第136話
万葉集の漢字音・和音と弥生音
万葉集は呉音で書かれているといわれている。万葉集の史(ふひと)は中国語を表記するために作られた漢字で、音韻体系の異なる日本語をどのように表記した
のだろうか。そして、万葉集の時代の日本語はどのような音韻体系をもっていたのだろうか。万葉集のなかでも音主体の巻として知られる巻5について検証して
みることにしたい。
余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余
麻須万須 加奈之可利家理(万793) 大伴旅人 伴之伎与之 加久乃未可良尒 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左(万796) 山上憶良 波漏々々尒 於忘方由流可母 志良久毛能 知弊仁邊多天留 都久紫能君仁波(万866) 吉田宣 於登尒吉岐 目尒波伊麻太見受 佐容比賣我 必礼布理伎等敷 吉民萬通良楊満(万883) 三島王
世の中は むなしきものと 知る時し いよよます
ます 悲しかりけり(大伴旅人) はしきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ(山上憶良) はるばるに 思ほゆるかも 白雲の 千重にも 隔てる 筑紫の国は(吉田宣) 音に聞き 目には未だ見ず 佐用嬪が 領布振りきとふ 君松浦山(三島王)
大伴旅人の歌についてみると牟(ム・
ボウ)、母(モ・ボ)、流(ル・リュウ)、家(ケ・
カ)と概ね呉音(下線)が使われているようにみえる。しかし、万(マ)は呉音でも漢音でもない。「万」の呉音は万
(マン)、漢音は万(バン)である。
これは、万葉集の時代の漢字未熟であったからではなく、万葉集の時代には万(マン・バン)という漢字音がなかったからではなかろうか。山上憶良の歌では伴
(ハ)、吉田宣の歌では仁(ニ)、邊(ヘ)、天(テ)、君(ク)、三島王の歌では民(ミ)、萬(マ)、満(マ)であり、「ン」で終わる音節はすべて韻尾が
脱落している。
万
葉集の時代の日本語には「ン」がなかった。
これらの漢字について巻5だけでなく、万葉集全体
での使われ方を調べてみると次のようになる。
伴(とも・ハ・×ハン・×バン)、
万(よろづ・マ・マニ・×マ
ン・×バン)
仁(ニ・×ニン・×ジン)
邊(あたり・ヘ・×ヘン)
天(あめ・そら・テ・×テン)
君(きみ・くに・ク・×ク
ン)
民(たみ・ミ・×ミン)
満(みつ・たる・マ・×マ
ン)
「万」には万(マ)と万(マニ)のように末尾に母音が添加された形もあるが、「ン」で終わる音節を表記したものはひとつもない。「万」は万代尒(万80)
は「よろづよに」、遣之万万(万3291)は「まけのまにまに」と読みならわされている。そこで問題は万(マ)とは何か、万(マニ)とは何かということに
なる。万葉集の史(ふひと)は漢和辞典にも載っていない漢字の使い方をしていることになる。
漢和辞典は漢字の読み方の規範を示すことが第一の目的である。もうひとつの目的は日本における漢字の使い方を記述することにある。呉音というのは中国の江
南地方の発音に依拠した日本漢字音だとされている。また、漢音は隋唐の時代の長安音に依拠した日本漢字音だとされている。呉音は仏教の経典を読むのに主に
使われ、漢音は儒教の典籍を読むのに主に使われている、ともいわれている。
万(マ)は主に万葉集巻5など音を主体にした巻に使われていることから、万葉集時代の和音だったと考えることができないだろうか。万(マニ)は訓を主とし
た巻に使われていることから、万葉集の時代にはすでに訓(やまとことば)と感じられるほどに日本語のなかにとけこんでいたことばではなかろうかと考えられ
る。これは万葉集以前の借用音であるから、仮に弥生音と呼ぶことにする。
すると万葉集の漢字音はつぎのように構成されていることになる。
やまとことば
弥生音
和音
呉音
漢音
伴
とも
――
ハ
×ハン
×バン
万
よろづ
まに
マ
×マン
×バン
仁
ひと
――
ニ
×ニン
×ジン
邊
あたり
――
ヘ
×ヘン
――
天
そら
あめ
テ
×テン
――
君
――
きみ・くに
ク
×クン
――
民
たみ
――
ミ
×ミン
――
満
たる
みつ
マ
×マン
――
和音というのは万葉集の時代の日本漢字音であ
