第
157話 『明暗』の日本語を解する
漱石は大正五年(1916)一二月九日に亡くなっている。朝日新聞に連載中
だった『明暗』は一二月一四日まで掲載され、未完に終わっている。その日の新聞によって最終回を見てみると、その最後の連載は次のように始まっている。
明暗(めいあん)
漱石 百八十八
津田は清子の剥い
てくれた林檎に手を触れ
なかった。
「貴女い
かゞです。折角吉川の奥さ
んが貴女の
ためといつて贈 つて
くれたんですよ」
「さうね、さうして貴女が又わ
ざわざそれを此所迄持つて來て
くだすつたん ですね。その御親切に對し
ても頂か
なくっちゃ悪い
わね」
清子は斯う云ひな
がら、二人の間(あ
ひだ)にある林檎の
一片を手に 取つた。然し
それを口へ持つて行く前に又訊い
た。
「然し考へる
と可笑い
わね。一體何う
したんでせう」
「何が何う
したんです」
「私吉川の奥さ
んにお見舞を頂かう
とは思はな
かつたのよ。そ れから其お見舞を
また貴女が持つて來て下さ
らうとは猶更思はな
かつたのよ」
津田は口の
うちで「さうでせう、僕で
さへそんな事は思はな
かつたんだから」と云つた。
新聞にはルビが振ってある。『明暗』は未完だったから、その結末はどうなるの
だろうと、漱石ファンなら誰でも思う。生真面目な主人公の津田に対して自由奔放に振る舞う清子について、清子こそ「則天去私」の自然さをそなえた人物に発
展していくだろうという人もいる。また、清子の自由こそ近代的個人主義だと考える人もいる。作家の水村美苗などは自分自身が考えた『明暗』の完結篇を書い
て『続明暗』として発表している。
しかし、ここでは『明暗』の作品論をするのではない。漱石の使った日本語は我々が現在使っている日本語と同じだろうか、違うとすればどこがどのように
違っているのか、検証してみるのが主題である。
『明暗』最終回の冒頭の部分をみても、漱石の日
本語はわかりやすい。「林檎」は難しい字だなあ、と思う。しかし、まだ常用漢字がなかったから当たり前だ。そのほかでは、「貴女」と書いて「あなた」と読
ませるのも今では使われていないなあ、とも気づく。「貴」も「女」も常用漢字表にはあるが、「貴」は貴族(キゾク)、貴重(キチョウ)などの「キ」、貴
(とうと)い、貴(たっと)ぶ、などと読み、「女」は女子(ジョシ)、天女(テンニョ)、せいぜい女房(ニョウボウ)くらいまである。訓では女(おん
な)、女神(めがみ)であって貴女(あなた)とは書かない。
それでは「林檎(りんご)」や「貴女(あなた)」という日本語はなくなってしまったのか、というと表記法が変わっただけで、日本語の中には「リンゴ」も
「あなた」も生きている。漱石の時代の日本語とくらべてみて一番変わったのは、まず戦後常用漢字が定めれて難しい漢字が使われなくなったこと。そして仮名
使いが改められたことであろう。しかし、『明暗』の日本語を解剖してみると、ほかにもいくつか変わった点がみられる。
1.西洋の語彙が使われるようになってきていること。
良寛さんの文章にはなかったものとして、まず西洋文化とともに西洋のことばが日本語のなかに入ってきたことがあげられる。
煙草(タバコ)、茛盆(タバコぼん)、煙管(キセル)、隠袋(ポケット・かくし)、停車
場(ステーション)、舗床(ペーブメント)、公園(パーク)、石鹸(シャボン・せっけん)、
酒場(バー)、指洗盆(フィンガーボール)、貴婦人(レデー)、合羽(カッパ)、上靴(ス
リッパー)、羅紗(ラシャ)、性(セックス)、愛(ラブ)、台詞(セリフ)、諧謔(ヒュー
