第180話  せき(関)の語源

 
【せき(関・塞)】
出 (い)でて行く道知らませば豫(あらかじ)め妹(いも)を留(とど)めむ塞(せき)も置かましを(万468)
愛 (うるは)しと吾(わ)が念(も)ふ情(こころ)速河(はやかは)の塞(せ)きに塞(せ)くとも猶(なほ)や崩(く)えなむ(万687)
關 (せき)無くは還(かへ)りにだにもうち行きて妹(いも)が手枕(たまくら)卷(ま)きて宿(ね)ましを(万1036)

 現代日本語の「せき」には「関」の字があてられて いる。「関」の古代中国語音は關[koan】であり、日本語の「せき」とは関係なさそうであ る。しかし、万葉集では日本語の「せき」に「塞」の文字がかなり使われている。「塞」の日本漢字音は塞(ソク・サイ・ふさぐ・とりで)である。「塞」の古 代中国語音は塞[sək]であり、意味は「とりで」「せき」である。日本語 の「せき」は中国語の「塞」と同源である。

【せこ(背子・兄子)】
我 (わが)背子(せこ)が朝明(あさけ)の姿よく見ずて今日の間を戀ひ暮らすかも
(万2841)
人 言(ひとごと)を繁みこちたみわが我(わが)兄子(せこ)を目には見れども逢ふよしも無し
(万2938)

  万葉集には「せこ」ということばがよく出てくる。 「せこ」は万葉集では「背子、背兒、世子、世古、勢子、勢故、瀬子、兄子」などと表記されていて、女が夫や恋人、兄弟など、男に対して親しみをこめて呼ぶ 呼称である。
 「背」の古代中国語音は背
[puək]である。「背」の声符は北[pək]であり、日本漢字音は中国語の韻尾[-k]が脱落して背(ハイ・せ)である。背(せ)は中国 語音と関係なさそうであるが、中国語の古語辞典にあたる『説文』によると「背は脊(せき)なり」とある。「脊」の古代中国語音は脊[tziek]である。「万葉集に頻出する「せこ」は「脊子」と同義なのではなかろうか。脊[tziek]の韻尾[-k]は「子」の頭音に吸収されたものと考えられる。

 「せこ」が親しい男性であるとすれば「兄」は関係 がないだろうか。「兄」の日本漢字音は兄(ケイ・キョウ・あに)である。「兄」の古代中国語音は兄[xyuang]であり、「兄」と同じ声符をもつ「祝」の古代中国語音は祝[tjiuk]である。声符[xyuang]は介音[-i-]の影響で兄[tjiuk]に変化したものと考えられる。「兄」現代北京語音は兄 (xiong)である。
 古代日本語の「せ+こ」は摩擦音化した「せ(xio)」+「こ(-ng)」ではあるまいか。古代日本語には「ショウ」とい う音節はなかったから兄(ショウ)は兄(せ)になったのではあるまいか。上古音の[-ng][-k]に近い。万葉集の時代には韻尾の[-ng][-k]とは読めなくなってしまっていたので末音添加で 「子」をつけた。つまり、兄(せこ)は中国語の上古音を継承した弥生音である可能性がある。

 【せばし(狭)】
谷 (たに)迫(せば)み峯邊(みねべ)に延(は)へる玉葛(たまかづら)延(は)へてしあらば年に來ずとも(万3067)
大 埼の神の小濱は小(せば)けども百船人(ももふなびと)も過ぐといはなくに(万1023)
「狭  サジ、セバシ」(名 義抄)

  万葉集では「せば し」に「迫l「小」などが使われ ている。『名義抄』では「狭」を「せばし」としている。「迫」の古代中国語音は迫[peak]である。「迫」の日本漢字音は一般に迫(ハク・せ まる)であるが、「せ+まる」の「せ」がどこからくるのか説明しにくい。

 「狭」の古代中国語音は狭[heap]である。現代の北京語音は摩擦音になって狭(xia)である。中国語の頭音[h-][x-]は日本語にはない喉音である。北京語では古代中国 語の入声音韻尾[-p][-t][-k]は規則的に脱落する。「狭」の日本漢字音は狭 (キョウ・せまい)である。「狭」の声符は「夾」である。同じ「夾」の声符をもった漢字に「陝」があり陝西省と書いて陝西省(センセイショウ)と読む。

