第137話
柿本人麻呂の日本語世界
万
葉集を代表する歌人としてはまず人麻呂をあげるべきであろう。人麻呂はおそらく遊部(あそびべ)に属する巫祝層の出身であった。人麻呂は古歌謡の伝統に
立って、その呪祝儀礼歌を宮廷文学として完成させた人であり、短歌よりもむしろ長歌に人麻呂の特徴がよくあらわれている。次の歌は「近江の荒れたる都を過
ぐる時、柿本人麻呂の作る歌」という詞書がある。
玉
手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 阿礼座師 神之盡 樛木乃 弥繼嗣尒 天下 所知食之乎 天尒満倭乎置而 青丹吉 平山乎超 何方 御念食可
天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 楽浪乃 大津宮尒 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 百磯
城之 大宮處 見者悲毛(万29)
玉
たすき 畝火(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御代(みよ)ゆ あれましし 神のことごと 樛(つが)の木の いや継(つぎ)嗣(つぎ)に
天(あめ)の下(した) しらしめししを 天(そら)に満つ倭(やまと)を置きて 青丹(あをに)よし 平(なら)山を越え いかさまに 思ほしめせか
天(あま)ざかる 夷(ひな)には有れど 石走(いはばしる) 淡海(あふみ)の国の ささ浪(なみ)の 大津(おほつ)の宮に 天(あめ)の下 しら
しめし兼(けむ) 天皇(すめろき)の 神のみことの 大宮は ここときけども 春草の 茂(しげく)生(おひたる) 霞(かすみ)立(た)ち 春日(か
すが)の霧(きれ)る 百磯城(ももしき)の 大宮(おほみや)どころ 見れば悲しも
人麻呂の長歌の表記には音と訓が自由に使われている。音は漢字の意味を捨てて日本語の音をあらわしたものである。訓は漢字の音を捨てて漢字と意味を同じく
する「やまとことば」を表記したものである。しかし、その組み合わせはかなり複雑であり、正訓のほかに、訓の読みを借りて、その意味とは関係のないことば
に転用したものもみられる。
借訓の例:日知(ひじり)=聖人、食(めす)、
兼(けむ)、
人麻呂の長歌に使われている訓読みの漢字につい
て、その語源をたどってみると次のようになる。
○手(た・て)。 万葉集では音読みを主としてい
る巻5でも「手」は手(て・た)であり手(× シュ)という読み方はない。「手」を音符とした漢字では拿捕(ダホ)などがあり、手
(シュ)は 手(て)がわたり音(i介音)の影響で拗音化したものであろう。ベトナム
漢字音では「手」は手 (thu)でり、古い江南音の痕跡を留めている可能性があ
る。
○火(ひ・ほ)。 万葉集では音表記を主とした巻
でも「火」は火(ひ・ほ)であり、火(×カ)と いう読みはない。「火」の古代中国語音は火[xuəi]であり、日本漢字音では火(カ)に転用されてい る
が、古代日本語ではハ行で受け入れられた。ほかに灰(はい・カイ)、閑(ひま・カン)、脛 (はぎ・ケイ)、華(はな・カ)などの例がある。
○日知(ひじり)。 「日」は朝鮮語の日(hae)からの借用語である。「知」は万葉集では知(し・
し る・チ)であり、巻5では主として知(チ)に用いられている。「知」の古代中国語音は知[tie]であ る。日本語の「チ」はチ(chi)であり、知(ti)とはちがう。そのため、万葉集以前には日本語では
知 (し・しる)として日本語に受け入れられ、万葉集の時代の音では知(チ)と発音されるように なったのであろう。いずれにしても、中国語からの借用語であ
り、音は転移している。
○原(はら)。 「原」の古代中国語音は原[ngiuan]である。中国語の[ng-]は一般にガ行で日本語に受 け入れられるが、[ng-]は調音の位置が喉音[h・x]に近く、火(ひ)、灰(はい)などと同じく、ハ行
で受け入れられた可能性がある。韻尾の[-n]はラ行音と調音の位置が同じであり、日本の古地名
なで ではラ行で発音されるものが多い。敦賀(つるが)、駿河(するが)など。
○御(み)。 万葉集では「御」が御(&
times;ゴ・ギョ)と発音される例はなく、音を主体とした 巻でも御(み)である。「御」の古代中国語音は御[ngia]である。日本語には[ng-]ではじまる音節は なく、[ng-]と調音の方法が同じ鼻音のマ行に転移したものであ
