第35話 弥生時代の日本語

 日本語の起源を考えるうえで、もっとも大きな障害となっているのは、日本語の語源がほとんど不明だということである。日本語の語彙はどのように形成されてきたのであろうか。弥生文化を支えた、稲作と鉄 器にかかわる日本語のルーツをたどってみたい。

    米 米(こめ)の「め」は中国語の米であろう。米(こめ)の「こ」の語源は不明である。米(こめ)の「こ」は中国語の禾である可能性がある。禾は禾本科植物の禾であり、稲や粟のことである。白川静の『字 通』によれば、中国語には「禾米」ということばがあって、米を意味するという。また、米は現代上海語では米(hmi)と発音されるという(宮田一郎編著『上海語常用同音字典』光生館による)。入りわたり音のhは喉音であり、日本語ではkとなる。日本語の米「こめ」が江南地方の中国語音を文字としてではなく、耳で聞いて借用したものであるとすれば、米の「こ」は現代上海語に残る入りわたり音を写したものである可能性もある。日本書紀歌謡 につぎのような歌がある。

岩の上に 小猿渠梅(こめ)焼く 渠梅(こめ)だにも 喫(た)げて通らせ
    山羊(かましし)の老翁(をぢ)
(日本書紀歌謡)

米(こめ)は米(よね)とも呼ばれた。『倭名抄』には「米、與禰。穀實なり」とある。米は稲の実のもみがらを除いたものである。万葉集には稲(いね)も詠まれている。

伊禰(いね)舂けば かかる我が手を 今夜もか 殿の若子(わくご)が 取りて嘆かむ
  (万3459)

稲(いね)は古代中国語の秈が語源であるという説もある。「秈」は中国語では「うるち米」の
  ことである。中国語では「米」は米
(mi)、「稲」は稲、「めし」は飯である。朝鮮語では米
 (ssal)
、稲(pyo)、飯(pap)である。南島語のチャモロ語では米(fa’i)、飯(hineksa’)である。マレー語
 では米
(beras)、稲(padi)、飯(nasi)である。焼き飯の「ナシゴレン」は、エスニック料理として日
 本でも人気がある。マレー語の飯
(nasi) は日本語の飯(めし)と関係のあることばである可能性
 がある。

   鉄  弥生文化のもうひとつのキーワードは「鉄」である。「鉄」にあたる「やまとことば」は
 「く ろがね」である。「くろがね」は「黒金」である。日本語の「くろ」は中国語の「黒」あるい
  は「玄」であり、「かね」は中国語の「金」に対応する。鉄は 「くろがね」、金は「くがね」、  銀は「しろがね」であった。山上憶良につぎのような有名な歌がある。

  銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも
    山上憶良(万803)

    弥生文化を象徴することばのなかには、中国語からの借用語がかなり含まれている。奈良時代以降の日本漢字音と、弥生時代の借用音とは、発音が異なる場合が ある。金(キン・かね)、秈(セン・しね)などは金(かね)、秈(しね)が古く、金(キン)、秈(セン)は弥生時代以降の発音である。古代日本語には 「ン」で終る音節がなかったので、あとに母音をつけて金(かね)、秈(しね)と発音した。

 日本語のなかに定着して「やまとことば」と考えられていることばのなかにも、弥生時代に中国 語から借用したと思われることばが隠されている。酒、味噌、醤油、鮨、茶など、日本人の食卓に は欠くことのできない食物も、その語源は中国語であることが多い。

 ○  酒  酒は米を原料とすることから、弥生時代以降にできたと考えられる。『古事記』によると、  酒は応神天皇のとき百済からもたらされたという。「酒」を日本にもたらしたのは秦造(はたのみ  やつこ)の祖、漢直(あやのあたい)の祖であるという。古事記歌謡につぎのような歌がある。

  須々許理(すすこり)が 醸(か)みし御酒(みき)に われ酔(ゑ)ひにけり
   ことな酒(ぐし)ゑ酒に われ酔ひにけり
(古事記歌謡)

