第103話 チャモロ語訳の聖書
日本の南にはオーストロネシア語圏という広大が言語圏が広がっている。そのなかで、日本から一番近い島のひとつであるグアム・サイパンのことば・チャモロ語について検討してみる。聖書はAmerican Bible Society 1908版による。
ヨハネ福音書第1章
Y Ybangelio
Según San Juan 1
1. 初めにことばがあった。
Y
tutujon-ňa
gaegue
y
Finijo,
(定冠詞)
初め+その(所有格)-である (定冠詞) ことば
ことばは神とともにあった。
ya
y
Finijo
güiya
yan si
Yuus;
だから (定冠詞) ことば それである -と -さま イエス
ことばは神であった。
ya
y
Finijo
güiya
si Yuus
だから(定冠詞) ことば
それである –さま イエス
2.このことばは、初めに神とともにあった。
Güiya gaegue gui tutujon-ňa
yan si
Yuus.
それは である それ 初め+その(所有格) -と -さま イエス
3.万物は神によって成った。成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかっ た。
Todo y
güinaja
sija
manmafatinas
pot
güiya;
すべて(定冠詞) 富+それら(目的格) 創造される(受身)
-によって 彼(強調)
yagüin ti
pot
güiya,
taya- ni esta
mafatinas.
彼に (否定)よらずに 彼(強調)
(否定)
すでに 創造される(受身)
nu- y gaegue
gui
finatinas sija.
によって である 彼(3人称単数主格)
創造物 それらを(3人称複数目的格)
○チャモロ語には代名詞が2セットある。hu型とyo型と呼ばれるものである。
|
1人称
単数
|
2人称
単数
|
3人称
単数
|
1人称
複数(含)
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1人称
複数(外)
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2人称
複数
|
3人称
複数
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hu型
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hu
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un
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ha
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ta
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in
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En
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Ma
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yo型
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yo’
|
hao
|
gue’
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hit
|
ham
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hamyo
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Siha
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所有
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-hu
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-mu
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-ña
|
-ta
|
-mami
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-miyu
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-ñiha
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強調
|
gauhu
|
hagu
|
guiya
|
hita
|
hami
|
hamyo
|
Siha
|
チャモロ語には1人称複数に話し相手を含む包含形と除外形がある。複数(含) は包含形を表し、複 数(外)は除外形を表す。
hu型他動詞の前に置かれ、動作主を表す。また、yo型は自動詞および、不特定の対象物をさす目的 語を伴う他動詞の後に置かれる。
○sija(3人称複数・目的格)はgüinaja(富)について、富を受動態の目的格にする。
○ チャモロ語では接頭辞が多く使われる。manmafatinasはfatanas(創造する)に接頭辞man-(動 作主焦点形)とma-(受動形マーカー)のついたものである。文章のなかで話題の中心になって いるものを示す。
○チャモロ語には焦点形という日本語やヨーロッパの言語にはない文法形式がある。焦点形と非焦 点形があって、manmafatinasのman-は焦点形である。最後の行のnuは非焦点形である。
○ チャモロ語では接中辞(動詞の第一音節の子音の後に接辞をつける)が用いられることもある。 最後の行のfinatinasはfatanas(創造する)に接中辞-in-がついたもので、動詞を名詞化するはたら きをもっている。
マタイ福音書第6章
Y Ybangelio
Según San Mateo 6
9.だから、こう祈りなさい。
Lao
an
manmanaetae
jamyo
taegüine
でも そのとき 祈りなさい(主格焦点形・命令形) あなた方は このように
天におられるわたしたちの父よ、御名(みな)が崇められますように。
Tatanmame na
gaegue jao
gui langet: umatuna
y naanmo.
われらの父 の である あなた その
天
たたえられる (冠詞)
名前
○manmanaetaeのman-は動作者焦点形である。manaeteはfanaetae(祈る)の転移で命令形○umatunaのtunaは「たたえる」、umá-は再帰表示マーカーである。
10.