る。ほかに、例としては芽(め)、眼 (め)、御(み)、元(もと)などがある。「御」を御(お)と読むのは朝鮮漢字音による御(eo)に 依拠したものである。
○世(よ)。 万葉集では「世」は世(よ・セ)で
ある。「世」の古代中国語音は世[sjiat]であると考 えられている。韻尾に[-t]がついているのは排泄など、同じ声符をもった漢字
の韻尾に泄(セツ)と いう音が残っているからである。白川静の『字通』によると、「世sjiat、葉jiapほ声義が近」いとい う。サ行の頭音がわたり音(i介音)の影響で脱落した例は数多く見られる。詳・
羊、秀・誘、傷・ 陽、序・予、徐・余、など。
○
神(かみ)。 神(シン)の声符である「申」には乾坤のようにカ行の音があった可能性がある。 日本語の神(かみ)は中国語の「申」にカ行音があった時代の
痕跡を留めているものと考えられ る。同じ声符号の漢字がカ行、サ行に読みわけられるものとしては、伎・枝、祇・氏、碁・棋、耆 (伯耆)・旨、臼・舅、など
をあげることができる。
○弥(いや)。 万葉集では「弥」は弥(いや・い
よよ・ミ)に使われている。「弥」の声符は 「尒」であり、弥(ミ・ビ)、爾(ニ・ジ)、弥のほかに邇(ニ・ジ)、祢(ネ・デイ)などの読 みがある。「爾」
の古代中国語音は爾[njiai]であり、いわゆる日母に属する。日母に属する漢字
の朝 鮮漢字音は日本(il-bon)などのように頭子音が規則的に脱落する。弥生(や
よい)、弥栄(やさか) などは朝鮮漢字音の影響を受けたものである。人麻呂の弥(いや)も朝鮮漢字音の影響を受けた用 法である。
○天(あめ・そら)。 万葉集では「天」は天(あ
め)にも天(そら)にも使われている。天の古代 中国語音は天[thyen]である。[th-]は中国語音韻学では次清音と呼ばれ、日本語にはな
い帯気音であ る。天(あめ)は天[thyen]の頭子音が脱落したものである。日本語では韻尾の[-n]と[-m]を弁別しない から、韻尾はマ行になった。天(そ
ら)はやまとことばの「そら」に「天」の字をあてた訓読みで あり、天(あめ)は中国語からの借用語が転移したものである。万葉集では「そら」には、「天」
のほか「虚」、「空」などもあてられている。
○満(みつ)。 「満」の古代中国語音は満[muan]である。韻尾の[-n]は[-t]と調音の位置が同じであ り、転移しやすい。「満」
も満[muat]に
近い音であった時代があったものと思われる。万葉集では 「満」は満(みつ・たる・マ)であって満(×マン)という例はない。日本漢字
音の韻尾
が「ン」 で訓がタ行音であるものとしては、次のような例をあげることができる。音(おと・オン)、肩 (かた・ケン)、堅(かたい・ケン)、管(くだ・カ
ン)、琴(こと・キン)、幡(はた・ハ ン)、盾(たて・ジュン)、など。
○倭(やまと)。 万葉集では「やまと」は
「倭」、「夜麻登」、「山跡」、「日本」などと表記さ れている。中国人が東夷を倭(ワ)と呼んでいたものを、文字だけ借用して「やまと」にあてたも のであ
る。
○丹(に)。 丹[tan]は、白川静の『字通』によれば、旃[tjian]に声が近いという。「丹」に丹[tjian]に 近い音があったとすれば、丹(に)は、わたり音
(i介音)の影響で頭音が脱落したものであろう。
○山(やま)。 中国語の山[shean]の頭音が脱落したものであろう。
○淡海(あふみ)。 淡海の「海」の声符は毎[muə]で
あり、海(うみ・み)は中国語音の転移したも のである。万葉集では「海」は海(うみ・み・わた)であり、音読を主とする巻でも海(×
カイ) に
は使われていない。海(うみ)は梅(うめ)、馬(うま)のように頭母音を添加したものであ り、海(わた)は朝鮮語の訓読みである。
○津(つ)。 「津」の古代中国語音は津[tsien]である。津(つ)は中国語の韻尾[-n]が脱落したもの である。中国語の韻尾が脱落した例
は万葉集には数多くみられる。田(た・デン)、邊(へ・ヘ ン)、帆(ほ・ハン)、酸(す・サン)、眼(め・ガン)など。
○宮(みや)。 日本語の宮(みや)は宮(キュ
ウ)とは対応していないが、廟[myô]と関係のあるこ とばである可能性がある。廟は中国
では、もと朝礼を行うところであり、祖先の霊を尊ぶところだ という。
○兼(けむ)。 万葉集では兼(かね・けむ)に使
われていて兼(×ケン)という音はまだない。所 知食(しらしめし)兼(けむ)のような使い方は「兼」の音を借用して「やまとことば」
にあてた もので、中国語の意味とは関係がない。
