第172話  けふ(今日)の語源

 
【けふ(今日)】
馬 (こま)竝(な)めて今日(けふ)吾が見つる住吉(すみのえ)の岸の黄土(はにふ)を萬世(よろづよ)に見む(万1148)
蝦 (かはづ)鳴く清き川原(かはら)を今日(けふ)見ては何時(いつ)か越(こ)え來て見つつ偲ばむ(万1106) 

 「今」の古代中国語音は今[kiəm]であり、語頭の[k-]が介音[-i-]の影響で脱落して、日本語の今(いま)になった。 「今」と同じ声符をもった漢字に矜(キョウ)があり矜持などという語に使う。「矜」の古代中国語音は矜[kiəp]であったと考えられる。中国語音韻史では上古中国語音の[-p][-m]になり、[-t][-n]になり、[-k][-ng]に転移した。「矜」は上古中国語の痕跡を留めている。
 日本語の「けふ」の語源は今[kiəp]であろう。「けふ」を「今日」と表記するのは、 「今(いま)」と「今(けふ)」を区別するための末音添記である。

 【けだし(蓋)】
吾 妹子(わぎもこ)が形見の合歡木(ねぶ)は花のみに咲きて蓋(けだ)しく實(み)に成らじかも(万777)
人 目多み直(ただ)に逢(あ)はずて蓋(けだ)しくも吾(わ)が戀ひ死なば誰(た)が名ならむも(万3105) 

 古代中国語の「蓋」は蓋[kat]である。日本漢字音は蓋(ガイ・ふた・けだし)で ある。「けだし」は蓋[kat]の第二音節が濁音になったものである。語頭の[k-]は調音の位置が喉音に近く、日本語の訓ではハ行で あらわれることがある。

例:[kuət]・ ほね、頬[kyap]・ ほお、掘[giuət]・ ほる、寛[khuan]・ ひろい、
  篋
[keap]・ はこ、干[kan]・ ひる、

 【こ(籠)】
籠 もよみ籠もちふ串もよみふ串持ち是の岳(をか)に菜(な)採(つ)ます兒(こ)(万1)
「籠  古(こ)、竹器なり」(和 名抄) 

 「籠」の古代中国語音は籠[long]である。隋唐時代以前の上古中国語音[l-]には入り渡り音があったと考えられている。日本語 の籠(こ)は上代中国語音籠[hlong]の入り渡り音[h-]が発達したものであろう。
日 本語の「こもる(籠)」は籠[hong]の韻尾がマ行に転移したものであり、「かご(籠)」は籠[hong]の韻尾が「ゴ」であらわれたものである。中国 語の韻尾[-ng]は鼻音であり、マ行に転移しやすい。また、韻尾[-ng]は調音の位置がカ行音と同じであり、唐代以前の中国語音では[-k][-g] であらわれる場合が多い。

 【こ(子・兒)】
秋 芽子(あきはぎ)を妻問ふ鹿(か)こそひとり子に子持てりといへ鹿兒(かこ)じもの吾(わ)が獨子(ひとりご)の草枕客(たび)にし往(ゆ)けば、、(万1790)
た だひとり渡らす兒(こ)は若草の夫(つま)かあるらむ(万1742) 

 万葉集では日本語の「こ」に「子」「兒」などの文 字があてられている。「子」の古代中国語音は子[tziə]であり、「兒」の古代中国語音は兒[njie]である。「兒」と同じ声符をもった漢字に「睨」が あり、睥睨(へいげい)などに使われる。「睨」の古代中国尾音は睨[ngye]である。日母[nj-]と疑母[ng-]は調音の方法が同じ鼻音であり、日母[nj-]は疑[ng-]が口蓋化したものであると考えられる。日本語の 「こ」は上代中国語の兒[ngiə]に依拠したものであろう。

 【こ(蚕蠱)】
た らちねの母が飼ふ蚕(こ)の眉ごもりいぶせくもあるか妹(いも)に逢はずして(万2991) 

 万葉集の時代の日本語では蚕(かいこ)のことを 「こ」ともいう。「かいこ」は「飼う子」であるという説もある。古代中国語の「蚕」は蚕[tzam]である。日本語の「こ」は古代中国語の蠱[ka]に依拠したものであろう。

