第181話  た(田)の語源

 
【た(田)】
秋 の田(た)の吾が刈りばかの過ぎぬれば雁(かり)が音(ね)聞こゆ冬方(かた)設(まけ)て
(万2133)
秋 の田(た)の穂田(ほだ)の刈りばかかよりあらば彼所(そこ)もか人の吾(わ)を言(こと)なさむ(万512)

  古代中国語の「田」は田[dyen]である。古代日本語には[-n]で終わる音節はなかったので、中国語の韻尾[-n][-m]は古代日本語では脱落した。記紀歌謡は漢字の音だ けで書かれているが漢字の韻尾[-n][-m]は失われている例が多い。

 [-n][-m]喪失例:存・鐏(ぞ)、傳(で)、幡・泮・絆 (は)、弁(べ)、本(ほ)、煩(ぼ)、綿  (め)、延(イエ)、涴(わ)、遠・袁・惋(を)、

 また万葉集に使われている音読の漢字でも中国語の 韻尾[-n][-m]が失われている例が多い。

 [-n][-m]喪 失例:安(あ)、雲(う)、君・群(く)、散(さ)、信・新(し)、寸(す)、丹・田  (た)、陳・千(ち)、津(つ)、天(て)、難・南(な)、人・仁 (に)、年(ね)、半・伴・  播・幡・皤・盤(は)、嬪(ひ)、弁・反・返・遍・邊(へ)、便・弁(べ)、煩(ぼ)、万  (ま)、民(み)、面・浼・眼 (め)、文・門・問・聞(も)、延(イエ)、隣(り)、連    (れ)、袁・遠・怨(を)、

 日本語の「た」は古代中国語の田[dyen]の韻尾が失われたものであろう。中国語の介音[-i-][-y-]は隋唐の時代以降に発達してきたものであり、日本 語の田(た)は[-i-]介音発達以前の上古中国語の痕跡を留めている。ほ かに古代中国語の韻尾[-n][-m]が失われたれいとしては津[tzien](つ)、帆[biuəm](ほ)、邊[pyen](へ)などをあげることができる。

 【たき(瀧)】
田 跡河(たどかは)の瀧を清みか古(いにしへ)ゆ宮仕へけむ多藝(たぎ)の野の上(へ)に
(万1035)

高 山の石本(いはもと)瀧千(たぎち)逝く水の音(おと)には立てじ戀て死ぬとも
(万2718)

  「瀧」の古代中国語 音は瀧[liong]であったと考えられている。[l-]の後の介音(わたり音)は隋唐の時代に発達してき たものだから上古音は瀧[long]あるいは瀧[lok]に近かったとも考えられる。韻尾の[-ng]は、上古には[-k]であった。
 ところが、古代日本語にはラ行ではじまる音節はな かった。そのため古代中国語の
[l-]は調音の位置が同じ[t-]に転移した。瀧(たき)以外の例としては龍[liong](リュウ・たつ)、立[liəp](リツ・たつ)、粒[liəp](リュウ・つぶ)、霊[lyeng](レイ・たま)、連[lian](レン・つらなる)、隣[lien](リン・となり)、などをあげることができる。

 中国語音でも[l-][t-]に近く禮[lyei]・體[thyei]、頼[lat]・獺[that]などでは同じ声符がラ行とタ行に読み分けられてい る。

 【たぎま(當麻)】
大 坂に遇(あ)ふや嬢子(をとめ)を道問へば直(ただ)には告(の)らず當藝麻道(たぎまち)を告(の)る(記歌謡)

 當藝麻は飛鳥から南に迂回して、竹内峠を越えて当 麻村へ出る道で、いまでは当麻(たいま)と呼ばれている。「當麻」の古代中国語音は當麻[tang-mea]であり、古地名では當麻と書いて當麻(たぎま)と 読んだ。『和名抄』は中国語の韻尾[-ng]をカ行音で読んだ地名例をいくつかあげている。

例:相模(佐加三)、相樂(佐加良加)、伊香(伊 加古)、香美(加々美)、香止(加々止)、
  楊生(也木布)、小楊(乎也木)、楊井(也木 井)、美嚢(美奈木)、愛宕(於多岐)、英太
  (阿加多)、餘綾(與呂岐)、

【たけ(竹)】
御 苑生(みそのふ)の竹(たけ)の林に鶯(うぐひす)はしば鳴きにしを雪は降りつつ
(万4286)
梅 の花散らまく惜しみわが苑の多氣(たけ)の林に鶯(うぐひす)鳴くも(万824)