○乃(の)・能(の)・之(の)。 乃(の)、能
(の)は漢字の音が近いものを日本語の助詞に援 用したものである。「畝火之(の)山乃(の)」、「所知食之(シ)乎」のように「之」は之 (の)にも之
(シ)にも使われている。之(の)は中国語の語法を借用したものである。
中国語の「之」は日本語の之(これ)にあたる。また、中国語には「古之道也」(古(いにしえ) の道なり)、「是人之所悪也」(これ人の悪(にくむ)とこ
ろなり)など、日本語の助詞「の」に あたるような用法もあることから日本語の表記に援用されたものである。
○言(こと)。 「言」の古代中国語音は言[ngian]である。韻尾の[-n]は調音の位置が[-t]と同じで転移 しやすい。言(こと)は前出の満(み
つ)と同じく、中国語からの借用語である。言(こと)、満 (みつ)が古く、言(ゲン)、満(マン)は万葉集では使われていない。
○春草(はる・くさ)。春(はる)、草(くさ)の
日本漢字音は春(シュン)、草(ソウ)であり、 音と訓はあまり関係がないようにみえる。しかし、春[thjiuən]の頭音は帯気音であり喉音[h-]に近い。 韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じであり、春(はる)は中国語の
「春」の転移である可能性があ る。また、草[tsu]は日本語の草(く・さ)の一部になっている可能性
がある。
○霞(かすみ)。 霞(かすみ)の「か」は中国語
の霞(カ)をあらわしている可能性がある。霞 (か)つ霧(む)が日本語に「かすみ」になった可能性がある。「つ」は庭つ鳥、沖つ波の「つ」 である。
○立(たつ)。 「立」の古代中国語音は立[liəp]であり、日本漢字音は立(リュウ・リツ)である。
古代日本語ではラ行音が語頭にたつことはなかった。そのため、語頭の[l-]の音が日本語ではタ行で あらわれることがしばしば
ある。例:龍(たつ)、瀧(たき)、粒(つぶ)、蓼(たで)、卵(た まご)、隣(となり)、旅(たび)。
○春日(かすが)。 春日の日(ガ)は朝鮮語の日(hae)がカ行に転移したものである。朝鮮語の漢 (han)、韓(han)などは日本語ではカ行であらわれる。
○百磯城(ももしき)。 百磯城の城(き)は百済
語である。李基文の『韓国語の歴史』によると、 「百済語で「城」を意味する語が*ki(己、只)であったことは確実である」(p.48)とある。
○見(みる)。 中国語の看、観、監、鑑、瞰、
見、現、顕などみな見(みる)に関係のあることば である。中国語の江南音では海(hmai)のようにmの前に入りわたり音(h-)がみられることがある。海 (うみ)はhが脱落した
形であり、上海(シャンハイ)などの海(ハイ)は入りわたり音(h-)が発達 したものである。日本語の見(みる)も入り
わたり音hが脱落したものである可能性がある。
○
者(ば)。 者(は・ば)は中国語の用法を借用したものである。 中国語の「者」は「もの(人 間)」をあらわす。「如之者、不如好之者、好之者、好之者、
不如楽之者」(これを知る者は、こ れを好むものに如(し)かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如(し)かず)のごとくであ る。しかし、中国語には「政
者正也」(政は正なり)、「夫達也者。質直而好義」(それ達とは質 直にして義を好むなり)、「子日君子道者三」(子日く、君子の道なるものは三)などの用
法もあ る。中国語には基本的に助詞は日本語にくらべると少ないから、日本語の表記のためには、このよ うな中国語の用法を援用したのである。ただし、日本語
では助詞をたようするため、「者」の多い 漢文は和臭があるといって避けられた。
万葉集で訓といわれている「やまとことば」のな
かにはかなり中国語からの借用語が含まれていることがわかる。
【中国語からの借用語】手(た)、火(ひ)、知(しる)、原(はら)、御(み)、世(よ)、神(かみ)、 弥(いや)、天(あめ)、満(みつ)、山(やま)、念(おもふ)、海(うみ)、浪(なみ)、津
(つ)、 宮(みや)、兼(けむ)、言(こと)、立(たつ)、見(みる)、 【朝鮮語からの借用語】日(ひ)、弥(いや)、春日(かすが)、百磯城(ももしき)、
【
訓(やまとことば)】玉(たま)、次(すき)、畝(うね)、之(の)、橿(かし)、従(より)、座(ます)、盡(ことごと)、樛(つが)、木(き)、繼
(つぎ)、嗣(つぎ)、下(した)、 食(めす・おす)、倭(やまと)、置(おく)、而(て)、青(あを)、倭(やまと)、丹(に)、吉(よし)、平(な
