第193話
ふさぐ(塞)の語源
【ふさぐ(塞)】
「故
(かれ)此の吾(あ)が身の成り餘(あま)れる處(ところ)以(も)ちて汝(な)が身の成り合はぬ處(ところ)に刺し塞(ふさ)ぎて國土(くに)を生み成
さむと以爲(おも)ふ。」
(記、上)
「迹
驚岡(とどろきのをか)に及(いた)るに大磐(おほいは)塞(ふさが)りて溝を穿(とほ)すことこと得ず。」(神功前紀)
古代中国語の「塞」
は塞[sək] である。日本漢字音は塞(ソク・サイ・ふさぐ・と
りで)である。「塞翁が馬」の塞(サイ)は韻尾の[-k] が脱落した発音である。日本語の「ふ+さぐ」の
「さぐ」は中国語の塞[sək]であろう。「ふ+さぐ」の「ふ」はどこから来たか
よく分からない。日本語の「ふさぐ」は恐らく中国語の閉塞[pyei-sək] から来たものであろう。
なお、日本語の「せき」は現在は「関」の字が当てられているが、語源は塞[sək](せき)である。 参照:第180話【せき(塞・関)】
【ふす(伏)】
神
風の伊勢の濱荻(はまをぎ)折り伏(ふ)せて客宿(たびね)やすらむ荒き濱邊に(万500)
み
吉野の小牟漏(をむろ)が嶽(たけ)に猪(しし)布須(ふす)と誰ぞ大前に申す、、(記歌謡)
伏[biuək]、中国語の入声音の韻尾には[-p][-t][-k] はあるが[-s] や[-l] はない。日本語の「ふす」は伏[biuək] の[-k] が脱落して日本語の動詞の語尾(~す)がついた
ものであろう。中国語の韻尾が脱落し古代日本語のサ行音であらわ
れる例はななりみられる。また中国語の韻尾が日本語の動詞の「する」と同化してサ行であらわれる例はいくつかみられる。 例:刺[tsiek] さす、射[djyak] さす、黙[mək] もだす、殺[sheat] さす・しす、挿[tsheap] さす、 眠[myen] なす、馴[ziuən] ならす、潤[njiuən] ぬらす、臥[ngua] こやす、指[tjiei] さす、
【ふせ(布施)】
布
施置きて吾は乞ひ禱(の)む欺かず直(ただ)に率(ゐ)行きて天路知らしめ(万906)
万葉集で使われてい
る数少ない仏教用語の一つである。中国語の布施は梵語のdana の中国語訳だという。サンスクリットの仏典を中国
語に翻訳する際にも音訳と訓訳が行われた。音訳は「檀那」であり、訓訳(意訳)が「布施」である。「布施」の古代中国語音は「布[pa]・施[sjiai]」である。「布施」は仏教用語で仏教伝来とともの日本語のなかに取
り入れられてきた。
【ふた(蓋)】
「童
子(わらは)、、、四人に言ひ教ふらく我(われ)鬼を捉(とら)へむ時には倶(とも)に燈(ひ)の覆(おほ)える蓋(ふた)を開けといふ。」(霊異記)
眞
澄鏡(まそかがみ)蓋上山(ふたがみやま)に木(こ)の暗(くれ)の繁(しげ)き谿邊(たにべ)を呼び響(とよ)め、、、(万4192)
古代中国語の「蓋」
は蓋[kat]である。日本語の「ふた」は中国語の蓋[kat]と同源であろう。語頭の[k-]が日本語でハ行であらわれる例については干(ひ
る)の項ですでに述べた。 例:干[kan]ひる、廣[kuang]ひろし、古[ka]ふるい、經[kyeng]へる、骨[kuət]ほね、
参照:第192話【ひる(干)】、
【ふち(淵)】
吾
が行(ゆ)きは久(ひさ)にはあらじ夢(いめ)のわだ湍(せ)には成らずて淵(ふち)にありこそ(万335)
三
川の淵(ふち)瀬(せ)も落ちず小網(さで)刺すに衣手(ころもで)濡(ぬ)れぬ干す兒(こ)は無しに(万1717)
古代中国語の「淵」
は淵[yuen] である。日本漢字音は淵(エン・ふち)である。中
国語の上古音は不明だが、「淵」の祖語は淵[hyuen] あるいは淵[huet] に近い音であった可能性がある。日本語の「ふち」は「淵」の上古中国語音の痕跡を
ハ行で留めているものである。韻尾の[-n]は上古音では[-t]であった。
【ふち(斑)】
「秋