 上古中国語の喉音は[h-][x-][-i-]介音の影響で摩擦音化して狭[xiap]に近い音になった。古代中国語音には狭(キョウ) に近い形と狭(ショウ)に近い形の二つがあったのではなかろうか。日本語の訓の狭(せまい)は摩擦音化した狭[xiap]に近い形を反映し、音の狭(キョウ)は狭[heap]に依拠している可能性がある。中国語の頭音が喉音 である場合については【せこ・背子・兄子】でもふれた。「せまい」の「ま」は中国語の韻尾の[-p]が半濁音したもので、日本漢字音では第二音節の[-p]は鼻獨音[-m]または濁音[-b]に転移することがある。

 例:鴨[keap]かも、甲[keap]かめ、汲[xiəp]くむ、湿[sjiəp]しめる、渋[shiəp]しぶい、
   甲兜
[keap-to]かぶと、

【せみ(蝉)】
石 (いは)走(ばし)る瀧(たき)もとどろに鳴く蝉(せみ)の聲をし聞けば京師(みやこ)し思ほゆ(万3617)

 日本語の「せみ」は中国語の蝉[zjian]と同源である。五十音図の最後にある「ん」は古代 にほんごにはなかったので、韻尾の[-n]に母音を添加して一音節に発音した。日本語では古 代中国語の韻尾[-n][-m]は弁別されないのでナ行であらわれるものもあり、 マ行であらわれるものもある。

例:[-m]:金[kiəm]、鎌[kliam]、染[njiam]、滲[shiəm]、闇[əm]やみ、
  
[-n]:絹[kyuan]、肝[kan]、蝉[zjian]、浜[pien]、文[miuən]
     嬪
[pien]、秈[shean]・い、 君[kiuən]、殿[dyən]

 この例のなかで中国語韻尾[-m]がナ行になっているものに、金(かね)があり、中 国語の韻尾[-n]がマ行であらわれているものに、肝(きも)、蝉 (せみ)、浜(はま)、文(ふみ)、嬪(ひめ)、君(きみ)がある。[-n][-m]はいすれも鼻音であり、調音の方法が同じである。 現代の中国語では広東語では[-m][-n]が弁別されているが、北京語では[-n]に合流している。しかし、朝鮮漢字音ではその弁別 は保たれている。

 【そで(袖)】
あ かねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖(そで)振る(万20)
敷 妙(しきたへ)の袖(そで)かへし君玉垂(たまだれ)の越智野(をちの)に過ぎぬ亦(また)も逢(あ)はめやも(万195)

 
 古代中国語の「袖」 は袖[ziəu]である。日本漢字音の「袖」は袖(シュウ・そで) である。日本語の「そで」は中国語の「袖+手」であろうという語源論がある。

 「やなぎ」は「楊(ヨウ)の木」だという語源論も ある。ことばはそれを使う人の連想によって豊かになっていくものだから、それも一理あるかもしれない。しかし、「楊」の古代中国語音は楊[jiang]であり、古代中国語音の韻尾[-ng][-k]に近かったから日本語の楊(やぎ)が語源であり、 それが「木」の連想によって楊(やなぎ)なったと説明したらどうであろうか。
 そうすると同じ音韻法則によって揚
[jiang](ヨウ)も揚(あげる)なることが説明できる。さ らに、桶(トウ・おけ)も説明できるかもしれない。「桶」の声符は甬である。「甬」の古代漢字音は甬[jiong]である。桶の語源は中国語の桶[jiong]だった可能性がみえてくる。さらに涌[jiong](ヨウ・わく)、湧[jiong](ユウ・わく)についても説明ができるようにな る。

  日本語の「そで」はどうであろうか。袖[ziəu]の声符「由」にはさまざまな読み方がある。宙[diu]チュウ、油[jiu]ユウ、笛[dek]テキ、軸[diuk]ジク、である。声符「由」は韻尾の[-k]があったものと考えられる。袖(そで)の「で」も、古代中国語音の韻尾の痕跡を残したものと考えられなくもない。
  ことばは人の心の中でイメージを結ぶものであるか ら、「袖+手」説も捨てがたい。しかし、音韻変化には法則性があるから、その変化の法則性を探しもとめるのも語源学の魅力のひとつである。

 【その(苑)】
春 の苑(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照る道に出(い)で立つ乙女(万4139)

 古代中国語の「苑」 は苑[iuan]である。日本漢字音は苑(エン・その)である。日 本語の音(エン)と訓(その)との間には何の関係もないように見える。

 北京語の苑(yuan)は園、遠、猿、怨、縁、援、媛、淵、院、員、圓、 元、原、願などと同じであることが分かる。そこで、それらの漢字の古代中国語音を調べてみる と、園[hiuan]、遠[hiuan]、猿[hiuan]、怨[iuan]、縁[djiuan]、援[hiuan]、媛[hiuan],淵[yuen]、院[hiuan]、員[hiuən]、圓[hiuən]、元[ngiuan]、原[ngiuan]、願[ngiuan]であることがわかる。現代中国語音の苑(yuan)のもととなった古代中国語音は頭音に喉音[h-][ng-]があったものが多いことが分かる。