ら)、超(すぎる)、何方(いかさま)、離(さかる)、夷(ひな)、 雖(いへども)、有(ある)、石(いは)、走(はしる)、淡(あは)、國(くに)、者
(は)、 楽浪(ささなみ)、大(おほ)、天皇(すめろき)、此間(ここ)、云(きく)、春(はる)、草(くさ)、茂(しげく)、生(おふ)、霞(かす
み)、霧(きり)、處(ところ)、悲(ななし)、 【音】乃(ノ)、阿(ア)、礼(レ)、師(シ)、乎(ヲ)、尒(ニ)、可(カ)、能(ノ)、 等(ト)、流(ル)、毛(モ)、
万葉集の訓読みの漢字は漢字本来の音を捨て、やまとことばと義を同じくするものを選んだものだと説明すれば一番簡単である。しかし、訓読みといわれている
漢字のなかにも万葉集の成立以前の時代に中国語、あるいは朝鮮語から「やまとことば」のなかに入ってきて、万葉集の時代には「やまとことば」として定着し
ていたものがかなりある。
音読みの漢字の読み方は呉音を基本とする。漢音は用いられていない。しかし、漢和辞典にいう呉音とは少し違う読み方を
するものもある。例えば津(つ・シン)は音訓ともに中国語音の転移したものであるが、津(つ)はタ行であり、韻尾の「ん」が脱落している。万葉集の時代に
は津(シン)という呉音はない。
万葉集の時代の漢字の使い方は平安時代に定着し
た、呉音・漢音・訓という漢字の読み方とは違う体系をもっている。
和語(訓・やまとことば)
|
借用語(弥生音)
|
和音(呉音に近い)
|
玉(たま)、倭(やまと)、
春(はる)、草(くさ)
|
海(うみ)、浪(なみ)、
神(かみ)、日(ひ)
|
阿(ア)、可(カ)、師(シ)、
尒(ニ)、乃(ノ)、能(ノ)、
|
和音には漢和辞典で呉音とされている音の違う用法
もみられる。(万葉集=ひらがな・漢和辞典の呉音=カタカナ)
知(し・チ)、毛(も・モウ)、乃(の・ナイ)、
弖(て・国字)、良(ら・ロウ)、
珠(ず・シュ)、礼(れ・ライ)、問(も・モン)、
わ
が国の古代文化は、初期農耕の時代からすでに、中国大陸や朝鮮半島の先進地帯から影響を受けながら発展した。中国製の銅鐸などの青銅器や鏡が西日本を中心
にかなりの数出土している。当時鋳剣などのことにたずさわる者はみな渡来者であり、後に文字にかかわることになる史(ふひと)もまた朝鮮半島からの渡来者
であった。
万葉集は5世紀の雄略天皇の歌ではじまり、最後は
大伴家持の天平宝字3年(759年)の春に新年を寿ぐ歌で終わっている。その期間は300年にも及ぶ。
人麻呂の歌が
作られたのは680年から709年の間である。万葉集に収める天智期の歌や天武期の歌も、おそらく万葉集編纂の時代の歌というよりは伝承者の手を経ている
ものであろう。天智期には百済の滅亡によって多くの人が朝鮮半島から渡ってきた。人麻呂は天智・天武の諸皇子と交渉をもっていたらしい。
次の歌は「吉野の宮に幸しし時、柿本人麻呂の作る
歌」とある。
八
隅知之 吾大王之 所聞食 天下尒 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尒 宮柱 太敷座波 百磯城乃 大宮
人 船并弖 旦川渡 舟競 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高思良珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可問(万36)
や
すみしし 吾(わご)大王(おほきみ)の きこしめす 天(あめ)の下(した)に 国(くに)はしも さはには有(あれ)ど 山川の 清(きよ)き 河内
(かふち)と 御心(みこころ)を 吉野の国の 花散(ちら)ふ 秋津(あきづ)の野辺(のべ)に 宮柱(みやはしら) ふとしきませば 百磯城(ももし
き)の 大宮人は 船(ふね)並(な)べて 朝川渡り 舟(ふね)競(きほひ) 夕河渡る この川の 絶(たゆる)ことなく この山の 弥(いや)高しら
す 水たぎつ 瀧(たき)の宮子(みやこ)は 見れども飽(あ)かぬかも
この歌の漢字を和語(訓・やまとことば)、借用
語(弥生音)、和音(呉音)に分けてみると次のようになる。
【和
語】八(や)、隅(すみ)、之(の)、大王(おほきみ)、所聞(きこす)、食(めす)、下(した)、國(くに)、者(は)、澤(さは)、雖有(あれど
も)、川(かは)、内(うち)、跡(と・ど)、心(こころ)、吉野(よしの)、相(あふ)、秋(あき)、宮(みや)、柱(はしら)、太(ふとい)、敷(し
