第194話
へび(蟠)の語源
【へみ(蟠)】
「四
つの閉美(へみ)五つの鬼集まれる穢(きたなき)身をば厭(いと)ひ捨つべし離れ捨つべし。」(仏足石歌)
古代日本語では蛇の
ことを「へみ」といった。「蛇」の古代中国語音は蛇[djyai]である。しかし、蛇(ジャ)と「へび」とは別系統
のことばであろう。「蟠」の日本漢字音は蟠(ハ
ン・バン・わだかまる)である。日本語の「へみ」「へび」の語源は蟠[phiuan] であろう。中国語には蟠龍、蟠蠎などとうことばがあって、蟠は竜やうわばみについて使われる。
【へる(謙)】
「聖
徳彌(いよいよ)盛(さかり)にして福祚孔(はなは)だ章(あき)らかなり。在孺にして勤めたまひて謙(へ)り恭(ゐやま)ひ慈(うつくし)び順(した
が)ふ。」(顕
宗紀元年)
「謙」は現代語の謙
譲(へりくだる)である。「謙」の古代中国語音は謙[khyam]である。古代日本語の「へる」あるいは現代日本語
の「へりくだる」は中国語の「謙」と関係のあることばであろう。語頭の[k-][kh-][g-][ng-] は喉音の[h-] に近く、日本語ではハ行であらわれることが多い。 例:骨[kuət] ほね、頬[kyap] ほほ、墾[khən] はり、掘[giuə] ほる、原[ngiuan] はら、
韻尾の[-m]がラ行に転移した例としては、降[hoəm] ふる・おる、沾[tham] ぬる、嫌[hyam] きらふ、をあげることができる。
【ほ(穂)】
秋
の田の穂(ほ)の上(へ)に霧(き)らふ朝霞何時(いつ)邊(へ)の方(かた)に我が戀息(や)まむ(万88)
秋
の田の穂向(ほむき)の依(よ)れる片縁(かたよ)りに吾はもの念ふつれ無きものを
(万
2247)
古代中国語の「穂」
は穂[ziuat] である。日本漢字音は穂(スイ・ほ)である。穂の
声符は「恵」であり、「恵」の古代中国語音は恵[hyuet] である。「穂」は穂[hyuet] に近い音価をもっていて時期があったに違いない。中国語の喉音[h-] は日本漢字音でサ行とカ行あるい
はハ行にまたがる漢字がいくつかみられる。
例:枝(シ)・技(ギ)、氏(シ)・祇(ギ)、車
(シャ)・庫(コ)、 神(シン)・坤(コン)、赤(シャク)・赫(カク)、鍼(シン)・感(カン)、 市(シ)・肺(ハイ)、専(セン)・博(ハク)、少
(ショウ)・秒(ビョウ)、
日本語の「ほ」は中国語
の「穂」と同源である可能性がある。穂(スイ)は穂[huet] が[-i-]介音の発達によって摩擦音化かされた唐代以後に穂[ziuat] になった。日本語の穂(ほ)は唐代以前の古音に依拠している。 日本漢字音には音がサ行で訓がカ行またはハ行であ
らわれるものもある。訓が古く、音のほうが新しい。 例;歯(シ・は)、鍼(シン・はり)、春(シュン・はる)、秦(シン・はた)、 榛(シン・はり)、辛(シン・からい)、神(シン・かみ)、切(セツ・き
る)、
【ほ(帆)】
海
人(あま)小舟(をぶね)帆(ほ)かもはれると見るまでに鞆(とも)の浦みに浪立てり見ゆ
(万1182)
古代中国語の「帆」
は帆[biuəm] である。日本漢字音は帆(ハン・ほ)である。古代
日本語では「ン」で終わる音節がなかったので韻尾の[-m] は脱落した。また、古代日本語では濁音が語頭に立ことがなかったので語頭の[b-]は清音になった。韻尾の[-m][-n] が脱落した例としては田[dyen] た、津[tzien] つ、邊[pyen] へ、などがある。
【ほ(百)】
沖
つ藻を隠さふ波の五百重(いほへ)波千重(ちへ)しくしくに戀わたるかも(万2437)
「天
の安の河の河原(かはら)に、八百萬(やほよろず)の神を神集(かむつど)へに集(つど)へて、」(記神代)
古代中国語の「百」
は百[peak] であり、「十」は十[zjiəp]、「千」は千[tsyen] である。古代日本語の「百」は百(ほ・もも)であ
り、「十」はは十(そ・とを)、「千」は千(ち)である。八百万
(やほよろづ)、八百屋(やほや)などは百(ほ)による。古代日本語のほ(百)は中国語の百[peak] の韻尾の[-k] が脱落したものである可能性がある。
日本語の数の数え方が十進法であり、中国の数の数
え方が十進法であるのは偶然の一致なのだろうか。それとも東アジアに十進文化圏のようなものがあって日本はその一部だったのだろうか。 人類がすべて十進法で数を数えてきた訳ではない。
英語は十二進法でten、eleven、twelve、thirteenと数えるし、フランス語は二十進法で20はvingt である。
