第83話 日本語の基層~体をあらわすことば~ 比較言語学ではことばの系統や類縁関係をはかる尺度として、日常よく使われる基礎語彙を比較してみることが行われている。日常語には借用語の入り込む割合が少ないか ら、二つの言語の間に共通の語彙が多ければ多いほど、その二つの言語は類縁関係が深いことになる。言語学者のスワデシュは200ほどの基礎語彙を選んで、 言語が共通の言語から分かれた年代を推定する言語年代学を提案している。 基礎語彙のなかには人体に関する語彙が数多く含まれている。ここでは人体についての語彙について、日本語を中国語、朝鮮語を比較してみることにする。中国語 は広東方言を示した。広東方言を選んだのは、広東方言が北京語よりも中国語の古い形を留めているからである。日本語はひらがなで表記し、2番目に広東語、 そして最後に朝鮮語を示した。 日本語 広東語・朝鮮語 日本語 広東語・朝鮮語 日
本語 広東語・朝鮮語 日本語
広東語・
朝鮮語 日本語の基礎語彙は中国語とも朝鮮語とも似ていないものが多い。あえて、似ていると思われるものをあげてみると、つぎのようになる。 中国語に似た日本語:肉・にく(yuhk)、
舌・した(siht)、
腕・うで(wun)、
腹・はら(fuk)、 中国語の口語では漢字一字が使われているとは限らず、「はな」は「鼻子」、「へそ」は「肚 臍」、「つめ」は「指甲」である。同じ中国語でも北京語と広東語で慣用が違うものもある。 (北京語:広東語)、(北京語:広東語)、(北京語:広東語)、(北京語:広東語)、 古代日本語は弥生時代に中国語方言の口語から入ってきた可能性もあり、漢字だけを見て日本語との対応を探すのにはむりがある。また、朝鮮語については、古い 文字資料が全部漢字で書かれており、古代の朝鮮語音を復元するのがむずかしい。このことが、日本語と朝鮮語の関係を解明するのを一層困難にしている。 スワデシュの基礎語彙のうち人体に関することばについて、中国語、朝鮮語との関係を探ってみると、つぎのようになる。 ○肌(はだ) 日本語は「はだ」だが、日本語には皮膚(ヒフ)という中国語からの借用語もあ る。広東語は肌(gei)であり、朝鮮語は皮膚(ppibu) である。しかし、日本語の「はだ」に近い言葉 は中国語、朝鮮語のなかから探し出すことはできない。 ○ 肉(にく) 古代中国語音は肉[njiuk] であり、日本語の肉(にく)は中国語語源である。現代の 北京語では肉は肉(rou)だが広東語では肉(yuhk)であり、日本漢字音は広東語に近く、古代中国語 音の痕跡を留めている。広東語では頭音の日母[nj-]
が
失われて肉(yuhk)となり、朝鮮語音に近い。 北京語では青椒肉絲(チンジャオロウスー)や回鍋肉(ホイコウロウ)の肉(rou)
である。 ○ 血(ち) 古代中国語音は血[xyuet] である。王力は影母[〇]・暁母[x] は鄰紐であるとして、嫗 [io]・姁[xio]、蔫[ian]・暵[xan] を同源語としてあげている。中国語の喉音[x・h]は日本語への借用 語では失われやすい。とくにi介音の前では失われやすい。軍[hiuən]グン・運[hiuən]ウン、禾 [hiuai] カ・和[hiuai]ワ、のごとくである。一般にやまとことばといわれていることばのなかにも 古代中国 語音の頭音の喉音[x・h]が失われたと思われることばがいくつかある。 例:許[xia]ゆるす、呼[xa]よぶ、会[huai]あう、合[həp]あう、恨[hən]うらむ、訓[xiuən]よみ、 血[xyuet] が[yuet] に近いとすれば、日本語の「ち」は中国語の血[xyuet] の頭音が失われたものであ る可能性がある。 ○ 骨(ほね) 古代中国語音は骨[kuət] である。王力によると見母[k]・匣母[h]は調音の位置が同じ であり、旁紐である。また、韻尾の[-ət]は[-ən]と調音の位置が同じだから転移しやすい。例えば粋 [suiət] と純[zjiuən] は同源である。古代中国語の骨[kuət]は骨[huən] に近く、日本語の骨(ほね)は 古代中国語語の「骨」の弥生音である可能性がある。