は天(あまの)斑駒(ぶちこま)を放(はな)ちて、田の中に伏す。、、、又(また)天照大神の方に神衣(かむみそ)を織りつつ、齊服殿(いみはたどの)に
居(ま)しますを見て、則ち天(あまの)斑駒(ぶちこま)を逆(さか)剥(はぎ)にはぎて、殿(おほとの)の甍(いらか)を穿(うが)ちて投げ納(い)
る。」(神
代紀上)
古代中国語の「ぶ
ち」は斑[pean] である。韻尾の[-n]は上古音では斑[peat] であったものと推定できる。日本語の「ふち」「ぶ
ち」は中国語上古音斑[peat] の痕跡を留めたいる。韻尾の[-n]が上古音で[-t]であった。日本語の音では「ン」であらわれるが訓
ではタ行であらわれるものの例はいくつかあり、[-t] が古く[-n] が新しい。 例:邊(ヘン・はた)、腕(ワン・うで)、肩(ケン・かた)、琴(キン・こと)、 言(ゲン・こと)、断(ダン・たつ)、楯(ジュン・たて)など。
【ふね(船・舟)】
何
所(いづく)にか船泊(ふなは)てすらむ安禮の埼榜(こ)ぎ廻(た)み行きし棚無し小舟(をぶね)(万58)
「百
濟の使參官等罷(まか)り歸る。仍(よ)りて大舶(おほつむ)と同(もろき)船(ふね)と三艘(みつ)を賜ふ。」(皇極紀元年)
日本語の「ふね」に
あたる漢字としては「船」「舟」「舶」などの漢字があてられている。これらの漢字の古代中国語音は船[sjiuan]、舟[tjiu]、舶[peak]であり、いずれも日本語の「ふね」とは関係があり
そうもない。スウェーデンの言語学者カールグレンは日本語の「ふね」の語源は「盆」ではないかとしている。現代日本語では「ふね」は「舟」の意味しかない
が『古事記』では「盆」の意味にも使われている。英語でもvesselは船を意味するばかりでなく、窪んだ容器の意味も
ある、としている。 漢字で日本語の「ふね」に音義ともに近いものを探
してみると、舫[piuang]、帆[biuəm]、舨[piuan]、艦[heam]、般[puan]などがある。 「舫」は「もやいぶね」であり「舟を
並べてもやる」ことをいう。「帆」は「ほ」あるいは「ほかけぶね」である。「舨」は「舢舨」な
どとして使われ「小舟」である。「艦」は「戦い船」である。「般」は「はこぶ」であるが白川静の『字通』によると「舟は般の象形」であるという。また「舟
は盤の形で盤で運ぶことを運搬、そのように身をめぐらすことを般旋、盤を鼓楽して遊ぶことを般楽という」という。日本語の「ふね」は中国語語源である。
【ふふむ・ふくむ(含)】
「故
(かれ)其の木の實(み)を咋(く)ひ破り赤土(はに)を含(ふふ)み唾(つば)き出せば其の大神呉公(むかで)を咋ひ破り唾き出すと以爲(おもは)して
心に愛(うつく)しと思ひて寝(い)ねましき。」(記、上)
卯
の花の咲く月立ちぬ霍公鳥(ほととぎす)來鳴き響(とよ)めよ敷布美(ふふみ)たりとも
(万4066)
古代日本語では現代
日本語の「ふくむ」を「ふふむ」ともいった。日本語の「ふふむ」あるいは「ふくむ」の語源は包含[peu-həm] であろう。中国語の喉音[h-]は日本語ではカ行であらわれることも、ハ行であら
われることもある。参照:第192話【ふくむ(含)】、
【ふみ(文)】
「又
仲麻呂が家の物計(かぞ)ふるに書(ふみ)の中に仲麻呂と通(かよ)はしける謀(はかりごと)の文(ふみ)有り。」(詔30)
古代中国語の「文」
は文[miuən] である。日本漢字音は文(ブン・ふみ)である。古
代日本語には濁音ではじまる音節はなかったので語頭の濁音は清音になった。古代日本語には「ン」という音節もなかったので、母音を添加して「ふ+み」と
なった。中国語の韻尾には[-m]と[-n]があったが日本語では弁別せず、マ行音に転移する
もの、ナ行音に転移するものの両者が混在している。
韻尾の[-n]がマ行であらわれる例:濱[pien] はま、絆[puan] ひも、眠[myen] ねむる、呑[thən] のむ、 絹[kyuan] きぬ、肝[kan] きも、蝉[zjian] せみ、進[tzien] すすむ、 韻尾の[-n]がナ行であらわれる例:難波[nan-] なには、壇[dan]・段[duan] たな、殿[dyən] との、