く)、座(ます)、人(ひと)、并(なべる)、旦(あさ)、渡(わたる)、競(きほふ)、此(これ)、事(こと)、高(たかい)、激(たぎつ)、見(み
る)、不飽(あかず)、
【借用語】吾(あ)、天(あめ)、山(やま)、清
(きよい)、河(かは)、御(み)、花(はな)、散(ちる)、津(つ)、野(の)、邊(ベ)、百磯城(ももしき)、船・舟(ふね)、夕(ゆふ)、絶(たへ
る)、弥(いや)、水(みず)、瀧(たき)、子(こ)、
【和音】知(シ)、之(シ)、尒(ニ)、思
(シ)、毛(モ)、二(ニ)、乎(ヲ)、乃(ノ)、波(バ)、弖(テ)、奈(ナ)、久(ク)、良(ラ)、珠(ズ)、礼(レ)、可(カ)、問(モ)、
柿本人麻呂の語彙のなかには「やまとことば」だ
けでなく、中国語や朝鮮語からの借用語も数多く含まれている。
○吾(あ)。 「吾」、「我」の朝鮮漢字音は吾(o)、我(a)であり、万葉集にみられる吾(あ)、我 (あ)はい
ずれも、疑母[ng-]が脱落する朝鮮式発音の影響を受けたものである。
○清(きよい)。 「清」の音、清(セイ)と訓の
清(きよい)とは関係がないようにみえる。しか し、同じ声符をもった漢字にはカ行とサ行に読み分けるものが数多くみられる。伎(ギ)・枝 (シ)、勘(カ
ン)・甚(ジン)、坤(コン)・神(シン)、感(カン)・鍼(シン)、 堅(ケン)・腎(ジン)、喧(ケン)・宣(セン)、公(コウ)・頌(ショウ)などである。台湾 の音韻学者である董同龢は『上古音韻表稿』のなかで、上古
音はカ行であったとしている。「清」 の現代の北京音は清(qing)である。
○河(かは)。 「河」の古代中国語音は河[hai]である。中国語の[h]は
日本語にはない喉音であり、 現代の日本漢字音では調音の位置の近いカ行であらわれるが、古代においてはハ行であらわれるも のもみられる。火(ひ・カ)、灰
(はい・カイ)、脛(はぎ・ケイ)などである。河(かは)は河 (カ)と河(ハ)を合わせた両音併記(新羅の郷歌などにみられる両点)であろう。華(はな・
カ)花(はな・カ)なども中国語音と関係のあることばである。
○
野(の)。 「野」の声符は「予」である。「予」を声符とする漢字には序(ジョ)、預(ヨ)な どがある。万葉集や古事記では「杼」が杼(ド)に使われてい
る。見礼杼安可奴香聞(万 3926)「みれどあかぬかも」などである。漢和辞典では杼(ジョ)という読み方しか記されて いないが、杼(ド)という音があっ
たとすれば日本語の野(の)は中国語からの借用語である可能 性が高い。古代日本語では濁音が語頭に立つことがないから、野(ド)は野(ノ)に転移したもの
と考えられる。
○船・舟(ふね)。 白川静の『字通』によると
「舟はもと盤と同形で、盤の初文は般は舟に従う」という。日本語の船・舟(ふね)は盤[buan]の転化したものである。
○夕(ゆふ)。 白川静の『字通』によると夕[zyak]は「昔syak、夜jyakも声近く、同系の語である」 という。夜(よる・
や)と夕(ゆふ)は音義ともに近い。
○絶(たへる)。 白川静の『字通』によると「絶[dziuat]、断[duan]は声義近く、糸などの切断をいう 字」だという。絶
(たへる)は中国語音の転移したものである。
○水(みず)。 水(みず)は朝鮮語の水(mul)と同源である。
○瀧(たき)。 瀧(たき)は中国語の瀧(ロウ)
の転移したものである。古代日本語ではラ行音が 語頭に立つことがなかったから、語頭の[l-]は日本語ではタ行に転移したものが多い。龍(た
つ・ リュウ)、立(たつ・リツ)、粒(つぶ・リュウ)、蓼(たで・リョウ)、連(つらなる・レ ン)、留(とどまる・リュウ)、など。
○
子(こ)。 日本語ではカ行であらわれ、漢字音ではサ行であらわれ意味が中国語の漢字の意味と 同じものが、子(こ・シ)のほかにもいくつかある。之(こ
れ・シ)、此(これ・シ)、是(こ れ・ゼ)、臭(くさい・シュウ)、辛(からい・シン)、神(かみ・シン)、小(こ・ショウ)、 焦(こげる・ショウ)、
鉦・鍾(かね・ショウ)、上(かみ・ジョウ)、杵(きね・ショ)、車 (くるま・シャ)、など。これらのことばは中国語の転移したものである可能性が高い。
「杵」の 声符は午(ゴ)であり、「車」の古代中国語音は車[kia]である。「車」の朝鮮漢字音は車(keo)であ る。日本語の車(くるま)は「車」あるいは
「輪」に関係のあることばであろう。
ここでやまとことばとしておいたことばのなかに
も借用語あるいは借用語から転移したのではないかと思われることばもある。