  「須々許理」は「酒造」である。朝鮮語で酒は酒(seul)である。日本語の酒「さけ」、あるいは
  朝鮮語の酒は、古代中国語の酒
[tziu] あるいは酢[dzak] と関係のあることばである。酒は発酵を止
   めないでほうっておくと酢になってしまう。酢と酒はかなり違う飲み物であるが、その製造手法
   は同じである。台湾の音韻学者、董同龢によると、「酒」の古代中国語音は酒
[tsiog] だという。
   日本語の「さけ」の語源が中国語の「酒」であることは、まずまちがいない。朝鮮語の酒
 
  (seul)
も語源は中国語であろう。

   もっとも、古事記、日本書紀には、スサノオノミコトが「やまたのおろち」を退治するときに、よく醸した酒を、八樽用意させたという記述もあるのから、酒 は神代の時代からあったことになり、『古事記』の応神記の記述は神代の記述とは矛盾している。『古事記』によれば、スサノオノミコトは十拳剣(とつかつる ぎ)を抜いてその蛇(おろち)を退治したとある。また、蛇の尾の中からは太刀がでてきたとあるから、日本の神代には米や酒ばかりでなく鉄のような、弥生時 代を象徴するものがすべてそろっていたというのが『古事記』の想定である。  

 現代北京語では「酒」は酒(jiu) で ある。中国の酒には蒸留酒、醸造酒、果実酒がある。蒸留酒は貴州の茅台酒が有名で、アルコール分が55度ある。コウリャンと小麦を原料とした酒である。四 川省には五粮液という酒があって、コウリャン、米、小麦、トウモロコシ、もち米の5種類の穀物を原料として作る。茅台酒のような強い酒が中国にできたのは 元の時代である。中国人は蒸留酒の製造法を蒙古のアラキから学んだという。

醸 造酒は逝江省の紹興酒がよく知られている。老酒(ラオチュウ)というのは年代物の俗称である。中国では女の子が生まれると甕に入れた紹興酒を地中に埋め て、その子が結婚するときに、年代物の酒を客にもてなす習慣のある地方もあるという。その故事にあやかって「女児紅」などという名の古酒も売られている。 日本の酒は茅台酒系の蒸留酒ではなくて、紹興酒系の醸造酒である。

日 本では中国料理店にいけばどこでも紹興酒を飲めるが、中国では内陸部ではレストランにも紹興酒は置いてない。醸造酒は江南地方の酒であり、蒸留酒は内陸の 酒である。洋酒は威士忌(ウイスキー)、白蘭地(ブランデー)、拿破侖(ナポレオン)、馬丁尼(マティーニ)、老伯威(オールドパー)、白馬(ホワイト ホース)などがある。ビールは中国では啤酒(ピジュウ)であり、青島(チンタオ)啤酒が有名である。

 韓国ではビールは麦酒(メクチュ)であり、OB 麦酒とクラウン麦酒が寡占状態にある。韓国の酒では真露(チンノ)とマッカリ(濁り酒)であろう。慶州には法酒(ポプチュ)という日本酒によく似た酒があ る。「日本酒にそっくりですね」というと、「日本酒が法酒にそっくりなのよ」といわれる。ちなみに韓国では、日本酒のことを正宗(チョン゚ジョン゚)とい う。

 ○  味 噌、醤油。 日本人の食卓に欠くことのできない味噌、醤油も、その起源は中国に求めること ができる。西暦100年ころ成立した『説文解字』(以下『説 文』という)には「醤は醢(しおか ら)なり」とある。肉を細く切り、麹と塩をまぜ、酒を加えて密蔵したもので、日本の塩辛にあた る。醤には魚醤、肉 醤、豆醤があり、魚醤は塩辛の類である。魚醤を濾したものがタイではナンブ ラーであり、日本では秋田のショッツルが魚醤である。ショッツルはハタハタな どの小魚を原料と して作る。能登のイシリも魚醤で、イカやイワシを原料として作る。香川ではイカナゴを使う。

   「味噌」はもと「未醤」と書いた。現代では「味噌」と書いている。新井白石は、未醤とは高麗 醤のことであるとしている。日本の味噌は、中国の醤が朝 鮮半島で高麗醤となり、それを高麗から 日本人は学んだ可能性がある。中国や朝鮮半島では毎朝味噌汁を飲むというような習慣はないが、 日本食には欠かせ ないものになっている。日本の「醤油」は大豆と大麦とを蒸して作った麹(こう じ)に食塩水を加えてしぼったものである。日本語「醤油」も「味噌」も語源 は中国語である。朝 鮮語の醤(ジャン)も中国語起源である。漢字は味噌・醤油文化圏でもある。