御国(みくに)が来ますように。
Umamaela
y
raenomo,
めぐり-来る (冠詞)あなたの王国
御心(みこころ)が行われますように。天におけるように地の上でも。
umafatinas minalago-mo
jaftaemano gui langet taeg-jija
gui tano;
成就する (冠詞) 望み-あなたの の方法で
で 天国 のように で 地上
○umamaela、umafatinasのはいずれも再帰表示マーカーで、maela(来る)、fitina(創造する)ととも に、「めぐって来る」、「成就する」のような意味を表す。
○ raenomoのmo(またはmu)は2人称単数所有格を表し、raenomoは「あなたの王国」、inalago-mo は「あなたの望み」となる。
11.
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
Naejam
pago nu
y
cada jaane na agonmame;
我らに与えたまえ 今日 (非焦点)(冠詞) 毎
日
の
我々の糧食
○ naeは「与える」、 jamは1人称複数・除外形、
○ agonは「主食」、mamiは1人称複数・所有格、
12.
わたしたちの負い目を赦してください。
Ya asiijam
nu
y
dibenmame,
そして われらを許す (非焦点形)(冠詞)借金+われわれの
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
taegüi-je
yan
inasisie
y
dumidibejam
sija;
このように また 許す (冠詞) われわれが借金する 彼らを(複数表示)
○asiiは「許す」、jamは1人称複数除外形
○dibiは「借金」、-mami=1人称複数除外形・所有格「われわれの」、
○inasi’iのinは=目的格焦点形表示の接頭辞、
○dumidibejamの -um-は動詞化接中辞・行為者焦点形、
13.
わたしたちを誘惑に遭わせず、
Ya
chamo-jam
pumó-polo na infanbasnag
gui tentasion,
そして するな+我々を
○○-場所 の
我々が転落する(未来形)
その 誘惑
悪い者から救ってください。
lao
nafanlibrejam
nu
y taelaye;
また 救いたまえ+我々を (非焦点形)(冠詞) 乱暴者
○ pumóはDonald
M.Topping et al.の”Chamorro-English Dictionary”には載っていない。
poloは「場所」である。
○ infanbasangのbasnagは「転落する」、 inは1人称複数除外形・主格で、fanは未来時制をあらわ す。
○ tentasionは「誘惑」で英語のtemptationと同じ、 libreは「救う」で、いずれもスペイン語などか らの借用語である。
○ nafanlibrejamはna(動詞変換接辞辞)+fan(未来時制)+libre+jam(1人称複数除外形)
次の聖句は聖書によってあるものと、ないものがあるがチャモロ語訳ではこのようになっている。
国と力と栄えは限りなく爾(なんじ)のものなればなり。
sa
iyomo
y
raeno, yan y
ninasiňa
ゆえに あなたの(冠詞)王国 と (冠詞) 力
yan y
minalag para
taejinecog na jaane; Amen.
と (冠詞)栄光
ために
永遠の の 日 アーメン
参考文献:Donald M. Topping”Chamorro Reference
Grammar” University of Hawaii
Donald M.
Topping””Chamorro-English
Dictionary” University of Hawaii
チャモロ族は紀元前1500年頃、アウトリガー・カヌーに乗ってこの島にたどり着いたと考えられている。アウトリガー・カヌーはポリネシア、ミクロネシア諸島などに見
られる丸木舟で、船体の横にフロートをつけるため安定性がよく、波を切って遠距離を航海することができる。チャモロ語はオーストロネシア(南島)語族に属
し、東はハワイ・ポリネシアからインドネシア、フィリピン、マレーシア、台湾(高砂族)から西はアフリカのマダガスカル島まで広がっている大語族である。
グアム島は日本から一番近い南島で、飛行機で3時間で着く。現在グアム島の人口は約14万人で、そのうち5万5千人がチャモロ語を話すという。日本語は北のアイヌ語に
より近いのだろうか、それともチャモロ語との共通点が多いのだろうか。聖書の聖句の対訳からそれを探ってみると次のようになる。
○日本語と同じ特徴 :●日本語と異なる特徴
[日本語] [アイヌ語] [チャモロ語]
○ 語順は主語+目的語+動詞である。*1
○ ●
○ 疑問文は文末に疑問標識をおく。 ○ ●
○ 否定形は動詞の後にくる。
●
●
○ 名詞に性・格の表示はない。
○ ○
○ 名詞に数の表示はない。
○ ●
○1人称複数
の代名詞に包含形と除外形はない。 ● ●
○ 形容詞は名詞の前にくる。
○ ●
○ 後置詞(助詞)が名詞のあとにくる。
○ ●
○ 動詞に主格、目的格などの格標示はない。*2
● ●
○ 動詞は数の標示をしない。
● ●
○ 冠詞はない。
○ ●
○ 濁音は文頭にはたたない。
○ ●
○ 複合子音は文頭にたたない*3
○
○
○ 母音調和がある。
●
○
○ rとlの区別がない。*4
○ ○
○ p、t、k で終わる音節はない。 ●
●
注*1:チャモロ語では動作主の人称と格が代名詞によって示され、また文章の主題は焦点形によって示さ れるので、主語の概念はとらえにくい。しかし、次のような文では主語+動詞+目的語が基本形となる。
Si
Juan ha
li’e’
i lepblo.