[k-]と[h-]は調音の位置、方法ともに近く、堀 [khiuət](クツ・ほり)などの例もみられる。 ○ 髪(かみ)古代中国語音は髪[piuat] である。髪の日本漢字音は髪「ハツ」であり、訓の「か み」と似てはいない。日本語の「かみ」の「み」は毛[mô]である可能性がある。古代中国語の [m] は入りわたり音[h-]をもっていた可能性がある。入りわたり音の痕跡は現代上海語音にも残ってい て、宮田一郎編の『上海語常用同音字典』によると、米は米(hmi)、海は海(he)、毛は毛 (hmo)で ある。この入りわたり音が日本語の米(こめ・ベイ・メイ)、海(うみ・カイ・毎=マイ)、毛 (かみ・モウ)として痕跡を留めている可能性がある。 ○ 頭(あたま) 日本語の「あたま」の「た」は中国語の頭(tauh)に近く、「ま」 は朝鮮語の頭 (meori) と関係がありそうである。中国語には丫[ea]頭[do] ということばがあり、「丫」は「あげ まき」、「ふたまた」を意味する。強いて考えれば、日本語の「あたま」は中国語の「丫頭」 と、朝鮮語の頭(meori) の両点だと考えられないことはない。しかし、日本語の「あたま」の語 源は不明である。 ○ 耳(みみ) 古代中国語音は耳[njiə] であると推定されている。中国語では古代中国語の耳[njiə] は唐代以降、耳[djiə]に変化した。日本漢字音の耳(ジ)に対応している。日母[nj-]は 一般に呉音 が「ニ」であり、漢音が「ジ」であるとされている。日(ニチ・ジツ)、児(ニ・ジ)、任 (ニン・ ジン)などである。しかし、日母に はマ行で読まれるものもある。地名の壬生(ミ ブ)、任那(ミナマ)などである。地名は古い発音の痕跡を留めているものが多いのでマ行の 発音のほう がナ行の発 音より古い可能性がある。「耳」はもと耳[miə] であり、介音[-i-] の影響 で口蓋化して耳[njiə] になったのではないかと考えられる。例えば、女[njia]は日本語では女 (め)である。これも文字時代以前の中国語からの借用語である可能性がある。日本語の「み み」は古代中国語の耳[miə] を留めていると考えてほぼ間違いないのではなかろうか。古代の日 本語では耳(みみ)、馬「むま」、梅「むめ」、鰻「むなぎ」などのように、語頭の鼻音mを 重ねることがある。 ○ 目(め) 古代中国語音は目[miuk] である。王力によれば目[miuk] は眸[miu] と同源であるとい う。日本語の「め」は目[miuk]の韻尾[-k]の脱落したもの、あるいは眸[miu]であろう。いずれにし ても、中国語では目と眸は同源である。「目」は「眼」とも近い。朝鮮語の目は(nun)であり、 中国語の眼[ngean] が語源であろう。日本語の「め」は中国語の目、眸、眼などと関係の深いこ とばである。 ○ 鼻(はな) 古代中国語音は鼻[piet] である。「鼻」の日本漢字音は鼻(ビ)であるが古代中国 語音には韻尾[-t]がついていた。日本語の訓は鼻(はな)であり、一見漢字音音の鼻(ビ)とは 関係なさそうである。しかし、古代中国語の鼻[piet]の韻尾[-t]は調音の位置が[-n]と同じであ り、「鼻」は鼻[pien] に近い発音であったと考えられる。日本語の鼻(はな)は古代中国語の 鼻[piet]の転移したものであろう。同じような例として骨[kuat]が骨(ほね)になったのをあげる ことができる。なお、現代北京語では「鼻」は鼻(bi) であり、韻尾のtは失われている。 ○口(くち) 古代中国語音は口[kho]であり、朝鮮漢字音は口(ku)である。日本語の「くち」は中 国語の「口」と関係があることばであろう。「くち」 の「ち」は不明だが、強いて求めれば口 嘴[kho・tziue] かもしれない。現代の北京語では「口」は嘴(ziu) である。「嘴」は福建語では嘴 (chui) である。日本語の「くち」は中国語の「口嘴」の南方方言である可能性がある。 ○ 歯(は) 古代中国語音は歯[thjiə] である。現代の中国語では「歯」は「牙」であり、歯科医は 牙科である。日本語の「は」は中国語の牙[ngea] と関係がある可能性がある。中国語の牙 [ngea] はは調音の位置が喉音[h-] に近く、転移しやすい。