日本語の十(そ)、百(ほ)は中国語の十[zjiəp]、百[peak]に似ていないだろうか。千(ち)も、中国語の千[tsyen]に近い。ひと桁の数字は「やまとことば」であったにしても、十進法は漢字文化圏を通して広がった
可能性が高いのではなかろうか。
【ほ(火)】
螢
(ほたる)なすほのかに聞きて大土(おほつち)を火(ほ)の穂(ほ)と踏みて立ち居て行方も知らず、、、(万3344)
さ
ねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の本中(ほなか)に立ちて問ひし君はも(記歌謡)
「火
闌降≪是(これ)隼人(はやと)等が始祖なり。此(これ)を褒能須素里(ほのすそり)の命(みこと)と云う。≫」(神代紀下)
古代中国語の「火」
は火[xuəi] である。日本漢字音は火(カ・ひ・ほ)である。日
本語の「ひ」は中国語の「火」と同源であろう。中国語の火[xuəi] は弥生時代・古墳時代には弥生音として火(ひ・
ほ)とハ行で借用され、文字時代以降は火(カ)としてカ行で借用されたものと考えられる。 参照:第192話【ひ(火)】 中
国語の喉音が訓ではハ行、音ではカ行であらわれるものにはつぎのような例がある。
例:匣[heap](コウ・はこ)、挟[hyap](キョウ・はさむ)、荷[hai-]子(カシ・はす)、 花[xoa]・華[hoa](はな)、灰[huəi](カイ・はひ)、檜[huai](カイ・ひのき)、 響[xuang](キョウ・ひびく)、包含[həm](ガン・ふふむ)、降[hoəm](コウ・ふる)、
日本語の炎(ほのほ)、火群(ほむら)なども
「火」の合成語である。
時
に火炎(ほのほ)の中より白き狗(いぬ)暴(あからしま)に出(い)でて大樹臣(おほきのおみ)を逐(お)ふ、、、(雄略紀13年)
「初
め火燄(ほのほ)明る時に生める兒、火明命(ほのあかりのみこと)。次に火炎(ほむら)盛なる時に生める兒、火進命(ほのすすみのみこと)、又曰はく火酢
芹命(ほのすせりのみこと)。次に火炎避(さ)る時に生める兒、火折彦(ほのをりひこ)火火出見尊(ほほでみのみこと)。」
(神
代紀下)
【ほこ(矛・桙)】
池
神の力士儛(りきしまひ)かも白鷺の桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて飛び渡るらむ(万3831)
「其
の沼矛(ぬほこ)を指(さ)し下(おろ)して畫(か)かせば鹽(しほ)許々袁々呂々(こをろこをろ)に畫(か)き鳴(な)して、、、」(記上)
古代中国語の「矛」
「桙」の古代音はいずれも矛・桙[miu]である。中国語の上古音では[m-]の前に入りわたり音[h-]があったと考えられている。「矛」「桙」の上代音
は矛・桙[hmiu] あるいは矛・桙[hmiuk] に近い音であったものと推定できる。 例えば「海」の上古音は海[hmə] であり、入りわたり音[h-]が発達したものが海(カイ)あるいは上海の海(ハ
イ)になり、[h-] が脱落したものが毎(マイ)あるいは日本語の海
(うみ)になったと考えることができる。日本語の「ほこ」は上古中国語音、矛・桙[hmiuk]
の痕跡をとどめているものと考えられる。 参照:第164話【うみ
(海)】、
【ほし(星)】
天
(あめ)の海に雲波立ち月の船星(ほし)の林に榜(こ)ぎ隱(かく)る見ゆ(万1068)
「品
田(ほむだ)の天皇此の川内(かふち)にみ狩(かり)したまひき、、、星の出(い)づるに至るまで狩り殺しき。故(かれ)山を星肆(ほしくら)と名(な
づ)く。」(播
磨風土記、神前郡)
古代中国語の「星」
は星[syeng] である。日本語の「ほし」は火星[xuəi-syeng] である可能性がある。記紀万葉には「ほし」を「火
星」という表記は見あたらないが、「火」は火中(ほ+なか)、火群(ほ+むら)など火(ほ)となって合成語を作ることがある。火星(ほ+し)、火垂(ほ+
たる)などということばが古代日本語にあっても不思議はない。
参照:【ほたる(螢)】
【ほす(乾・干)】
春
過ぎて夏來(きた)るらし白妙(しろたへ)の衣(ころも)乾(ほ)したり天(あま)の香來山
(万28)
三
川の淵(ふち)瀬(せ)も落ちず小網(さで)刺すに衣手(ころもで)濡(ぬ)れぬ干(ほ)す兒(こ)は無しに(万1717)
古代中国語の「乾」
「干」はいずれも乾・干[kan] である。「干」は古代日本語では干「ほす」のほか
に干「かる」・干「ひる」とも読まれている。干[kan] は日本語ではカ行にもハ行でもあらわれる。 中国語には後口蓋音の[k-]と喉音の[h-]がある。しかし、日本語には喉音[x-][h-] はないので喉音は通常日本語ではカ行であらわれ
