第11話 やまとことばはクレオールである

 言葉とは何かを探求する言語学は最近ふたつの方向で成果をあげている。ひとつはチョムスキーなどによる普遍文法の研究である。言語構造の普遍性についての研 究といってもよい。もうひとつはクレオールの研究である。太平洋の島々やカリブ海の旧植民地で使われるクレオールやピジンは、まちがったことば、本来の ヨーロッパ言語を知らない人の正しくない言語として見捨てられてきた。しかし、大航海時代以降ヨーロッパの植民者と、インド・ヨーロッパ語族とは系統の まったく違うカリブ海や太平洋の島々の人々とのコミュニケーションのために生まれたピジンやクレオールは、新しいことばが生まれるときの、言語の生成過程 を示唆するものとして注目を集めている。

 19世紀に生れた言語の系統論では、言語は生物の進化のように祖語からわかれてきたと考えられていた。例えばインド・ヨーロッパ語族の場合はインド・ヨロッパ語族の祖 語があって、それが系統樹のように先祖が枝分かれして、サンスクリット語、ペルシャ語、バルト・スラブ語、ゲルマン語、ケルト語、ラテン語、ギリシャ語な どにわかれる。ゲルマン語はさらに北部ゲルマン語(スカンジナビア語)、東部ゲルマン語(ゴート語)、西部ゲルマン語(ドイツ語、オランダ語、英語など) に分かれるというものであった。

生物は突然変異によって何万年もかかって進化する。生物は異種交配をしないが、ことばは太平洋諸島の言語やカリブ海諸島の言語が植民地支配者の言語とぶつかりあってピジンやクレオールのような混交言語 を生みだす。

日本語と中国語はかなり異なった言語である。中国語の語順は主語+動詞+目的語であり、日本語は主語+目的語+動詞である。中国語には声調(四声)があり、 日本語にはない。中国語は孤立語といわれ動詞の活用もなく、名詞に助詞がついて格を示すこともない。日本語は膠着語といわれ、変化しない語幹に助詞などが のりづけされて語と語の関係を示す。しかし、日本語は中国語から数多くの語彙を受け入れてきた。また、最近では屈折語といわれる英語などヨーロッパの言語 からも大きな影響を受けている。

地球の歴史は数億年、人類の歴史は十万年、そのなかで言語の記録が文字に残されているのはおよそ五千年。日本語の記録は二千年に満たない。文字の記録のない 時代のことばは復元できない。そのために言語の歴史は謎につつまれた部分が多い。考古学資料が明らかにするところによると、弥生時代に稲作や鉄の文化が中 国大陸から朝鮮半島を経て日本列島に伝えられる。人類は狩猟採集や焼き畑の段階から定住農耕の時代に入ると急激に人口が増え、余剰農産物も生産されて、部 族社会から国家らしきものを形成する段階に達する。これは現代人類学の教えるところである。

現代の日本語につながる「やまとことば」は弥生時代の到来とともに形成されてきたと考えて間違いはない。弥生時代以前に日本列島に住んでいた人びともことば を話していたに違いない。しかし、縄文時代以前にこの日本列島で話されていたことばは文字のない社会のことばであり、再現することは不可能である。

「やまとことば」はそもそものはじまりからクレオールであった可能性が高い。「やまとことば」の言語構造は朝鮮語と酷似し、語彙は中国語あるいは朝鮮語訛の中 国語を多く含んでいる。神代の時代から純粋な「やまとことば」がこの日本列島で話されていたとう想定は神話にすぎない。

世界中に人跡未踏の土地がなくなった今、探検家や人類学者がえた結論は、文字をもたない種族は数多くあるが、言葉を話さない人間は未だに発見されていないと いうことである。しかも、未開の民族の言葉は単純であろうという大方の予測に反して、未開人の言葉も文明人の言葉に勝るとも劣らない複雑さをもっているこ とが、次第に知られるようになった。

人間の言語は人間の脳が発達するのにつれて発達していったに違いない。最近の言語学者は、人間が誰でも言語を話す潜在能力をもっていて、人間だけが言語を操 ることができるのは、言語能力が生得のものであり、人間は生まれたときから普遍言語をインプリントされてくるのではないか、と考えるようになった。言語を 話す潜在能力をもって生まれてきた赤ん坊は、大人ならとうてい覚えられないような複雑な言語をたちどころに解明し、習得することができる。

 アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーはある講演で、「火星人からみたら、人間はすべて単一の言語を話している」と述べている。世界には5000を越える言語があるという。このような言語の多様性にもかかわらず、世界のあらゆる言語の底には普遍性があるとチョムスキーは考える。日本語も決して世界から孤立した特殊な言語ではない。言語としての普 遍性に支えられた世界の言語のひとつである。

もくじ

☆第86話 日本語の系統論

★第93話 比較言語学の方法

☆第94話 言語の起源はひとつか

★第95話 言語の類型

☆第96話 クレオール誕生

★第97話 日本語の座標軸

☆ 第106話 日本語と近いことば・遠いことば