王力によれば偽[ngiuai] と為[hiuai] は 同源である。古代中国語の「牙」 は牙[hea] に近い発音であったと考えられる。 日本漢字音のカ行は古代中国語の牙音([k-]、渓[kh-]、群[g-]、疑[ng-])のほか喉音(影[・]、暁[x-] 、匣[h-])などが含まれている。古代中国語の牙音は日本漢字音では一般にカ行または、ガ行であ らわれるが、古代日本語ではハ行に転移していると思われるものがいくつかある。 見母[k-]:筥[kia](キョウ・はこ)、橋[kiô](キョウ・はし)、頬[kyap](キョウ・ほお)、 韻尾の対応は複雑になるのでここではふれない。日本語のハ行音はファ、フィ、フ、フェ、フォだったとされているが、古代中国語の牙音や喉音が文字時代以前に 日本語のハ行で日本語に定着したことは間違いないと思われる。現代の中国語では「歯」は北京語・上海語では「牙歯」、広東語では「牙」、福建語では「嘴 歯」である。 ○ 唇(くちびる) 日本語の「くちびる」は「くち・びる」の複合語である。「くち」は中国語の 「口」あるいは「口嘴」であり、「びる」は中国語の「吻」であろう。「吻」の古代中国語音は 吻[miuət/miuən]である。韻尾の[-n] は [-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国語の[-n] が、日本語ではラ行で現れる例としては、辺(ヘン・へり)、巾(キン・きれ)、昏(コン・く れ)、玄(ゲン・くろ)、漢(カン・から)、雁(ガン・かり)などがあげられる。 ○ 舌(した) 古代中国語音は舌[djiat] である。日本語の舌(した・ゼツ)は中国語の「舌」の借 用語である。王力によれば中国語の[dj-] は[z-] と鄰紐であり、順[djiuən]・馴[ziuən]、食[djiək]・ 飼 [ziə]は同源である。古代の日本語では語頭に濁音がくることがないから、「舌」は弥生音では舌 (した)となり、日本人が語頭の濁音を発音できるようになってから後に、舌(ゼツ)と発音さ れるようになった。現代の広東語音は舌(siht) であり、北京語の「舌」は舌頭(shetou) である。い ずれも、日本語の舌(した)に近い。 ○ 唾(つば)古代中国語音は唾[thuai] である。日本語の「つば」の「つ」 は中国語の「唾」であ る。「ば」の語源は不明である。「つば」 の「ば」は中国語の「唾沫」 あるいは「唾罵」である 可能性がある。「唾」も「唾罵」も、いずれも吐くという意味である。古代日本語には濁音では じまる音節はなかったから、日本漢字音の唾(ダ)が濁音で発音されるようになったのは後のこ とである。 ○ 足(あし)スワデシュは基礎語彙のなかにはleg(脚)とfoot(足)がある。日本語ではいずれ も「あし」である。朝鮮語では「足」は足(pal) 、「脚」は脚(tari)である。朝鮮語の脚(tari)は日本 語では足「たり」にあてられている。「足りる」、「足りない」などと動詞に使われることもある。 藤原鎌足の足「たり」も朝鮮語読みである。日本語の「あし」は、中国語にも朝鮮語にも類似の 語彙がなく、語源は不明である。 ○ 膝(ひざ) 古代中国語音は膝[siet] である。朝鮮語は膝(seul) で中国語語源である。日本語の 「ひざ」の語源は不明である。 ○ 腕(うで) 古代中国語音は腕[uan] である。現代の北京語は腕(wan) であり、広東語は腕(wun) である。王力によると[an] と[at] は対転であり転移しやすい。判[phuan]・別[biat]、弁[bian]・別 [biat]、断[duan]・絶[dziuat]、などはいずれも同源語である。日本語でも琴(こと・キン)、音 (おと・オン)、肩(かた・ケン)、幡(はた・ハン)、管(くだ・カン)など音「ン」に訓が タ行で対応していることばが多い。これらはいずれも中国語語源である。腕[uan]は腕(うで・ ワン)であり、腕「うで」が古く、腕「ワン」が新しい。 ○ 手(て) 古代中国語音は手[sjiu] である。王力によると、[sj-] は[th-] あるいは[d-] と鄰紐であり、 発音が近い。手[sjiu]・杻[thiu]、首[sjiu]・頭[do]は同源語である。現代ベトナム漢字音では「手」は 手(thu) であり、日本語の「て」に近い。ベトナム漢字音では日本漢字音でサ行であらわ れるもの がタ行であらわれることが多い。 例:佐(ta)、
