第133話
『古事記』の解読
古事記歌謡の
史(ふひと)と日本書紀歌謡の書記とは違った音韻体系をもっていたこと、古事記歌謡を記録した史は朝鮮漢字音に近い音韻体系をもっていたと思われる、とい
うことはすでに第131話でふれた。ここでは古事記、日本書紀の両方におさめられている歌謡について、さらにその違いを検証してみることにする。まず最初
は須佐の男の命の作といわれる歌で「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊賀
岐都久流
夜句茂多莵 伊都毛夜覇餓岐 莵磨語昧爾 夜覇餓枳莵倶盧
曽能夜弊賀岐袁(記1大神・須佐の男の命)
贈廼夜覇餓岐廻(紀1素戔嗚の尊)
古事記歌謡
辞書(呉音・漢音)
日本書紀歌謡
辞書(呉音・漢音)
久(ク)
(ク・キュウ)
句(ク)
(ク・ク)
毛(モ(甲)) (モウ・ボウ)
茂(モ)
(ム/モ・ボウ)
都(ツ)
(ツ・ト)
莵(ツ)
(ツ・ト)
豆(ヅ)
(ヅ・トウ)
都(ヅ)
(ツ・ト)
弊(へ(甲))
(ベ・ヘイ)
覇(へ(甲)) (ヘ・ハ)
賀(ガ)
(ガ・カ)
餓(ガ)
(ガ・ガ)
碁(ゴ(乙))
(ギ/ゴ・キ)
語(ゴ(乙)) (ゴ・ギョ)
岐(キ(甲))
(ギ・キ)
枳(キ(甲)) (キ・キ)
久(ク)
(ク・キュウ)
倶(ク)
(ク・ク)
流(ル)
(ル・リュウ)
盧(ル)
(ル・ロ)
曽(ソ(乙))
(ソ/ゾウ・ソウ)
贈(ソ(乙)) (ゾウ・ソウ)
袁(ヲ)
(ヲン・ヱン)
廻(ヱ)
(ヱ・カイ)
○古事記歌謡の漢字はほぼ呉音読みであるといえ
る。それに対して日本書紀歌謡の漢字は呉音から漢 音への移行期にあるといえる。古事記の「賀」は「ガ」であるが、日本書紀の「餓」の中国語原音 は鼻濁音の
「カ゜」である。この点は大きな違いである。
古事記歌謡に使われている漢字の読み方を検証し
てみると、呉音とも漢音とも違うものがいくつか 見られる。
古事記歌謡
呉音・漢音
古事記歌謡用例
意(オ)
イ・イ
意岐都登理(おきつどり)
耶(ザ)、 ヤ・ヤ
伊耶古杼母(いざこども)
奢(ザ)、 シャ・シャ
伊奢阿藝(いざあぎ)
叙(ゾ(乙))、 ジョ・ショ
宇良須能登理叙(うらすのとりぞ)
杼(ド)
ヂョ・チョ
袁登賣杼母(をとめども)
怒(ノ(甲))、 ヌ・ド
多怒斯久母流迦(たのしくもあるか)
冨(ホ)、 フ・フウ
和賀意富岐美(わがおほきみ)
良(ラ)
ロウ・リョウ
宇良須能登理叙(うらすのとりぞ)
○「意」は憶「オク」と声符が同じであり、古代中
国語音は意[iək]であったと考えられる。古事記や日 本書紀が依拠し
ている隋唐の時代には「意」は韻尾の[-k]を失っていたものと考えられる。意(オ) は隋唐の
時代にわたり音(i介音)の影響で意(イ)に変化する前の姿を留めて
いる。
○「耶」は「邪」の異字である。
○「杼」の声符は予(ヨ)であり、杼(ド)・舒
(ジョ)・豫(ヨ)は同系の音である。野(の・ ヤ)も同系のことばであろう。
○古事記では「怒」は「ノ甲」に使われている。日
本書紀では「怒」は「ド甲」「ノ甲」は両用に使われている。
○「良」の古代中国語音は良[liang]である。古事記歌謡の良(ラ)はわたり音(i介音)が発達する前 の古代中国語音である良[lang]の痕跡を留めているものであろう。
古事記歌謡では中国語の韻尾[-n]は脱落する。
例:傅(デ)、存(ゾ(乙))、本(ホ)、煩
(ボ)、袁(ヲ)、遠(ヲ)、
古事記では歌謡以外でも中国語音の韻尾が脱落し
た例がみられる。
例:吉(き)、木(も)、隠(お)、殿(で)、番
(ほ)、蕃(ほ)、丸(わ)、
一方、歌謡以外では中国語の韻尾[-n/-m]の後に母音を添加して二音節にしている例もみられ
る。本居宣長は『古事記傳』のなかで、これを二合仮名と呼んでいる。本居宣長は「こは人ノ名と地ノ名とのみにあり」としている。 例:[-m/-n]:淹知(アムチ)、安曇(アヅミ)、品遅部(ホム
ヂベ)、印恵(イニヱの)命、
讃岐(サヌキ)、丹波(タニハ)、旦波(タニハ)、難波(ナニハ)、平群(ヘグリ)、
[-ng]:香山(カグヤマ)、相模(サガム)、當麻(タギ
マ)、
[-k/-t]印色之入日子(イニシキのイリビコの)命、宿禰
(スクネ)、阿直(アヂキ)、
竺紫(ツクシ)、筑紫(ツクシ)、伯伎(ハハキ)、博多(ハカタ)、