 【こ(小)】
浪 (なみ)の間(ま)ゆ見ゆる小嶋の濱(はま)久木(ひさき)久しく成りぬ君に逢(あ)はずして(万2753)
眞 野(まの)の池の小菅を笠に縫(ぬ)はずして人の遠名(とほな)を立つべきものか
(万2772) 

 古代中国語の「小」は小[siô]であるとされている。日本漢字音の「小」は小 (ショウ・こ)である。現代北京語の「小」は小(xiao)である。現代中国語の(x-)は摩擦音であるが、古代中国語の[x-]は喉音の閉鎖音であった。このことから、日本語の 小(こ)は上代中国語音の小[xo]から発達したものではなかろうかと考えることがで きる。中国語音韻史のなかで介音[-i-]は隋の初頭あたりから発達してきたものと考えられ ている。

 【ご・ゐご(碁)】
藻島(もしま)の駅家(うまや)の東南の浜に碁子(ごいし)あり。色珠玉(たま)の如し。謂(い)はゆる常陸(ひたち)の國に有らゆる麗(うるは)しき碁子(ごいし)は、唯(ただ)是(この浜耳(のみ)。(常陸風土記多珂郡)

「政 事の隙に相共(とも)に囲碁(いご)す」(続紀天平10年)
弁 正法師は、、、囲碁をよくしたので屢々(しばしば)賞遇を見る(懐風藻) 

 碁(ご)は中国から輸入されたものであり、ことばも文化とともにもたらされた。古代中国語「碁」は碁[giə]である。しかし、古代日本語には濁音ではじまる音節はなかったから、「ご」という発音を受け入れるにはかなりの時間を要した。囲碁(ゐご)は日本語の音韻構造になじんだが碁(ご)が日本語として定着したのは、碁が日本に受け入れられてからかなり後のことである。

 古 代日本語では語頭では清音になり、語中では濁音になるというのが一般的な音韻法則であった。例えば「小林」は「コバヤ シ」である。しかし、日本語の辞書を引いても「バヤシ」ということばはない。「林」は語頭にくると「ハヤシ」であり、語中にくると「バヤシ」になるという ことを誰でもしっているから、辞書には「バヤシ」という項目はない。

 こ のように同じ単語が語の中の位置によって発音が異なる音を音声学では相補分布するといい、同じ音の変異であるとされている。古代日本語では濁音と清音は相 補分布していた。だから「いろは歌」には濁音はない。しかし、中国語では語頭に濁音がくる単語は数多くなり、日本語も中国語の語彙を受け入れることによっ て濁音も語頭にくる音韻体系に変わっていった。

 ハ ングルでは(kopayashi)と書いて(kobayashi)と読む。朝鮮語では古代日本語と同じように濁音と清音は相補分布しているから、同じ文字 を語頭では清音に読み、語中では濁音に読むことで何の不都合も生じない。しがし、現代の日本語では濁音が語頭にくることもあるので清音と濁音を弁別する必 要が生じた。そこで「は」と「ば」を別の文字で表記するようになった。

 碁(ご)のように語頭に濁音がくることばが日本語として受け入れられるようになると「こ」と「ご」は相補分布ではなくなり、別の音として意識されるようになっていった。

 「将棋」の「棋」も棋[giə]である。碁(ゴ)も棋(キ)も同源であるというこ とができる。囲碁の団体は日本棋院であり、将棋の団体は日本将棋連盟である。どちらも「棋」の字を使っている。中国語の介音[-i-]は隋の時代に入ってから発達してきたものだから上 古の中国語音は碁[gə]であった。日本語の碁(ゴ)は中国語の上古音に依 拠したものであり、将棋の「棋」は唐の時代あたりの中国語音にもとづいた発音である。

 【こころ(心)】
他 辭(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み逢(あ)はざりき心ある如(ごと)莫(な)思ひ吾(あ)が背子(せこ)(万538)
東 人(あづまびと)の荷向(のさき)の篋(はこ)の荷(に)の緒(を)にも妹(いも)は情(こころ)に乗りにけるかも(万100) 