○王(きみ)。 王[hiuang]は皇[huang]と近い。万葉集では「おほきみ」に大王、大皇、天
皇、王、皇 などが使われている。「きみ」は君、公が使われている。
○國(くに)。 スウェーデンの言語学者カールグ
レンは日本語の「くに」は中国語の郡[giuən]であ ろうとしている。万葉集では「くに」は国、
邦、地、本郷が使われていて、郡を「くに」と読む例 はない。漢の植民地だった楽浪郡などは中国からみれば、郡であろうが、楽浪郡の人びとにとって は郡(く
に)であった可能性はある。
○心(こころ)。 「こころ」の語源は不明であ
る。「心」の現代北京音は心(xin)で辛(xin)と同じであ る。辛(シン)に辛(からい)という読
みがあり、神(シン)に神(かみ)という読みがあるので あれば「心」にも心(から)あるいは心(かみ)というカ行音の読み方が古代にあったと考えられ る。
魂(コン)も心(こころ)に近い。現代の北京音では「心」は心(xin)、「魂」は魂(hun)である。 いずれも喉音である。中国語の喉音は日本
語ではカ行であらわれることが多い。
日本語では中国語の頭音を二つ重ねることはよくあ
ることである。鏡(かがみ・キョウ)、鑑(かがみ・カン)、光耀(かがやく・コウヨウ)、金(こがね・キン)、掛(かける・ケイ)、掲(かかげる・ケ
イ)、括(くくる・カツ)などである。
韻尾の[-n/-m]がラ行に転移することはしばしばある。駿河(する
が)。敦賀(つるが)、播磨(はりま)、などの古地名にもその痕跡は残されている。ナ行音とラ行音は調音の位置が同じである。
日
本語の心(こころ)が中国語の心(シン)と同源であるかどうかは、残された文字資料だけからは立証することはむずかしい。しかし、日本語の心(こころ)は
中国語の「心」と意味の対応があり、現在の発音はかなり乖離しているように見えるが、音韻変化の法則に合致しているようにもみえる。
○
此(これ・シ)。 之(これ・シ)、是(これ・ゼ)、子(こ・シ)、小(こ・ショウ)などの漢 字音が訓にその痕跡を残す、摩擦音化する前の古代中国語音を
継承するものだとすれば、これらの 漢字は弥生時代以降のいずれかの時代に日本語が中国語から借用したことばということになる。音 がサ行で、訓がカ行である
のは偶然の一致だとみれば、中国語の意味に近い「やまとことば」を訓 としてあてはめた、ということになる。
安
見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尒 高殿尒 高知座而 上立 國見乎為勢婆 畳付 青垣山 山神乃 奉御調等 春部者 花挿頭
持 秋立者 黄葉頭刺理 逝副 川之神母 大御食尒 仕奉等 上瀬尒 鵜川乎立 下瀬尒 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨(万38)
や
すみしし 吾(わご)大王(おほきみ) 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内(かふち)に 高殿(たかどの)を 高しりまして のぼり立(たち)
国見(くにみ)をせせば 畳(たたな)づく 青垣(あをかき)山 山(やま)つ神(み)の まつる御調(みつき)と 春べは 花かざし持ち 秋立てば
黄葉(もみぢ)かざせり ゆきそふ 川の神も 大みけに つかへまつると上つ瀬に 鵜川(うかは)を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山
川も 依りてつかふる 神の御代(みよ)かも
○長(ながい)。 「長」の古代中国語音は長[diang]である。わたり音(i介音)が発達するまえの音 は[dang]に
近かったはずであり、古代日本語は濁音が語頭に来ることはないから日本語では長(な が)となったと考えられないことはない。同じような例としては眺(なが
め・チョウ)、暢(のび る・チョウ)、銚(なべ・チョウ)などがある。古代の言語世界はかなりの確信をもって再構でき るものと、そうでないものがある。資
料が限られているのでやむをえないことである。
○高殿(たかどの)。 殿(どの)は殿[dyən]の韻尾に母音が添加されたものである。殿(との)
も君 (きみ)も中国語起源の日本語である。
○畳(たたな・たたみ)。 「畳」の古代中国語音
は畳[dyap]である。似た音の漢字としては蝶[thyap] がある。蝶は旧かなづかいでは蝶(テフ)と書い
た。日本語の畳(たたみ)は語頭音が重畳とな り、韻尾の[-p]が鼻濁音化したものであると考えることができる。