 中国語「苑」の上古音は苑[hiuan]であり、その頭音[h-]は介音[-iu-]の発達によって失われたのである。日本語の苑(そ の)は苑[hiuan]の頭音が摩擦音化して苑[xiuan]になったものを継承しているものだろう。そのことは同じ日本 語の「その」にあたる中国語に園[hiuan](エン・その)があることによっても裏づけられ る。
 台湾の音韻学者董同龢は「苑」の上古音を苑
[iwan]としている。語頭に無声閉鎖音があったというのである。現に現代の上海音では「苑」は苑(?yan)で語頭に無声閉鎖音があるという。 

  結論として、日本語の苑(その)は上古中国語音の 苑[hiuan]の頭音が摩擦音化したものである。日本語の「せ こ・兄子」、「せまい・狭」、「さる・猿」も中国語の兄[xyuang]、狭[heap]、猿[hiuan]の頭音が摩擦音化した音の痕跡を留めている。
参照:【せこ(背子・兄子)】、【せばし (狭)】、第175話【さなだ(狭田)】、
   第176話【さる(猿)】、

 【そむ・しむ(染)】
淺 緑(あさみどり)染(そ)めかけたりと見るまでに春の楊(やなぎ)は萌えにけるかも
(万1847)

引 き攀(よ)ぢて折らば落(ち)るべみ梅の花袖に扱(こ)き入(れ)つ染(し)まば染(し)むとも(万1644)

 古代中国語の「染」は染[njiam]である。日本漢字音は染(セン・そめる・しみる) である。日本語の「そむ」は中国語の染[njiam]と同源である。古代中国語の日母[nj-]は後に[dj-]に近い音に変化した。古代日本語の「そむ・しむ」 の「そ」「し」はその摩擦音化したものである。韻尾の[-m]については【せみ(蝉)】の項で述べた。
参照:第178話【しむ・そむ(染)】

ここで、日本語のサ行音の形成について整理してみるといくつかの類型に分類することができる。

 1.古代中国語の[s-][z-]にあたるもの。

[sək]せき、性[sieng]さが、祥[zieng]さが、摺[ziuəp]する、鵲[syak]さぎ、咲[syô]さく、渋[shiəp]しぶし、秈[shean]しね、雙六[sheong]すごろく、蝉[zjian]せみ、勝[sjieng]すぐる、少[sjiô]すこし・すくなし、

 2.古代中国語の摩擦音[tz][ts]にあたるもの。

[tziu][tziuk]さけ、酢[dzak]す、巣[dzheô]す、醒[tsyeng]さむ、清[tsyeng]さやけし・さがし・すむ、静[dzieng]しづか、皺[tzhio]しわ、進[tzien]すすむ、薦[tzian]すすむ、

 3.上古中国語の[t-][d-]などが[-i-]介音の影響で摩擦音化したもの。

[tjiu]す、渚[tjia]す、知[tie]しる、潮[diô]しほ、貞[tieng]さだか、定[dyeng]さだむ、鎮[tien]しづめ、沈[diəm]しづむ、舌[tjiat]した、汁[tjiəp]しる、澄[diəng]すむ、

 4.上古音中国語の喉音[h-][x-]などが[-i-]介音の影響で摩擦音化したもの。

[hyen]かしこし、懸[hiuen]さがる、狭[heap]せばし、幸[heang]さき・さち、栄[hiueng]さかゆ、猿[hiuan]さる、吸[xiəp]すふ、兄[xyuang]せ、

そのほかに、苑[iuan]、塩[iem]なども上古音では語頭に[h-]音があって、脱落した可能性がる。例:塩(しほ→エン)、苑(その→エン)、

  日本語のサ行音のことばにはさまざまな出自のことばが合流している。中国語の上古音では[t-][d-]や喉音[h-][x-]であったものも摩擦音化して日本語ではサ行音として受け入れられている。

 日本語は記紀万 葉集ができる約1000年も前から中国の文化や中国語の語彙を受け入れてきており、「やまとことば」はさまざまな地方や時代の発音を継承しているものと思 われる。しかも、中国語の発音は日本語の音韻構造にあわせて転移するので、「やまとことば」のなかに痕跡を留めた中国語の語彙を見わけるのはそう簡単では ない。


☆もくじ

☆第161話 古代日本語の語源 索引

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