作(tac)、
散(tan)、
心(tam)、
新(tan)、
祭(te)、
臣(tan)、
辰(than)、
十(thap)、
妻(the)、 ベトナム漢字音では鉄(thiet)と切(thiet)が 同じになる。日本語の手「て」はベトナム漢字音、あるいは古代中国語の江南音を継承している可能性がある。日本語の作(つくる)、散(ちる)、臣(た み)、辰(たつ)、十(とお)、妻(つま)、時(とき)、常(つね)、塵(ちり)、寺(てら)などもベトナム漢字音の影響を受けたとはいわないまでも、中 国南方方言の影 響を受けている可能性は否定できない。漢字のなかには同じ声符をサ行とタ行に読み分けるものが数多くみられる。 例:拿捕・手腕、途中・除外、冬至・終焉、統治・充実、透明・秀逸、動物・重量、 これらは、いずれも介音[-i-] の影響で塞音[t-] が摩擦音[ts-] になったものである。中国語では真 珠は珍珠であり、現代北京語では真(zhen) と珍(zhen) は同音である。日本語でもイ段では「ヂ」と「ジ」の区別が失われている。訓がタ行で音がサ行である例もある。訓が古く、音が新しい。 例:手(シュ・て)、取(シュ・とる)、珠(シュ・たま)、 種(シュ・たね)、 ○ 爪(つめ) 古代中国語音は爪[tzheu] である。ベトナム漢字音は爪(trao)である。日本語の「つ め」の「つ」は中国語の「爪」であろう。中国語には「爪牙」ということばがあり、日本語の 「つめ」は古代中国語の爪牙[tzheu ngea] である可能性がある。中国語の[ng-] は鼻音であり、同 じ鼻音の[m-] に転移しやすい。日本語では芽[ngea] を芽(め)、元[ngiuan]を元(もと)など中国 語音からの転移がみられる。 ○ 腹(はら) 古代中国語音は腹[piuk] である。古代中国語の韻尾-p、-t、-k、は破裂音ではなく、 いわゆる内破音である。現代の北京語では失われている。福建語では-p、-t、-k、の区別がなく なって-k に統合されているし、上海語では-p、-t、-k、の区別は失われて喉門閉鎖音になってい る。 このことから、腹[piuk]の韻尾[-k]は広東から北に向かうほど弱まり、腹[piut]あるいは腹[piuʔ] に近 かったとものと考えられる。王力は遞[dyek]・迭[dyet] は同源語であるとしている。腹の韻尾が[-t] に近かったとすれば、朝鮮漢字音では中国語の韻尾の[-t] は規則的に[-l] で現れるから、朝鮮漢字 音では腹(プル)あるいは腹(ハラ)となったはずである。中国語の韻尾[-k] が日本語のラ行に なったものとしては、つぎのような例がる。 例:夜[jyak] よる、黒[xək] くろ、悪[ak] わる、 現代朝鮮の腹(pae) も古代中国語の韻尾[-k] が失われてもので、中国語の「腹」と同源である。 ○ 背(せ) 古代中国語の「背」は背[puək] である。唐代になると背/puəi/となり、日本漢字音で は背「ハイ」である。日本語の「せ」は中国語の「背」ではなく脊[tziek] と関係があるかもし れない。 ○ 胸(むね)古代中国語音は胸[xiong] で ある。日本語の「むね」に該当する中国語には見当たら ない。しかし、中国語では黒(コク)・黙(モク)や海(カイ)・毎(マイ)など同じ声符を カ 行とマ行に読みわける文字がいくつかある。それらの漢字の上海音を宮田一郎編著『上海語 常用同音字典』(光生館)で調べてみると黒(həʔ)・黙(hməʔ)・墨(hməʔ)、海(hai)・毎(hmai)の ようにmの前に入りわたり音(h)があることがわかる。また、膠(コウ)と謬(ビュウ)は同じ 声符の字をカ行とバ行(唇音)に読み分けている。
