第135話  日本の漢字音・呉音と漢音

 漢字には通常、呉音と漢音と呼ばれる二つの読み方 がある。

 (呉音)経文(キョウモン)、文書(モンジョ)、  金色(コンジキ)、今昔(コンジャク)、
 (漢音)経書(ケイショ)、 文章(ブンショウ)、金銀(キンギン)、古今(コキン)、

(呉音)世間(セケン)、  正体(ショウタ イ)、成就(ジョウジュ)、殺生(セッショウ)、
(漢音)中間(チュウカン)、正方(セイホウ)、 成功(セイコウ)、 生殺(セイサツ)、

 (呉音)燈明(トウミョウ)、末期(マツゴ)、
 (漢音)明白(メイハク)、 期間(キカン)、

  呉音とは何か。また、漢音とは何か。一般に「呉 音」は六朝時代末期(おもに南朝の劉宋)の音系を反映し、漢音は唐代の長安音の音系を反映しているといわれている。日本と中国の文化的交流の歴史は古い。 『宋書』(488年、沈約編)の「倭国伝」には、倭の五王が南朝宋 と接触を10回も重ねたことが記録されている。倭王武(雄略天皇)は、478年に長文の手紙を送っている。また、『日本書紀』 には雄略2年「史部をおく」という記事が記録されている。 (『日本書紀』)とある。この時代に流入した漢語は江南(かつての呉の地)の中国語であった。5、6世紀には南朝宋を宗主とみなしていたため、流入した漢 語は江南(かつての呉の地)の中国語であった。

 ところが隋が南北分裂に終止符を打ち、全国を統一 すると618年には長安が都になる。608年遣隋使小野妹子らが隋に赴き、630年には最初の遣唐使が唐を訪問した。そして、やが ては唐の漢字音が正音とされ、漢音と呼ばれるようになった。漢音と呉音の違いを整理してみると次のようになる。

  1.漢語の明母(m)は呉音ではマ行、漢音ではバ行

米(マイ・ベイ)、馬(メ・バ)、万(マン・バ ン)、文(モン・ブン)

 2.漢語の泥母(n)は呉音ではナ行、漢音ではダ行

泥(ナイ・デイ)、奴(ヌ・ド)、難(ナン・ダ ン)、男(ナン・ダン)

 3.漢語の日母(nj)は呉音ニ・ネ、漢音ジ・ゼ、

二(ニ・ジ)、人(ニン・ジン)、然(ネン・ゼ ン)、日(ニチ・ジツ)

 4.漢語の濁音は呉音では濁音、漢音では清音

期(ゴ・キ)、求(グ・キュウ)、強(ゴウ・キョ ウ)、下(ゲ・カ)、胡(ゴ・コ)、
杜(ズ・ト)、直(ジキ・チョク)、治(ジ・チ)、神(ジン・シン)、食(ジキ・ショク)、
成(ジョウ・セイ)、歩(ブ・ホ)、平(ビョウ・ヘイ)、白(ビャク・ハク)、

 5.漢語の匣母の合口は呉音ワ行、漢音カ行

絵(エ・カイ)、恵(エ・ケイ)、廻(エ・カ イ)、和(ワ・カ)

また、中国語の韻尾についても次のような対応がみ られる。

 1.漢語の韻尾[-ng]の読み方

青(ショウ・セイ)、生(ショウ・セイ)、京 (キョウ・ケイ)、経(キョウ・ケイ)、
形(ギョウ・ケイ)、名(ミョウ・メイ)、

 2.中国語のわたり音(i介音)の読み方

昔(シャク・セキ)、碧(ヒャク・ヘキ)、益(ヤ ク・エキ)

 3.呉音(ウ・ユ)、漢音(コウ・ユウ)、

口(ク・コウ)、後(ゴ・コウ)、頭(ヅ・ト ウ)、有(ウ・ユウ)、留(ル・リュウ)、
   工(ク・コウ)、功(ク・コウ)、通(ツウ・トウ)、

  中国にも呉音、漢音という呼び方はある。呉音と いうのは江南の南朝式発音、漢音というのは長安のことばである。唐の時代になると呉音とは南方訛りの音としてさげすまれるようになる。

 日本で呉音と漢音を区別する風潮が生れたのは奈 良朝の末期である。万葉集の音仮名には漢音はまだ使われていない。平安時代になると儒家では漢籍の読み方が漢音に統一されてきた。ところが仏僧の世界では 長い間読みならわされてきた呉音が残った。

