第51話 現代の中国語と韓国・朝鮮語

 現代の日本人 は中学や高校で中国語や朝鮮語を学習することはほとんどない。大学でも英語やフランス語は習うが、中国語や朝鮮語を習う人は少ない。しかし、中国語や朝鮮 語は古代日本語の形成に重要な役割を果たしてきた。古代の日本語を解明するには、中国語や朝鮮語がどのような言語であるか、少なくともその骨格を理解して おくことが不可欠である。語彙や音韻構造についてはすでにふれた。日常会話を通して文章の構造をみてみることにする。

[日本語]         [中国語]                            [朝鮮語]
  こんにちは      你好(ニーハオ)             安寧(アンニョン゚)ハセヨ   
  ありがとう      謝謝(シェーシェー)      感謝(カムサ)ハムニダ
 さようなら
      再見(ツァイチェン)      安寧(アンニョン゚)ハシムニカ

 日本語の「こんにちは」は中国語では「你好」である。「你」は「あなた」、「好」は日本語の「元気」にあたる。中国語では「あなた元気?」ということになる。

中 国語には四声があって「好」は、がっかりしたときの「あーあ」のような調子で後半ゆるやかに上がる。「好」が「好き」の意味のときは、日本語の返事の「は い」のように下がる。英語のアクセントは疑問形のときは上がり平常文では下がるが、中国語の四声は文字ごとに決まっていて、「好」は健康の意味では上が り、好きの意味では下がる。同じ「ハオ」でも「蒿」は平声で、「豪」は上がる調子、「浩」は下がる調子である。もっと具体的に「体の調子はどうですか?」というときは「你身体嗎?」という。「嗎」は中国語の口語で質問、疑問をあらわす。中国語の「你好」、「謝謝」、「再見」を日本語に直訳すれば「あなた健康か」「感謝、感謝」「再び会おう」ということになる。中国語では助詞が発達していないし、動詞や形容詞の活用形もない。

 朝鮮語の場合 は、「こんにちは」は「アンニョンハシムニカ」あるいは「アンニョンハセヨ」である。「アンニョン」は漢字で書けば「安寧」である。「カムサハムニダ」の 「カムサ」も「感謝」であり、いずれも中国語からの借用語である。借用語に助詞や活用語尾を補っているから、朝鮮語として定着していて、借用語として意識 されることはない。

朝鮮語は中国語から多くの語彙は借用しているが、中国語の表現をそのまま借用しているわけではない。中国語の表現を朝鮮語にあてはめて、「你好(ニーハオ)ハセヨ」とか「謝謝(シェーシェー)ハムニダ」などとは決していわない。朝鮮語独特の表現を作り出している。

朝 鮮語の語順は日本語と同じである。朝鮮語のあいさつは、日本語に直訳すれば「安寧ですか」、「感謝しています」、「安寧でいてね」ということになる。「感 謝」は日本語でも使われるが、「安寧」という漢語が日本語の会話のなかで使われることは、まずない。日本語の場合も「こんにちは」は「今日は?」であり、「さようなら」は「左様なら」だとすれば、日常の挨拶は中国語からの借用語だということになる。しかし、現代の日本人はこれを中国語からの借用語だと意識する人はいないだろう。

借 用語の場合、語彙はその使い方が変化することがしばしばある。朝鮮語で「あなた」のことを「タン゚シン」という。「タン゚シン」は中国語の「当身」という 古い俗語の借用である。しかし、中国では「当身」ということばはもう今は使われていない。朝鮮語では議論は「相談」であり、発明は「弁解」、工夫は「勉 強」であり、日本語とは慣用が違う。

古代日本語においても、中国語の慣用がそのまま日本語になっているとは限らない。例えば、関所のことを日本語では「せき」といい、漢字では「関」をあてているが、古代中国語は塞[sək] だった可能性がある。また、「ふさぐ」ということばは「やまとことば」だと考えられているが、中国語の閉塞[pyet-sək]の借用語であるかもしれない。「あわれ」、「みじめ」は哀憐[əi-lyen]、無惨[miua-tsəm] の借用語である可能性も否定しきれない。また、「ひめる」、「ひそむ」は秘密[piuet-miet]、秘潜[piet-tzyəm] の借用語であるかもしれない。借用語は意味が近く、原語との間に音韻対応がみられる。

 つぎに日常の挨拶よりもう少し複雑な会話を、日本語、中国語、朝鮮語で比較してみることにする。

[日本語]  私の名前は小林です。
   [中国語]  我(ウオ)叫(チャオ)小林(シャオリン)。
   [朝鮮語]  私(チョエ)名前(イルム)ン 小林(ソリム) イムニダ。