る。万葉集で使われている漢字音のうち、今まで訓だと考えられてきた和音の例としては次のようなものをあげることができる。
例:帆(ほ)、田(た)、津(つ)、邊(へ)、
弥生音は万葉集の時代以前に中国語から借用した
と考えられる日本漢字音である。弥生音の例としては次のような例をあげることができる。
例:君(きみ)、殿(との)、濱(はま)、肝(きも)、蝉(せみ)、鎌(かま)、闇(やみ)、
免(まぬがる)、兼(かねる)、染(しみる・そめる)、進(すすむ)、
ことばは変化する。天(あめ)は天(テン)の頭
子音が脱落したものではあるまいか。また、満(みつ)は満(マン)の韻尾[-n]がタ行に転移したものではあるまいか。天(あめ)
のほかにも、万葉集には中国語の頭子音が脱落したとおもわれることばがいくつかみられる。今(いま)、犬(いぬ)、禁(いむ)、山(やま)、怨(うらむ)
などである。これらのことばの特色は、中国語原音に[-i-]介音(わたり音)などが含まれていることである。
天[thyen]、 今[kiəm]、 犬[khyuan]、 禁[kiəm]、 山[shean]、 怨[iuam]、
これらの「やまとことば」は万葉集以前の時代に
中国語から借用されたことばである可能性が高い。このほかにも、中国語の韻尾[-n]または[-m]が日本語ではタ行、あるいはラ行に転移したと考え
られることばがいくつかある。
【タ行転移】満(みつ)、堅(かたい)、琴(こ
と)、本(もと)、肩(かた)、
【ラ行転移】因(より)、縁(より)、塵(ちり)、昏(くれ)、漢・韓(から)、玄(くろ)、
群(むれ)、鳫(かり)、辛(からい)、
中国語では同じ声符号をもつ漢字で韻尾がナ行[-n]になるものとタ行[-t]になるものがある。
本(ホン)・鉢(ハチ)、因(イン)・咽(エ
ツ)、産(サン)・薩(サツ)、
欽(キン)・欠(ケツ)、
タ行[-t]の音のほうがナ行[-n]の音より古いと考えられている。また、朝鮮漢字音
では中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]に転移する。
一(イル)、日本(イルボン)、地下鉄(チハ
チョル)、万年筆(マンニョンピル)、
万葉集の日本語では中国語韻尾の[-n]がラ行に転移しているものが多くみられる。タ行・
ラ行はナ行と調音の位置が同じであり、転移しやすい。
万
葉集の時代の日本語には中国語の韻尾[-ng]に
あたる音がなかった。
先に引用した万葉集巻5の歌(万793、万
796、万866、万883)について中国語原音の韻尾が[-ng]であるものは、日本語では次のように転移してい
る。
等[təng]ト、良[liang]ラ、忘[miuang]モ、方[piuang]ホ、登[təng]ト、容[jiong]ヨ、通[thong]ツ、
楊[jiang]ヤ、
これらの漢字の現代の日本漢字音は等(トウ)、忘(ボウ・モウ)、方(ホウ)、登(トウ)、容(ヨウ)、通(ツウ)、楊(ヨウ)であり、中国語の韻尾を
「ウ」で表示している。万葉集の時代の日本語には、このような音節はなかったのである。このような音節が日本語に定着してきたのは平安時代以降のことであ
る。中国語からの借用語が多くなったため、中国語の影響で日本語の音韻構造が変わったのである。
楊は楊(ヤ)のほかに楊(ヤギ)あるいは楊(や
なぎ)という読み方もある。中国語の[-ng]は古代中国語音では[-k]に近かったらしい。同じ声符をもった漢字でも韻尾
がカ行で現われるものと「ウ」で表示されるものがある。
暴(ボウ):爆(バク) 交(コウ):較(カク)
広(コウ):拡(カク)
消(ショウ):削(サク)
抽(チュウ):笛
(テキ)
繍(シュウ):粛(シュク)
悼(トウ):卓(タク) 夭(ヨウ):沃(ヨク)
容(ヨウ):欲(ヨク)
現代の日本語でも祝言(シュウゲン)、句読点
(クトウテン)、拍子(ヒョウシ)などのように祝(シュク・シュウ)、読(ドク・トウ)、拍(ハク・ヒョウ)などの転移がみられる。万葉集のなかでも楊
(ヨウ・やぎ)だけでなく、中国語の[-ng]がカ行であらわれるものがいくつかみられる。
香(かぐ):香山之(万259)かぐやまの、 神乃香山(万260)かみのかぐやま、
景・影(かげ):面景為而(万602)おもかげにして、 夕影尒(万1622)ゆふかげに、
