第45話 万国漢字紳士録 人間が言語で 使う子音や母音の数は、どの言語でも限られている。だから、限られた表音文字を使って無限にある事象や地名・人名を表記することができる。しかし、表意文 字の場合は無限にある事象にたいして無限に近い数の文字を作りださなければならなくなる。漢字の数は5万字くらいあるといわれている。『康熙字典』は42 巻もあって、そこに集録されている漢字の数は4万9030字だといわれている。諸橋轍次の『大漢和辞典』は5万字を越えるともいう。 それでも漢字一字で森羅万象をすべて表記しようとすれば足りるはずがない。固有名詞にいたってはほとんど無限にある。ソシュールは言語とは記号(signe)の 体系であると規定した。記号とはシニフィアン(能記)とシニフィエ(所記)が結びついたものだという。「能記」、「所記」という漢語は定訳になっている が、能記とは「語ること」の意味であり、所記とは「語られるもの」をさす。固有名詞の場合、人が1億人いれば、それに対応するシニフィアン(能記)も1億 必要だということになる。それでは『康熙字典』も『大漢和辞典』もまったく間に合わない。 人や物は無限 だが言語の記号は有限である。無限の事象を有限の記号によって語るのが言語でもある。エジプトのヒエログリフも象形文字だといわれているが、管見したとこ ろ表音的要素もある。例えば、波を三つ描いて「水」をあらわすが、その文字は所有格をあらわす助詞としても使われる。発音が同じだから転用されたのであ る。クレオパトラのような固有名詞は美人の絵を描いて示すわけではない。固有名詞はカートウシュという楕円形で囲むことになっていて、カートウシュで囲ん であれば固有名詞だということがわかる。そして、クレオパトラの「レオ」の部分にはライオンが描かれる。 英語の場合も 固有名詞は最初の文字を大文字で表記することになっていて、大文字がでてきたら固有名詞だという信号を伝えてくれる。しかし、漢字の場合は固有名詞も普通 名詞も同じ漢字で書かれている。中国人の名前にはある程度パターンがあるから読めるが、外国人の場合は音韻の構造も違うので、次々に登場してくる外国人の 名前を新聞などで表記するのも大変である。中国には『英語姓名翻訳手冊』(新華社通訊社訳名資料組編)というものがあって、新聞などに登場する外国人名を 表記する目安になっている。
柯林頓(クリントン)、葉爾欽(エリツイン)、密特朗(ミッテラン)、梅傑(メジャー)首相、 『英語姓名翻訳手冊』は新聞社やテレビ局に備えてあるばかりでなく、街の印鑑屋にもあって、外国からの観光客が記念に自分の名前を印鑑に彫ってもらう時なども便利に使われている。ABC順で、Aのページから主なものをひろっただけでも大変な数になる。 Aaron阿倫、
Abel埃布尓、
Abraham亜伯拉罕、 漢字の音を使った表記である。中国語の音節と英語の音節構造は違うから、転用や転移が起こる。しかし、注意深くみると一定の転移の法則があることがわかる。Aは阿(a/e)、埃(ai)、亜(ya)、艾(ai/yi)、奥(ao)が使われている。また、Anには安(an)が使われている。接尾辞の-sには斯(si)、絲(si)が用いられ、-sonあるいは-senには遜(xun)、森(sen)があてられている。Ann安、Anna安娜、Anne安妮、 Annie安妮などは書きわける工夫はしているが、完全に書き分けられているわけではない。 そこで問題である。次の固有名詞を漢字で表記せよ。 1.アレキサンダー大帝、2.アリストテレス、3.アルキメデス、 正解は次のとおりである。 1.亜厲山大大帝、2.亜里斯多徳、3.阿基米得、4.阿馬迪厄斯・莫沢特、5.阿当・史密斯、6.亜伯拉罕・林肯、7.艾伯特・愛因斯担、8.阿倫・波、9.安迪・威廉斯、10. 奥特麗・ 日常生活のなかででてくると思われる固有名詞をあげてみてもとうてい漢字では書けそうもない。 ○歴史上の人物:凱撤(シーザー)、拿破崙(ナポレオン)、富蘭克林(フランクリン)、希特勒 (ヒトラー)、 日本語では普 通外国人の名前は中国人、韓国人など漢字文化圏の人の名前を除いてカタカナで書くことになっているから、こんな苦労をする必要はない。しかし、日本人の名 前は漢字だけで書き、しかも、漢字の音と訓をまじえて読むから、中国語の場合よりもやっかいである。人名漢字は、あらかじめその読み方を知っている人にし か読めない。 中国大陸で布教活動をした宣教師がたちにとっても、キリスト教の神や使徒の名前などの固有名詞を漢字でどう表記するかは、大問題だった。イエス・キリスト(Jesus Christ)は耶蘇基督、新約聖書の使徒はそれぞれマタイ (Matthew) 馬太、マルコ (Mark) 馬可、ルカ(Luke) 路加、ヨハネ(John) 約翰などである。そのほかのおもな登場人物をあげてみると次のようになる。 ○聖書人名:亜伯拉罕(アブラハム)、亜當(アダム)、但以理(ダニエル)、大衞(ダビデ)、 雅各(ヤコブ)、馬利亜(マリア)、摩西(モーゼ)、保羅(パウロ)、彼得(ペテロ)、 日本語訳の聖 書は中国語訳聖書の表現を踏襲している。実はかなり多くの言葉が、すでに中国で使われていた。聖書語に関する限り、儒教や仏教の経典と同じく、中国経由な のである。しかし、教派によって異なった日本語訳聖書を使っていたので翻訳の異なるものもあった。なかでも問題だったのは、キリスト教の神と仏教や儒教の 神の概念とどこでおりあいをつけるかという問題があった。 フ ランシコ・ザヴィエルは「デウス」にあたる言葉として「大日」を採用した。中国で布教したマテオ・リッチは儒教の経典のなかにでてくる「上帝」が、「天 主」であると説いた。中国の都には天の「上帝」を祭るための天壇といわれる祭壇がある。その後、ローマ・カトリックでは「上帝」ではなく「天主」を用いる ことに落ち着いた。プロテスタントでは「上帝」「神」、いずれも一致を見いだせなかった。「神」を主張する側にはアメリカ系の宣教師が、そして「上帝」を 主張する側にはイギリス系の宣教師がいた。 キリスト教の聖典であるBibleの訳語は中国語では聖経であり、日本語では聖書である。「聖書」という言葉自体は、中国では『史記』などに存在していることばである。キリスト教の中心概念であるloveは「仁」とか「いつくしみ」ということばが使われていたが「愛」が使われるようになった。「愛」はキリスト教の概念をとりいれることによって、従来の日本語の意味を変えてしまった。 |
||
|