第172話
けふ(今日)の語源
「今」の古代中国語音は今[kiəm]であり、語頭の[k-]が介音[-i-]の影響で脱落して、日本語の今(いま)になった。
「今」と同じ声符をもった漢字に矜(キョウ)があり矜持などという語に使う。「矜」の古代中国語音は矜[kiəp]であったと考えられる。中国語音韻史では上古中国語音の[-p]は[-m]になり、[-t]は[-n]になり、[-k]は[-ng]に転移した。「矜」は上古中国語の痕跡を留めている。
古代中国語の「蓋」は蓋[kat]である。日本漢字音は蓋(ガイ・ふた・けだし)で
ある。「けだし」は蓋[kat]の第二音節が濁音になったものである。語頭の[k-]は調音の位置が喉音に近く、日本語の訓ではハ行で
あらわれることがある。
例:骨[kuət]・
ほね、頬[kyap]・
ほお、掘[giuət]・
ほる、寛[khuan]・
ひろい、
「籠」の古代中国語音は籠[long]である。隋唐時代以前の上古中国語音[l-]には入り渡り音があったと考えられている。日本語
の籠(こ)は上代中国語音籠[hlong]の入り渡り音[h-]が発達したものであろう。
万葉集では日本語の「こ」に「子」「兒」などの文 字があてられている。「子」の古代中国語音は子[tziə]であり、「兒」の古代中国語音は兒[njie]である。「兒」と同じ声符をもった漢字に「睨」が あり、睥睨(へいげい)などに使われる。「睨」の古代中国尾音は睨[ngye]である。日母[nj-]と疑母[ng-]は調音の方法が同じ鼻音であり、日母[nj-]は疑[ng-]が口蓋化したものであると考えられる。日本語の 「こ」は上代中国語の兒[ngiə]に依拠したものであろう。
万葉集の時代の日本語では蚕(かいこ)のことを 「こ」ともいう。「かいこ」は「飼う子」であるという説もある。古代中国語の「蚕」は蚕[tzam]である。日本語の「こ」は古代中国語の蠱[ka]に依拠したものであろう。
古代中国語の「小」は小[siô]であるとされている。日本漢字音の「小」は小 (ショウ・こ)である。現代北京語の「小」は小(xiao)である。現代中国語の(x-)は摩擦音であるが、古代中国語の[x-]は喉音の閉鎖音であった。このことから、日本語の 小(こ)は上代中国語音の小[xo]から発達したものではなかろうかと考えることがで きる。中国語音韻史のなかで介音[-i-]は隋の初頭あたりから発達してきたものと考えられ ている。
碁(ご)は中国から輸入されたものであり、ことばも文化とともにもたらされた。古代中国語「碁」は碁[giə]である。しかし、古代日本語には濁音ではじまる音節はなかったから、「ご」という発音を受け入れるにはかなりの時間を要した。囲碁(ゐご)は日本語の音韻構造になじんだが碁(ご)が日本語として定着したのは、碁が日本に受け入れられてからかなり後のことである。 古 代日本語では語頭では清音になり、語中では濁音になるというのが一般的な音韻法則であった。例えば「小林」は「コバヤ シ」である。しかし、日本語の辞書を引いても「バヤシ」ということばはない。「林」は語頭にくると「ハヤシ」であり、語中にくると「バヤシ」になるという ことを誰でもしっているから、辞書には「バヤシ」という項目はない。 こ のように同じ単語が語の中の位置によって発音が異なる音を音声学では相補分布するといい、同じ音の変異であるとされている。古代日本語では濁音と清音は相 補分布していた。だから「いろは歌」には濁音はない。しかし、中国語では語頭に濁音がくる単語は数多くなり、日本語も中国語の語彙を受け入れることによっ て濁音も語頭にくる音韻体系に変わっていった。 ハ ングルでは(kopayashi)と書いて(kobayashi)と読む。朝鮮語では古代日本語と同じように濁音と清音は相補分布しているから、同じ文字 を語頭では清音に読み、語中では濁音に読むことで何の不都合も生じない。しがし、現代の日本語では濁音が語頭にくることもあるので清音と濁音を弁別する必 要が生じた。そこで「は」と「ば」を別の文字で表記するようになった。 碁(ご)のように語頭に濁音がくることばが日本語として受け入れられるようになると「こ」と「ご」は相補分布ではなくなり、別の音として意識されるようになっていった。 「将棋」の「棋」も棋[giə]である。碁(ゴ)も棋(キ)も同源であるというこ とができる。囲碁の団体は日本棋院であり、将棋の団体は日本将棋連盟である。どちらも「棋」の字を使っている。中国語の介音[-i-]は隋の時代に入ってから発達してきたものだから上 古の中国語音は碁[gə]であった。日本語の碁(ゴ)は中国語の上古音に依 拠したものであり、将棋の「棋」は唐の時代あたりの中国語音にもとづいた発音である。
