第10話 日本語の語源
語源の研究は江戸時代から盛んになっている。しかし、ことばができた時立会人がいたわけではないから、語源の研究は困難を極める。 神(かみ)は上(かみ)、 竹(たけ)は高(たかい)、 烏(からす)は黒(くろい)、 などという語源論が江戸時代にはまことしやかに行われた。しかし、日本語の犬(いぬ)はなぜ「いぬ」
と呼ばれ、猫(ねこ)はなぜ「ねこ」と呼ばれるのだろうという疑問には誰も十分に説得力のある形で答えていない。 ヨーロッパの言語学では、例えば英語のdogは古代英語ではdocgaであり、中世英語ではdogge、ドイツ語ではHund、フランス語ではchienということが明らかにされている。英語のcatは古代英語ではcatt、スウェーデン語ではkatt、古代ノルウェー語ではkottr、ウエールス語ではcath、アイルランド語ではcat、ラテン語ではcatus、ドイツ語ではKatze、フランス語ではchatであることは、ちょっとした辞書を調べればすぐわかる。 ところが漢字文化圏では時代や場所によって発音は変わってもイヌは「犬」、ネコは「猫」だから、時代や地方によって発音がどのように変化したのかは分からない。東アジアの言語について調べてみると、次
のようになる。 [犬] 朝鮮語kae、
北京語quan、
広東語hyun、
モンゴル語nokhoi、
チベット語kyi、
ビルマ語k’we、
タイ語mah、
インドネシア語anjing、
マレー語anjing、
チャモロ語(グアム島)ga’lagu、
アイヌ語seta、 明治時代に日本初の近代的辞書を編纂した大槻文彦は「語源の説くべきものは、載するを要す。例
ねこ(名)[ねこまの下略、寐高麗の義などにて、韓国渡来のものか。上略してこまともいひしが如し。或云う寐子の義、まは助詞なりと。或は如虎(にょこ)の音転などいふは、あらじ] 言語学者のフェルデナン・ド・ソシュールは音声の記号と意味の結びつきは恣意的であるとした。つま
り、日本語のイヌあるいはネコということばの音声は、犬とか猫という動物とは何の関係もなく、日本語のイヌは中国語ではケン、英語ではdog、ドイツ語ではHundであり、犬という動物の実体を音声で表したものではないとした。 しかし、北京語の犬quan、広東語hyun、朝鮮語kae、チベット語kyi、ビルマ語k’weなどに似ているとすれば、それらのことばは同源ではあるまいかという疑問がわいてくる。日本語のイヌも中国語の語頭母音kが脱落し、韻尾の-nに母音が添加されたのだとすれば、中国語と同源ということになる。東北地方のまたぎは猟犬のことを「セッタ」と呼んでいる。これはアイヌ語のsetaと同じ源である。 ネコも北京語mao、広東語maau、モンゴル語muur、アイヌ語のmeko、タイ語maa-ouは似ている。 「やまとことば」の純粋性を信ずる国語学者の多くは、日本語の語源を日本語自体のなかに求めようとしてきた。それでは日本語の系統も、日本語のなかにしか求められないことに
なり、日本語は孤立し、日本特殊論に行きつくしか道はない。明治以降、日本人は西洋の学問を取り入れるのに急なあまり、日本語につながるアジアの言語に無
関心でありすぎた。日本語の語源は日本語のなかにのみ求めるのではなく、東アジアの歴史のなかで日本語の形成に寄与してきたアジアの諸言語との関連のなか
で日本語の語源を探し求めていかなければならないのではなかろうか。 |
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