第91話 日本に一番近い南島(グアム島)のことば~チャモロ語~

日本列島の南に広がるミクロネシア(グアム・サイパンなど)、メラネシア(フィジーなど)、ポリネシア(サモアなど)、それにインドネシアからフィリピン、マレー半島に広がる地域で話されている言語は、オーストロネシア語(南島語)と呼ばれている。「オーストロ」とは「南 の」という意味で、「ネシア」はギリシャ・ラテン系のことばで「島」である。したがって、オースロネシア語は南島語ということになる。その分布は、東は イースター島から、西はアフリカ沿岸のマダガスカルにいたる地域で、少なく見積もっても500を超す独立した言語が含まれている。そのなかの一つに、グア ム・サイパンで話されているチャモロ語がある。

チャモロ族は紀元前1500年頃、アウトリガー・カヌーに乗って、この島にたどり着いたものと考えられている。アウトリガー・カヌーはポリネシア、ミクロネシア諸島にみられる丸木舟 で、船体の横にフロートをつけてあるため安定性がよく、波を切って遠距離の航海をすることができる。オーストロネシア語を話す人々はアウトリガー・カヌー に乗って南太平洋の島々に広がっていったと考えられる。

グアム島は日本から一番近い南島で、飛行機で三時間で着く。現在グアム島の人口は約14万人で、そのうち約5万5千人がチャモロ語を話す。チャモロ語では「こんにちは」はbuenos dias、「さようなら」はadios で、いずれもスペイン語からの借用語である。グアム島は、現在はアメリカ軍の基地の島であるが、アメリカの委任統治地になる以前はスペインの植民地で、スペイン語が日常生活のなかに取り入れられている。 日本語の語彙も、日本軍統治時代にとりいれられていて、denke(電気)、chirigame(ちり紙)、chimbokochingchengなどが残っているが、日本語の影響は少数の語彙に限られる。日常使われているチャモロ語はつぎのようなものである。

「ご機嫌いかがですか」 Hafa dai
  「ありがとう」 
Si yu’us ma’ase
  「小さい」 
dikike’、 「とても小さい」 dikikikike’
  「大きい」 
dankolo、 「とても大きい」 dankololo
  「今何時ですか」
ki ora
   「私は銀行に行くところです」 Bai falak y banko
  「私は仕事に行くところです」
Bai falak y checho
  「私はお店にゆくところです」
Bai falak y tenda.

チャモロ語については、ハワイ大学太平洋言語研究所が辞書と文法書を出版していて、その概要を知ることができる。”Chamorro Reference Grammar” by Donald M. Topping”Chamorro-English Dictionary” by Donald M. Topping et alである。それを参考にしながら日本に一番近い南の島の言語を探ってみることにする。

Gafo’         椰子の実。木になっているほとんど熟していないもの。
    Kannu’on        熟して食べられる椰子の実
    Ma’son         青い殻をかぶった熟しかけの椰子の実
    Niyok            パー ム椰子の木、または実。
    Niyok kannnu’on       熟した青い椰子の実。
    Pontan         熟して木から落ちた椰子の実。
   Tafu            腐りかけた椰子の実。椰子蟹釣りの餌に使う。

チャモロ語では、同じ椰子でも呼び名がいくつもある。しかし、日本語の椰子「やし」と近いことばはひとつもない。日本語の「やし」は中国語の「椰子」からの借用語である。

稲作が南の島から来たとしたら、稲作に関する共通語があるかもしれない。しかし、それもみあたらない。

Fa’li   稲、成長したもの
    Hineksa’  炊いたご飯
    Pugas   炊いてない米
    Hineksa’ agaga   赤飯
    Potu   餅
    Alaguan   かゆ
    Balensiana   スパニッシュ・ライス
   Fama’ ayan  田んぼ

チャモロ語には接頭辞、接尾語のほかに、接中語というのがある。例えば、-um- という接中辞が、単語の真中に入り込んでくる。Taotao()-um-が入ってくるとtumaotao になり、dankolo(大きい)に-um-が入るとduma’nkolo になって、動詞のような機能をする。

例:Tumaotao  i     patagon.
      
人になる(定冠詞)こども       =「こどもは成長した」

   Dum’ankolo    i     palo’an.
   