モア)、光景(シーン)、耶蘇教(ヤソきょう)、論理(ロジック)、衝撃(ショック)、象
徴(シンボル)、
煙管(キセル)、石鹸(シャボン)、合羽(カッ
パ)、羅紗(ラシャ)はポルトガル語起源だという。隠袋、石鹸は隠袋(かくし)、石鹸(せっけん)とも呼ばれている。これらは漢語への翻訳あるいは漢字へ
の転写であるが、カタカナで表記された外来語も数多くある。
(食べ物など):パン、バタ、トースト、サラド、ハム、ソップ(スープのこ
と)、コー
ヒー、レモン、ウーロン茶、ビール、ライスカレー、ナイフ、フォーク、コップ、ナプ
キン、テーブル、
(着物など):紺セルの洋服、綿フラネルネルを重ねた銘仙、メリンス、ホー
ムスパン、
ステッキ、ネクタイ、半ズボン、コート、インバネス(外套)、ハンケチ、キッド(子ヤ
ギ)の靴、ズック靴、デパートメント・ストア、
(生活):マッチ、ガス、窓ガラス、オペラグラス、ピアノ、インキ、
トーダンス、ピン
クッション(針刺し)、マンションハウス(ロンドン市長の官舎)、
着物のファッションなどは今では見られなくなっ
てしまっているものもある。「リチネ」という語もよく出てくるが「ヒマシ油」だそうである。マンションハウスとはずいぶんハイカラだと思ったがこれはロン
ドン市長の官舎である。現在日本語で使われている「マンション」とはずいぶん違う。
2.音読みの漢字はほとんど読めるものばかりである。
もちろん常用漢字以外の漢字も使われている。しかし、その頻度はそう多くない。音読の漢字はほとんどが二文字のものであり、一文字の漢字で音読するもの
はそう多くない。
僕(ボク)、妻(サイ)、金(キン)、先(セン)を越す、膳(ゼン)、晩(バン)、罐(カ
ン)、お客(キャク)、変(ヘン)だ、埒(ラチ)、対(タイ)して、毫(ゴウ)も、信(シン) じる、気(キ)、方(ホウ)、腑(フ)に落ちる、
妻は現在では妻(つま)というほうがふつうだろ
う。金(キン)は金属であり、金(かね)は金銭で区別されるのは今も同じである。先(セン)を越すは現代では先(さき)を越すというに違いない。いずれに
しても一文字で音読みする漢字は漱石の時代も今も少ない。
漱石は漢学の素養があったから、さぞかし難しい
漢字を使ったのではないかと思いきや、ほとんどの漢字が現代の漢字の知識で読めるのである。音読みは呉音、漢音などの違いが時にあるにしても比較的読み方
が安定している。とりわけ、漢字が二つ続いた場合は音読のことが多いから、漢字が二つ続いたら音読だとあらかじめ予測できる。比較的頻度の多いカ行とサ行
の漢字についてランダムに例示してみると次のようになる。
(カ行):恰好、感慨、解決、会社、寒菊、過去、活溌、合点(ガテ
ン)、金箔、記憶、
機嫌、偽物(ギブツ)、嬌態、疑問、偶然、結構、軽蔑、牽制、燦爛、下卑た、下女、
勾配、高尚、格子(コウシ)、御飯、瘢痕、今度、滑稽、強情、紅茶、
(サ行):琑末、最初、散歩、雑駁、視線、質問、七宝、斟酌、お辞儀、
時分、自分、遮
断、俊巡、終焉、正直、酔興、杜撰(ズサン)、専有、刹那的、説明、石鹸、贅沢、咀嚼、
相違、掃除、疎髯(ソゼン)、存在、
「疎髯」ということばは聞いたことがないにして
も、ほとんどが現代日本語の想定内なのではなかろうか。「偽物(ギブツ)」は現代では「偽物(にせもの)」ではないかな、「酔興」は「酔狂」ではないかな
と思うくらいで、あとは常用漢字の範囲を若干超えていても自然に読める。
三文字以上の漢字はほとんどが複合語である。御
都合、御親切、勉強家、座蒲団、葡萄状、無頓着、二三日、前途遼遠、書生部屋、紅茶茶碗、などである。