【ふみて(筆)】
王
(おほきみ)に吾は仕へむ、、、吾が毛らは御筆(みふみて)はやし吾が皮は御箱(みはこ)の皮に、、、(万3885)
「筆
張華博物誌に云ふ、蒙恬筆を造る。古文、笔に作る。布美天(ふみて)。稾筆 郭知玄云ふ、古者稾を以て筆を爲(つく)る。稾筆、和良不美手(わらふみ
て)」(和
名抄)
古代中国語の「筆」
は筆[piet] である。日本漢字音は筆(ヒツ・ふで)である。日
本語の「ふで」は中国語の筆[piet] の韻尾[-t] が濁音になったものである。日本語、朝鮮語では
第一音節では清音の音が第二音節以下にくると濁音になる。『和名抄』は「筆」を「布美天(ふみて)」として
いるが文手」の連想からであろう。「筆」は一字で日本語の筆(ふで)に対応している。
【ふる(經)】
妹
(いも)が見し屋前(やど)に花咲き時は經(へ)ぬ吾が泣く涙未だ干(ひ)なくに(万469)
あ
ら玉の年經(ふ)るまでに白𣑥(しろたへ)の衣(ころも)も干さず朝夕(あさよひ)にありつる君は、、、(万443)
古代中国語の「經」
は經[kyeng] である。日本漢字音は經(ケイ・キョウ・ふる・へ
る)である。日本語の「ふる」あるいは「へる」は中国語の經[kyeng] の頭音[k-]がハ行に転移し、韻尾の[-ng]がラ行に転移したものである。参照:第192話【ふ(經)】、 後口蓋音の[k-] は喉音[h-] に近く、日本漢字音では弁別されない場合も多い。
語頭の[k-]がハ行に転移した例:蓋[kat]ふた、干[kan]ひる、廣[kuang]ひろし、古[ka]ふるい、 經[kyeng]へる、骨[kuət]ほね、 韻尾の[-ng]がラ行に転移した例:平[bieng]ひら、乗[djəng]のる、狂[giuang]くるふ、香[xiang]かをり、 凝[ngiəng]こる、通[thong]とほる、
【ふる(零・落・降)】
田
兒(たご)の浦ゆうち出(い)でて見れば眞白(ましろ)にぞ不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は零(ふ)りつつ(万318)
み
吉野の耳我(みみが)の嶺(みね)に時なくぞ雪は落りける間なくぞ雨は零ける、、、(万25)
記紀万葉の時代の日
本語では「ふる」に「零」「落」「降」などが使われている。古代中国語の「零」「落」は零[lyeng]・落[lak] で、「降」は降[hoəm] である。日本漢字音は零(レイ)、落(ラク)、降
(コウ)とほとんどまったく共通点はない。 スウェーデンの言語学者カールグレンは中国語の上古音では[l-]の前に、入りわたり音[h-] のような音があったのではないかとしている。中国
語の音韻学者王力も『漢語音韻史』のなかでその説を受け入れている。上古中国語の「零」「落」に零[hlyeng]、落[hlak] のような入りわたり音[h-] があったとすれば、日本語の「ふる」は上古中国語の零[hlyeng]、落[hlak] の入りわたり音の痕跡をとどめたものと考えることができる。零[hyeng]、落[hak] 零・落(ふる)になり、 零[lyeng]、落[lak] は入りわたり音が脱落して、零(レイ)、落(ラク)となった。入りわた
り音[h-] はハ行であらわれる場合とカ行であらわれる場合が
ある。
入りわたり音[h-]がハ行であらわれる例:裸[hluai]はだか、履[hliei]はく、量[hliang]・料h[lyô] はかり、 梁[hliang] はり、遼[hlyô] はるか、略[hliak] はぶく、 冷h[leng] ひえる、老[hlôk] ふける、蕗[hlak] ふき、 入りわたり音[h-]がカ行であらわれる例:鎌[hliam]かま、栗[hliet]くり、來[hlə]くる、輪[hliuən]くるま、 籠[hlong]こ・こもる、猟[hliap] かり、戀[hluam/hluap] こひ、