高目郎女(タカムクのイラツメ)、相楽(サガラカ)、壱師(イチシ)、末羅(マツラ)、
漢和辞典にはこれらの漢字の読み方はとり上げられ
ていない。本居宣長の慧眼は香(カグ)、相(サガ)、當(タギ)など、中国語原音とかなり乖離した音を訓ではなく仮名、つまり漢字の読み方の一種としてと
らえたことである。「香」、「相」、「當」の唐代の中国語音は香/xiang/、相/siang/、當/tang/であるが、古代音は香[xag]、相[sag]、當[tag]に近かった。このほかにも、伊服岐能山(イブキノ
やま)、奥津甲斐弁羅(オキツカヒベラの)神のように「服」、「甲」の末音[-k]、[-p]を「岐」、「斐」で添記しているものもみられる。
また、「品」についても品牟都和気(ホムツワケの)命のように[-m]の末音を添記している例がみられる。
本居宣長はさらに、借字の例として次のような例を
あげている。
例:狭(さ)、師(し)、巣(す)、洲(す)、酢(す)、田(た)、手(た・て)、
千(ち)、津(つ)、丹(に)、野(ぬ)、根(ね)、羽(は)、氷(ひ)、間(ま)、
眞(ま)、目(ま・め)、矢(や)、尾(を)、
そ
して、「但し此ノ字どもを書るは、皆借字なりといふにはあらず。正字なる處も多く、又正字とも借字とも、さだかに辦へがたきところも多かり」としている。
師(し)はもと音であるが、百師木(ももしき)などのように使われており、これらは音の仮字の例ではなく、訓であるとしている。
○師(し)、巣(す)、洲(す)、酢(す)は古事
記編纂以前の時代に中国語から日本語に借用さ れ、日本語として定着していたものであろう。
○狭(さ)。夾(キョウ)の声符をもった漢字には
陜西省(センセイショウ)のようにサ行で発音さ れるものもあり、日本語の狭(せまい)も中国語からの借用音が転移したものである可能性があ る。
○田(た・デン)、千(ち・セン)、津(つ・シ
ン)は借用にあたって韻尾が脱落したものである。 「千」、「津」の音は頭音も摩擦音化している。
○手(て・シュ)。音の手(シュ)はわたり音(i介音)の発達により頭音が摩擦音化したものであ
る。
[h-]を留めたものである。氷(ひ)では中国語の韻尾は
失われている。
○野(ぬ・ヤ)、矢(ヤ・し)。「野」と同じ声符
「予」をもつ「杼」は古事記歌謡では杼(ド)に 使われており、「野」も野(ド・ノ)に近い音をもった漢字である可能性がある。野(ヤ)は頭子 音が失われた
形であろう。矢(や)は借用にあたり頭子音が失われた形である。
○目(め・モク)。目(め)は借用にあたり韻尾の[-k]が失われたものである。「目」は「眼」、 「眸」と
も音義ともに近い。
○尾(を・ビ)。尾の古代中国語音は尾[miuəi]である。[m-]と[w-]はいずれも唇をまるめて発音する合 音であり、転移
しやすい。ほかに綿(わた・メン)などの例がある。
また、本居宣長は二合の借字という概念を取り入れ
て、次のような例をあげている。
例:入(いり)、金(かね)、刈(かり)、熊(くま)、酒(さか)、鉏(すき)、
椎(つち)、鳥(とり)、幡(はた)、耳(みみ)、依(より)、折(をり)、
これらのことばも中国語語源である可能性があ
る。
○「入」の古代中国語音は入[njiəp]である。また、「入」の朝鮮漢字音は入(ip)である。朝鮮漢字音で は日母[nj-]は語頭音が規則的に失われる。古事記の史(ふひ
と)は朝鮮半島出身者であり、入(い り・いる)は朝鮮漢字音の影響を受けたことばである可能性がある。
例:日(il)、耳(i)、熱(yeol)、譲(yang)、柔(yu)、弱(yak)、
熱(あつい)、譲(ゆずる)、柔(やわら)、弱
(よわい)なども朝鮮半島の漢字音の影響を受け て転移したことばである可能性がある。
○金(かね・キン)、幡(はた・ハン)はいずれも
中国語韻尾が[-n]である。「金」の古代中国語音は 金[kiəm]、「幡」の古代中国語音は幡[phiuan]である。日本語では[-m]と[-n]を弁別しないから「金」は 韻尾に母音をつけて、古
代日本語では金(かね)となった。一方、「幡」の韻尾は[-n]である。[-n]は [-t]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。同じ声