[日本語]  お茶を一杯ください。
   [中国語]  請給(チン゚ゲイ)我(ウオ)一杯茶(イーペイチャ)。
   [朝鮮語]  茶(チャ)一(ハン)盞(ジャン)チョセヨ

 中国語の「我叫小林」は漢文として読み下せば「我は小林(シャオリン)と叫(よば)う」ということになる。「請給我一杯茶」は「我に一杯の茶を請(こ)い給え」である。中国語は日本語を語順が違うから「我ハ叫バウ小林ト」、「請イ給エ、我ニ一杯ノ茶ヲ」のように順序を入れ替えないと日本語にならない。

中国語では助詞が発達していないから、語順を換えると意味が違ってしまう。中国語の語順は日本語や朝鮮語とは違う。中国語の語順はS(主語)V(述語)O(目的語)で、英語とほとんど同じである。日本語や朝鮮語はS(主語)O(目的語)V(動詞)で、動詞が文章の末尾にくる。

朝鮮語の語順は日本語と同じである。「イムニダ」は日本語の「です」に相当する。「チョセヨ」は日本語の「ください」である。朝鮮語の「一」は「ハン」あるいは「ハナ」である。朝鮮語の「ジャン」の原語は古代中国語の盞[dzian]であり、「さかづき」のことである。同じ中国語からの借用語でも、日本語では「一杯」、朝鮮語では「一盞」である。「盞」のほうは現代の中国語ではもはや使われていない。現代の中国語では「杯」が使われている。       

 「ビールをく ださい」であれば、中国語では「一瓶(イーピン゚)啤酒(ピーチュウ)」となり、朝鮮語では「麦酒(メッチュ)一瓶(ハン・ピョン゚)」である。ビールは 英語あるいはドイツ語からの借用語であるが、中国語では音を借用して啤酒(ピーチュウ)となり、朝鮮語では意味を借用して麦酒(メッチュ)となった。

小林は中国語読みすれば「シャオリン」であり、朝鮮語で発音すれば「ソリム」になる。朝鮮語では小[siô] の介音[i ] が失われて「ソ」となり、林[liəm] は「リン」ではなく「リム」となる。現代北京語では韻尾の[-] [-] に合流して[-] だけになっているから、朝鮮語のほうが現代の北京語より、古い中国語音を留めていることになる。中国語では、日常使われる語彙は時代によって変わるばかりでなく、地方によっても異なる。

             あなた   ありがとう         さようなら      今日
  [北京語]  ni    謝謝xie xie      再見zai jian    今天jian tian
  [広東語]  neih       唔該ngh goi              再見joi gin      今日gam yaht
    [上海語]  non      謝謝儂xhia xhia non    再会zae huae   & nbsp;今朝jin zao

        ホテル     ワイン                    ご飯                  ボールペン
   [北京語] 飯店fan dian  葡萄酒pu tao jiu         米飯mi fan          圓珠筆yuan zhu bi
   [広東語] 酒店jau dim  紅酒huhng jau              白飯baahk faahn  原子筆yuhn ji bat
   [上海語] 飯店vae di   葡萄酒bhu dhao jioe  vae                      原子筆neue zi bik

最近は日本でも公共の場所の表示が日本語と英語だけでなく、中国語や朝鮮語で表記されていることがある。たとえば、シルバーシトは中国語では博愛座(bo-ai-zuo )、朝鮮語では優先席(u-seon-seok )である。トイレは中国語では公共厠所( gong-gong-ce-suo)、朝鮮語では化粧室( hwa-jang-sil)である。朝鮮語の名称は中国語起源だが、中国語の慣用とは異なる。同じ語彙でもまったく意味がちがってしまう場合すらある。たとえば「手紙」という単語は日本語にも中国語にもあるが、中国語ではトイレット・ペーパーのことであるという。

古 代の朝鮮語や日本語が江南方面の中国語の影響を強く受けているから、中国語からの借用語も、北京語ではなく、古代の上海語あるいは広東語の痕跡を留めてい る可能性がある。さらに、日本の漢字文化は朝鮮半島を経てきたことは確実であり、朝鮮半島で慣用語となったものを借用した可能性も考えておく必要がある。

もくじ

☆第42話 北京看板考

★第43話 中国の国語教科書

☆第44話 美国漢字地名地図

★第45話 万国漢字紳士録

☆第46話 ソウル街角ウオッチング

★第52話 北京音・朝鮮語音・日本漢字音