第47話 朝
鮮漢字音の特色 日本語も朝鮮語も古くから中国語の語彙を大量に受け入れている。日本語も朝鮮語も、中国語の語彙を借用するときに、中国語の原音を一定の法則にしたがって 転移させている。日本漢字音には日本語訛りがあり、朝鮮漢字音には朝鮮語訛りがある。日本語は古くから朝鮮半島を通じて中国語の語彙を受け入れているの で、日本語のなかにも朝鮮漢字音の痕跡が残されていることがある。中国語からの借用語がいったん朝鮮半島に定着して、朝鮮漢字音の影響を受けたと考えられ るものが、日本語のなかにはいくつかある。「やまとことば」だと考えられていることばのなかにも、中国語起源のことばや、朝鮮半島でいったん朝鮮語訛の影 響を受けているものがある。 朝鮮漢字音には、日本漢字音とは違ういくつかの 特徴がある。朝鮮漢字音の特徴を調べてみると、日本語のなかに朝鮮漢字音の痕跡を探しだすこができる。 [清音と濁音] 例、技術(ki-sul)・
演技(yeon-gi)、団体(tan-che)・
集団(jip-dan)、 朝鮮語では語頭音は清音となり、語中では濁音とな る。例えば、「本」の朝鮮漢字音は本(pon)であるが、語中では濁音となって日本(il-bon)となる。「朴」は朴(pak)であるが、「質朴」は質朴(jil-bak)となり、清音が濁音にかわる。清濁の交替は規則的 である。ハングルではすべて清音で表記されているが、実際の発音は語頭では清音、語中・語尾では濁音となる。朝鮮語では清音と濁音は相補分布すると、言語 学ではいう。日本語の「いろは歌」なども清音だけで書かれている。しかし、語頭のことばは清音で、語中のことばは濁音で読まれる。 い ろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 「色 は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず」 この歌が読めるのも、語頭では清音となり、語中 では濁音となるという表記の規則があるからである。朝鮮語では現在でも、いろは歌のように清音で書いたものを語頭では清音で読み、語中では濁音で読み分け るということをやっている。例えばkopayasiと書いてコバヤシと読む。古代の日本語でも濁音が 語頭にくることはなかった。学校、胡麻、ガラス、ガソリンなど、現代の日本語で濁音で始まることばは、いずれも外来語である。 [語頭子音の特色] 例:李承晩(i-seung-man)、料理(yo-ri)、理髪(i-bal)、料金(yo-geum)、旅行(yeo-haeng)、歴史 (yeok
-sa)、
双竜(ssang-yong)、盧武鉉(no-mu-hyeon)、
乙支路(eul-ji-ro)、
冷麺(naeng-myeon) 来年(nae-nyeon)、冷蔵庫(naeng-jang-go)、 ② 朝鮮語では疑母[ng-]は発音されない。 例:盧泰愚(no-ttae-u)、魚粥(eo-yuk)、銀行(eun-haeng)、外国人(oe-guk-in)、
英語(yeong-eo)、
国語(kuk-eo)、
海岸(hae-an)、
会議(hui-ui)、
企業(ki-eop)、 ③ 朝鮮語では日母[nji-]は発音されない。 例:女優(yo-u)、女児(yo-a)、人形(in-hyeong)、
商人(sang-in)、日本(il-bon)、
休日(hyu-il)、 ④ 中国語の喉音は朝鮮語では喉音を留めている。(日 本語ではカ行になる。) 例:朴正煕(pak-jeong-hui)、会話(hui-hwa)、香水(hyang-su)、現代(hyeon-dae)、
化学(hwa-hak)、 学生(hak-saeng)、花壇(hwa-dan)、
地下鉄(ji-ha-chyeol)、
祝賀(chuk-ha)、
旅行(yeo-haeng)、
人形(in-heong)、
故郷(ko-hyang)、 「や まとことば」のなかにも、朝鮮漢字音の影響を受けた、中国語からの借用語がある。 ① (a)古代中国語のlが失われた例。
陸[liuk] お
か、良[liang] よ
き・よい、梁[liang] や
な、硫黄[liu-huang] い
おう、劣[liuat] お
とる、 (b)古 代中国語のlがナ行で代替された例。
浪[lang] な
み、狼[lang] の
ろ、狼煙 のろし、 ② 古代中国語の疑母[ng-]が失われた例。
顎[ngak] あ
ご、吾[nga] あ・
あれ、我[ngai]あ・
あれ、魚[ngia]
う
お、御[ngiak] お、 現代の朝鮮漢字音は顎(ak)、吾(o)、我(a)、魚(eo)、御(eo)、仰(ang)、餓(a)である。古代日本語 では「吾」は「あ」であり、 「吾児」は「あぎ」、「吾妹」は「わぎもこ」である。これらの 日本語は古代中国語からの借用語であり、朝鮮漢字音の影響を受けている可能性が高い。 ③ 古代中国語の日母[nji-]が失われた例。
熱[njiat]
あ
つい、若[njiak]
わ
かい、弱[njiôk] よ
わい、柔[njiu]
や
わら、入[njiəp] い
る、 現代の朝鮮語音は熱(yol)、若(yak)、弱(yak)、柔(yu)、入(ip)、潤(yun)、念(yom)、尼(i)である。 ④ 中語語の喉音にあたる音は日本語にはない。朝鮮漢
字音では中国語の喉音を留めているが、 日本漢字音ではカ行に転移する。しかし、古代の日本語では中国語の喉音、暁母[x-] と匣母 [h-] がハ行であらわれていると思われる例がみられる。 これらの漢字の現代の朝鮮語音はつぎのとおり である。日本語の訓といわれているものは古 代中国語音あるいは現代朝鮮漢字音に近い。
