日本語を話す我々日本人にとって、日本語はここ から来たのか、日本語の親戚はあるのだろうかという問いは、大変ロマンティックであり、気になる問でもある。今まで何人もの言語学者がこの問にいどんでい る。 戦前は日本語アルタイ語系説が有力であったが、 戦後は大野晋のタミル語説や、南島説(オーストロネシア説)が関心を集めている。大野晋は『日本語の起源』という本を岩波新書で2回出している。最初は1957年で日本語はアルタイ系言語と同系であるという説 で、戦後の日本語起源説のランドマークであった。ところが1994年になると日本語はタミル語と同系であるという説 を立てて『日本語の起源』(旧版)は絶版にして、新たに同名の本を『日本語の起源』として出版して注目を集めた。 日本語の起源を水源がからだどることはかなりむ
ずかしい。こ
とばは生々流転する。しかも、音声としてのことばは発せられると同時に何の痕跡残さずに消えていく。文字時代以前の日本語を復元することは困難である。 禅の公案に「父母未生以前の自己如何」というの
がある。先祖をたどるにも、まず父母から、祖父母、曾祖父母とたどっていくのが道筋であろう。 日本語が文字で残されていて、その体系が分かる
ようになるのは8世紀のことである。律令体制の確立とともに『古事記』『日本書紀』『万葉集』が編纂され、まだかた仮名・ひら仮名はできていなかったので
漢字だけで書かれているが、日本語として読みとくことができる。『古事記』は和文臭の多い漢文で書かれているが、『日本書紀』は漢文で書かれている。それ
に対して『万葉集』は当時の日本語の歌を中国語を表記するたえに作られて漢字で表記しているから、当時の漢字の中国語音を復元することができれば、8世紀
の日本語を知る手がかりを与えてくれる。 従来から万葉研究では漢籍の影響などについての
研究はなされているが、万葉集の日本語と古代中国語一般との関係については言及がないように思われる。それは「やまとことば」は純粋であり、中国語や朝鮮
語の影響などあろうはずがないという前提にたっているからではなかろうか。 万葉集に使われている漢字をてがかりに、万葉集
の時代の「やまとことば」を復元して、「やまとことば」のなかに中国語あるいは朝鮮語と同源のことばがあるかないかを検証してみようというのが、「万葉語
辞典」の試みである。漢字の中国語音は唐代まではかなりの精度で復元できる。しかし、それを「やまとことば」にどのように当てはめたかを検証する作業はか
なりの忍耐と注意を要する。 結論を先にいえば、万葉集の日本語は文法の構造
は朝鮮語に限りなく近く、語彙は中国語と同源のものが多い。日本語は朝鮮語を父として、中国語を母として生まれたと言えるのではないか。父母未生以前の日
本語については不明である。 従来、漢字の音(呉音・漢音)は中国語音であ
り、訓はやまとことばだと言われているが、訓のなかにもかなり中国語と同源と思われるもの含まれていことが明らかになる。 |
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