第20話 いろは歌の誕生

 五十音図が日本語の母音を縦軸に、子音を横軸に構成されているのに対して「いろは歌」は体系的でない。しかし、五十音図の順番は意味がないのに対して手習い歌のひとつ として伝えられてきた「いろは歌」には意味があり、覚えやすいという利点がある。そのため「いろは順」は中世から近世にかけて広く利用されてきた。明治 24年に日本最初の近代的日本語辞書である『言海』が五十音順を採用して出版された。福沢諭吉は『言海』が五十音順であるのに眉をひそめて「寄せの下足札 が五十音図でいけますか」といったという。当時五十八歳の福沢にはイロハ順が染みついていて、五十音順は新しすぎたのである。

いろはにほへと              色は匂へど
 ちりぬるを
                     散りぬるを
 わかよたねそ
                 我が世誰ぞ
 つねならむ
                     常ならむ
 うゐのおくやま
             有為の奥山
 けふこえて
                     今日越えて
 あさきゆめみし
             浅き夢見じ
 ゑひもせす
                     酔ひもせず

 いろは歌はすべての仮名を重複することなく網羅しているが、五十音図と違って意味のある歌になっている。その内容は仏教の思想である諸行無常の思想である。

末尾に「ん」をつけて「ゑひもせすん」とするものもみられるが、日本語には「ん」で終わる音節はなかったのだから、「ん」はない方が正式である。中国語の君 は、日本語に「ん」で終わる音節がなかったから、君(きみ)として日本語に受け入れられ、やがて君(クン)と中国語音に近く発音されるようになってくる。 同じように中国語の浜は日本語では浜(はま)と母音をつけて受け入れられ、やがて浜(ヒン)と発音されるようになってくる。

 いろは歌には濁音は使われていない。しかし、読むときは「匂へ」「誰」「夢みじ」「酔ひもせ」 などと濁音で読む。日本語では濁音が語頭にたつことはなかった。いろは歌でも濁音は語尾に限られている。小林、栗林などの林は「ばやし」と読む。しかし、 「ばやし」ということばは辞書にはない。林(はやし)が語中では林(ばやし)と濁音化するという規則があるから「ばやし」は「はやし」のことであると理解 できる。

 朝鮮語を表記するハングルでは韓国(han-kuk)と書いて「ハングック」と読む。時間(si-kan)は「シ・ガン」、時刻(si-kak)は「シ・ガク」となる。語頭では清音、語中では濁音になるという規則が生きているから、文字のうえで清音と濁音を分別する必要がない。景福宮(keong-puk-kung)と書いて「キョン゜・ボックン゜」と読む。福はハングルでは福(puk)である。しかし、福は語頭では福(フク)と読むが語中では福(ブク)と読むという約束ごとになっている。福(フク)は語頭だけに来て、語中では福(ブク)と読むがハングルでは区別しない。林はハングルで はhayasiであり、小林はkohayasiと書いて「こばやし」と読む。これを言語学では相補分布(complimentary distribution)という。

 古代日本語では濁音が語頭にくることはなかった。しかし、語頭に濁音をもつ中国語の語彙が大量に日本語のなかに入ってくると柿(かき)と餓鬼(がき)、釜(かま)と 蝦蟇(がま)、口(くち)と愚痴(ぐち)などは文字として書きわけないと分別できなくなってきた。しかし、いろは歌のできた平安時代には「くちくちに」と 書いて「くちぐち(口々)に」とよむことができた。だから、いろは歌には濁音の文字を使う必要はなかった。

いろは歌は諸行無常を歌ったもので「有為変転は世のならい」という仏教思想を伝えている。現存する最古のいろは歌は『金光明最勝王経音義』(1079)にあるものといわれていて、いろは歌もまた五十音図と同じく僧侶の世界で生れた。

  以呂波耳本へ止
  千利奴流乎和加
  餘多連曾津祢那
  良牟有為能於久
  耶万計不己衣天
  阿佐伎喩女美之
  恵比毛勢須

 以呂波は仏典の読書音を示すための仮名として誕生した。漢字だけで書かれているが、漢字の使い方にはいくつかの特徴がみられる。

○ 韻尾の-n-ngなどが脱落している。
     本(ほ)、千(ち)、連(れ)、良(ら)、有(う)、能(の)、万(ま)、天(て)、
   ○ わたり音iが脱落している。
    流(る)、久(く)、須(す)、
  ○ 古い漢字音が使われている。
    耳(に)、止(と)、祢(ね)、女(め)、