「降」の古代中国語は降[hoəm]とされている。日本語の「ふる」は韻尾の[-m]がラ行に転移したものであろう。韻尾の[-m]がラ行に転移した例としては、沾[tham]ぬる、嫌[hyam]きらふ、をあげることができる。なお、降[hoəm]は頭音が脱落して降(おる)にも用いられている。
参照:第165話【おる(降)】
【ふるし(古)】
吾
が背子が古家(ふるへ)の里の明日香(あすか)には千鳥鳴くなり嶋待ちかねて(万268)
古
(いにしへ)の人にわれあれや樂浪(ささなみ)の故(ふる)き京(みやこ)を見れば悲しき
(万32)
古代中国語の「古」
「故」は古[ka]・故[ka]である。「故」も「温故知新」(故(ふる)きを温
(たづ)ね新しきを知る)のように「古い」の意味がある。日本語の「ふるい」あるいは「ふるし」は中国語の古・故[ka] の頭音[k-] がハ行に転移したものであろう。 「古」と同じ声符をもった漢字の古代音には枯[hat]、涸[hak]、胡[ha] 、箇[kai] などがある。日本語の「ふ+る」の「る」は上古中国語の枯[hat]、涸[hak] の韻尾[-t] あるいは[-k] の痕跡を留めたものであろう。参照:【ふる(零・落・降)】、
【へ(邊)】
奥
(おき)つ波(なみ)邊波(へなみ)の來(き)縁(よ)る左太(さだ)の浦の此の時過ぎて後(のち)戀ひむかも(万2732)
古代中国語の「邊」
は邊[pyen] である。日本語の「へ」は邊[pyen] の韻尾が脱落したものである。日本漢字音には邊
(ヘン・へた)という読みもある。「へた」は韻尾[-n]の上古音邊[pet] の痕跡を留めたものである。
「後
に豊玉姫、果して前(さき)の期(ちぎり)の如(ごと)く、其の女弟(いろど)玉依姫を将(ひき)ゐて、直(ただ)に風波を冒(をか)して、海辺(うみへ
た)に來到(きた)る。」
(神代紀上)
淡
海(あふみ)の海邊多(へた)は人知る沖つ浪君をおきては知る人も無し(万3027)
【へ(方)】
春
草の繁きわが戀大海の方(へ)に行く浪の千重(ちへ)に積りぬ(万1920) 日本語の「へ」には
方[piuang] 、重[diong] があてられている。「方」は方角をあらわし、「重」は「おもい」あるいは「かさなる」をあらわす。方(へ)は音義ともに、中国語の方[piuang] に近く、方[piuang]の韻尾が脱落したものである。重(へ)は中国語とは別系統のことばである。 【へ(戸・家)】 「秦
人(はたひと)・漢人(あやひと)等(ら)諸蕃の投化(おのづからまう)ける者を召して集(つど)へて、國郡に安置(はべらし)めて、戸籍(へのふみた)
に編貫(つ)く、秦人(はたひと)の戸(へ)の数(かず)総(す)べて七千五十三戸(へ)。」(欽明紀元年)
白
香(しらか)つけ木綿(ゆふ)とり付けて齊戸(いはひべ)を齊(いは)ひほりすゑ(万379)
妹
(いも)が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだも亂(まが)ふ梅の花かも(万844)
戸[ha]、家[kea] という漢字もあてられている。それぞれ音義ともに
中国語に近い。戸[ha](へ)・家[kea](へ)は中国語の頭音[k-][h-]がハ行で写されたものである。
【べ(部)】
「出
(い)で行かす時到り坐(ま)す地毎(ごと)に品遲部(ほむぢべ)を定めたまひき、、、是(ここ)に天皇其の御子(みこ)に因(よ)りて鳥取部(ととり
べ)、鳥甘部(とりかひべ)、品遲部(ほむぢべ)、大湯坐(おほゆゑ)、若湯坐(わかゆゑ)を定めたまひき。」(記、垂仁)
部(べ)とは大化以
前の部民制であり、百済の制度を取り入れたものだとされている。官人の組織である伴(とも)に従属するという。古代日本語の部(べ)は古代中国語の「部」と同源である。「部」の古代中国語音は部[bo]である。
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