   おおきくなる(定冠詞) 女の人    =「女の人は太った」

南島語のもうひとつの特徴は焦点形と呼ばれる代名詞の強調形があることである。

例:Guahu        lumi’e’  i                palao’an.
   
   私こそ(焦点形)見た (定冠詞)   女の人

   Hu         li’e’    i      palao’an.
   
   私は(非焦点形)見た (定冠詞) 女の人

チャモロ語の一人称代名詞はhu だが、guahu となると「私こそ、その人だ」という強調形になる。焦点形はフィリピンのタガログ語、イロカノ語、セブ語、台湾原住民の言語などマレー・ポリネシア系言語に共通してみられる。

チャモロ語の数詞は現在では、スペイン語からの借用語が使われている。しかし、宣教師たちが残した古い記録をみると、チャモロ語には今では忘れ去られてしまった固有の数詞があったことが判明する。

                1   2  3       5   6  7  8  9   10
 スペイン語 
un(u)      dos   tres    kuatro    sinko    sais    siete   ocho    nuebe       dies
  チャモロ語    hacha   hugua  tulo  fatfat       lima     gunum  fati    gualu    sigua       manot

日本語にも「いち、に、さん」という中国語から借用し数詞と「ひ、ふ、み。よ、い、む、な、や、ここの、とお」という和語の数詞がある。しかし、チャモロ語の数詞は日本語の数詞とは何の関係もなさそうで ある。語順は日本語とはかなり違う。

Dankolo  si    Juan.
 大きい である ファンは

Hu   li’e’    i      dankolo.
 私は 見る(定冠詞) 大きい

Hu   li’e’    i        dankolo  na  taotao.
 私は 見る (定冠詞)  大きい (助辞)  人

このような例をみる限り、チャモロ語は日本の初期の文献である古事記、日本書紀、万葉集などのことばとは、何の共通点もなさそうである。しかし、それにもか かわらす日本の言語学者のなかには日本語南島語起源説をとなえる学者が多い。南島語は縄文時代には日本列島で話されていたのだろうか。

オーストロネシア語がマレー半島から南太平洋の島々で話されるようになったのは、そう古い時代のことではない。ミクロネシアのマリアナ諸島が最も古くて、約3 千6百年前とされている。ポリネシアのイースター島に達したのがほぼ1千5百年前、ハワイへは1千4百年前にたどりついたと推定されている。

南島の航海者がアウトリガー・カヌーに乗って、日本列島にたどり着いたことがあるにしても、それは紀元前1千5百年以前のことではありえない。日本の縄文時 代は1万2千年前から約1万年続いており、三内丸山遺跡にしてもいまから5千年前から4千年前までの遺跡であるとされているから、三内丸山遺跡を営んだ縄 文人が南島語を話したということはありえない。もちろん、マンモス・ハンターたちの言語が南島語であったとは考えられない。

しかし、チャモロ語とアイヌ語の文法はかなり類似点がある。接頭辞、接尾辞などが多用される。一人称複数の代名詞には相手を含むものと、話相手を除外したことばがあるのも共通の特色である。

一人称複数       包括的(相手を含む「われわれ」):対立的(相手を含まない「手前ども」)
    [チャモロ語]    ta(hit)  :                                                   in(ham)
   [
アイヌ語]       a-okai :                                                      chi-okai
注、チャモロ語には一人称複数を表わすことばは2種類あるので、(  ) で示した。

 チャモロ語と アイヌ語では、語彙はかなり違うが、文法構造は似ているところもある。アイヌ語と南島語との比較研究はまだ進んでいない。アイヌ語の研究者はチャモロ語に ついては知らず、チャモロ語の研究者はアイヌ語についての知識がないのだ から比較しようもない。しかし、アイヌ語は沖縄語と類似していると指摘する学者もあり、アイヌ語―沖縄語―南島語を結ぶミッシングリングが結ばれる日が来 るかもしれない。アイヌ語と南島語の比較研究が進んで、文法構造にかなり類似点があることが判明すれば、ポリネシアからミクロネシア、日本列島を経てア リューシャン列島、さらにはアメリカ・インディアンに至る環太平洋語族が存在していたことが証明される可能性もある。



もくじ

☆第86話 日本語の系統論

★第87話 日本語とアイヌ語

☆第92話 台湾原住民のことば

★第97話 日本語の座標軸

☆第103話 チャモロ語訳の聖書

★第106話 日本語と近いことば・遠いことば