同類のことばとしては弔(とむら う・チョウ)、吊(つる・チョウ)、塚(つか・チョウ)、釣(つり・チョウ)、鳥(とり・チョ ウ)、鯛(たひ・チョウ)な
どがある。
○御調(みつき)。 調[dyô]が調(つき・チョウ)となった可能性がある。
「調」には調(ととのえ る)の読みもある。
○黄葉(もみぢ)。 平安時代以降は紅葉を使用す
るが、万葉集では紅葉は「紅葉散筒」(万 2201)(もみぢちりつつ)だけである。万葉集では黄葉、秋黄、黄變、黄などが多く用いられ ている。黄[huang]と紅[hong]は中国語原音が近い。日本語の黄(き)、紅(くれ
なゐ)も中国語と関 係のあることばであろう。「もみぢ」ということばは中国語とは関係がない。
○鵜(う)。 鵜[dyei]は鵜(う)に用いられているが鳥の「う」の語源は
烏[a]である。
○依(よる)。 日本語の「よる」は中国語の依[iəi]を日本語として活用させたものである。
○鴨(かも)。 「鴨」の音は鴨(オウ・アフ)と
されているが、鴨の声符は甲であり、鴨も鴨[keap] という中国語音があった時代があったものと思われ
る。日本語の鴨(かも)は中国語の「鴨」によ る。
次の歌は「軽皇子(かるのみこ)の安騎(あき)
の野に宿りましし時、柿本人麻呂の作る歌」とされている。
八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐
備世須等 太敷為 京乎置而 隠口 乃 泊瀬山者 眞木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尒 旗須
為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而(万45)
や
すみしし 吾(わご)大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子(みこ) 神ながら 神さびせむと ふとしかす 京(みやこ)を置きて 隠口(こもりく)の
泊瀬(はつせ)の山は 眞木(まき)立つ 荒(あら)山道を 石(いは)が根(ね) さへき押(お)しなべ 坂鳥の 朝(あさ)越えまして 玉かぎる 夕
(ゆふ)去(さ)り来(く)れば み雪(ゆき)ふる 阿騎(あき)の大野に 幡(はた)すすき しの押(お)しなべて 草枕 たびやどりせす 古昔(いに
しへ)念(おも)ひて
○照(てる)。 照(てる・ショウ)の古代中国語
音は照[tjiô]である。しかし、中国語音韻学の知見に よると、中
古(随唐の時代)音における照[tj-]・穿[thj-]・神[dj-]の3母は上古の時代(随唐以前)の端 [t-]・透[th-]・定[d-]から分岐したものである、という。つまり、「照」
の上古音は照[tiô]あるいは[tô]に
近い音だったということになる。そこで、現代の日本漢字音で「ショウ・チョウ」と発音されてい るもののなかに訓の韻尾がラ行で終わるものはないか探してみ
ると、吊(つる)、釣(つる)、鳥 (とり)、昇(のぼる)、乗(のる)、城(しろ)などがあることがわかる。これをもって十分な 例とするかどうかは、意見
の分かれるところであろう。
○泊瀬(はつせ)。 泊瀬は大和の国の地名で今は
初瀬とか長谷と書く。泊は舟の碇泊に適したとこ ろ。瀬は浅瀬をいう。泊瀬(はつせ)は朝鮮語の百済(paek-je)に近く、渡来人の住み着いたところで あろう。済は
「わたり」である。
○眞木(まき)。 眞(ま)は眞[tjien]の頭音がわたり音(i介音)の発達によってうしなわれたもので ある。木
(き)の語源は枝[tjie]であろう。枝の声符は支であり、同じ声符をもつ漢
字に「伎」があ る。カ行音が古く、サ行音は摩擦音化したものである。
○根(ね)。 根(ね)は根[kən]の頭音が脱落したものであろう。眞(ま)はマ行で
あり、根(ね) はナ行であるが、日本語では中国語の韻尾[-n]・[-m]を弁別しない。
○押(おす)。 中国語の韻尾は[-p]・[-t]・[-k]で
あり、「ス」で終わる音節はない。しかし、日本語 では「す」をつけて動詞にすることがある。癒(いやす)、交(かわす)、期(きす)、刺(さ す)、指(さ
す)、射(さす)、挿(さす)、捜(さがす)、死(しす)、出(だす)、屯(たむ ろす)、照(てらす)、点(ともす)、流(ながす)、伏(ふす)、付(ふ
す)、満(みたす)、 黙(もだす)など。また、足(たす)は朝鮮語の足(tari)に依拠したものである。