 呉音、漢音というとブリティシ・イングリッシと アメリカン・イングリッシの違いのように聞こえるがいずれも和音化した日本漢字音のことである。日本語の音韻体系と中国語の音韻体系は違うからいずれにし ても日本語の音韻体系に合わせて転移している。

   漢和辞典は漢字音の規範を示すものだから、平安時代の儒家の音を唐代の長安音に依拠したものだとしてかかげ、それ以前の和音と佛家が慣用として使用してき た音を呉音として掲げている。しかし、古事記や万葉集の史(ふひと)は辞書に呉音として掲げられている以外の音にも漢字を転用している。そのひとつの例と して「我」についてみてみることにする。漢字の音を主体とした表記が用いられている万葉集巻5について「我」の使われ方を調べてみると次のようになる。

  伊毛尒可阿我世武(万795) いもにかあ我(が) せむ
 和我覇能曾能尒(810) わ我(が)へのそのに
 阿我農斯能(882) あ我(が)ぬしの
 安我多米波(万892) あ我(が)ために
 我身上尒(万897) 我(わが)みのうへに
 寶毛我波(万904) たからも我(われ)は
 我例乞能米登(万904) 我(あ)れこひのめど

   漢和辞典によれば「我」は我(呉音)ガ・(漢音)ガである。しかし、実際に万葉集で使われている漢字音は我(が・わが・われ・あ)である。我(ガ)は中国 の江南音でもあり、唐の時代の長安音でもあったのだろうか。現代の広東音、北京音、朝鮮漢字音について調べてみると次のようになる。

 「我」 (広東音)ngoh、(北京音)wo、(朝鮮漢字音)a

 現代の広東音、北京音、朝鮮漢字音が万葉集の時 代の広東音、北京音、朝鮮千漢字音をどの程度反映しているかは確かめようがないが、万葉集の時代のそれぞれの地域の漢字音を知るすべはほかにないので、現 在の漢字音から類するすると、万葉集に使われいる我(が)は広東音(ngoh)に近く、我(わ)は北京音(wo)に近く、我(あ)は朝鮮漢字音(a)に近いということがいえる。

 和我(わが)、阿我(あが)、安我(あが)など の表記は、朝鮮半島で用いられた両点という表記法で、一種のバイリンガル表記である。朝鮮では「天」を天(ha-nal jeon)、「地」を地(sta da)というように朝鮮語の訓と朝鮮漢字音をかさねて読 む翻訳法が行われていた。天(ha-nal)、地(sta)は朝鮮語の天地であり、天(jeon)、地(da)は天地を朝鮮漢字音で読んだものである。日本でも 千字文の「天地玄黄」を「テンチのあめつちは、クエンクワウとくろきなり」とバイリンガルに読むことが行われていた時期がある。「わが」は「我(wo)つまり我(ngoh)」、「あが」は「我(a)つまり我(ngoh)」と「我」の転移形を重ねたものである。

  日本漢字音の呉音と江南地方の漢字音とはどのよ うな関係にあるのだえろうか。現代の広東音、北京音、それに朝鮮漢字音について調べてみると次のようになる。

 呉音      漢音     和音        広東音            北京音   朝鮮音
  絵(呉)ヱ、   (漢)カイ、                            (広)wuih、      (北)hui、  (朝)hui
 黄(呉)オウ、  (漢)コウ、  (和)き、
       (広)wohng、    (北)huang、(朝)hwang
 火(呉)カ、    (漢)カ、    (和)ひ・ほ、
(広)fo、        (北)huo、  (朝)hwa
 名(呉)ミョウ、(漢)メイ、  (和)な
         (広)mihng/meng、 (北)ming、(朝)myeong
 香(呉)コウ、  (漢)キョウ、(和)か、
     (広)heung、     (北)xiang  、(朝)hyang

   残念ながら古代の江南音を復元することはできないが、現在の広東音でみるかぎり、絵(ヱ)、黄(オウ)、名(ミョウ)、香(コウ)は江南音に近いようであ る。「火」は和音の火(ひ・か)が江南音に準拠しているようにみえる。和音の黄(き)、名(な)、香(か)は韻尾が脱落して和音化したものであろう。万葉 集では漢字の「火」は火(カ)と読む例はなく、火(ひ・び・ほ)である。「名」はかなり頻繁に使われているが、名(ミョウ)、名(メイ)と読むものは1回 もなく、すべて名(な)である。火(ひ)、名(な)は普通訓とされているが、漢字渡来以前から日本列島で使われていた「やまとことば」ではなく、8世紀よ り以前に日本語のなかに取り入れられ和音化した中国語語源のことばである。万葉集の時代には呉音よりも、むしろその和音化したものが多く使われていた。