莖(くき):水莖之(万968)みづくきの、 水莖能(万2193)みづくきの、
相(さが):相楽山乃(万481)さがらかやまの、 相模祢乃(万3362)さがむねの、
咲(さく):咲而散去流(万120)さきてちるぬる、 咲花毛(万478)さくはなも、
雙六(すごろく):雙六乃佐叡(万3827)すごろくのさえ、 雙六乃(万3838)すごろくの、
冢・塚(つか):作冢矣(万1801)つくれるつかを、
當(たぎ):落當知足(万2164)おちたぎちたる、 當都心(万2432)たぎつこころ、
就(つく):海片就而(万1062)うみかたづきて、 三諸就(万1095)みもろつく、
造(つくる):宅乎毛造(万460)いへをもつくり、 造木綿花(万912)つくるゆふはな、
床(とこ):磐床等(万79)いはとこと、 玉床之(万216)たまとこの、
常(とこ):常滑乃(万37)とこなめの、 常世尒成牟(万50)とこよにならむ鳴(なく)、
楊(やぎ):川楊乃(万1723)かはやぎの、 余跡川楊(万1293)あどかはやなぎ、
柳(やぎ):青柳乎(万1432)あをやぎを、 梅柳(万949)うめやなぎ、
良(よき):良跡吉見而(万27)よしとよくみて、 良人四来三(万27)よきひとよくみ、
これらの読み方は万葉以前の時代の漢字音の痕跡を留めたものである。弥生時代から古墳時代にかけての中国大陸との交流のなかで借用されたものと考えられる
ので、仮に弥生音と呼ぶことにする。就(シュウ・つく)、造(ゾウ・つくる)、床(ショウ・とこ)、常(ジョウ・とこ)については頭子音にも転移がみられ
る。これは、タ行の音が摩擦音化してサ行に転移したものである。また、柳(リュウ・やぎ)、良(リョウ・よき)ではラ行の頭音が脱落している。「柳」、
「良」の朝鮮漢字音は柳(yu)、良(yang)であり、朝鮮漢字音では[-i-]介音を伴ったラ行音は規則的に脱落する。古代日本
語でもラ行音が語頭にくることはなかった。
「香」についてみると、万葉集ではさまざまな読
み方が行われている。
天乃香具山(万2) あめのかぐ
やま、
神乃香山(万260) かみのかぐや
ま、
香君之(万443) にほへるき
みが、
香吉(万4169) かぐはしき、
万葉集の漢字の読み方を整理してみると次のよう
になる。
訓
弥生音
和音
呉音
漢音
「香」 にほふ
かぐ(はし)
か
×コウ
×キョウ
万葉集の時代には呉音も漢音も使われていない。
万葉集の時代の漢字音は和音と弥生音であり、そのほかに漢字にやまとことばをあてはめる訓があった。
万
葉集の漢字音が依拠した中国語音は[-i-]介
音が発達していなかった。
万葉集の時代の日本漢字音のもうひとつの特色
は、中国語のわたり音([-i-]介音)が無視されていることである。
流[liu]る、久[kiuə]く、許[xia]こ、呂[lia]ろ、由[jiu]ゆ、弊[biai]へ、留[liu]る、受[zjiu]ず、礼[lyei]れ、
中国語の音韻史のなかでわたり音([-i-]介音)が発達してくるのは隋唐の時代以降とされて
いるから、万葉集が依拠している中国語音ではわたり音が弱かったと考えることができる。これらの漢字音について整理してみると次のようになる。
訓
和音
呉音
漢音
流[liu]、
ながる
る
る
×リュウ
久[kiuə]
ひさ
く
く
×リュウ
許[xia]
×ゆるす
こ こ
×キョ
呂[lia]
――
ろ ろ
×リョ
由[jiu]
なほ
ゆ
ゆ
×ユウ
弊[biai]
――
へ
×ヘイ
×ヘイ
留[liu] とどまる
る
る
×リュウ
受[zjiu]
うける
ず
ず
×ジュ
礼[lyei]
――
れ
×ライ
×レイ
和音は呉音と同じものが多い。しかし、和音には
二重母音はない。また、万葉集の時代の漢字音には漢音は使われていない。ちなみに、これらの漢字の朝鮮漢字音は次のようになる。
流(ryu/yu)、久(ku)、許(heo)、呂(ryeo)、由(yu)、弊(ppye)、留(ryu/yu)、受(su)、礼(rye)、
万葉集の時代の和音、あるいは呉音は朝鮮漢字音に
近いことがわかる。官位を示す宿祢(すくね)なども、朝鮮漢字音では宿祢(suk-ni)であり、朝鮮漢字音に近い。
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