 万葉集では日本語の「こころ」に心、情、意、許己 呂、己許呂、許々呂、などの漢字が当てられている。

 古代中国語の「心」は心[siəm]であり、現代北京語では心(xin)である。現代中国語の(x-)は摩擦音であるが、古代中国語の[x-]は喉頭閉鎖音であった。「心」の介音[-i-]発達以前の形を心[xən]と復元できると仮定すれば、日本語の「こころ」は 上古中国語の心[xən]と関係のあることばだということができる。中国語 の喉音[x-][h-]は日本語にはない発音であり、二音節にして続ける ことによって日本語の音韻体系になじむように発音した。また、韻尾の[-n][-l]と調音の位置が同じであり転移したと考えることが できる。魂[khuən] なども近いことばであろう。

 いかがであろうか。語源探しのむずかしいところは古代の音声が消えて しまっていて、残っていないことである。日本と中国との交流は弥生時代、記紀万葉の成立から1000年も前から始まっているに違いない。しかし、文字とし て残っているのは8世紀からである。記紀万葉の時代の文字資料から仮説をたてて音韻変化の法則を探していく。仮説に多くの傍証が得られれば、その仮説は蓋 然性を増していく。仮説は充分な証拠に裏づけられていなければならない。しかし、また仮説は仮説であって反証可能なものでなければならない。

 【こたへ(答・解答)】
答 (こたへ)ぬにな呼び響(とよ)めそ呼子(よぶこ)鳥佐保の山邊を上(のぼ)り下(くだ)りに(万1828)
道 守(みちもり)の問はむ答(こたへ)を言ひやらむすべを知らにと立ちて爪(つま)づく
(万 543) 

 古代中国語の「答」は答[təp]である。日本語の「こたへ」の「たへ」は中国語の 答[təp]に酷似している。日本語の「こたへ」の語源は中国 語の解答[ke-təp]ではなかろうか。ただし、現存する記紀万葉には 「こたへ」を「解答」と表記した例は見あたらない。

 【こと(琴)】
琴 取れば嘆き先立つ蓋(けだ)しくも琴(こと)の下樋(したび)に嬬(つま)や匿(こも)れる(万1129) 

 「琴」の古代中国語音は琴[giəm]である。隋唐の時代以前の上古中国語では韻尾が入 声音で琴[giəp]あるいは[giət]に近いおとだったと思われる。日本語の琴(こと) は上古中国語音の琴に依拠したものである。

 【こと(言)】
吾 (われ)のみぞ君には戀ふる吾(わ)が背子(せこ)が戀ふとふことは言(こと)の慰(なぐさ)ぞ(万656)
松 影の浅茅(あさぢ)が上の白雪を消(け)たずて置かむ言者(ことば)かもなき(万1654) 

 「言」の古代中国語音は言[ngian]である。隋唐の時代以前の上古中国語音は言[ngiat]に近い音だったものと思われる。古代中国語の[-m][-n][-ng]の一部は隋唐の時代以前には入声音[-p][-t][-k]であった。日本語の「こと」は上古中国語音にもと づくものである。

 【こひ・こふ(戀)】
古 (いにしへ)に戀ふる鳥かも弓弦葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡りゆく
(万111)
旅 にして物戀(こほ)しきに鶴(たづ)の音(ね)も聞えざりせば孤悲(こひ)に死なまし
(万67)
 

 「戀」の古代中国語音は戀[liuan]である。古代中国語音の[l-]は隋唐の時代以前の上古音では入り渡り音[h-]があり、戀[hluan]に近い音であったと考えられる。上古音では介音[-i-]も発達していなかった。
 日本語の戀(こひ)は上古中国語の「戀」の転移し たものであろう。中国語の入り渡り音
[h-]がカ行に転移し、[-n][-m]あるいは[-p]に転移した。[-n][-m][-p]はいずれも鼻音であり、調音のしかたが同じであ る。調音のしかたが同じ音は転移しやすい。上古中国語音は隋唐の時代の発音に変化する前のものだから、唐代の中国語音よりも転移が大きいのが一般である。

 【こふ(乞)】
天 地(あめつち)の神祇(かみ)を乞(こ)ひ禱(の)め、、、立ちて居て待ちけむ人は、、
(万442)
前 妻(こなみ)が肴(な)許波佐(こはさ)ば立ちそばの實(み)の無(な)けくを扱(こ)きしひゑね(記歌謡) 