(冠詞)
ファン 彼(代名詞) 見る その 本
注*2:チャモロ語ではアイヌ語と違って動詞が人称の格標示をすることはない。しかし、次のよ うな場合ha(主格表示辞)は主語につくとも、動詞につくともみることができる。
i
patgon
ha
li’e
i
guaka.
(冠詞)
子ども (主格表示辞)
見た (冠詞)
牛
haが動詞につくとみれば、アイヌ語の動詞に含まれる人称表示と近い機能をもつとみなすこ とができる。
注*3:スペイン語が入ってくる前のチャモロ語には複合子音はなかったと考えられている。
注*4:スペインの支配は250年間続いた。それ以前のチャモロ語にはrとlの区別はなかった と考えられている。
チャモロ語には焦点形といわれるインド・ヨーロッパ語にはない文法形式がある。焦点形はフィリピンの言語などに典型的に見られるもので、チャモロ語では次のように現われる。
例:Guahu
lumi’e’ i
palao’an.
私こそは 見た (冠詞) 女の人-を
チャモロ語で「見る」はl’ie’であるが接中辞-um-がついて動作主、つまり「私」に焦点があったっていることを文法的に明らかにしている。「私」はhuであるが、guahuは強調形である。焦点形には動作主焦点形のほかに目的焦点形(goal focus)、原因焦点形(causative
focus)などがある。
世界の言語には能格型といって他動詞の主語と自動詞の主語に違う格をもちいる言語がある。日本語などは他動詞の主語も自動詞の主語も同じ助詞(は、が)をもちい、目的語には「に」、「を」をもちいる対格
型という言語である。チャモロ語では他動詞の主語(1人称はhu)と自動詞の主語(1人称はyo’)は違う代名詞をもちることから能格言語に近いのではないかと見る言語学者もいる。
例:Hu
tunge’ i katta.
私は 書く (冠詞)
手紙。
Malagu yo’.
走る 私(私は走った。)
チャモロ語の形容詞は用言型といわれるのもで、日本語の形容詞と同じ型である。
例:Dikike’
yo’.
小さい 私は
英語では「私は小さい」というときはI am small.とbe動詞を使う。これを形容詞名詞型という。これに対してチャモロ語や日本語は形容詞がbe動詞の役割を果たしているから形容詞用言型という。
ア
イヌ語もチャモロ語も日本語にはない文法上の特徴をいくつかもっている。しかし、比較してみると、日本語の構造は南方系のチャモロ語よりもむしろ北方系の
アイヌ語にはるかに近い。しかし、アイヌ語にはチャモロ語と共通の特徴もいくつかある。例えばアイヌ語もチャモロ語も1人称複数の代名詞に包含形と除外形
の区別がある。また、動詞の側で主格、目的格などの格の表示をするなどである。
アイヌ語もチャモロ語も日本が農耕時代に入る以前に日本列島のあった言語の痕跡を留めた言語である可能性もある。それはまた、アメリカ西海岸にある先住民言語ともつながっている可能性すらある。
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