万葉集では日本語の「こころ」に心、情、意、許己 呂、己許呂、許々呂、などの漢字が当てられている。 古代中国語の「心」は心[siəm]であり、現代北京語では心(xin)である。現代中国語の(x-)は摩擦音であるが、古代中国語の[x-]は喉頭閉鎖音であった。「心」の介音[-i-]発達以前の形を心[xən]と復元できると仮定すれば、日本語の「こころ」は 上古中国語の心[xən]と関係のあることばだということができる。中国語 の喉音[x-][h-]は日本語にはない発音であり、二音節にして続ける ことによって日本語の音韻体系になじむように発音した。また、韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じであり転移したと考えることが できる。魂[khuən] なども近いことばであろう。 いかがであろうか。語源探しのむずかしいところは古代の音声が消えて しまっていて、残っていないことである。日本と中国との交流は弥生時代、記紀万葉の成立から1000年も前から始まっているに違いない。しかし、文字とし て残っているのは8世紀からである。記紀万葉の時代の文字資料から仮説をたてて音韻変化の法則を探していく。仮説に多くの傍証が得られれば、その仮説は蓋 然性を増していく。仮説は充分な証拠に裏づけられていなければならない。しかし、また仮説は仮説であって反証可能なものでなければならない。
古代中国語の「答」は答[təp]である。日本語の「こたへ」の「たへ」は中国語の 答[təp]に酷似している。日本語の「こたへ」の語源は中国 語の解答[ke-təp]ではなかろうか。ただし、現存する記紀万葉には 「こたへ」を「解答」と表記した例は見あたらない。
「琴」の古代中国語音は琴[giəm]である。隋唐の時代以前の上古中国語では韻尾が入 声音で琴[giəp]あるいは[giət]に近いおとだったと思われる。日本語の琴(こと) は上古中国語音の琴に依拠したものである。
「言」の古代中国語音は言[ngian]である。隋唐の時代以前の上古中国語音は言[ngiat]に近い音だったものと思われる。古代中国語の[-m][-n][-ng]の一部は隋唐の時代以前には入声音[-p][-t][-k]であった。日本語の「こと」は上古中国語音にもと づくものである。
「戀」の古代中国語音は戀[liuan]である。古代中国語音の[l-]は隋唐の時代以前の上古音では入り渡り音[h-]があり、戀[hluan]に近い音であったと考えられる。上古音では介音[-i-]も発達していなかった。
「乞」の古代中国語音は乞[kiət]である。日本語の「こふ」は中国語の「乞」と同源 であろう。中国語の入声音の韻尾[-p][-t][-k]は現代の上海音では弁別されていない。また北京音 では入声音はすべて失われている。 日本漢字音では中国語の韻尾[-p]が[-t]に転移し、あるいは[-ng]と弁別されないものがみられる。 日本語の「こふ」は中国語の乞[kiət]であろう。日本語では中国語の韻尾[-t]は[-p]と弁別されていない。
古代中国語の「媚」は媚[miuet]である。隋唐の時代以前の上古音では、少なくとも
江南地方では、頭音の前に入り渡り音[h-]があった。日本語の「こぶ」の語源は上古中国語の
媚[hmiuet]である可能性がある。
「郡」の古代中国語音は郡[giuən]である。日本漢字音では郡(グン・こほり)であら われる。日本語の「こほり」は古代中国語の「郡」に依拠したことばである可能性がある。韻尾の[-n]は[-l]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。「こほ り」の「ほ」は中国語音と必ずしもきれに対応していない。郡(こほり)は現代日本語では郡(こおり)になり香(かほり)は香(かおり)に変化していること からみて、必ずしも[-p-]のおとをあらわしていると考えなくてもよいのでは あるまいか。
「駒」の古代中国語音は声符「句」にしたがって駒[kio]だと考えられている。日本語では駒(こま)であ
る。日本語の駒は「句+馬」であろう。
「高麗」の古代中国語音は高麗[kô-lyai]である。中国語の[l]は[m]あるいは[p]に転移することがある。 高麗の麗[lyai]は麗[myai]に近い発音であったものと考えられる。「高麗」と
高麗(こま)とよむのは中国語の古い発音を反映している可能性がある。 |
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