○鳥(とり)。 現代の北京語では「鳥」は鳥(diao/niao)である。日本語の鳥(とり)は中国語の 「鳥」の転
移したものである。
○限(かぎる)。 「限」の古代中国語音は限[hean]である。日本語の限(かぎる)は中国語の「限」 の
頭音が重複し、韻尾の[-n]がラ行に転移したものである。頭音[h-]は日本語にはない喉音であり、し かも濁音である。
日本語では濁音は語頭に立たない。そのため清音と濁音を重ねて受け入れやすく したものである。韻尾の「ン」はラ行と調音の位置が同じであり、転移しやす
い。
○
落(ふる)。 万葉集では「ふる」に「落」、「零」が使われている。「降」は使われていない。 白川静の『字通』によると、中国語では「降」は神が降下する
こと、天孫降臨などの場合に用いる ことばであり、「落」は雨、露についていることばであるという。「零」は雨が降ることから、草 木の衰えて散ることを零落
といい、人のうれぶれることもいうという。宮田一郎編著『上海語常用 同音字典』によると、上海語音では落(hlot)、零(hlin)であり、頭音(l-)の前に入りわたり音(h)が聞こえ るという。古代の日本語が江南地方の中国
語の影響を受けているとすれば、万葉集の落(ふる)、 零(ふる)は現代の上海語音にみられる入りわたり音(h)の痕跡を留めている可能性がある。
○旗(はた)。 現代の漢字の用法では旗(はた・
キ)である。しかし、日本語の「はた」は中国語 の幡[phiuan]を語源とすることばである。可能性がある。中国語
の韻尾[-n]は[-t]から転移したものがみ られる。音(おと・オン)、
管(くだ・カン)、琴(こと・キン)、肩(かた・ケン)、盾(た て・トン)、などである。[-n]と[-t]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国の
音図である 『韻鏡』でも[-n]と[-t]は同じ音図のなかで異音として収められている。
○
寸(き)。 万葉集では「寸」は寸(キ)に使われている。日本漢字音のサ行音のなかには古代中 国語音がカ行であったとみられるものがかなりある。伎
(ギ)・枝(シ)、勘(カン)・甚(ジ ン)、活(カツ)・舌(ゼツ)、坤(コン)・神(シン)、感(カン)・鍼(シン)、堅(ケ ン)・腎(ジン)、喧(ケ
ン)・宣(セン)、公(コウ)・頌(ショウ)などである。このことは すでに指摘した。サ行音はわたり音(i介音)の発達により摩擦音化したものである。
○
取(とる)。 日本漢字音のサ行音のなかにはタ行音の摩擦音化したものもかなりみられる。これ についても照(てる・ショウ)のところで指摘したとおりであ
る。ほかに例としては衝(つく・ ショウ)、舂(つく・ショウ)、床(とこ・ショウ)、丈(たけ・ジョウ)、常(つね・ジョ ウ)、出(でる・シュツ)、苫
(とま・セン)、時(とき・ジ)、垂(たれる・スイ)、などがあ げられる。
また、漢字音でも同じ声符をもった漢字をタ行とサ
行に読み分けるものが多くみられる。
多(タ)・侈(シ)、陀(ダ)・蛇(ジャ)、堆
(タイ)・推(スイ)、脱(ダツ)・説(セ ツ)、壇(タン)・氈(セン)、単(タン)・戦(セン)、迭(テツ)・失(シツ)、轉(テン)・専 (セン)、点(テン)・占(セン)、途(ト)・除(ジョ)、都(ト)・諸(ショ)、土(ド)・社 (シャ)、
これらはタ行音が古く、サ行音はわたり音(i介音)の発達により摩擦音化したものである。
日本漢字音には音と訓があり、音には呉音と漢音
があるとされている。万葉集は呉音で書かれているともいう。しかし、万葉集を代表する歌人のひとりである柿本人麻呂の長歌について調べてみると、人麻呂の
日本語について次のようなことが明らかになる。
1.人麻呂の時代にはまだ漢音は伝えられていない。
2.呉音のなかでも「ン」で終わる音はなく、ナ行また
はマ行の母音を添加して二音節のことばとして日本語のなかに取り入れている。
3.万葉集の時代の日本語には「キョウ」、「シュウ」
などの音節はなく、中国語音の[-ng]など古代日本語の音節にない音はカ行音・ラ行音な
どに転移している。
4.訓といわれている「やまとことば」のなかには、古
代中国語音からの借用語であるものが含まれており、隋唐の時代以前の中国古代音の痕跡を留めているものがある。
5.訓のなかには日(ひ)、水(みず)なとのように朝
鮮語と同源のものが含まれている。
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