  味噌、醤油の原料である「むぎ」の古代中国語音は麦[muək]であり、弥生時代の日本語では麦「むぎ」である。古代日本語には濁音ではじまることばはなく、語中・語尾では清音も濁音化する 傾向があった。奈良時代以降麦(むぎ)麦(バク)と発音されるようになり、現代の日本漢字音で は麦(バク)である。現代の朝鮮語では麦(pori)である。朝鮮語の麦(pori)も語源は中国語の「麦」 と関係のあることばであろう。朝鮮語も古代の日本語と同じように、語頭に濁音がくること がな いので、語頭の子音が清音のpになった。

 豆(まめ)の中国語は豆[do]であり、朝鮮語は豆(kkong)である。日本語の豆(まめ)は、中国語にも朝鮮語にも類似語がなく、語源は不明である。おそらく、「丸い」などと関係のあることばであろう。

   鮨 鮨はいまや日本料理の代表格で、世界中で健康食としてもてはやされている。しかし、日
  本語の「すし」も中国伝来である可能性がある。周代から漢代の諸儒が諸経書の伝注を採録し
  た『爾雅』や、後漢の許慎の選による字書『説文』に、すでに鮨の記録がある。

  『説文』によると、鮨は「魚の腊醤なり」としている。「腊」は肉の塩辛である。それに対し  て、魚の腊が「鮨」である。この時代の中国には鮨(塩辛)と 鮓(馴れずし)があった。「鮓」 は弥生時代の貴重品である米と塩で魚を醸して熟したもので、日本の鮒鮨のような製法である。 日本語の「すし」の「す」 は「鮓」あるいは「腊」であり、「すし」の「し」は中国語の「鮨」 であろう。日本で生魚を鮨で食べるようになったのは江戸時代以降のことであろう。鮨屋 ははじ め屋台で営業していた。江戸東京博物館に行くとその屋台が今でも展示されている。

  茶 茶は今日では、世界中で愛飲されている。また、茶という中国語も「ティー」、「チャ
    イ」などとなって世界中で使われている。弥生時代の日本人が茶を飲んだという証拠はない。

茶 は仏教とともに日本へ入ってきた。香りを楽しむばかりでなく、薬効があるといわれ、特に禪 宗では座禅のとき睡魔を払う効果も期待された。日本では喫茶の 習慣ができたのは鎌倉時代から である。ヨーロッパにおける喫茶の流行は、アヘン戦争を引き起こす原因の一つにまでなった。

茶 はもと荼といったらしい。といっても、茶ということばが一般に中国語に定着するのは唐代以 降のことであり、茶を最初に喫したのは漢民族ではなく、巴(現 在の四川省重慶あたり)や蜀  (現在の四川省成都あたり)の少数民族であった。中国の古い辞書である『爾雅』や『説文解  字』には荼(ト)のほかに檟 (カ)、/*(シュン)、蔎(セツ)、茗(メイ)などの名前でも 出てくる。茶も蒟蒻と同じように、今の四川省や貴州省に住んでいるヤオ族、シェー族、イ族な ど少数民族のことばを、漢族が借用したものである。今日の中国語では、北京語では茶 (cha)、 広東語では茶(chah)、福建語では茶(ta)と呼ばれている。少数民族のタイ族はla、ミャオ族はji huchu taなどと呼んでいるという。/*=草冠+舜

  弥生時代の日本語の語彙はすでに、朝鮮アルタイ系のものは少なく、中国語を語源とするものが多い。朝鮮語も農耕技術とともにかなりの中国語の語彙を受け入れている。漢字文化圏は稲作や鉄の到来とともに東にひろがった。


もくじ

☆第32話 マンモスハンターのことば

★第33話 縄文時代の日本語

☆第34話 稲作文化の伝来と日本語

★第36話 金印の国「奴国」とは何か

☆第37話 魏志倭人伝の日本語

★第38話 古墳時代の日本語

☆第39話 飛鳥時代の日本語