 古代中国語の「竹」は竹[tiuk]である。スウェーデンの言語学者カールグレンはそ の著書『言語学と古代中国』のなかで「日本語の竹(たけ)は文化史的に見ても中国語からの借用語であることは間違いない」としている。
 「竹」の古代中国語音は竹
[tiuk]で あり、日本語の「たけ」とは母音が一致しない。日本語の竹(たけ)はかなり古い時代の中国語音を反映している可能性がある。竹は東アジア一帯で育てられて いる植物であり、利用範囲が広いことから、日本人が中国人からその利用法を学ばなかったとは考えにくい。」とも述べている。
 これに対して国 語学者の亀井孝は「竹は日本人の祖先が日本列島に住み始めた太古の時代から日本にあったものである。日本人の祖先は筍を食べていたに違いなく、竹には日本 古来の名前がついていたはずである。」だから竹(たけ)が中国語からの借用語であることは多分に疑わしい、と反論している。

 カールグレンは 音韻論で立証しようとしているのに対して亀井孝は文化論で反論している。現在の日本語には英語からの借用語が氾濫している。そのなかには日本語の語彙にな かったものばかりでなく、もともと日本語の語彙にあったものが捨てられて外来語に置き換わったものも少なくない。ある日の新聞記事からランダムに拾ってみ ると、規則(ルール)、事例(ケース)、制度(システム)、政権公約(マニフェスト)、挿絵(イラスト)、流行(ファッション)、文化(カルチャー)、鞄 (バッグ)、上着(コート)、座席(シート)、余暇(レジャー)、海岸(ビーチ)、球(ボール)、洗面所(トイレ)など限りがない。なかには日本(ジャパ ン)などもある。これらはいずれも英語が入ってくる前から日本にあったものばかりである。外国から入ってきたものでも漢語になっているものもある。自動 車、電話、野球、などである。
 こうして並べてみると英語の前に漢語がある。漢語 の前にはどんな「やまとことば」があったのだろうかと、むしろそのほうが知りたくなる。

 【たけ(嶺)】
「夜 は駿河の富岻(ふじ)の嶺≪大介・たけ≫に往きて修す。」(霊異記)
霰 (あられ)零(ふ)り古志美(こしみ)が高嶺(たけ)を險(さが)しみと草取りはなち妹(いも)が手を取る(万385)

  古代中国語の「嶺」 は嶺[lieng]である。日本漢字音は嶺(リョウ・レイ・みね・た け)である。嶺(たけ)も嶺(みね)も中国語の嶺[lieng]と関係のあることばであろう。古代日本語にはラ行 ではじまる音節はなかったから中国語の[l-]は調音の位置が同じ[t-]に転移した。中国語の韻尾[-ng]は上古音では[-k]に近かった。嶺(みね)については【みね(峰・ 嶺)】の項で述 べる。
参照:【たき(瀧)】瀧
[liong]第198話【みね(峰・嶺)】

 【たけ(丈)】
「お ほとこが司(つかさ)なひけなはひとの太氣(たけ・丈)太可(たか・高)比止(ひと・人)ぞことは受けつる。」(正倉院文書)
「身 長(みのたけ)一丈、力能(よ)く鼎(かなへ)を扛(あ)げたまふ。」(景行紀2年)

  古代中国語の「丈」 は丈[diang]である。上古音は丈[dak]*に近い発音だったものと推定される。介音[-i-]が発達してきたのは隋唐の時代であり、韻尾の[-ng]は上古には[-k]に近かった。日本語の丈(たけ)は上古中国語音の 痕跡を留めている。

 【ただ(直)】
み 熊野の浦の濱(はま)木綿(ゆふ)百重(ももへ)なす心は念(も)へど直(ただ)に逢(あ)はぬかも(万496)
直 (ただ)今夜(こよひ)逢(あ)ひたる兒(こ)らに言問(ことと)ひも未だ爲(せ)ずしてさ夜ぞ明けにける(万2060)

  古代中国語の「直」 は直[diək]である。上古音は直[dək]に近かったものと推定できる。古代日本語には濁音 ではじまる音節はなかったので語頭に清音(た)をおいて(た+だ)として日本語に受け入れやすくしたものと思われる。

 【ただ(但)】
「其 の泉津(よもつ)平坂にして、或いは所謂(い)ふ、泉津平坂といふは、復(また)別(こと)に処所(ところ)有らじ、但(ただ)死(まか)るに臨(のぞ) みて気絶ゆる際(きは)、是を謂(い)ふか。」(神代紀上)
「吾 は元より黒き心無し。但(ただ)し父母已(すで)に嚴(いつく)しき勅(みことのり)有りて、永(ひたぶる)に根國に就(まか)りなむとす。」(神代紀上)