火(hwa)ひ、
花(hwa)・
華(hwa)は
な、灰(hoe)は
い、脛(hyeong)は
ぎ、閑(han)ひ
ま、戸(ho)へ、 日本語のハ行は、記紀万葉の時代の日本漢字音で は、唐代中国語音のpと対応している。し かし、奈良時代以前、古墳時代あるいは弥生時代には、中国語音の喉音[x・h]が日本語のハ行 音になっている可能性がある。そ こには朝鮮漢字音の影響もあるものと考えることができ る。 [韻尾音の対応] 例:宣銅烈(seon-dong-ryeol)、
趙容弼(jo-yong-pil)、
地下鉄(ji-ha-cheol)、 ② 中国語の韻尾の[-p] は朝鮮漢字音では保たれている。 例:企業(ki-eop)、
海峡(hae-hyeop)、
俸給(pong-geup)、急行(keup-haeng)、 これらの漢字の古代中国語音は業[ngiap]、峡[keap]、給[həp]、急[giəp]、蝶 [thyap]、葉[jiap]、 接[tziap]、立[liəp]で あり、朝鮮漢字音のほうが古代中国語韻尾が忠実に保たれている。日本 漢字音では業(ギョウ)、峡(キョウ)、給(キュウ)、急(キュウ)、蝶(チョウ)、 葉 (ヨウ)、接(セツ・ショウ)、立(リツ・リュウ)などとなる。旧仮名遣いの蝶(テフ) は中国語の韻尾を忠実に伝えようとした表記である。 ③ 中国語の語尾の[-n]と[-m] の区別は朝鮮漢字音では保たれている。 例[-n]:趙成泯(jo-seong-min)、
東大門(tong-dae-mun)、板門店(pan-mun-jeom)、 日本漢字音では古代中国語の韻尾[-n]も[-m]も「ン」で表記される。 ④ 中国語の語尾の[-ng] は朝鮮漢字音では原形を忠実に留めている。 例:趙成泯(jo-seong-min)、
金泳三(kim-yeong-sam)、
金大中(kim-dae-jung)、 日本漢字音では成(セイ)、泳(エイ)、中 (チュウ)、庁(チョウ)、東(トウ)、動 (ドウ)、場(ジョウ)、房(ボウ)、堂(ドウ)、慶(ケイ)などと音便化する。もっと も、最近では趙成泯 (チョ・ソン゜ミン)、金泳三(キム・ヨン゜サム)、東大門(トン゜ デムン)などと「ン゜」に読む読み方もみられる。その場合も、成泯の成(ソン゜)と泯 (ミン)の区別、東大門の東(トン゜)と門(ムン)の区別は失われる。 いままで「やまとことば」と考えられてきた日本語 のなかにも、朝鮮漢字音の影響を受け た、中国語からの借用語を探すことができる。 ① 古代中国語の語尾の[-t] がラ行に転移したことば。
払[piuət]
はらう、刷[shoat]
する、擦[tsheat]
する、掘[giuət]
ほる、出[thjiuət] い
でる・でる、 現代の朝鮮語音は払(pul)、刷(swal)、擦(chal)、掘(kul)、出(cheul)、撮(chwal)、絶(jeol)、没 (mol)、叱(jil)、喝(kal)である。達磨を達磨(だるま)と読むのも、タ行音 のラ行音への転移 である。
② 古代中国語の韻尾の[-p] は保たれていることば。
蝶[thyap]
てふ、吸[xiəp]
すふ、合[həp]
あ
ふ、渋[shiəp] しぶい、葉[jiap] は、
汲[giəp] くむ、 現代の朝鮮語音は蝶(jeop)、吸(heup)、合(hap)、渋(sip)、葉(yeop)、汲(keup)、湿(seup)、甲 (kap)、鴨(ap)、答(tap)である。朝鮮語では語頭以外のpは濁音化してbあ るいはmに近い発 音になるので、日本語では汲(くむ)、甲(かめ)あるいは渋(しぶい)のようになる。 「葉」は現代北京語では葉(ye) であるが、広東語では葉(yihp) で ある。日本語の「はっ ぱ」、「は」は中国語の「葉」と関係がある可能性がある。 ③ 現代朝鮮語では中国語の語尾の[-n]と[-m] は区別が保たれているが、日本漢字音では「ン」 と なって、[-n]と[-m]の区別は失われている。古代の日本語音(弥生音) では、[-n]、[-m] とも にナ行、あるいはマ行であらわれる。 例:古代中国語音[-n]のことば 例:古代中国語音[-m]のことば 古代の日本語音では、古代中国語音の[-n]は韻尾に母音が添加されて日本語音のナ行、あるい はマ行であらわれる。(ナ行の音は傍点で示し、マ行の音は傍線で示した。)古代中国語音の[-m]も、古代の日本語音では韻尾に母音が添加されてナ 行あるいはマ行であらわれる。日本語では古代中国語音の[-n]と[-m]は弁別されていない。[-n]、[-m]はいずれも鼻音であり、調音の位置も近く転移しや すい。 朝鮮漢字音では韻尾の[-t] が規則的に[-l] であらわれるが、古代の日本語でも中国語音の[-n]、 [-m] がラ行であらわれる場合もある。
漢[xan] から、雁[ngean]
かり、塵[dien] ちり、練[lian]
ねる、昏[xuən]
くれ、玄[hyuen]
くろ、 [t-]、[n-]、[l-]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。 日本語、朝鮮語はいずれも中国語から多くの語彙を
借用している。中国語からの借用語は日本 |
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