本語にはない喉音である。調音の位置が近いた め日本語ではカ行であらわれる。また、喉音は[-i-]介音の影響で調音の位置が前にくると摩擦音になっ てサ行であらわれる。日本語の「すふ」は中国語の吸[xiəp]と同源である。「すふ」の「ふ」は中国語の韻尾[-p]をあらわしている。

 【すぶ(統・總)】
有 智(うち)の得業(とくごふ)にして、竝(なら)びに衆(もろもろ)の才(かど)を統(す)べたり。(霊異記)
海 神(わたつみ)、是(ここ)に海の魚(いを)どもを總(す)べ集(つど)へて、其の鉤(ち)を覓(もと)め問ふ。(神代紀下)

 古代日本語の「すぶ」は統一すること、統治するこ とを意味する。「すべ」ないは「統」「總」の文字が使われている。古代中国語の「統」「總」は統[thong]・總[tzong]であり音義ともに近い。日本語の「すぶ」は中国語 の統[thong]あるいは總[tzong]と同源であろう。中国語韻尾の[-ng][-m]と調音の方法が同じ鼻音であり転移しやすい。「總」はまた總(すべて)にも使われている。

 蘇 我大臣(おほおみ)蝦夷(えみし)、山背(やましろの)大兄王(おほえのみこ)等、總(すべ)て入鹿(いるか)に亡ぼさるということを聞きて、嗔(いか) り罵(の)りて曰(いは)く、噫(ああ)、、、亦殆(あや)ふからずや。(皇極紀2年)

 【すむ(澄・清)】
香 澄(かすみ)の里あり、、時の人、是(これ)に由(よ)りて霞(かすみ)の郷(さと)と謂(い)へり。(常陸風土記、行方郡)
其 れ清(すみ)陽(あきらか)なるものは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と爲(な)り、重く濁れるものは淹滞(つつ)ゐて地(つち)と爲(な)る。(神代紀上)

 古代中国語の「澄」「清」は澄[diəng]・清[tsieng]である。「澄」の声符は登[təng]であり、「清」の声符は清[tsyeng]であるが、「澄」と「清」は音義ともに近い。清[tsyeng]は澄[diəng][-i-]介音の発達により摩擦音化したものである。日本漢 字音は澄(チョウ・ジョウ・すむ)、清(セイ・ショウ・シン・きよい・さやけし・すがし)である。中国語でも日本語でも「澄」、「清」はともに長い歴史の なかで、時代により、地方により、さまざまな変化をとげてきている。「澄」と「清」の音を調べてみると次のようになる。

              古代音                  北京音                  上海音                  広東音          朝鮮漢字音
「澄」
    [diəng]                 cheng                  zen                      chihng                 jing
「清」    [tsieng]                qing                     qin                       ching                   cheong

中国語の韻尾[-ng]は鼻音であり、調音の方法が[-m]と同じである。調音の方法が同じ音は転移しやす い。日本語の「すむ」は江南(上海)音に近いともいえる。日本語の「すむ」は中国語の澄[diəng]・清[tsieng]と同源である。
参照:第169話【きよし(清・浄)】、第176 話【さやけし・すがし(清)】、
   第178話【すがし(清)】、

 【すゆる(酸)】
「温 飯(おほみもの)煖羹(おほみあつもの)酸(すゆり)餧(くさ)らずは易(か)へず」
(仁 徳紀4年)
「凡 (およ)そ熱い膩物を食べ、冷い酢漿は飲む勿れ、師説に、冷酢 比伊須由礼流(ひいすゆる)と読む」(和名抄)

  古代中国語の「酸」 は酸[tsiuən]である。日本漢字音は酸(サン・す・すい)であ る。古代日本語の「すゆる」は「酸」を動詞化したもので「す+ゆ+る」の「ゆ」は[-i-]介音、「る」は韻尾の[-n]に対応している。[-n][-l]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。
 日本語で中国語の韻尾
[-n]がラ行に転移した例としては韓(から)、雁(か り)、昏(くれ)、嫌(きらう)、算盤(そろばん)などがある。日本語の「すゆる」は中国語の酸[tsiuən]の転移したものである。

 【する(摺)】
鴨 頭草(つきくさ)に服(ころも)いろどり摺(す)らめども移ろふ色と偁(い)ふが苦しさ
(万1339)

 古代中国語の「摺」 は摺[ziuəp]である。日本語の「する」には「擦」、「刷」など の漢字があてられることがあるが、これらの漢字の古代中国語音は擦[tziat]、刷[shoat]である。中国語には[-l]で終わる音節はないが、韻尾の[-t][-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。朝鮮語 では中国語の韻尾の[-t]は規則的に[-l]に転移して擦(chal)、刷(swal)となる。摺[ziuəp]のように韻尾の[-p][-l]になるのはやや異例だが、日本漢字音では韻尾の[-p][-t]に転移することは多い。例としては接[tziap](セツ)せつ、湿[sjiəp](シツ)、立[liəp](リツ)などをあげることができる。日本語の「する」は中国語の摺[ziuəp]と同源である。
 

もくじ

第 1 61話 古代日本語語源字典

つぎ 第180話 せこ(背子・兄子)の語源