る。しかし、日本語としては後口蓋音[k-][g-]と喉音[x-][h-] は弁別しなかった。そのために、後口蓋音の[k-] がハ行であらわれることもある。一般にハ行であら
われる訓のほうが古く、カ行の音のほうが新しい。
参照:第168話【かる(干)】、第192話【ひる(干)】、
例:干[kan](カン・ひる・ほす)、蓋[kat](ガイ・ふた)、經[kyeng](ケイ・ふる)、 古[ka](コ・ふるい)、家[kea](カ・ケ・へ)、減[kəm](ゲン・へす・へる)、 骨[kuət](コツ・ほね)、頬[kyap](キョウ・ほほ)、
【ほそ(臍)】
「此
の神の頭(かしら)の上に蠶(かひこ)と桑と生(な)れり。臍(ほそ)の中に五穀生(な)れり。」(神代紀上)
「母
(いろは)亦(また)少しも損(そこな)ふ所無し。時に竹刀を以(も)て其の兒(みこ)の臍(ほそのを)を截(き)る。」(神代紀下)
古代中国語の「臍」
は臍[dzyei] である。日本語の「へそ」「ほそ」の語源は中国語
の腹臍[piuk- dzyei]である可能性がある。「臍」は「臍下丹田」の「臍」で意味は「へそ」である。しかし、記紀万葉に「腹臍」という用例があるわけではないので、確証はない。古代史のむずかしさは、記録がないからといって、そうでなかったと否定することができないことである。しか
し、確実な検証がすべてについてできるわけでもない。確からしさの度合いは一つ一つ異なる。
【ほそし(細)】
桃
の花紅(くれなゐ)色ににほひたる面輪(おもわ)のうちに青柳の細き眉根(まよね)を笑(え)みまがり、、、(万4192)
「是
に天照大御神恠(あや)しと以為(おもほ)し、天(あめ)の岩屋戸(いはやど)を細く開きて、、、」(記、上)
古代中国語の「細」
は細[syei] である。日本語の「ほ+そい」は中国語の細[syei] と義(意味)は同じであり、音も一部酷似してい
る。しかし、「ほ」はどこから来たのかわからない。強いていえば微細[miuəi-syei] の[m-] が語頭で清音[p-] になったとかんがえられないこともない。
日本語の「ほそい」が中国語の「細」と関係がある
かどうかは、火星(ほし)の場合よりも確率が低いかもしれない。語源論は個別単語の語源を探そうとすれば、牽強付会に陥る危険性がある。しかし、何らかの仮説を立てなければ前へ進まない。 どのような音韻の変化の法則が隠されているのか、いくつかの用例をあげて検証しなくてはならない。それがないと、何でもありの恣意的な解釈に陥ってしまう。しかし、可能
性の低いものをすべてを推定無関係として切り捨ててしまえば語源論は成り立ちにくい。
【ほたる(螢)】
黄葉(もみちば)の過ぎていに
きと玉梓(たまづさ)の使の言へば螢(ほたる)なすほのかに聞きて、、、(万
3344)
「螢 保太流(ほたる)」(和
名抄)
古代中国語の「螢」
は螢[hyueng] である。日本漢字音は螢(ケイ・ほたる)である。
中国語の喉音[h-] は脛[hyeng](ケイ・はぎ)、灰[huəi](カイ・はひ)、華[hoa] はな、のようにハ行であらわれることもあるから、
日本語の「ほたる」は中国語の「螢」と関係のあることばである可能性も否定できない。 日本語の「ほたる」は火[xuəi]+垂[zjiuai] という説もある。しかし、文献の記録でそれを確かめることはできない。記紀万葉にはその用例はない。
「垂」の日本漢字音は垂(スイ・たれる)である。朝鮮漢字音は垂(su) であるが、垂(teu-ri-ul) という訓もある。「垂」の摩擦音化される前の上古
音は垂[tuai] あるいは垂[tuat] であったものと推定できる。そうであれば、「ほたる=火垂」という説も成り立つ。 日本語の「ほたる」の語源が中国語の語源が螢[hyueng]であったにしても、「ほたる」という日本語は火[xuəi]+垂[zjiuai]という連想で定着してきたのであろう。
参照:【ほし(星)】、
第194話の語源説を確からしさの順にならべてみ
る、こんな具合だろうか。
A.間違いなく中国語語源である例。
謙(へる)、帆(ほ)、火(ほ)、矛・桙(ほこ)、乾・干(ほす)、
B.中国語語源であると推定できる根拠がかなりあ
る例。
蟠(へみ)、臍(ほそ)、螢(ほたる)、
C.充分な根拠はないが中国語語源であることを否
定できない例。
百(ほ)、星(ほし)、細(ほそし)、火垂(ほたる)、
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