 「乞」の古代中国語音は乞[kiət]である。日本語の「こふ」は中国語の「乞」と同源 であろう。中国語の入声音の韻尾[-p][-t][-k]は現代の上海音では弁別されていない。また北京音 では入声音はすべて失われている。

 日本漢字音では中国語の韻尾[-p][-t]に転移し、あるいは[-ng]と弁別されないものがみられる。
 例:雜
[dzəp]・ザツ、湿[sjiəp]・シツ、接[tziap]・セツ、摂[siap]・セツ、立[liəp]・リツ、
   甲
[keap]・コウ、合[həp]・ゴウ、汲[xiəp]・キュウ、答[təp]・トウ、法[piuap]・ホウ、 

 日本語の「こふ」は中国語の乞[kiət]であろう。日本語では中国語の韻尾[-t][-p]と弁別されていない。

 【こぶ(媚)】
乃 (すなは)ち大國主の神に媚(こ)び附(つ)きて、三年に至るまで復奏(かへりこともを)さず。(記 上) 

 古代中国語の「媚」は媚[miuet]である。隋唐の時代以前の上古音では、少なくとも 江南地方では、頭音の前に入り渡り音[h-]があった。日本語の「こぶ」の語源は上古中国語の 媚[hmiuet]である可能性がある。
参照:海女・あま
(第162話)海・ うみ、梅・うめ(第164話)悔・ くゆ(第170話)

 【こほり(郡)】
所 部(くぬち)遠く隔たり、往来(ゆきき)便(たより)よからざるを以(も)ちて、分ちて多珂(たか)・石城(いはき)の二つの郡(こほり)を置けり。(常陸風土記、多珂郡) 

 「郡」の古代中国語音は郡[giuən]である。日本漢字音では郡(グン・こほり)であら われる。日本語の「こほり」は古代中国語の「郡」に依拠したことばである可能性がある。韻尾の[-n][-l]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。「こほ り」の「ほ」は中国語音と必ずしもきれに対応していない。郡(こほり)は現代日本語では郡(こおり)になり香(かほり)は香(かおり)に変化していること からみて、必ずしも[-p-]のおとをあらわしていると考えなくてもよいのでは あるまいか。

 【こま(駒)】
い で吾が駒(こま)早く去(ゆ)きこそ眞土山(まつちやま)待つらむ妹(いも)を去(ゆ)きて速(はや)見む(万3154)
馬 (こま)竝(な)めて今日(けふ)吾が見つる住吉(すみのえ)の岸の黄土(はにふ)を萬世(よろづよ)に見む(万1148) 

 「駒」の古代中国語音は声符「句」にしたがって駒[kio]だと考えられている。日本語では駒(こま)であ る。日本語の駒は「句+馬」であろう。
 しかし、もし上古中国語音の
[m-]に入り渡り音があったとすれば「馬」は馬[hmea]あ り、「馬」が馬(こま)に近い発音であったことも考えられる。「馬」の発音は上古音では馬(こま)であり、隋唐の時代になって馬(ま)に変化した。上古音 と中古音を同じ「馬」であらわすのは都合が悪いので「こま」には「駒」の漢字をあて、「うま」には「馬」の字をあてて区別した、と考えることができる。

 【こま(高麗)】
高 麗錦(こまにしき)紐の結びも解き放(さ)けず齊(いは)ひて待てどしるし無きかも
(万2975)
 

 「高麗」の古代中国語音は高麗[kô-lyai]である。中国語の[l][m]あるいは[p]に転移することがある。
 例:陸(リク)・睦(ムツ)、來(ライ)・麥(バク)、令(レイ)・命(メイ)、
   嵐(ラン)・風(フウ)、禮(レイ)・豊(ホウ)、戀(レン)・變(ヘン)、
   漏(ロウ・もる)、戻(レイ・もどる)、乱(ラン・みだる)、
   両(リョウ・もろ)、緑(リョク・みどり)、嶺(レイ・みね)、
 

 高麗の麗[lyai]は麗[myai]に近い発音であったものと考えられる。「高麗」と 高麗(こま)とよむのは中国語の古い発音を反映している可能性がある。

☆ もくじ

★ 第161話 古代日本語語源字典 索引

 第173話 こめ(米)の語源