現在よく使われている漢字と違うものは少しある。( )内に現在の漢字を示した。
笑談(冗談)、洗湯(銭湯)、脳力(能力)、容子(様子)、給使(給仕)、辛防(辛抱)、
填補(補填)する、
3.訓読みの漢字は一文字の漢字が多い。
訓読みの一文字漢字のなかには現在はほとんど使われなくなった読みもかなり見られる。
現在ほかの漢字が使われているものについては( )で示した。
(名詞):己(おれ・俺)、妾(あたし・私)、室(へや・部屋)、腮・
頷(あご・顎)、腋
(わき・脇)、肚(はら・腹)、眸・瞳子(ひとみ)、沓(くつ・靴)、狗(いぬ・犬)、敵
(かたき・仇敵)、意(こころ・心)、擒(とりこ・虜)、香(におい・臭)、午(ひる・
昼)、矜(ほこり・誇)、瞬(まばたき・目ばたき)、因(おこ・起)り、斜(はす)、
(動詞):診・診察(み)る、露(あら・表)わす、醒(さ・覚)める、
逢(あ・会)う、
中(あ・当)てる、圧(お・押)し潰す、駄まる(黙る)、活(い・生)きた、牽(ひ・
引)き付ける、退(ひ・引)く、逼(せま・迫)る、活(い・生)ける、扇(あお)る、
急(せ)き込む、騙(だま)す、憑(の)り移る、僻(ひが)む、誂(あつら)え、媚
(こ)びる、嵌(は)め込む、慢(たか)ぶる、炒(い)り豆、冴(さ)える、潜(く
ぐ)る、倦(う)む、体(なり)、質(たち)、贐(はなむけ)、塞(つか)える、
(形容詞など):繊(ほそ・細)い、蒼(あお・青)い、燦(きら)つく、華麗
(華やか)
な、疾(と)く、
漢字一字で表示されるやまとことばの多くは、ほか
の漢字に置き換えることができる。 複数の読み方のある漢字も見られる。
嫂(あによめ・ねえさん・おんな)、例(いつも・ためし)、機(しお・はずみ)、掌(た
なごころ・てのひら)、温(ぬくもり・あたたか)い、惚(ほれる・とぼ)ける、
訓読みは漢字の日本語訳だから、対応する漢字は
複数ありうる。同じことばに複数の漢字があれられている例もまれではない。
姉・嫂(ねえ)さん、眸・瞳子(ひとみ)、欠・欠伸(あくび)、懐・懐中(ふところ)、
遑・暇(いとま)、宅・自宅・家(うち)、想・憶(おも)い、嘘・偽・虚言(うそ)、途・
路(みち・道)、困・窮(こま)る、
4.二文字熟語は難読字が多い。
現代の日本語の表記は漱石の時代よりも整理されてきているといえる。しかし、二文字の漢字を訓読みするものについては、慣用がありむずかしい。いわゆる
熟語訓である。漱石の時代には現代よりも熟語訓の使用は多い。
お土産(みやげ)、胡坐(あぐら)、欠伸(あくび)、仮寝(うたたね)、田舎(いなか)、
悪戯(いたずら)、陽炎(かげろう)、足袋(たび)、松明(たいまつ)、餉台(ちゃぶだ
い)、木精(こだま)、光沢(つや)、抽斗(ひきだし)、穏和(おだやか)、四方・四辺・
周囲・四周(あたり)、周囲(ぐるり・まわり・あたり)、身体(からだ)、服装・体(な
り)、年歯・年齢(とし・歯は齢)、粗野(がさつ)、空虚(からっぽ)、効能(ききめ)、
生計(くらし)、共謀(ぐる)、紙幣(さつ)、音信(たより)、性質・質(たち)、品質(も
の)、鶏卵(たまご)、徒然(つれづれ)、媒介(なかだち)、褞袍(どてら)、火熨斗(ひ・
のし)、階子・梯子(はしご)、懐中・懐(ふところ)、平生(ふだん・ひごろ)彗星(ほ
うきぼし)、破綻(ぼろ)、花崗岩(みかげいし)、邸宅(やしき)、自暴(やけ)、無能(や
くざ)、温泉(ゆ)、所以(ゆえん)、理由(わけ)、為替(かわせ)、
これらのことばは現代の日本語では音読みに置き