 中国語韻尾の-n-ngが脱落して、開音節である日本語の音節に適応する使い方は万葉仮名と同じである。

[liu]、久[kiuə]、須[sio]のわたり音iが脱落するのは朝鮮漢字音の特色であり、朝鮮漢字音では流(ryu)、久(ku)、須(su)にも通じる。日本漢字音では流(る)、久(く)、須(す)は呉音とされている。呉音とは朝鮮系漢字音のことでもある。

耳(に)、止(と)、祢(ね)、女(め)などは推古遺文にみられるかなり古い音を継承しているものと思われる。

いろは歌の最古の記録は平安時代のものであるとはいえ、『金光明最勝王経音義』の漢字の使い方はかなり古いのである。例えば天平時代の遺物とされる薬師寺の国宝・仏足跡歌碑の碑文と比べてみることにす る。

美阿止都久留 伊志乃比鼻伎波 阿米爾伊多利 都知佐閉由須礼 知々波々賀多米尓、
 みあとつくる いしのひびきは あめにいたり つちさへゆすれ ちちははがために
 (御跡作る   石の響きは   天地に至り  土さへ揺すれ  父母がために)
 

己乃美阿止乎 多豆祢毛止米弖 与伎比止乃 伊麻須久尓々波 和礼毛麻胃弖牟
 このみあとを たづねもとめて よきひとの いますくにには われもまゐらむ
 (この御跡を  尋ね求めて   よき人の  います国には  我も参てむ)

止(と)、久(く)、須(す)、祢(ね)などの古代中国語音は止[tjiə]、久[kiuə]、須[sio]、祢[myei] であるとされている。これらの漢字音は唐代に口蓋化が起こり、わたり音iを伴うようになったものである。仏足跡歌碑の漢字音は、口蓋化する前の中国語音を留めている可能性がある。

つまり、止[tə]、久[kuə]、須[so]、祢[mei]に近い音を継承していると考えられる。ちなみに、これらの漢字の朝鮮漢字音は止(ji)、久(ku)、須(su)、祢(ni)であり、朝鮮漢字音にも通じる。古代日本の姓(かばね)のひとつである宿祢なども、仏足跡歌碑の漢字の読み方と同じであり、天平時代から伝わる朝鮮系の読み方だということができる。「宿祢」の朝鮮漢字音 は宿祢(suk-ni)である。耳、止、祢、女などの漢字音は一般に次のように考えられている。

           耳                                                                                   
 呉音                          ニョ                     ネ・ ナイ                        
 漢音                          ジョ                     デ イ・ネイ           シュ       キュ ウ
  訓       み み       と まる    め・ おんな

これらの漢字の古代中国語音は耳[njiə]、止[tjiə]、女[njia]、祢[myei/njiai]、須[sio]、久[kiuə]である。中国語音では隋唐の時代に口蓋化が起こっているので、口蓋化以前の中国語音を推定すると耳[miə]、止[tə]、女[nia/mia]、祢[mei/nai]となる。耳(み)、止(と)、祢(ね)、女(め)隋唐の時代以前の中国語を継承したものであると考えられる。止(シ)は止(と)が口蓋化して転移したものである。また、女(め)は訓とされているが、口蓋 化以前の中国語音を留めたものである。

中国語の音節は次のような構成になっている。

頭子音+わたり音(i介音、u介音、iu介音)+主母音+末子音(p-t-k、m-n-ng)

このうえに四声(平声、上声、去声、入声)がかぶさっている。わたり音は隋唐の時代に発達した。良[liang]を良(ら)に用いているのも「良」が良[lang]であった時代の中国語音の痕跡を留めている。

これらを総合すると、いろは歌の記録が最初にあらわれるのは平安時代であるが、古い中国語音の痕跡を留めている。初期のいろは歌は「ひらがな」ではなく漢字 で書かれている。いろは歌は仏典の読み方を示す仮名として発達してきた。「ひらがな」も「カタカナ」も仏典の読み方を示す漢字を簡略化したものから生れた ものである。仏典の読み方を示すのに使われる漢字は当初は固定していたわけではないが、次第に定着してきた。以呂波は「いろは」となり、「イロハ」は伊呂 八から生れた。

もくじ

☆第18話 五十音図の来た道

★第19話 五十音図のなかの外来語

☆第54話 漢字で漢字にカナをふる

★第57話 声近ければ義近し

☆第58話 中国語音(声母)の変化

★第59話 中国語音(韻母)の変化