符の漢字でも因(イン)・嗚咽(エツ)など [-n]と[-t]は交替する。中国語の音図である韻鏡でも吻(フ
ン)・物(ブツ)は同じ頭音のなかの上声 と入声の差異とされている。
○刈(かり・ガイ)、酒(さけ・シュ)、鉏(す
き・ソ・ジョ)、椎(つち・スイ)[diuəi]。「刈」の 日本漢字音は刈(ガイ)であるが古代中
国語音は刈[ngiat]であり、韻尾に[-t]があったとされている。 朝鮮漢字音では中国語韻尾
の[-t]は地下鉄(ji-ha-cheol)、万年筆(man-nyeon-ppil)のように(-l)に転移す る。刈(かり)は中国語音の転移したもの
である可能性がある。「酒」は「酢」に近く、日本語の酒 (さけ)は中国語語源である可能性がある。「鉏」は鋤[dzhia]の異字である。鉏(すき)の「す」は 鋤[dzhia]と同源であろう。椎(つち)の古代中国語音は椎[diuəi]とされている。しかし、刈(ガイ) の韻尾に[-t]の音があったように、古代中国語の時代には「椎」
の韻尾にも[-t]があった可能性が否定 できない。椎(つち・しい)
は中国語語源の日本語であろう。
○熊(くま・ユウ)。熊の音・熊(ユウ)と訓・熊
(くま)とは一見似ているようにはみえない。 「熊」の古代中国語音は熊[hiuəm]であり、中国語の喉音[h-]は日本語ではカ行であらわれることが多 い。雲(く
も・ウン)も古代中国語音の雲[hiuən]に依拠するものであろう。
○鳥(とり・チョウ)。「鳥」の現代北京音は鳥(diao/niao)である。古代中国語音は鳥[dyu]と推定される。かなり転移はあるものの、日本語の
鳥(とり)も中国語の鳥[dyu]と関係のあることばであろう。
○耳(みみ・ニ・ジ)。耳の古代中国語音あるいは
唐代中国語音は耳[njiə]であると考えられている。 日母[nj-]は元代までには耳[diə]に近い音に変化し、日本漢字音では呉音が耳
(ニ)、漢音が耳(ジ) とされている。しかし、日母[nj-]はわたり音(i介音)が発達してくる隋の時代以前は[m-]に
近い音 だったとかんがえられる。日母の声符をもつ「爾」は爾(ニ・ジ)だが、同じ声符をもつ「彌」は 彌(ミ)である。日本漢字音でも壬生(ミブ)、任那
(ミマナ)など日母の漢字がマ行で発音され る例がみられる。「耳」は耳(ミ)だった可能性がある。マ行の音が語頭に立つ場合、古代日本語 ではマ行音が重複
されることが多い。万葉集では「馬」は「牟麻」、「鰻」は「武奈伎」と表記さ れている例がある。
○依(より・イ)。「依」の古代中国語音は依[iəi]である。ア行・ヤ行・ワ行は転移することが多く、
依(より)は中国語原音からの転移である可能性がある。
○折(おる・セツ)。「折」の古代中国語音は折[tjiat/sjiat]である。中国語原音の語頭音はわたり音(i 介音)の発達ににより失われたものと思われる。韻
尾の[-t]がラ行に転移するのは朝鮮漢字音と同じ である。
古事記歌謡では「我」は我(ガ)には使われてい
ない。「我」は阿(あ)または和(わ)で表記さ れている。
阿賀淤富久邇奴斯(あがおほくにぬし)、阿礼波意
母閉杼(あれはおもへど)、
和何許々呂(わがこころ)、 和賀意富岐美(わがおほきみ)、
しかし、本文のなかでは「我」は使われている。例
えば、有名なイザナギの命とイザナミの命の結婚(みとのまぐわい)の場面では「汝者自レ右廻逢 我者自レ左廻逢」と書かれていて「汝(な)は右より廻り逢
へ、我(あ)は左より廻り逢はむ」と読みならわされている。「我」の古代中国語音は我[ngai]である。それではなぜ「我」は我(あ)と読みなら
わされているのだろうか。「我」の朝鮮漢字音が我(a)だ
からである。古事記の我(あ)は「我」の朝鮮語転移、あるいは朝鮮語訛りである。つまり、古事記を記録した史(ふひと)にとって我(あ)は訓であり、阿
(ア)・和(ワ)は音であったのである。記紀万葉の時代の史が朝鮮半島出身だったことを考えれば、当然のことといえよう。
漢字の日本語読み辞典である漢和辞典に
も、やまとことばの辞書である国語辞典あるいは古語辞典にも、朝鮮漢字音の影響についてはほとんど全くふれられていない。
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