見母[k-]:鑑[keam](カン・みる)、鞠[kiuk](キク・まり)、宮[kiuəm](キュウ・みや)、 朝鮮語には胸(kaseum) のほかに胸(ma-eum) ということばがあって「心」、ハートを意味する。日本語の「むね」は朝鮮語の胸(ma-eum) と近い。しかし、日本語の胸(むね)も朝鮮語の胸(ma-eum)もともに中国語起源である可能性もある。 ○ 乳(ちち) 古代中国語音は乳[njia] である。日本語の乳(ちち)の語源は不明である。 ○首(くび) 現在の日本語では「首」の文字が用いられているが、中国語では「頸」である。日 本語の「くび」は古代中国語の頸[kieng] に由来する。 ○臍(へそ) 古代中国語音は臍[dzyei] である。日本語の「へそ」の「そ」 は中国語の「臍」に近 い。現代中国語は「肚臍」であり、朝鮮語は(paekkop) で ある。「ぺ・こっぷ」の「ぺ」は腹 (pae) であり、「こっぷ」は「こぶ」であろう。日本語の「へそ」も「腹・臍」の複合語である 可能性がある。 ○内臓(ナイゾウ) スワデシュのリストではguts と してあるものを日本語では内臓とした。『倭 名抄』では「胃」に「くそわたふくろ」ということばを当てている。複合語でgutsに あたる日本 語としては「はらわた」がある。「くそ・わた・ふくろ」、「はら・わた」はいずれも 複合語 である。「やまとことば」には狩猟の対象となる獣や家畜の臓器に関する語彙は乏しい。現代の 日本語は縄文時代の狩猟を中心とした生活から受け継 がれたことばは少ないように思われる。 ○心臓(シンゾウ) 内臓と同じく「やまとことば」には心臓にあたることばはない。朝鮮語では 心臓はyeo ttongあるいはma eumである。 ○肝臓(カンゾウ) 日本語では肝(きも)である。日本語の「きも」の語源は中国語の肝[kan] で ある。 日本語は狩猟や家畜の臓器に関することばに乏しい。例えば英語では雄牛(ox)、牝牛(cow)、小牛(calf)の区別があるし、肉や内臓も部位によって名称が異なる。しかし、日本語は狩猟採集生活をしていた縄文時代の言語を継承しているようには思えない。 これをまとめてみると、つぎのようになる。 中国語語源:肉(にく)、血(ち)、骨(ほね)、髪(かみ)、丫頭(あたま)、耳(みみ)、 朝鮮語語源:胸(むね)、足(たり)、 語源不明: 肌(はだ)、足(あし)、膝(ひざ)、乳(ちち)、 人体に関することばには、中国語語源と思われることばが多い。スワデシュの基礎語彙以外でも、「まゆ」は眉[miei]、「まなこ」は眼玉[ngean ngiok] は中国語語源である。「のど」は嚨吐[long tha]であろう。「ほほ」は頬[kyap] であり、「あご」は顎[ngak] の頭音が失われたものである。「かた」は肩[kyan] であり、「わきのした」は腋[jyak] の下である。尻は「しり」と読めば語源不詳だが、「けつ」は中国語の尻[kheu] と関係がある。「へ」は屁[piei] である。屁は動詞にもなって屁を「ひる」ともいう。「はぎ」は脛[hyeng] である。「かかと」は現代北京語では脚後跟、広東語では脚足争*、福建語では脚踵である。日本語の「かかと」は中国語の脚踵[kiak tjiong] あるいは脚踏[kiak thap] の借用語であろう。 *足争*=足+争、 これだけ大量の基本語彙が日本語に入ってくるということは、中国語を話す人間と日本語の原形となったことばを話す人間が、文献時代以前にかなり深い関わりをもっていた ことを物語っている。弥生時代に農耕の技術が中国から入ってきたことにより、従来狩猟採集生活をしていたアルタイ語を話す人々の生活には革命的な変革が起 こり、ことばもまた大きく変ったに違いない。 稲作と鉄器をもった圧倒的に優勢な文明が、主として狩猟生活をしていた朝鮮半島、日本列島に入ってくる。しかも、その文明は漢字を使用することによって政治 的支配の仕組みを構築することができる高度な文明である。紀元前3世紀前後の朝鮮半島は、アルタイ文化と中国文化の融合の時代であったと想定することがで きる。その波動は日本列島にも達していたことが基礎語彙の分析からも分かる。 |
||
★第50話 日本語のなかの朝鮮語 |