換えられつつある。身体(からだ・シンタイ)、穏和(おだやか・オンワ)、粗野(がさつ・ソヤ)、紙幣(さつ・シヘイ)、光沢(つや・コウタク)、年齢
(とし・ネンレイ)彗星(ほうきぼし・スイセイ)、破綻(ぼろ・ハタン)、花崗岩(みかげいし・カコウガン)、邸宅(やしき・テイタク)、温泉(ゆ・オン
セン)などである。
同じ文脈のなかで違った漢字が用いられている例
もある。「彼は玄関の突当たりの狭い部屋(へや)から出る四、五人の目の光を一度に浴びた。窓のない室(へや)は狭いばかりでなく実際暗かった。」(一
七)また、「悧巧・怜悧(りこう)」のように同じことばに異なった漢字を用いた例や「怜悧(レイリ)」と音読みにしている例もある。
熟語訓は「当て字」だからだんだん使われなく
なっていく傾向にあるのではなかろうか。しかし、熟語訓は身近なことばのなかに根強く残っていく可能性もある。
(人称):貴方・貴女(あなた)、良人(うち・おっ
と)、宅(うち)、叔父(おじ)、叔母・
小母(おば)さん、従姉・従妹(いとこ)、兄妹(きょうだい)、彼奴(あいつ)、一人(ひ
とり)、二人(ふたり)、
(日時):今日(きょう)、今年(ことし)、今朝(け
さ)、明日(あした)、明後日(あさ
って)、昨日(きのう)、昨夜・昨夕(ゆうべ)、一昨日(おととい)、
5.『明暗』と漢詩の詩作と
漱石は大正五年八月十四日から十一月二十日、つまり十二月九日の永眠の二十日前まで、百日の間に七十首の漢詩を連続して作った。漱石は芥川龍之介と久米
正雄への手紙に「僕は不相変『明暗』を午前中に書いてゐます。四五日前から午後の日課として漢詩を作ります。」と書いている。英文学に入る前の漱石はもと
もと漢学が好きであった。その時期読みふけった『老子』は漱石にとって自家薬籠中のものだった。日本語による『明暗』の執筆と漢詩の詩作というバイリンガ
ルな言語生活は漱石のなかでどのように位置づけられていたのだろうか。この時期に作った漢詩を見てみたい。
無題 九月十七日
好焚香炷護清宵
好
(よし)香炷を焚(たいて)清宵を護(まもる)
不是枯禅愛寂寥
是
(これ)枯禅の寂寥を愛する不
(ならず)
月暖三更憐雨静
月
(つき)暖(あたたかにして)三更 雨(あめの)静(しず
かなるを)憐(あわれみ)
水閑半夜聴魚跳
水
(みず)閑(のどかにして)半夜 魚(うおの)跳(はねる
を)聴(きく)
思詩恰似前程遠
詩を
思(おもえば)恰(あたかも)前程の遠(とおきに)似(に)
記夢誰知去路遥
夢
(ゆめを)記すれば誰(たれか)知(しらん)去路の遥(は
るかなるを)
獨坐窈宨虚白裏
独
(ひとり)窈宨虚白の裏(うらに)坐すれば
蘭釭照盡入明朝
蘭
釭
照(てらし)尽(つくして)明朝に入(いる)
読み方は吉川幸次郎によって訓読みの部分にかな
を付して、音読みの部分には下線をつけてみた。漢詩は漢字で書いてあるあるが、日本語として読むことを想定しているので訓読みが多い。もちろん漢詩の知識
がなければ書けない。「窈宨」は詩経に出てくることばで、奥深いもの静かな心理である。「虚白」は荘子の語で、うつろで清潔な心をいう。蘭釭は蘭の油を燃
料とした灯火である。しかし、基本的には日本語に訓訳して読めるように書いてある。
『明暗』の日本語の文章も漢詩の文章も、漢字仮
名交じり文として読むことを想定して書かれているというのは、言い過ぎだろうか。『明暗』の文章には漢語は意外に少なく、漢詩は訓読みを想定した漢字が多
く使われているのである。
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