  和音にも二種類の和音がある場合がある。例えば 「香」は呉音が香(コウ)、漢音が香(キョウ)であるが、万葉集では香(か・かぐ)と二種類の和音に使われている。

 天乃香具山(万2) あめの香(か)ぐやま
 神乃香山(万259) かみの香(かぐ)やま
 須疑尒家流香母(万3600) すぎにける香(か)も

この場合香(か)は音仮名表記の多い巻15にも使 われていて、万葉時代の和音であるといえる。しかし、香(かぐ)という読み方は万葉集の音仮名には使われていない。香(かぐ)は万葉集の時代より前の時代 の和音の痕跡である。「香」の古代中国語音は香[xiang]である。中国語韻尾の[-ng]がガ行音などとして添加されるのは古地名などに多 い。

 相楽山乃(万481) 相(さが)らかやまの
 常世有跡(万446) 常(とこ)よにあれど
 川楊乃(万1723) かは楊(やぎ)の
 作冢矣(万1801) つくれる冢(つか)を

  二音節の和音は万葉集のなかではもはや、音表記 の巻には使われていない。これらの和音は5世紀、あるはそれ以前の時代に日本に入ってきたもので、ここでは仮にこれを弥生音と呼ぶことにする。

                             呉音                     漢音                     弥生音(和音)
 
                                                                       うま
 梅
                     マイ                     バイ                     うめ
 文
                     モン                     ブン                     ふみ
 絹
                     ケン                     ケン                     きぬ
 浜
                     ヒン                     ヒン                     はま
 幕
                     マク                     バク                     まく
 筆
                     ヒチ                     ヒツ                     ふで
 竹
                     チク                     チク                     たけ

 菊 (キク・きく)、肉(ニク・にく)、服(フク・ふく)、鉄(テツ・てつ)、熱(ネツ・ねつ)、などでは和音と呉音が同じである。漢和辞典のなかには菊 (音)キク、菊(訓)きく、などとしているものもみられる。しかし、これらは「やまとことば」が偶然中国語音と一致することを意味するのではなく、漢字の 音・訓が定着する平安時代にはすでに日本語として定着していたことを意味するだけである。

 中国語語源の日本語としてはさらに次のようなもの をあげることができる。

 巣(ソウ・す)、洲(シュウ・す)、稗(ヒ・ひ え)、舌(ゼツ・した)、眉(ビ・まゆ)、
 腋(エキ・わき)、奥(オウ・おく)、燠(オウ・おき)、澳(オウ・おき)、

   古い時代の借用語のなかには、常用の漢字が変わってしまったものもある。澳(おき)には沖(おき)が使われるようになった。塞(ソク・サイ)は万葉集では 塞(せき)にあてられているが、これも関(せき)に置き換えられてしまった。鳥の鷺(さぎ)は鵲(さぎ)だったが、「鵲」は鵲(かささぎ)にあてられるよ うになった。植物の「蓮」は荷子(はす)の借用であるが、あてはめる漢字が変わってしまったものである。

   辞書は文字の規範を示すものだから、転移については述べられていない。しかし、古い時代に日本語のなかに入ってきた借用語のなかには呉音ばかりでなく、朝 鮮漢字音の影響をうけたもの、日本語の音韻構造に合わせて転化したものが多くみられる。とりわけ呉音、漢音の区別は平安時代に確立されたものだから、古事 記や万葉集の漢字の読み方は漢和辞典に載せられている音とはかなり違っている。カナ以前の日本語、漢字だけで書かれた日本語のなかに古代の日本語の姿は埋 もれている。万葉集は8世紀に成立しているが、万葉集の文字の背後には、弥生時代からの、稲作や鉄を通じての中国文明とのはかり知れない悠久の歴史の記録 が残されている。万葉集の漢字は日本語の歴史の歩みを貫いて、幾重にも重なることばの歴史の断面である。

 


  


もくじ

第132話 『日本書紀』の解読

第133話 『古事記』の解読

第134話 『万葉集』の解読

第136話 万葉集の漢字音・和音と弥生音

第137話 柿本人麻呂の日本語世界