 古代中国語の「但」は但[dean]である。上古音は但[dan]に近い音であったと推定できる。古代日本語には濁 音ではじまる音節がなかったので語頭に清音(た)をつけて(た+だ)として日本語に受け入れた。

 【たたみ(畳)】
畳 薦(たたみこも)隔(へだ)てて編(あ)む數(かず)通(かよ)はさば道の柴草生(お)ひざらましを(万2777)
「海 に入(い)りたまはむとする時、菅畳(すがたたみ)八重、皮(かは)畳八重、絁(きぬ)畳八重以(も)ちて波の上に敷きて、其の上に下(お)り坐(ま) す。」(記、 景行)
韓 國(からくに)の虎とふ神を生取(いけど)りに八頭(やつ)取り持ち來(き)その皮を多々彌(たたみ)に刺し八重畳平群の山に、、、(万885)

  中国には「畳・たたみ」はない。たたむ、折重ね る、の意味である。日本では薦を編んだものを畳(たたみ)という。古代中国語の「畳」は畳[dyap]である。古代日本語には濁音ではじまる音節はな かったので清音(た)を語頭に立てて(た+たみ)とした。韻尾の[-p]は調音の位置が[-m]と同じ唇音であり、転移しやすい。日本語では第一音節は清音であっても、第二音節以下では濁音になる傾向がみられる。韻尾の[-p]は鼻濁音[-m]に転移した。

 【たち(太刀)】
大 御身(おほみみ)に大刀(たち)取り佩かし大御手(おほみて)に弓取り持たし御軍士(みいくさ)をあどもひたまひ齊(ととの)ふる鼓(つづみ)の音は雷 (いかづち)の聲(おと)と聞くまで、、、(万199)

 古代中国語の「太刀」は太刀[that-tô]である。日本語の「たち」の語源は中国語の太刀[that-tô]であろう。

 【たつ(龍)】
「豐 玉姫、方(みざかり)に産(こう)むときに龍(たつ)に化爲(な)りぬ。」(神代紀下)
多 都能(たつの)馬(ま)を今も得てしかあをによし奈良の都に行きて來むため(万806)

  古代中国語の「龍」 は龍[liong]で ある。中国で古代から神獣とされた動物である。中国に龍(リュウ)というものがあって、日本に古代から龍(たつ)というものが、たまたまあって、この「た つ」に「龍」の字をあてはめたというものではない。古代日本語にはラ行ではじまることばはなかった。だから古代中国語の[l-]は日本語では調音の位置の近いタ行に転移した。 「たつ」は日本固有の語ではなく、中国語からの借用語が転移したものである。
参照:【たき(瀧)】、【たけ(嶺)】、

 

【たつ(立)】
吾 (わ)が背子(せこ)を倭(やまと)へ遣(や)るとさ夜深(ふ)けて曉露に吾が立ち霑(ぬ)れし(万105)
み 吉野の三船(みふね)の山に立つ雲の常に在(あ)らむと我が思はなくに(万244)

 古代中国語の「立」は立[liəp]である。古代日本語ではラ行音が語頭に立つことが なかったので中国語の頭音[l-]は調音の位置が同じ日本語のタ行に転移した。韻尾 の[-p]は日本漢字音では[-t]に転移することが多い。例:立[liəp]りつ、湿[sjiəp]しつ、執[tiəp]しつ、接[tziap]せつ、摂[siap]せつ、雜[dzəp]ざつ、など。
参照:【たき(瀧)】、【たけ(嶺)】、【たつ (龍)】、

 【たつ(斷・絶)】
人 の祖(おや)の立つる言(こと)立て人の子は祖(おや)の名絶(た)たず、、、(万4094)
「已 (すで)にして天照大神則(すなは)ち八坂瓊(やさかに)の曲玉(まがたま)を以て天眞名井に浮寄(う)けて瓊の端を囓(く)ひ斷(た)ちて吹き出つる気 噴の中に化生(な)れる神を市杵嶋(いつきしま)姫命(ひめのみこと)と號(なづ)く。」(神代紀上)

  古代中国語の「斷」 「絶」は斷[duan]、絶[dziuat] であり、音義ともに近い。古代中国語の韻尾[-n][-t]から変化したものが多く、「斷」の上古音は斷[duat]に近かったものと推定される。また、絶[dziuat]は上古音の絶[duat][-i-]介音の発達によって摩擦音化したものと考えられ る。日本語の「たつ」は上古中国語の斷[duat]あるいは絶[duat]の痕跡を留めている。
 

☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

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